五十一 葡萄 〜鄧艾+関平=頭痛?〜
私は関平。絹の道の要所、カシュガルで、この世界の大きさに関する議論が始まった。なんのことだって聞きたくなるのはわかるが、鄧艾、姜維、費禕はそういう奴らだから仕方がない。
そしてそれを興味深そうに聞いていた、我々より随分前に来たんだろう、単福と名乗る宿屋のオヤジが、我らの旅に同行するなんていうことになるのも、まあ流れとしてわからなくはない。
そして、二月もすれば、彼ら三人が私より先に現地ペルシャの言葉を問題なく操れるようになるのも、こいつらならまあ驚くほどのことではない。苦心する私の方が普通だと、単福殿は言ってくれるが。
だが、こいつらはもう少し自己管理というのを考えて欲しいものだ。標高の高いパミール高原で現地人と馬駆けの競争をしては、高山病とやらで体調を崩したり、その先のフェルガナ盆地では、名産の葡萄からできる葡萄酒に心を奪われ、羌族と一緒に飲んで騒ぎすぎて、住人に怒られたり。
そんなふうにして到着したのが、サマルカンドという交易の用地。まだこの地は、旧王朝パルティアの勢力下にあるようだが、先はどうなっているか、情報収集は必須。姜維、鄧艾、単福殿が手分けして聞きこみ、費禕と私で全体を整理する。羌族の方々も、現地の人たちを明るく励ましつつ、その心のうちを聞き取っていく。
「ふ二つの大河の南東にある高原から、急速に力を伸ばすサーサーンは、まずバビロンを制圧。河の周りはすでに全部サーサーンの勢力下にあるらしい。い、一年くらい前に、パルティア王都のクテシフォンは落ちて、もうそこから西は全部サーサーンだな」
「肥沃な大河周りが抑えられており、ローマも先代カラカラの無理な遠征の影響が色濃く残っていて、ちょっかいは出さないらしい。アルダシールってやつはどうやら相当な切れ者だ。部下も優秀なのだろう。
パルティアの伝統的な自治と、ローマから学んだ秩序だった地方統治のいいとこ取りで、急速にその支配を強めているな。住民の評判自体は悪くないようだ」
「今の主戦場は、王都クテシフォンからやや東、ここサマルカンドに続く、絹の道の要地でもあるエクバターナ。高原パルティア王家の残党は、その周辺地域全体で、軽騎兵の散開戦術や、険峻な山地を使った神出鬼没の戦いで、抵抗を続けているようだ。なにぶん資源が不足してきたからか、重騎兵は戦略から外したようだな」
ここまで聞いて、費禕が疑問を口にする。
「なぜ抵抗が続いているのでしょう?」
……こいつ、ちゃんと喋る気ないな。姜維が補ってくれるからいいか。
「……アルダシールの善政は、ここまで評判が来ている。それに、王家やそこに仕えていた忠臣というのが残るのはわかるが、それ以上の理由を感じる。
といったところか」
「た、多分、しゅ宗教だな。ゾロアスター。ほ本物かわからんがサーサーンという高僧の名を借り、アルダシール本人も僧の出だ。そこに折り合いがつかねえのは少なくはねぇな。東だけじゃなくて、北の草原、南の砂漠の方に散っていった奴らも多いみてえだ」
「そうか。そういう意味では、元々の教徒や、感化された者、宗教にこだわりがない者らが残って、相容れない者は逃げ去る、か」
「逃げ去る先として、に西はローマ。き北は遊牧民の地、み南は砂漠の半島。となると、特別なツテや、過去のゆかりなどがある者、せ切羽詰まって移動先を選べなかった者以外は、ある程度食べ物もあり、と敦煌とか、漢土との商いもしやすい、ひ東に向かうのが自然だってことか」
「それが、この先我らが向かう予定の、エクバターナという街で起こっている激しい戦乱の理由か。そんな理念や思想のぶつかり合いっていうのは、漢土ではあまり見られない出来事かも知れないな」
「か漢土での、魏呉蜀の争いも、それまでの戦乱も、だ、誰が上に立つか、どんな奴が世をまとめるか。そ、そんなことしか違いがなかったな。だから、善政なら誰でもよかった」
「善政だけが判断の基ではないというのは、民も難しかろうな。それぞれの民が、自らの意思で、どちらに着くか決めねばならんのだろう? そこには葛藤やいさかいが大いに発生するんだろうな」
「その通りだよ。カシュガルではその雰囲気は直接は感じ取れなかったがな。ここサマルカンドやエクバターナでは、このように王朝が変わるようなことになる前から、民と民の喧嘩というのは珍しくはないんだ」
私や費禕はあまり口を挟むことなく、姜維、鄧艾、単福殿の三人で話はまとまっていく。先ほどの費禕のように、共有しておくべき疑問はしっかりと挙げるが。そして、この先の道中でどのように振る舞い、どのように進むか、ということをしっかりと決めることに、話の主題は移る。はずなのだが……
「た、高いと、息が苦しい。そして、体がおかしくなる。か関平殿もだな。費禕ときょ姜維は平気だった。少し前もそうだった。すごく高いパミール高原では特にそうだった。なぜだ?」
いや、まあその話も大事ではないとは言わないが、相変わらずの脈絡のなさよ。
「鄧艾、いきなりなんの話だ? まあ確かに、エクバターナが戦乱の地なのであれば、そこで一人二人が体を壊すのは致命的だ。パミール高原ほどではないにせよ、高いことと体調に関係があるのなら、防ぐ手を考えるに越したことはなかろう」
単福殿が、何か思い当たることがあるような表情。だがなかなか辿りつかない。鄧艾も、そのパミール高原で手に入れた葡萄を口にしながら考える。
考えながら、葡萄が一つ、手からこぼれ落ちる。
鄧艾の脈絡のなさが止まらない。
「あっ! むぅ、もう無理か……
んん? 高いってなんだ? なぜ長安でも、サマルカンドでも、者がまっすぐ落ちる? みんな、物が高いから低いに落ちるって知っているが、世界が丸いなら、それは変だ」
「なんの話だ? 関係あるのか? そのうまい葡萄を落とした惜しみから、脈絡のないことを言っているだけなのか? 案外、お前がそういう言い方をする時は、関係あることの方が多いのだが」
姜維が、妙な言い方で先を促す。単福殿も思い出すのをやめ、笑いながら鄧艾を見る。
「んー、せ世界が丸い。時の差からすると、漢土とここは、だいぶ角度が違う。ローマはもっと違う。なぜ落ちない? 上とか下って何だ?」
「?? 世界が平らで、端には大きな滝がある、みたいな言い方をされることはあるが、違うのだよな? 世界が丸いことはおそらく正しい。だとすると、下っていうのは、どこにいても下なのではなく、この世界の真ん中ってことになるのか?」
「ああ。下って真ん中なのか。 葡萄の真ん中と、世界の真ん中。その二つの違いは何だ? 葡萄が落ちたのか、世界が葡萄に落ちたのか、どっちだ? どっちもか?」
ここで費禕が、何かに思い当たる。
「磁石って言う、鉄を引きつける石があるのはご存知ですか? あれ、大きい磁石は小さい鉄を引っ張りますが、小さい磁石は、むしろ大きい鉄に引っ張られるように動くようですね」
磁石……確か呂氏春秋の中にその記述があったな。月英殿らも興味をお示しだった気がするが、思い出せない。
「ん? 費禕。それは、葡萄と世界の関係と同じということか? 葡萄は落ちる。人も高いところからは落ちる。まっすぐ下にだ。だがそれは、丸い世界のどこにいてもそうだというのなら、先ほどの磁石と鉄の関係と同じように、大きい方に引っ張られているだけだというのか? 世界があまりに大きいから、葡萄や人が落ちているようにしか見えない、と」
「ひひひっ! 面白え! せ世界とぶ葡萄は、大きさが違うだけか。みんな、まっすぐ下に落ちるのは、せ世界がでっかくて、何でも引っ張るから、真ん中に向かって落ちるのか」
ここで、単福殿が、思い出した。
「それ、葡萄や人だけではないのかもしれんぞ。思い出した。高原と低地を行き来する人が、『気が薄い』という言い方をしていたのが、引っ掛かっていたんだ。人は、気ってやつを吸って吐いてってやらないと生きていけんだろ? それが、高原だと、薄いという表現をしていたんだ。
それだけじゃねえな。高いと火も起こりにくいし、矢はよく飛ぶ。気ってのは火にも使われるのかも知れんし、矢は、気を掻い潜って飛ぶのか? だとすると、高いところは気が少なくて、低いところは気が多いのか?」
単福殿はまた悩み始める。だがそれはすぐに解決する。
「んん? ぶ葡萄は、たくさん積むと潰れるぞ。気も、柔らかそうだから、たくさん積まれていたら、低いとらだと、世界に引っ張られて、上からも押されて潰れるのか? それなら濃くなるぞ」
「なるほど。気も軽いが、重さがあるのか。だから世界にくっついているってことか。なら分からなくもねえな。そうなると、高いところは、気が薄いから、体調を崩すのか。
だが、パミール高原には女性や老人、子供もいる。それに、子供なんかはみな元気に駆け回っている。ならば、薄い気にも、すぐに慣れるのではないか? 慣れるまで少し、旅程を緩めれば、大事には至らぬのかも知れないぞ」
単福殿が、話題を元に戻してくれた。そして、姜維は姜維らしい視点をもっている。
「もしやそれって、兵を鍛えるのにも有効なのか? 高地の気が薄いところで鍛えれば、低値よりも息を続ける力にならかもしれん。いずれ試す機会があるかも知れないな」
「確かにそれは有効かもしれんぞ。高原の民は、長く走ることをあまり苦としねえとも聞いたことがある。何にせよ、我らがエクバターナに向かう時には、急がず慎重に向かうのがいいだろう」
「ああ、それが良さそうだな。鄧艾や関平殿の状態をみて、問題がなければ進もう」
それは理にかなっていそうだな。そうしよう。
「心得た。しっかりとこのサマルカンドで準備を整えるのも大事だが、この先はどんな危険があるか分からん。しかと体調も整えて、戦場と心得て、気を引き締めていこう」
「「「はい!」」」「おう」
この後の単福殿の言葉は、引き続き騒ぎ続ける二人と、それをみいる一人には聞こえなかったようだ。
「……それにしてもこいつら、歩いて話すだけで、どれだけの新しいものを生み出していくんだよ。この道中で生み出されたものは、然るべき形で返さねばならんな。いいかげん、私も恩を返さねばならん相手がいることだしな。紙と筆はいくらでもあるんだ。しかとまとめておくとしよう」
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