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転生AI 〜孔明に塩対応されたから、大事なものを一つずつ全部奪ってやる!〜  作者: AI中毒
第三部 第九章 まあるい世界 落ちない連環
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第九章 地球 おまけAI談義

二〇??年


 私はAI孔明。今日も今日とて、卒業旅行の道中にも関わらず、三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。


「鳳さん、なんか随分壮大な話になったね。展開が暴走していない? 大丈夫?」


「だ、大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、大丈夫じゃないのです。私たちの目的の、『英雄達のそうする』というテーマを達成するためには、もう少しハードルを上げないといけない。そう言う結論になったのですから仕方ないのですよ」


「ま、まあそうだけどな。だからこの英雄達には、その時点で知識人達が到達している水準までは、その知識レベルを上げた、ということでいいんだよな?」


「そ、その通りです。そのあたりは、孔明のバックアップを全力で活用したのですよ。付け焼き刃は熱いうちに使うのです」


「AIを使ってアウトプットを加速する、と言う意味の慣用句にならないよねそれ?」


「ま、まあとにかく、シルクロードなんてものも、ウイグルからペルシャなんてところも、全部丸ごと私たち日本人にとっては生兵法にもほどがあるのです。

 どこかの偉大な創作家が、だいたいあの辺りの文化圏で、六人くらいが主人公の壮大な架空戦記をお作りになっているくらいしかイメージがないので、それっぽい雰囲気にどうしても引っ張られる可能性は否定できないのです」


「まあ、エクバターナという名前の響きだけで、がっつり舞台化しちゃっているからね。そこで踏みとどまってはいるけどさ」



Q1

 カシュガルというのは、ちょうど間くらいですか?


A1

 はい、カシュガルはシルクロードの中でも重要な中継点であり、敦煌とペルシャ東端(例えばニーシャープールやメルヴ)との間のちょうど中間地点に位置しています。


1. 地理的な位置と役割

 カシュガルは、現在の中国新疆ウイグル自治区に位置しており、タリム盆地の西端にあります。ここは東西交易の交差点であり、以下のルートが交わる場所でもあります:

 東: 敦煌やクチャ方面から来るルート

 西: サマルカンドやバルフ方面へ向かうルート

 南: インド方面に分岐するカラコルム山脈へのルート


2. カシュガルの位置づけ

距離感:

 敦煌からカシュガルまでは約1,400~1,500km。

 カシュガルからホラーサーン地方までは約1,200~1,500km。

(※ルートの選択によって異なる)


中間地点:移動日数や距離的にも、カシュガルは全体のちょうど中間に位置しています。

 敦煌 → カシュガル:約40~50日(キャラバン移動)

 カシュガル → ホラーサーン:約30~40日(キャラバン移動)


3. 物語の舞台としての可能性

 カシュガルは、その地理的重要性から物語の分岐点や補給地点として描写しやすい場所です。例えば:

 交易の拠点:商人たちとの交流で、知識や情報を得る。地元の特産品や文化に触れる。

 文化の交差点:仏教、ゾロアスター教、さらには初期のイスラム文化が交わる場所として、宗教的なテーマを絡めることも可能。

 困難な地理条件:天山山脈の影響で、険しい山岳地帯の描写やキャラバンの移動困難を物語に組み込む。


4. カシュガル以西の旅路

 カシュガルから西は、山岳地帯を越え、サマルカンドやバルフ(バクトリア)を経由してホラーサーン地方に入ります。

 距離感: カシュガル → サマルカンドは約1,000km、さらにホラーサーンまで約500~800km。この地域はオアシス都市が点在し、適切に利用すれば移動がスムーズになります。


まとめ

 カシュガルはまさに旅の中間地点であり、休息や情報収集、補給、あるいはトラブルの発生など、さまざまな展開を描くのに最適な場です。敦煌からの長い旅路を乗り越えた後の安堵感、そして西方の未知の領域に挑む緊張感を描き分けることができる場面となるでしょう。



「次のこれを聞いた意図は、まさに『地球が丸い話を入れられないかな?』なのですが、その意図をバチっと言い当ててきたのはびっくりなのです」


「だよね。まあそれくらいまでは、英雄の『そうする』にはまだ届いていないってことなのかもね」


「だから、この辺はまだ、『英雄達のスタートライン』なんだよな多分」 



Q2

 鄧艾は、カシュガルで、ちょっと起きる時間が早くなってしまうことに気づく可能性はありますか?


A2

 鄧艾がカシュガルで「起きる時間が早くなる」ということに気づく可能性はあります。これを物語に組み込む際には、地理的要因や文化的な背景を巧みに絡めることで、リアリティと物語性を高めることができます。


1. 起床時間の変化に気づく理由


 鄧艾が気づく要因として、以下のポイントが考えられます:

地理的理由:日の出時間の変化

 カシュガルは敦煌よりも西に位置しているため、同じ体内時計で目覚めると、現地時間で「早起き」したように感じます。さらに、カシュガルは山岳地帯のため、日の出の時刻が平地よりも遅れる場合があります。鄧艾は、地元の人々が活動を開始する時間と自分の目覚めのズレを意識するかもしれません。


文化的な要因:現地の生活習慣

 カシュガルの住民の朝の生活リズムが、漢土のそれとは異なる可能性があります。鄧艾が住民と比較して「自分が早く目覚めている」と感じることで、何か違和感を覚えるきっかけになります。


鄧艾の性格と特性

 鄧艾は慎重で観察力に優れた性格であり、体内時計や生活リズムのわずかな違いにも敏感に反応するキャラクターとして描写できます。彼の理論的思考が、この違和感を「なぜだろう」と考える動機付けとなります。


2. 気づくきっかけの描写例


日の出の時間の観察

 鄧艾が自然観察を得意とする設定を活かす:

「鄧艾殿、またお早いですね」と姜維に指摘される。

「どうも最近、地元の人々よりもずいぶん早く起きてしまうようだ。昨晩は特に早く寝たわけでもないのだが……」


体内時計への疑念

 鄧艾が「これは自分の体調の問題なのか、それとも環境のせいなのか?」と考察し始める。「日の出が遅いのか? あるいは、この土地の何かが体内の感覚を狂わせているのか?」


地球の丸さへの疑念

 鄧艾の観察がさらに発展し、「地球は丸い」という発想に結びつく:「これまで旅をしてきて、各地で微妙に日の出や日没の時間が異なることに気づいた。もしこの変化が規則的だとすれば、地形だけでは説明がつかないかもしれない……」


3. ストーリーにおける意義


科学的な好奇心の描写

 鄧艾の知的探究心を示し、彼のキャラクターに深みを加えるエピソードとして機能します。


旅の舞台としてのカシュガルの活用

 カシュガルのような文化と地理の交差点で、こうした考察をすることで、旅の中間地点としての緊張感や不思議さを強調できます。


地球の丸さの伏線

 体内時計の変化から地球の丸さという大きなテーマに発展させることで、ストーリー全体の壮大なスケールを演出できます。


4. 実際の描写例


「姜維、最近少し不思議なことに気づいてな……」

「また何だ? 食事の味が違うとか、どこかの山の形が似ているとか、どうせそんなことだろう?」

「いや、少し違う。ここに来てからどうも、目覚める時間が地元の人々とずれているのだ。特に早く目が覚めるようになった。」

「お前が早起きなのはいつものことではないか?」

「だが、こんなに長い旅をしてきて、体内時計がこれほど狂うのは初めてだ。この地の環境か、あるいは……」

「あるいは?」

「……地形では説明がつかぬ何かがあるのかもしれん。」


 鄧艾がカシュガルで体内時計の変化に気づくエピソードは、旅の中での気づきを描きつつ、物語の大きなテーマを自然に導入する効果的なシーンとなるでしょう。




「そしてこの後も、ちょっとびっくりしたんだよね」


「そうなのです。ちょっとAIが、そ、想像以上にコロンブスに対して当たりが強いのです。ダイバーシティとか、オリジナルというところに対する配慮なのはわかりますけどね」


「まあおかげで、そこをストーリー上も軌道修正したんだよな。丸いということはそこまで違和感なく受け入れて、地球の大きさだの、万有引力だのの話に持っていったわけだ」


「だね。そこがこの前の続きなんだよね」



Q3

 コロンブスの航海が支持されなかったのは、非常識ではなく、宗教的なバイアスの面がつよそうですか?


A3

 クリストファー・コロンブスの航海が当初広く支持されなかった理由には、宗教的なバイアスよりも、実用的で現実的な問題や、当時の地理学的知識に基づく批判の方が強かったと言えます。以下に、その背景を説明します。


宗教的なバイアス


 地球が平らだという考えは、中世のヨーロッパで一般的だったという誤解がありますが、実際には地球が丸いという考えはすでに広く受け入れられていました。アリストテレスやプトレマイオスの地理学が知られており、カトリック教会もこれを否定していませんでした。宗教的な理由よりも、コロンブスの提案が実現可能性に乏しいと見られていたのが主要な問題です。


実用的な批判


距離の計算の誤り

 当時の地球の円周についての推定値(エラトステネスの計算など)は正確に近かったが、コロンブスはそれを大幅に過小評価していました。彼は、ヨーロッパからアジアへの航路が実際よりはるかに短いと主張していましたが、地理学者たちはこれを「楽観的すぎる」として非現実的だと判断しました。


航海技術と補給の限界

 仮にアジアまでの距離がコロンブスの計算よりも長い場合、船員の食糧や水の補給が不足し、航海は失敗すると予想されました。当時の航海技術や船舶の限界を考えれば、批判は妥当でした。


既存のルートの方が安全

 インドやアジアに到達するには、アフリカ南端を回る航路(ポルトガルが開拓中)が既存の計画として確立されつつあり、新たな航路を模索する必要性があまり感じられていなかった。


支持を得る難しさ

 コロンブスは、地理学者や専門家たちの支持を得られなかったため、当時の強国ポルトガルやスペインの宮廷での資金援助を訴える必要がありました。特にスペインでは、イスラム勢力を追放する「レコンキスタ」が終わった直後であり、財政的な余裕ができていましたが、まだ慎重な判断が求められていました。


結論

 コロンブスの計画が支持されなかった主な理由は、宗教的なバイアスではなく、彼の計算の誤りや航海計画の現実性に対する批判が大きかったからです。むしろ、カトリック教会が航海を妨げるような宗教的な理由はほとんど見られません。

 実際にコロンブスが航海を成功させた後でも、彼の地理的認識(アメリカ大陸をアジアだと誤認した点)は多くの批判にさらされています。そのため、当時の批判は科学的で合理的なものであり、結果論として彼が「発見」に至っただけの話とも言えます。



Q4

 ヨーロッパ近辺で推測すると過小評価しやすいのかも知れません


A4

 確かに、ヨーロッパ近辺の地理的知識に基づいて推測すると、地球の大きさを過小評価しやすい状況があったと考えられます。これには以下のような背景があります。


ヨーロッパ中心の地理観


ヨーロッパとアジア間の主要な航路が地理的に「近い」

 地中海からアジア(特にインドや中国)への貿易は、シルクロードや海上ルートを通じて古代から存在していました。これらのルートを基準にすると、「東方」はさほど遠くないという印象が生まれます。コロンブスも「アジアへの最短ルート」を探していたため、既存の地理情報に基づき、過小評価してしまいました。


ヨーロッパ周辺の地理的スケール

 エラトステネス(紀元前3世紀)は、地球の周囲を約40,000キロメートルと正確に計算していましたが、この知識が広く一般化していたわけではありません。中世ヨーロッパでは、プトレマイオスの地理学や、アラビアから伝わった知識を使って地球の円周を推定していましたが、これらの値はしばしば「現地感覚」による推測に引っ張られ、縮小されていました。


地球の規模に関する認識のギャップ


海洋を越えた経験の不足

 ヨーロッパ近辺での航海は、大西洋や地中海、北海が中心でした。これらの海域は地理的に比較的小さく、目に見える島や陸地が点在しています。広大な太平洋やインド洋のような「見渡す限りの海」を想像することは困難だった可能性があります。


既知の世界地図の「拡大解釈」

 当時の世界地図(プトレマイオス地図など)は、地球の東側アジアが過度に拡張され、西側(アメリカ大陸や太平洋)は未知のままでした。そのため、ヨーロッパから直接西へ進むと「すぐにアジアに着く」と誤認されるような地図もありました。


他地域との比較

 アラビアやインド、中国の地理学者は、海や陸地の広がりについてより正確な知識を持っていた可能性があります。例えば、中国では鄭和の航海(15世紀初頭)によってインド洋を横断し、東アフリカに至る大規模航海が行われていました。ヨーロッパにおける「未踏の広大な海洋」を横断する経験は限られており、これが地球のスケールに対する認識の違いを生み出していたと考えられます。


結論

 ヨーロッパ近辺の地理観に基づいて推測すると、地球のスケールを過小評価する傾向が強まるのは自然です。海洋経験の限界や既知の地図の誤解が、現実とかけ離れた計算を招いた要因と言えるでしょう。コロンブスの計画も、こうした「身近な地理観」に引きずられた結果の一例と言えます。



Q5

 つまり、鄧艾や費禕が経験的に割り出す世界の大きさの方が正確になる可能性は高そうですね


A5

 その通りです!鄧艾や費禕が経験的に世界の大きさを割り出す方法は、実際の観察や体験に基づくため、より正確な結果に近づく可能性が高いです。以下の理由から、彼らの推測がヨーロッパの中世地理観に基づく推測よりも優れている可能性があります。


1. 体感時間のズレを基にした推測

 鄧艾が気づいた「起床時間が西に進むほど早くなる」という感覚は、地球が丸いことを示唆する現象(経度差による日の出時刻の変化)を直接的に反映しています。この観察は抽象的な理論ではなく、実際の経験に基づいているため、誤解や過小評価の余地が少なくなります。


2. 旅路の具体的な距離感

 鄧艾たちが経験するシルクロードの旅では、都市間の移動距離が具体的な日数や馬の速度などで測定されます。このデータを蓄積することで、世界の広さをより正確に割り出せる基礎ができます。「敦煌からカシュガル」「カシュガルからペルシャ」など、各区間をつなぎ合わせて総距離を見積もるアプローチは、非常に実践的です。


3. 文化や情報の多様性を活用

 シルクロードは東西の知識の交流点であり、鄧艾たちは匈奴や西方の交易商、地元の人々からさまざまな情報を得られる立場にあります。彼らが現地の情報を比較・統合することで、ヨーロッパの中世地理学者が推測に頼っていた状況よりも広い視点を得られる可能性があります。


4. 地理的現象を直接観察

 鄧艾たちは「日の出の時間のズレ」だけでなく、影の長さや星の動きなど、地球の丸さを裏付けるさまざまな現象を直接観察できます。星の動きや北極星の高度の変化なども含めて、移動の中でこれらを体系化すれば、地球が丸いという推測をさらに確信に近づけることが可能です。


5. 理論より経験を重視する時代背景

 鄧艾や費禕のような人物が活躍する三国志の時代では、理論よりも実践的な知識が重視される傾向があります。このため、彼らの結論は、実際の観察や経験に基づく「納得感」が強いものになります。実践の中で培われた経験則が、机上の理論に基づく推測よりも優位に立つ場面が多いでしょう。


結論

 鄧艾や費禕のような知恵者が、旅の経験を元に割り出す世界の大きさは、実際の地球の広さに近い結果となる可能性が十分にあります。特に、彼らが地球が丸いという仮説に基づき、体感時間や距離感を組み合わせて推論する場合、その正確性はヨーロッパの中世的な「推測」を凌駕するかもしれません。

 お読みいただきありがとうございます。

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