第18話:夕暮れの空
「まあ、過去のことなんかも、またゆっくり話しましょう。あまりノンビリすると、日が陰ってしまいますから」
「あの、日本では……」
話を切り上げようとしたヒジリに、マコは慌てて問いかける。
「日本では、お父さんは、なにをしていた人だったの?どこから来たの?」
ひとつだけ、ぼんやりとした疑念があった。
もしかすると、この人は……。
「普通の会社員でしたよ。出身は……信州です」
「信州、って長野県?」
「ええ」
ふ、と肩の力が抜けるのを感じた。
どうやら、ふとよぎった疑念は大ハズレだったらしい。
「ああ、そうか。信州蕎麦……!」」
急に思い出した。
転移して数日間。この異世界の情報をインプットするのに忙しかったけれど、日本に関することを忘れてしまったわけではない。
「そう。蕎麦どころなのをよくご存知でした。マコは何でも知っていて偉いですね。実は私は、蕎麦屋の息子だったのですよ」
「へぇ!」
納得した。ヒジリはやはり、日本から蕎麦文化を持ち込んだのだ。
「信州かぁ……」
とはいえマコに、信州に関する引き出しはそれほどない。
「私は東京に住んでいたから、詳しくは知らないけれど。あ!でも信州は校外学習で一度行ったことがある……中学2年生のときだったかな」
マコの思い出話を、ヒジリは目を細めながら聞いてくれている。
「かなり前のことだから、あんまり覚えていないけど。信州は、信じられないくらい山ばっかりで、視界一面が真緑って感じで。きれいな川の水がすごく冷たくて。東京では見ないような花がいろいろ咲いていて、珍しい鳥がたくさんいて」
「ああ、懐かしいですね……」
ヒジリは、ずうっと遠くを見るような表情をした。
「まさに、私の故郷の風景です」
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帰りの荷車には、凍らせたドラゴンの肉や皮、内臓類などがドンと乗っている。だから来たときよりも、3人が乗るスペースはずいぶん狭くなってしまった。
「空飛ぶ荷車には慣れましたか?」
「全然!」
マコは来たときと同じように、荷車の木板を力いっぱい握りしめている。
「でも、夕方の景色もきれい……」
太陽が傾き、世界は黄金色に染まっていた。
奇跡みたいな風景だと思った。
「ねえ、お父さんは……日本に、帰りたい?」
景色をぼんやりと眺めていたら、そんな質問がふと口をついて出てしまった。
「……例の魔術師が言うには、帰るのは難しいそうです」
「うん……」
薄々、そんな気はしていた。
正直、マコは日本にあまり未練がない。
「私は、日本に帰れないなら、それでもいいかなと思っていて……」
あの街には自分を愛してくれる人はいない。そんな街で、自分は死の妄想ばかりをして人生を浪費していた。
でも、この異世界には、自分を愛してくれる人がいる。
必要としてくれる人がいる。
そういう場所で過ごすのは悪くないな、と少し誇らしく思っている今日このごろだ。
「私もね、日本に帰りたいという思いはもう、持っていないのですよ」
黄金色の夕焼けを眺めながら、ヒジリが言う。
「ここには、大好きな家族がいますからね」
少し照れくさいけれど、勇気を出して返事をした。
「……じゃあ、私と同じだ」
そう言ったら、ヒジリは微笑んで、マコの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「日本といえば、1つヒッソリと疑問に思っていたのですが」
ヒジリがふと思い出したように言う。
「マコはこの間、18歳で大人と言っていましたが、あの国の成人年齢はもしかして引き下げられたのですか?」
やっぱりな、とマコは心の中でつぶやいた。
きっとこの人は、20歳が成人とされていた頃の日本しか知らないに違いない。
マコはこくりと頷いてから言う。
「お父さん、なんだか浦島太郎みたい」
「ああ、また懐かしいものを……」
ヒジリがクスクスと笑ったから、マコもつられて笑ってしまった。
「今日はなんだか、分からない話題ばかりだわ」
荷車を操りながらずっと黙って話を聞いていたジャスティナが、ついに首をすくめながら言った。
「ああ、そりゃそうですよね……ごめんなさい」
「分からないけれど、あなたたちが楽しそうなら、私だって楽しいからいいの」
そう言って笑うジャスティナは、気を使っているという雰囲気ではなく、本当に楽しそうだった。
「あ!そうだ」
とびきりいいことを思いついた。
「じゃあ私、お母さんに浦島太郎のお話を教えてあげる」
「なあに、それ?」
夕暮れの空に、マコの声が響く。
「むかしむかし、あるところに、浦島太郎という名前の若者がいました……」