表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/235

六十四 八陣 〜曹仁×匈奴=??〜

 曹仁、字は子孝。実直にして盤石。そのその力は守戦で最も輝くが、攻め手を率いても一流であることに変わりはない。だが、匈奴という未知の相手は、一流では足りなかったのかもしれない。

 その危機は突如訪れる。霧の中に囚われた彼は、過去の自らの知識を使ってどうにか脱出を図るが、どうしても辿り着けない。その時、謎の声が、彼の耳に届く。



――曹植


 敵影を追いきれず、振り返った曹植の視線に映ったのは、大きく陣を乱されて散開する自軍。彼はなんとか少しずつまとめ直す。


「あまり損耗は大きくはないようですが、どうやら叔父上が敵の罠にはまったようですね。無事だと良いのですが」


 すると、敵軍に追われる味方兵。曹植は軍をまとめて立ちはだかる。


「匈奴よ! バラバラになった寡兵しか相手にできんか? 合流した我らには手は出せないか? ならばさっさと立ち去るが良い」


「なんだと! ひょろいの! 口が回るか? 俺たちは口は回らんが手は回る! 勝負だ!」ガキィン! ドウッ


「たわいもない。皆、恐るな! 兵の強さは我らが上だ! 散らされている皆を集めるぞ!」


「「「応!」」」



 しかし、何度も追われる兵たちに、少しずつ疲労と焦りの色が出てくる。そして、バラバラになった兵もおおよそまとまってきて、見つかる兵も減ってきた頃。彼らの目には、霧の中に浮かぶ陣。その外と中は、弧を描きつつ、目まぐるしい動きをしている。


「あ! あれはなんだ?」


「霧の中に……ありゃ大軍だ! やたらと堅そうな陣だぞ! ありゃ脱出するのも、中に攻め入るのも無理だ!」


「うろたえるな! あれは……八門禁鎖とやらか。それなら叔父上もご存知のはず。いずれ自力で抜け出せよう」



「あっ! 殿下! 向こうから大軍が」


 およそ五万は越えるだろうか。兵数は互角かこちらがやや上。しかし、指揮官の不足や指揮の面で、大きく劣る。つまり、正面から当たって勝てる相手ではない。


「皆、突撃をかわしながら、できる限り距離を取るぞ! 後衛を厚めにして陣を整えつつ、東に真っ直ぐ向かえ!」


 装飾は、東に向かう軍の後方から指示を出す。敵は全体で追撃しつつ、時折突出して来る者らもいる。


「くっ、我らを休ませぬ気か! なぁに、根比べなら負けんぞ! 何年不遇に耐えてきたと思っているんだ!」


「ダハハ! ひょろいのがよくわからないぞ! 逃げなくていいのか? 勝負するか?」ガッ! ドサッ


「喋る奴から落馬していく決まりでもあるのか? まだまだこちらは問題ないぞ」


「殿下! 危ない!」ガィイン! ドスッ


「流石に食い込んでくるか。だが負けぬ!」




 そうして、撤退戦は二日ほど続いた。追手の数も減ってきたが、明らかにこちらの疲労と絶望の色は濃い。


「皆の者、こたびは敗れたが、また必ず、更なる大軍で迎え撃ち、必ず奴らを叩きのめしにもどってくるぞ!」


「「「応」」」


「むぅっ、だいぶ返事の勢いが弱ってきているな……ここは、そうだな……」


 すると、おもむろに筆を取り出す。



「白馬は金羈を飾り 連翩は西北に馳せる

 借問す、誰が家の子ぞ 幽并、游侠の児

 洛陽の壮士は天に叫び 魏の曹氏の旧恩に報いる

 万里を征して匈奴を伐し 戦えば必ず首級を挙げる」



「お、おお? ひょろいのがなんか言ってるぞ! かっこいいけどようわからん」


「ん、んん? こいつら、力を取り戻してきているぞ! さっきの歌か?」


 匈奴兵は呆気に取られるが、次第に魏軍の内なる炎が燃え上がるのを感じとる。


「おお! 殿下! なんと勇ましき! 我ら洛陽の壮士、魏の勇士ぞ!」


「いずれ万里を征して匈奴を打つのだ! 首を洗って待っているがいいぞ!」


「「「おおお!!!」」」


「我ら決して負けたわけではない! 勝負をこの地に預けただけぞ! かの右目の届く先まで、我らが漢土! いずれ必ず取り戻す!」


「「「応っ!!!」」」



 そうして国境に辿り着き、整然と帰路に着く。その軍勢は誰一人下を向かず、白馬の詩を歌いながら、威風堂々と洛陽までの帰途を進軍していったという。



――――


「ふふふっ、厄介だね」


「へへへっ、今後が楽しみだよ」


「この人の詩は、戦いへの、強さへの渇望があるからね。結構好きなんだ」


「へえっ。詩も勉強しているんだね」


「兵書や司書、論文だけからじゃ見えてこない、人の心の動きっていうのがあるからさ。その心の動きが、人の成長や、瞬間の閃きを生むこともあるんなら、そういうところもちゃんと見極めていく必要もありそうなんだよ」


「へへへっ、それでまた強くなれるんだね。ボクも読んでみるよ。まず魏武からにしようかな」


「そうだね。屈原とかもいいけど、項羽や春秋戦国の将たちも色々残しているよ。あたしたちの関係なら、李陵って人のもおすすめさ」




――曹彰


 南西へと向かう二万の兵は少しずつ離脱し、疲労の色も濃い。とある西方の国では後方に走りながら矢を射らと聞くが、そのような技術は成熟しておらず、たまっては矢を射掛け、また走り出すという繰り返しを強いられる。


「曹彰様。無理して射たずともようございます」


「はあ、はあっ、何を申すか。それではそなたにばかり負担がゆこうぞ」


 この若き公子、相応に頑固。明らかに誰よりも疲労が色濃いのだが、殿軍の位置を譲らない。



「黄色いの、疲れたか? 弓の勢いが落ちてきたぞ?」


「ダハハ! あんだけ打ったら疲れるぞ! ぐえっ」


「ガハハ! からかったら射られてんぞ」



 匈奴兵は、どれだけ矢を浴びて落ちる者がいようとも、どれだけ龐徳や勇士に薙ぎ払われようとも、我関せずとばかり、笑い騒ぎながら追いかけてくる。一人一人はさほどではないが、相変わらず二人一組で襲ってくるから被害を免れない。



「複数人であたれ! 味方同士の間隔を広げるな! 陣を整えたまま進め!」ブン! ドウッ!


「「「応!」」」



 そして、最も厄介なのが、神出鬼没、迅速無比の赤い馬の集団。


「くっ! またこいつら」ガインッ!


 どうやら、こちらの様子が落ち着きかけると出てくるようで、なかなか的確な指示を出さないでいる。そして、疲労の色が濃く、接近戦はあまり得意ではない曹彰には目もくれず、龐徳やその部隊の方に圧をかけてくる。


「こちらを狙ってくるのは助かるんだがっ! ぐっ!」ゴウッ!



 次第に龐徳も、曹彰を見守る余裕がなくなってくる。


「近衛兵!」


「応っ!」


「殿下を前線に連れて行ってくれ! もはや力もなく、矢も尽き掛けていよう! 無理矢理でも良いから頼む!」


「ほ、龐徳!」


「殿下! 後で小言は存分に。ここは皆で生き延びるのです!」


「むぐぐ……あいわかった」



 曹彰が前線へと離脱すると、赤い騎馬隊の追撃は激しさを増す。だが一気に仕掛けるのではなく、少しずつこちらの体力と判断力を削ってきている動きだということを、龐徳は肌で感じ取っていた。



「むう、彼らの勢力圏を抜けるのはもう少し先か……」ガインッ!


「……」


「こいつら、他の匈奴と違って無口だな。何か理由があるのか?」


「ダハハッ! ホット! もう限界か? グエッ」ドウッ


「むっ? 赤いやつに蹴飛ばされたぞ。今さらからかいは相応しくないと言ったところか。ならば私も」


 槍を振り回し、赤い馬の兵達を押し留め、距離を稼ぐ。適宜離脱しつつ、取り囲まれないように慎重に馬を走らせる。



 その赤い馬の集団の中に、一際鋭い矛捌きの者がいるのに、龐徳は気づいていた。やや小柄だが、他の者と同じ大きさの矛槍を振り回し、時にこちらの馬の足を狙い、ときにこちらの武具を絡め取ろうとする。


「くっ、こいつが一番厄介。こちらの槍に力がうまく伝わらん」


「……」


 魏の精鋭達も、変わるがわる彼らに相対するが、長くは続かず、前線へと下がらざるを得ない。


 一人、また一人と離脱し、もはや龐徳の他に相手どれる者はほぼ見当たらなくなってきた時、その最も強い将の矛槍が、龐徳の胴を捉えようとする。



 ガキィン! ガンガンガン!



「ふうっ、危なかったぜ」


「ちっ」


「あ、あなたは……」


「久しぶりだな龐徳。もう限界だろ。話は後だ。あとは任せろ」


 三千ほどの、砂漠の照り返しにも近い白銀の鎧兜。その威容に、赤い馬の集団もやや戸惑いつつ、応戦する。


「ちっ、強えなこいつら。何もんだよ。赤兎の血筋か……てことはあの系譜」ガンガンガン


 流石に追撃を続けてきた匈奴軍に、この精鋭と相対する余力までは残っておらず、一般兵らはなすすべなく蹴散らされ、赤兎の軍も逡巡する。



 それを見た敵将は合図をおくり、法螺貝がなる。

 

 匈奴軍は跡形もなく撤退し、半数以下に減った魏軍はひと心地つく。



「助かった、と言っていいのでしょうな。馬超様。お久しうございます」


「おお。龐徳! ダハハ! お前もあちらでは欠かせぬ者に育ったようだな。襄陽でのことは関羽殿から聞いたぞ。目先の忠に走らず、大義と仲間の名誉を守るってのは、なかなかできることじゃねえ」


「あれは、関羽殿の心遣いにて。そこから我らが得たものはあまりにも大きく、今の私があるのはあの時のおかげかと」


「念のため聞くが、戻る気はないんだよな?」


「私がどうこう、というには、あまりにも状況が切迫しておりますゆえ」


「ああ、そうだな。あいつらの強さ、そして得体の知れなさはなんなんだろうな。こちらの探りでも、先ほどの赤兎の集団や、八門禁鎖の変幻なんていうのは見定めたんだが」


「そうですな。曹仁様、曹植様はご無事かどうか」


「曹仁か……失うには惜しいが、お前の表情を見るに、その期待はすこし淡いものなのだろうな」


「先代の柱石方が次々に離脱していきますな。若い世代もまだこれからです」


「ここで寝ている若君も、向こう側でどうしているか分からんもう一人の若君も、まだまだこれからなのだろう? 魏っていうのは人財の国だ。そこを忘れなければ、一時苦境に陥っても、いずれ力を取り戻すだろうよ」


「かもしれませんな」


「それに龐徳。あの赤い軍団、そして八門禁鎖。あれはまだ奴らの全てではない。俺もそうだが、こちらの勘強き方々は、そういう印象を持っているんだ」


「そちらの方々の勘、張飛殿や黄忠殿らか。ならば是非もなし」


「前時代の伝説的な戦技戦術を、まるで道具の如く使いこなしている。ならば、そこが奴らの天井だなんていう期待は、いささか希望的に過ぎる。そういう見解だよ」


「なるほど」


「さて、境が見えてきた。長安で、一度左慈殿にこの若君を診てもらうといい。華佗殿がどちらなのか分からんが、そちらはいずれ。いくらなんでも疲れすぎだ。なんかあるぞこいつ」


「承りました。重ね重ね感謝申し上げる」


「いいってことよ。また戦場で会うこともあるだろうし、いずれどこかの幕で酒でも酌み交わせることを願おうじゃねえか」


「……はいっ!」


 そうして馬超は去っていき、一万に満たない龐徳と曹彰の軍は、長安に迎え入れられる。左慈の診断により、肝臓の病が見つかった曹彰は、酒と大食を厳に慎まされることで、本来の力を取り戻していく。


「弟と違って、私はそれほど酒を好むわけではありませんゆえ。付き合いの酒を止めればなんてことはありませんな」


「弟も、ほどほどに、と申されておくとよかろうぞ。曹家は短命というわけではないはずなのだが、皆が皆体の負担を軽視し召される。そなたらの命はそなたらのみの物ではなかろうて」


「心得ました」



 そして、洛陽へと辿り着いた彼らを待ち受けるのは、彼らの帰りを今か今かと待っていた弟曹植や、現帝曹叡と諸将。そして、曹仁の行方は未だ分からないという、あまりに衝撃的な情報であった。

 お読みいただきありがとうございます。


 曹植の勇ましい歌はあるかと聞いたら、白馬篇というのがAIから返ってきました。少しアレンジしても大丈夫とのことだったので活用いたしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ