ライル02
島の結界が緩んだのに気づいた。
その術の構成から、それが誰のものか瞬時に知れてそのままにしておく。我が元を離れて久しいのに我ながら甘いことだと思いはするが、情とはそんなものなのだろう。
気にせずに先ほど飛び出していったカバキの『気』の変化を思い返し、作りかけの術式に調整を入れる。姿形は確かに我らと一緒なのだが、やはり自然に放出している『気』が違う。彼が持っている力もまた、恐らく私には未知数のものなのだろう。―――そして、今ローデンで眠る彼の『災い』もまた。
そんな思いで久々に結界術の本格的な改良を試みていた私の背後で、伝声の気配がして振り向く。拳大の淡い橙の光に浮かんでいる印影は明らかに島の結界に介入したあれの物。
「どうした、言い訳か」
「―――返す言葉がございません。ですが、どうかローデンの為に尽力いただきたく…」
「断る」
言い淀んでいるのだろう、何も言わずに暫く揺らめいていた光に痺れをきらして先に言えば、慌てたような声が虫のいい言葉を繋げようとするのできっぱりと断じた。島の結界をそのままにしておいた以上断られるとは予想していなかったのだろう、それ以上の言葉は返ってこない。
「ですが父様、他の何処でもないローデンの危機なのですよ!?」
「お前に父親呼ばわりされる理由はない。もう何十年も前に縁は切ってあるのに自分の手にあまれば助けを求めるのか? あの時大口を叩いて出て行ったのに笑わせるな。そもそも今更私がローデンの為に動くと思うのは感傷が過ぎるぞ」
かつての息子の一人が、持っていた穏やかさをかなぐり捨てて必死とも言える口調で言い募るのを切り捨て、皮肉な口調で応じた。
とうにシャイアもプリスもいない今、禍つ祝に守られてもいないのに自負心だけが高く腐りきってるだろう彼の国に私は欠片の情も残してはいない。
「…それでも今お力をお借り出来るのは貴方様だけなのです、『黒のライル』。対価なら私が支払います」
「―――――私は『黒』だ。それが分かるなら来るがいい、ローデンの者よ。貴殿の望む形ではないかもしれないが、得るものはあろう」
情に頼るでなくローデンの使者としての口調で話す息子の冷静に過ぎる声に、私も他人の口調で言葉を繋げ一方的に光を消して術を打ち切らせる。あれにも色々と煩悶があるのだろうとは思うが既に手を離れ独立した者に甘い顔をする気は全くない。しかもあれが選んだのは私には全く理解できない道。今ローデンの『災い』を抑えているのはお前だとすぐに分かるのに何処までも日陰の道を行くというのだから。
一度、頭を振って意識を術式の構成に戻す。今はそんなことを考えている場合ではない、あの私に似た天の使いが言った言葉が本当ならば、世界を安寧させる四大魔術師の一人、『黒のライル』としてそれを止めなければならない。…問題は、それに『白』が関わっているかもしれないことか。
「……全く…………困ったものだな……」
何故、日々は早くに流れてしまうのか。
詮無い言葉は、喉の奥に留めた。
暫くしてやってきたローデンの筆頭騎士に、カバキのことを告げその間の『妖し』の抑えを確約すれば、表情には出ていなかったが私が『黒』であることに驚いたのであろう彼は、時間がないこともあってかこちらを質問責めにすることもなくカバキを探しに外に出て行った。観察されることは好きではないからありがたかったが…視線が喉仏と胸元を上下していたのが笑えた。私の顔は整っていないとは言わないが、決して女性的なものではない。つまりまだ、民間では『黒』の魔術師は女だと思われている…シャイアの死は浸透してはいないということだろう。もう、半世紀以上たっているのに。
シェインにカバキがローデンに出立する旨とその準備、それとこの部屋の入室禁止を告げれば何か思うところがあったのか大人しく頷いて準備にかかっていたようだった。とはいえ、もともとあの子は破天荒なことは一点を覗いて言うことも行動することもない子供だったが。
ともあれ、私は自室に一人でいられる時間を確保してから床の中心に書かれている巨大な術陣の中心に立った。呼気を整え目を瞑り意識を深く己の内に沈め、眠らせている力を全て捉えるように両腕を前に伸ばして組む。
目を瞑っていても、自分の髪がゆらゆらと揺れているのが分かる。それはまるでそれ自身が魔力を帯びているかのよう、いや…「まるで」ではない、実際に内部の魔力が放射を求めて髪を操りうねっているのだ。収まりきらない魔力がその器にもなっている術陣へと零れ落ちて黒い光を放つのがその気配だけで分かる。
――――――全力も久しぶりだな。
集中が途切れぬ程度にこっそりと笑い……私は術陣に押し出されるように、身体を脱ぎ捨ててローデンへと一気に転移した。
……のだが。
『災い』の居場所は分厚い結界が見えれば直ぐに分かり、私は城の地下牢へと移動していた。結界の中眠りについているカバキよりも幼く見える少年への待遇は、一見しただけであまり良いものには見えない。だが、彼の力を考えればそれも当然だろう。…少年が暴れたとするならば、そうさせた存在は唾棄すべきものだが。
しかし……あれも何と言うか……――ここまで頑丈な結界を張る必要があったのだろうか。これなら、その性質を読んで効果的なものを張ったほうが余程効率がいい。これでは負担も少なくなかろうに。
牢の前、中空で僅かに浮きながら私はため息をついた。何をしても今の私は誰も……宮廷魔術師にも見えないと分かっていたから隠そうとはしない。
勿論、これはしょうがない措置なのだろう。あれは準備も無く目の前で『災い』の気を読むことも出来なかったのだから。
……そこまでして、今の立場でいたいか。本当に、莫迦な息子だ。
私はあれの張った結界を解き、その力の残滓を練りながら宮廷魔術師の力も取り込んで新しい結界を張り始めた。
PV1000を超えて小躍りしております。これからも、どうぞよろしくお願いします(礼)。




