第10話:真夜中の水術
フ……と目が覚めた。
(お母さんが……)
暗闇の中でぼんやりと考える。
「あ、違う……」
小さな声で、自分の考えを打ち消した。
普段とは違う布団の感触。異世界に来たことをゆるゆると思い出す。
(ああ、もう真夜中に起こされることもないんだ……)
元の世界で住んでいたのは古くて狭い家。たった一人で留守番をし続けるのが常だった。父親はもう、ずいぶん前にいなくなった。
そして母親はいつだって、夜遅くまでどこかに出かけていた。
母は深夜の2時や3時に帰ってきて急に騒いだり、わざとマコを起こしたりしていた。だから、安眠できる日は少なかった。
今、暗闇の中で目が覚めた瞬間、自分はそれを警戒した。恐れた。
だけど。
自分はこうやって召喚されることで期せずして、安心して眠れなかった日々と決別できたのだ。
少しホッとした。
真夜中だけど、時間は分からない。
ゆっくり立ち上がり、カーテンを開けて窓の外を見る。
「え……2個ある……!」
月、と呼んでいいのだろうか。夜空に、ちょうど月くらいの大きさの楕円が2つ、ぽかんと浮かんで光っていた。
「異世界って、そうなんだ……!」
なんだかわくわくしてきた。
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少し喉が乾いている。ダメでもともと、といった気分でキッチンに行ってみることにした。
「ん?……マコですか?」
足音が聞こえたらしい。リビングルームからヒジリの声がした。
「あ、……お父さん」
せっかくだから、慣れない呼び名で呼んでみる。ヒジリは表情を崩してヘラッと笑った。
「ああ、お父さん、かあ。いいなあ、嬉しいなあ。どうしました?眠れない?」
ヒジリの前のテーブルには、なにか布がゴチャゴチャと置かれている。何をしていたんだろう、と疑問に思ったけれど、とりあえず当面の困りごとを相談してみることにした。
「喉が乾いちゃって」
「ああ、そういうことなら。このキッチンには水道がないのですけど」
言いながらヒジリは立ち上がり、棚から小さなコップを取り出す。
「そういえば、ない。どうして……」
「みんな、こうするからです」
ヒジリはコップを指でトントン、と触った。音もなく、コップの内部が水で満たされる。
「水術ですね。この世界で生活している人間はたいがいできます。どうぞ」
受け取ったコップを光に透かしてまじまじと見てみる。……見た目はたしかに水そのものだ。
「ああ、マコもこれくらいの魔術なら、すぐにできますよ」
「私にも、魔法が使えるの?」
「どうでしょうねえ」
ヒジリは、空のコップをテーブルに置いた。
「このコップを水で満たすイメージを持ちながら、さっき私がやったように、コップのフチを指でトントン。それだけです。難しくないですよ」
心の中で、水をイメージする。それから、コップのフチを触ってみた。
ちゃぷ、と小さな音。
「わ……!」
コップの内部は液体で満たされていた。
「水術で出す水は飲用に適しています。安全ですよ」
そう言われたからおそるおそる飲んでみた。
「普通の、お水だ……」
ひんやりしていて、おいしかった。
自分にも魔法が使える。そんな喜びが心の奥底からじわじわと湧き上がってきた。