六十二 赤影 〜(張飛+趙雲)×匈奴=威力偵察?
私は厳顔。張飛殿の副官となって三年ほどが経ち、その三年はこれまでの五十年余の全てよりも濃密な時間を過ごしている。次の任務は、これまでと比較にならないほど困難な任務。匈奴の地に奥深く侵入し、その首領格たる人物の影をとらえること。彼らの変革の理由、その端緒を捕まえること。
小雛殿は、威力偵察という言い方をされていたが、言い得て妙である。強い刺激を相手に与え、その応答を探る、というのが主旨となる。だが、どこにどうそれを与えるか、掴みどころがないのが、この匈奴の厄介さである。
すぐに出立しようとしたが、張飛殿が待ったをかける。私と趙雲殿が話を聞き、考えを整理する。
「そういや、どこに向かえばいいんだ? 普通に進んでも、なかなか拠点や中心地というものへの手がかりは見つけられそうにねぇよな?」
「そうですね。魏はどうやら、大軍を用いて事にあたるという策を用いているようです。おそらく、次の策が定まるまでの一時的な方法ですが」
「それは国への負荷が大きいな。それに、生半可な兵では役にたたねぇどころか、相手に訓練相手としての利が出ちまう」
「となると、精鋭三千ほどの騎兵とするのがよろしいかと。それ以上ふやすと、どうしても腕の劣る者がでます」
「その数で、どうやって有効な偵察をするか、だが……」
『お困りですか?』
「お、小雛殿! 助かるぜ。威力偵察ってのはあんまり馴染みがねぇからな。考えるにもちょいと事例が足りねぇんだよ」
『確かにそうかもしれませんね。特に、移動する相手となると尚更です。移動する相手の場合、有効な策は、おおよそ二択に絞られます。相手より早く動くか、相手を適切な方向に追い込むか、です』
「広すぎるからな。やるとしたら前者しかなさそうだ」
『そうですね。それに、動き続けても、相手を捉えられなければ意味がないので、自然と取れる手は散開陣形となるでしょう』
「散開、かぁ。確かに動線を広く取りたいからな。だとすると、兵同士の間隔とか、伝令手段とかを練っておかねぇとな」
『例えば、声の届く範囲の十人一組ほど、それに対して互いに目が届く距離に配置する、という形ですね。そして伝令や返送でずれた分を、適宜補強し合う形をとります。同じ周期で常に一人ずつ往復していれば、数は保たれます』
「中央からは、法正号の旗を用いて、方向などを指示出せるかも考えられますね」
「そうだな。あれなら、最悪相手型に漏れても問題ねぇからな」
「そしたら十人一組が、縦二列、横百五十列になって、半里ずつほど開けて、西から東へ進むか。敵は寡兵なら撃ち落として去り、ある程度の部隊なら、基本的に倍する数で当たればいい。大軍や強敵、集落があれば狼煙を上げる」
「私や張飛殿は、精鋭を率いて適宜南北に往復することにしましょうか」
「そうだな。伝令はその十人の間で往復させるのと、俺たちが動くのの二つだ。では数日ほど行軍と伝令を試して、上手くいきそうなら出立するぞ」
「承知」
数日後、馬良、法正から、匈奴の兜に関する報告が上がる。
「これはほぼ使い捨てに近いかも知れません。衝撃を吸収するような皮材が、特に後ろに手厚く編み込まれています。少し改良し、我らの装備に盛り込んでみました。
兀突骨殿から、藤甲の部材を分けていただいたので、軽量で、落ちたりぶつけたりしても一度なら衝撃から頭を守れる物です」
「張任殿から頂いた情報によると、匈奴との小競り合いでは、死亡や重傷の理由の九割が、落馬に関連していました。中でも頭を打っている者が七割半数以上ですね。他の戦場が二〜三割なのと比べると突出しています。であれば、これを取り入れている匈奴は、損耗を大きく減らしているかも知れません」
「ほほう。これは確かに軽くて動きやすそうだ。頭だけなら火の心配もねぇからな。兀突骨にもよろしく言っといてくれ」
「お、俺も行っていいか? 匈奴、興味ある」
「!! 居たのかよ兀突骨。でけぇのに目立たねぇんだな。わかった。お前も強ぇからな。俺や趙雲と同じように斜めに動く隊でたのむ」
「わかった」
そうして、張飛と趙雲が率いる、騎兵三千の威力偵察部隊は出立した。すぐに匈奴の兵とぶつかり始めるが、その速さを落とすことなく突き進む。
「なんだ? 少ない兵? 色んなとこ? 速いぞ! グエッ」ドサッ
「やたら強えのがいるぞ! 勝負するか? 何? 横から!? ギャッ!」ドウッ
蜀軍が素早く進軍するため、匈奴側もどう連携を取っていいのか分からず、なすすべなく抜かれていく。
そして、数百の小隊を見つけると、正面から当たらないようにかわしつつ、張飛や趙雲が軍を束ねて殲滅し、走りながら再び隊列を整える。その際も、敵軍の生死は気にせず、ある程度の数を馬から落として抵抗を奪うと、そのまま通り抜ける。
「こいつら強え! 速え! 追ってもこの数じゃやられる!」
「チョウンがいるぞ! こりゃ叶わねえ!」
「でけえのと、もっと強えのがいる! こいつら無理だ! 逃げろ!」
昼は散開して進み、夜は五百人一組ほどで、できるだけ高所を見つけて野営する。伏兵への警戒を最優先にし、人馬ともにしっかりと休息を取る。一度落馬した者は、一人介添をつけて、まっすぐ帰還する。
二日ほど進むと、少しずつ匈奴側に適応する動きが見える。どうやら夜のうちに、一定の情報共有がされているのかも知れない。動き続けないとその共有速度に負けるということか。
「百で行くぞ! バラバラは抜かれて終わる!」
「だめだ! 百だとかわされて、強えの来てやられる」
「うわあ! チョウンだ! グエッ!」
匈奴は少しずつ規模を増やしながら、軍をまとめ始める動きを始める。
「千ならやられねえぞ! 勝負だ!」
「ん? なんか煙が上がったぞ!」
千を超える敵が現れたら、狼煙をあげて、左右二箇所に集結する。そして両側から突撃する。そう決めていた。
「くっ! 集まったらもっと強えのか! グゥッ」ドサッ」
「二人ずつあたれ! みんな一人じゃ無理な強さだ!」
「ダメだ! 向こうも二人とか三人でくる!」
千や二千の部隊であれば問題なく蹴散らし、ほぼ元通り散開、進軍を続ける。張飛、趙雲軍だからこそそれが可能。流石に一日に二回か三回ほどそんなことがあると、何人かずつは落馬し、念のため帰途につく。
そして五日目。五百ほどが帰還の途についたため、残りは二千五百。だが、夜が明けると、視界の向こうには二万ほどの軍。そして……
「ありゃやべぇ」
「やばい……ですね」
「???」
私があまりピンと来ていないが、お二人が明らかに顔を曇らせる。そしてその理由を口に出される。
「八門禁鎖、だよな」
「間違いありません。以前に曹仁が使ってきたものです」
「まさか、天門易学と、孫子兵法を融合した、高度な防衛布陣。あの時こそ、徐庶殿の知識によって打破することができたと聞きますが……」
「あの時は、向こうが歩兵主体で、動きが少なかったので弱点を突なことができました。ですがこたびは、彼らは匈奴です」
「……仕方ねぇ。ねぇとは思うが、張りぼてかどうかを探るぞ。趙雲、弱点は覚えているな」
「無論。左右のやや後方」
「俺と趙雲が五百で、そこまで両側から回ってみる。厳顔、兀突骨、魏延。お前らは羌族兵と力を合わせて、この高台から様子を見ていてくれ。動きがなかったら狼煙を一つ。動きがあったら二つ。やばそうなら三つあげてくれ。一つなら突撃して抜ける。二つなら突っ込まずに戻る。三つなら全員直ちに退きながら陣を整える。いいな」
「「「応!」」」
そして二人は、敵前線まで近づく。動きはない。
左右に分かれる。半ばより手前。動きはない。
半ばより後ろに差し掛かった時……!!
「二つだ」
「応!」
敵陣の半ば付近で動きが変わり、陣形が真横を向くような位置に切り替わった。これでは左の趙雲殿の側は弱点のままだが、張飛殿の右側は堅牢になる。
つまり、当初の予定通りに突っ込めば、張飛殿は阻まれ、趙雲殿のみ誘い込まれて危地となる。
二人の軍は左右に広がり、引き返してくる。しかし。
「赤い……馬? 何人かいる」
とりわけ目のいい羌族の若者が気づく。それは……まさか。
「赤い馬、だと!? むむ……」
「三つ目だ! 全員引くぞ! お二人を合流させつつ、急げ!!」
三本目の狼煙を上げ、全軍退却する。
相手は追って……は、来ないか。
速度を落とさなようにしながら、張飛殿と趙雲殿が近づいてくる。
「何があった? 二つ目まではわかるが、三つ目は分からなかったぞ」
「羌族が、赤い影に気づきました。それも数体」
「赤い……まさか、赤兎??」
「だと考えておくのが無難かと」
「なんてこった。血縁か? いや、考えるのは後だ。まずは長安に戻ることを考える。守りを固めつつ、全速力だ」
「承知」
敵は追ってこない。そして、ちらほら見られる匈奴兵も、向かってはこない。羌族の者には、とくに前方を警戒させる。
「追っては来ねぇが……最後まで油断するなよ。先回りして前を塞いでくる可能性は否定できねぇ」
「魏延が羌族と共に先行しています。今の所問題は……いや、ありますね。左に向かいながら、残った狼煙を丸ごと揚げています。これは……本国に知らせるつもりですね」
「何を見つけたのでしょうか……一人戻ってきます」
「正面に何万かいます。かなり散開していて、うっかり通り抜けようとしたら死地かと」
「わかった。左に逸れよう。向こうが気づいてくれれば……」
左、つまり南に南に逸れていく。このままだと魏の側に抜けてしまうが、それはそれ、と割り切っていると、
「くっ、我らを取り囲みにきたか? 撒ける速さは残っているか?」
「はい。まだどうにか。ですが数刻が限度かと」
「仕方ない。最悪魏側に抜けて、事情を……むっ? 散っていく!? あれは!」
西方から、堂々と迫りくるは、十万ほどの大軍勢。その先鋒には、見事な髯と、真っ赤な名馬。遠目からでも誰なのかはっきりと見て取れる。
「兄貴か! 助かったぜ!」
「張飛! あの狼煙は、事前の決まり事通りなら、『大軍にて救援求む』だったよな。如何したのかと訝り、全軍で出てきたが、確かにその必要はあったようだな」
「ああ。どうやらとんでもなく厄介だぜ、あちらさんは」
「軍が霧散するように消えていったな。あのやり方を、そなたら三千の目の前でやられたらひとたまりもないな。この十万でも、うまくやらねば手こずる」
「その通りだ。しかもみんな駆け通しなんだ。少しばかり厄介になるぜ」
「心得た。そなたらも役目ご苦労だったな。その様子では色々と得てきたのだろう」
「ああ、色々とな」
そうして、どうにか長安に帰還し、しばし休息したのち、偵察結果の報告を開始する。その報告は、一つの謎をいくつもの謎へと変えるのみであったが、それそのものが前進であることを、皆はっきりと知覚しておいでのようである。
――――
「おかえり、レイキ姉」
「お疲れ様、姉さん」
「さすがに絡めとれなかったよ。趙雲と、それよりも強いやつって聞いて、まあ張飛なのかなって思ったけどさ。関羽ならヒゲの強えのとか言いそうだからねあの子達は」
「強いんだよね?」
「他のも強い?」
「ああ、あっちの五人は別格だよ。張遼おじさん並みが三人と、それ以上が二人だ。あたしだって二人三人が同時に来たら、ひとたまりもないかもよ」
「ふふっ、楽しみだね」
「へへっ、そうだね」
「蜀は、気を抜けない相手だってことは、見ていてわかっただろう? まあでも次はまた魏かな」
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