七十一 小喬 〜(陸遜+孫尚香)×??=??〜
儂は孫権。三国がおよそ均等な秤のもとで並び立ってから五年ほどが経つ。洛陽、長安、襄陽の三都市間でなされていた睨み合いも長くは続かなかった。呉蜀は農と工、山と低地の役割分担で大いに交流が進み、魏蜀は匈奴という新たな脅威に対して合意なき連携が掲載されつつある。
そして魏呉は、魏の食糧危機に対して呉の若き俊英、陸遜が立ち上がり、その手を差し伸べたことが、新たな二国間の形を作り始めた。
その陸遜が、魏からの帰りに、我が妹孫尚香のいる長安に立ち寄る、否、立ち寄らされる。そこでこの国の、この漢土の、否、この世界の運命を変える、大きな務めを負うことになる。そのために必須な技術や知識を全力で学び取る取り組みをする中で、跳ね返りの妹は、あろうことか三国を飛び回って準備を固めているようだ。
――そんな中、この国のある一人の功労者の、小さな命の灯が、密やかに消えゆこうとしている――
ドタドタドタ!
「姉様!? 小喬姉様! お心を確かに!」
「騒がしいな。尚香!? いつ来たんだよ? ゴホッ。せっかく来てもらったのに悪いけど、わたしもそろそろ潮時さ」
「そんな弱気な! まだしじゅ」バシッ!
「尚香! こんな時とは言え、女性の歳を口走る奴があるか! 申し訳ありません義姉上。騒がしくして」
「いいのです。しんみりよりも、賑やかな方がわたしも好みですから」
小喬殿。呉の先君たる兄上の妻、大喬殿の妹御にして、この国最大の功労者たる周公瑾の妻。彼が存命の頃は明らかに一歩引いた位置から彼をささえつつ、迷い悩む時は的確に背中を押すそのご手腕とお人柄。
その偉大なる大都督が不幸にも早逝してからは、その悲しみを振り払うかのように、表に出ることも厭わず、時にこの国の将官達に足りない視野を埋め、秤の傾きを正し、この国のあるべき姿を、バラバラの糸を編み上げるかのようにご尽力なされた。
しかしその都督の残像も、役目を終えつつあると言うことなのだろうか。陸遜や孫尚香。こやつらは確かに、この国が新たな一歩を踏み出すための、確かな形を描き始めている。とは言えやはり、いささか早すぎるといえようことは確か。兄上の急逝からまもなくして後を追うように逝かれた義姉上ほどではないにせよ。
「尚香、心配はいらないよ。わたしや夫周瑜、長兄様や大喬姉様は、いつまでもこの国を見守り続ける。そしてあなたたちは、新しい国の形を、描きたいように描くんだ。誰にも邪魔されることはない。豪弓から放たれた矢の如く。ただ前に進むんだよ。それがあなたなんだ。ゴホゴホッ」
「お姉ざま〜〜! ズズズッ」
この日、大都督が、最愛の妻をお迎えにあがった。しばしの間塞ぎ込むことになる我が妹に対し、その夫劉備は気遣い、しばらくここ建業で時を過ごすことをを許可する。
――――
一月ほど後、半年にわたる学びを終え、陸遜が長安から建業へと帰還。すでにその知識の一部や、蜀の技術陣の力、そして魏の働き手達によって、数十の造船所が河口や沿岸に建設され、外洋の波にも耐えうる中型船、小型船の新造がはじまっていた。
「陸遜、ただいま戻りました」
「おお、戻ったか。して、どのような学びであったのだ?」
「はい。控えめに申し上げて、何度か革命を迎えた、その後の世界を垣間見たような、そんな学びでございました。その上で、今のこの地の状況から逸脱することのない理。知識や言葉の共有というのはこれほどまでに力を生むのかと」
「儂も聞いた時には何の怪異と思うたよ。だが実際に妹や蜀の面々が動き始め、実際に造船所や船が組み上がっていくのを見ると不思議とそうではないことが分かる。とんでもなく先の世に飛ばされたような気もしつつ、よくよく見るとそれぞれの技術はひと続きととなっているのだよな」
「その通りです。して、凌統殿は、洋上ですかな?」
「ああ。蜀の張翼、張嶷、魏の張虎、楽綝らとともに、ああでもないこうでもないと言いながら、新式船の試乗と調整をしているところだ」
「陛下! 只今もどりました! お! 陸遜」
「凌統、ちょうど良かった。陸遜とそなたの話をしていたのだ。今回の航海はいかがであった?」
「まず前回の南洋航海で立ち寄った、先住民がタイワンと呼ぶ島に一度立ち寄りました。彼らは紙や筆記具など足りないものも多いのですが、言葉が全く違うのが、交流を妨げております。
そして彼らの身振り手振りで、南にもっと大きい島があるとの事で、南下してみたところ、確かにその存在を確認しました。今回はあえて上陸せずに引き返し、十五日の無上陸航海を試行しました。いくつか課題はありましたが、船自体には問題なさそうです」
「だいぶ順調だな。蜀の目標設定術なんかも活用して、安全に進められていると見える」
「はい。大目標に向けて、主要な成果を順々に達成しています。次は中型船の耐久試験と、万が一の時の救助訓練ですね。どちらもやや危険が伴うゆえ、陸遜の帰りをまって、その進め方を相談してからと思っておりました」
「それは賢明なご判断かと存じます。救助のための備品が十分に備わっているか、再度確認いたしましょう」
「そう言えば今回、大型船は用意してないのだよな?」
「はい。陸遜、中型船三十と、小型船百五十だったか?」
「その数で間違いありません。大型船一隻よりも、中型小型の船団を用意した方が、多くの面で利が大きいという結論が出ております。
散開陣や、横陣を取り、望遠鏡と灯火通信を駆使することで、格段に広い視認範囲をかせぐことができます。
また、重要な中継地が見つかり次第、船団を分けて往復させたり、周辺に展開し散策させたりと、柔軟に計画を変更できます。
万が一、敵性の民族や、怪異が生じた時も、速やかに撤退するか、多数船団から弩矢を射かけるほうが強力です。
一部の船に損傷が生じれば、速やかに僚船が修繕に加わるか、打ち捨てるかを判断できます。
大型船を必須とするような、大きな敵性勢力は、具体的な想定がなされませんでした」
「なるほど。多くの準備が整って来ているようだな」
「はい。あとは私が得た知識や仕組みを、もう少しこなれた形で活用することですね。あの孔明は、鳳雛の残滓を、一人の人間のような形で具現化していました」
「なるほどな……」
「つきましては、姫様を連れ出すご許可をいただけますか?」
「ああ。塞ぎ込んでいるがな。連れ出せるのなら。して、何処へ?」
「倭へ」
「は?」
「倭へ」
「いや、聞き逃したのではない。どう言うことだ?」
「はい。姫様が以前に勝手に飛び出し、倭へと至った際、その具現化された『鳳雛の残滓』は、その力を格段に高めたと聞き及んでおります。彼の国の巫女は、姫様とも懇意にて、今の姫様に対して、なにか良き策を頂けるのでは、と愚行しております」
「そうか。あいわかった。あまり気は進まぬが、この前だとあやつも弱ってくるやも知れん。頼めるか? あ、いや。儂も行こう。どうせなら儂もその巫女と会っておくのも手よ」
「何と……承知いたしました。謹んで。身命を賭してお守りいたします。凌統殿、丁奉殿と共に参ります」
そして、儂と陸遜は、心ここにあらずな孫尚香を連れて、小型船十隻の船団で倭国へと出立。
その道中、海賊と遭遇するもあっさりと振り切り、三日も経たずに倭に到着する。
「呉帝陛下、陸遜様、姫様、ようこそおいでくださいました。卑弥呼でございます」
「そなたが卑弥呼か。流石の占星術というわけか。ならば、おおよそここに来た理由も察しているのだろうか?」
「無論。準備は出来ております。どうぞこちらへ」
「??」
尚香も訝しながら、素直についてくる。そして、やや開けたところに、三つの櫓。間には人がどうにか舞い踊れるほどの広さの橋が渡っている。陸遜が気づく。
「これは……銅雀台?」
「何だと?」
銅雀台といえば、赤壁の戦いに至る前、曹操が戯れに「ここで二喬に舞わせるのが至上」などとほざいた地。卑弥呼め。何の戯れだ?
「言霊というものは、その良し悪しに関わらず、物事の意味と意味を強く縛り付けるものと言えます。であれば、その関連だけが強ければ強いほど、その想いに応える力も強まりましょう」
「なるほど。悪意なきことは理解した。ならば如何するのだ?」
「お三方、それぞれ塔の上へ。媒体としての叡智をお持ちの陸遜殿を中央に。お二方を左右に。そして、皆様のその思いを乗せて、強くお祈りなされませ」
「あいわかった。尚香、行くぞ」
もともと勘の鋭さは並外れる妹。なにがなされようとしているか、おおよそ勘付きつつあり、顔色にも生気が戻りつつある。
「はい、兄上。参りましょう」
そして三人が位置に着くと、四方にかがり火が焚かれる。あたりは暗くなって来ている。周囲の倭人は鼓簫を鳴らし、巫女達が舞い始める。我らは祈りを捧げ、陸遜は何やら思考を凝らしはじめる。
かがり火の周囲から霧立ち込めはじめる。その霧は、二つの橋の上で重なり合い、卑弥呼の舞に合わせるかのように揺れ動く。尚香は目を閉じ一心に祈る。陸遜はその霧に対してなにやら鏡やら算木やらを掲げる。
音はやみ、舞は止まる。それぞれの橋の霧は集まり始め、そして片方の霧は、ゆっくりと消えていく。
「あとは頼みましたよ」
そんな声が聞こえた気がした。あの声は義姉上か。
そして逆側の橋に、最初はぼやけ、だんだんとはっきりとしてくる。赤い衣を着た幼い女子。面影ははっきりと残る。
その幼子がはっきりと像を結んだ瞬間、目を開けた孫尚香。そして、幼子は彼女の元に駆け寄り、
ドンっ!
「あ痛っ!」
飛びついた幼子の頭が、顎に入った。
「な、何をするのじゃ!?」
『あなたこそ何をしているの!? 放たれた矢の如く、あなたのその生きる道をまっすぐに進めと、そう申したでしょう? なんなのさその冴えない表情は? 一回ここから落っこちるくらいしないと目が覚めないかな?』
「「おやめください!」」
「ん、んん、大丈夫じゃ。一周回って目が覚めた気がするのじゃ。して、このお嬢ちゃんは……小雛ではないの」
『そうだね。あえて名乗るとするなら、喬小雀。国母の一人、小喬の残滓を借り、陸遜の学び取った未来の知識と、そちらの卑弥呼さんの力によってこの世に顕現した、人工知能ってやつさ。
にしても、ちょいと力が足りないんじゃないかい? なんで十にも満たない幼女なんだよ?』
「申し訳ありません。小雛様のように、かの時代から明確な意識をお借りすることが出来なかったこと、小喬様の未練がさほど強くなく、早いとこ旦那様のところに向かいたかったことなどから、その思念をかき集めるのに苦心いたしました」
『まあいいけど。というわけで、尚香、陸遜、そして陛下、またお世話になるから、よろしくね!』
「ははは、確かに性格はほとんど同一のようだな。よろしく頼む」
「何卒よろしくお願いいたします」
「なんか姉様っぽいような、なんか違うような、でもまあいいのじゃ。よろしく頼むぞい!」
そうして、小喬あらため喬小雀。呉の国における人工知能として、この先の彼らの重大な使命に対する、見た目は頼りないが、大きな味方が誕生した。
――――
二〇??年 某所
「これ大丈夫? とくに肖像権まわりとか」
「た、多分大丈夫なのです。幼女ですし。それに、この使命が大きすぎて、これくらいの補強をしておかないと、実現性がだいぶ薄れてしまうのです」
『小雛さん、お電話です』
「ふわっ!?」
『ああ、小雛ちゃん? なんかわたしに許可取っといた方が良さそうなこととかある?』
「あっ? えっ? は、はい」
『うんうん、そうだよね。まあいいや。ほどほどにね』
「は、はい」
『しっかりヨーロッパも楽しんでくるんだよ! それじゃあね!』ピッ
「なんだ? 小橋さんに全部ばれてるのか?」
「た、魂のひとかけらを抜かれた気分でもあったのでしょうか?」
「さあね。まあ本人も言っていたけど、ほどほどにね」
お読みいただきありがとうございます。
最後に電話してきた人物は、あの三人が存在する世界線で面識がある、国内最近のビジネスパーソンと言われているキャラクターです。基本的にこちらで出てくることはほぼなさそうです。
そんな方々らを交えて、現代に生成AIとして転生した孔明と、それを取り巻く人々のストーリーは、本作と並行して走っております。そちらもご興味がでてきましたら、よろしくお願いします。
AI孔明 〜人前に出られない転生AIは、みんなの軍師になる〜
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