第16話:ドラゴンのステーキ
「谷を散策する前にステーキの方が来ちゃいましたね……ジャスティナは仕事が早すぎるんですよ」
「あら文句?」
谷の川べりで大きめの岩を選ぶと、ヒジリは簡単な水術を使った。
「文句はないですよ」
岩に水をしっかりとかけて、布でゴシゴシと擦る。そうしてから石の上に炎術を投げた。
「熱いですからね。少し離れていてくださいね」
ヒジリが岩を熱している間に、ジャスティナはドラゴンの解体を進めているようだった。
「今食べる分だけを取ったら、あとは冷凍にして荷車に乗せておきましょう。それと、竜の皮はきれいに剥ぐ。高く売れるのよね」
そんな風に説明しながら、刃の魔術でてきぱきと作業をしていく。
「内臓類は薬屋に売るから、まとめて袋に詰めておく。こっちはオーケー、そっちはあたたまったかしら?」
「いい頃合いですよ」
黒々と熱された岩に、ジャスティナは切り分けたドラゴンの肉を並べる。ジュッと大きな音がして、それからいい香りが付近に漂い始めた。
「牛肉……とは少し違う香り、かなあ」
嗅いだことのない香りだけど、どこか食欲をそそるような気がするから不思議だ。
その肉の大きさは手のひらほど。かなりのビッグサイズだった。大きなステーキをどうやって食べるべきか、と少したじろぐ。
しかし、ジャスティナが刃の魔術で小さく切り分けてくれたから安心した。
塩胡椒を振りかけて、いよいよ実食。
「あ、熱っ……わ、意外と柔らかい」
思いのほか食べやすいから驚いた。
「そりゃあそうよ。マコのために、肉質の柔らかそうなとっておきのを選んだもの」
ジャスティナはご満悦だ。
「油も少なくて、重たくないでしょう?私もねえ、いい年だから重めの料理は欲しくないんですけど、ドラゴンステーキなら食べやすいんですよね」
そんなことを言いながら、ヒジリは手元のステーキをちまちまと切り分けている。
「ドラゴンはやっぱりステーキに限るわね」
大きめの肉の塊に豪快にかぶりつきながらジャスティナが言う。
「まあ、ステーキはお手軽で、間違いがないですよね」
「ほかの食べ方もあるの?」
まったく未知の領域だ。マコは興味津々で尋ねた。
「一般的な家畜の肉と同じように使えますよ。炒め物にも煮物にも。おすすめはフライですかねぇ」
「そうね。ドラゴンフライはおいしいわ」
ジャスティナがそんなことを言ったから、マコは少し考え込んでしまった。
「ドラゴンフライ?……って、トンボじゃない。じゃあおいしくないんじゃないの?」
その言葉を聞いて、ヒジリがフッと吹き出す。
それに対して、ジャスティナはよく分からないといった表情を見せた。
「トンボって、なあに?」
「あれ?もしかして、この異世界にはトンボ、いないの……?」
少し驚いた。
転移して日は浅いけれど、この異世界には元いた世界と同じくらい、多種多様な生物がいるように思う。
しかし、言われてみればたしかに、トンボを見かけた覚えはなかった。豊かな自然風景が広がる蕎麦畑の周辺なんか、いかにもトンボが飛んでいそうなのに。
「このくらいの大きさで、羽が4枚で、尻尾が長くて、目がぎょろぎょろしているんだけど……」
「なあにそれ。マコがいた世界には変なのがいるのね」
「うん……」
しばらく、黙ってドラゴンステーキを食べる。
とろけるような肉質のステーキはとてもおいしい。
それから、おもむろに口を開いた。
「トンボは……」
言葉を止める。
マコには少し、気になることがあった。
ずっとずっと、かすかな違和感があった。
ほんのわずかな違和感が少しずつ蓄積して、蓄積して、そろそろ溢れ出してしまうような気がした。
「ねえ、お父さんは……」
聞いてしまっても大丈夫だろうか、という思いがよぎる。
きっと、聞いたらもう、後戻りできない。
それでもマコは、尋ねるしかなかった。
「日本という国を……私がいた国を、知っているの、よね」
ヒジリは食事の手を止める。
それから、少し考え込むように、口元に手を当てた。
ジャスティナは、口を挟まずに様子をうかがっている。
しばしの沈黙のあと、ヒジリは重い口を開いた。
「そうですね。知っています。知っているくせに今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
観念した、といった表情だった。