五十 西域 〜(鄧艾+姜維+費禕)×??=万里?〜
姜維、鄧艾、費禕。それぞれがあまりにも個性と才覚にあふれた面々。私関平も、年長者としての務めを果たさんとしつつも、毎日のように始まる突飛な論議や、現地人との摩訶不思議なやり取りに、心を揺さぶられる道中。
ここはカシュガルという街。複数に分岐する絹の道においても、必ず通ると言って良い、西域への入り口。伝え聞くにこの先は戦乱となっているようで、先ほどのような、世界は丸いだの平らだの平和に論じていられるのは、今だけかもしれない。
「きょ姜維、さっき遠くから頭だけ見えたってのは、この高台か?」
「ああ、そうだな。できるだけ目をはなさんように進んできたから、ほぼ間違いない。ん? 費禕、何をしているんだ?」
「高さを測っております。このように影と、長さのわかっている物を使うと、高いものの高さを測れるのです」
「なるほど、ひ比例って奴だな。となると……」
鄧艾は、高台に向かって歩き出す。一度左にそれて、もう一度同じ方向に歩く。足で測っているようだ。
「んー、五丈はねえ! 四丈半(十一メートル)ってとこだ!」
「私はおおよそこの建物の上三分ほどのところから見えた。ちょうどここから二十里(八キロメートル、一里が四百メートル)ほどだ。羌の人たちは、もう十里ほど遠くから見えていたようだな」
「んんん、ぐぐぐっ」
鄧艾が、地面に絵を描き始めた。少しずつ、現地の人が集まり始めている。少し声をかけておくか。
「ああ、怪しい者ではない! 我らは敦煌よりさらに東、漢の正統たる蜀漢の国、長安からまいった! 紙や布、筆などを用意している! こいつらは何を思いついたか、この世界の大きさを測ろうとしているだけだ。怪しい……怪しくないか?」
「「「ダハハハ! アヤしい!」」」
姜維と私は少しずつ手分けして商いを始めるが、鄧艾や費禕は構わず続けている。
「ここが四丈半、ここが三十里……」
「鄧艾、この三角と、この三角は、正確には違うが、ほとんど相似とみてもよいかもしれんぞ?」
「ほほう、小さいからな。対して変わらねえのか」ざわざわ」
む、鄧艾が声をかけられそうだ。片言だが、漢語のようだな。このあたりまでは話せる者もかなり多いと聞く。
「オマエ、おもしろい。売り物もいい。あとでうちに泊まると良い。なんて名だ?」
「ん? とと、と鄧艾だ」
「トト? トトがいい? ふむ、あだ名か」
「ふふふっ、私は費禕。あっちは姜維と関平だ」
「トト、ヒィ、キョーイ、カンペー、覚えやすいな」
「んんー、ひ費禕、どうやらおおよそ、は半径が一万と五千里弱ってとこじゃねえかな?」
「なるほど……つまり、周は丁度十万里ほどってとこですか。それは偶然にしてはなかなか良い収まりですな」
「へへへっ、神様ってやつが、いい塩梅につくったのかもな。儒だとそんな論はしねえけどな」
ずいぶん早い段階で、大きさを論じ終えたようだ。そして別の話になっている。神? 大丈夫なのか?
「ほほっ、神か。この辺じゃ、いろんな考えの者がいる。西では、神は一つ。少し古くは、いろんな神がいるって話にもなっている。最近では、火を神に見立てるのが人気だ。肉体を枷として扱い、死後の火葬で神に近づくんだな」
「なるほど。鄧艾、この先は神への論議は、慎重になった方が良いこともありそうです。あなたや姜維の洞察で、正しい振る舞い方をしましょう」
「お、おう。こ心得た。たしかに、あんまり変な言い方すると、そこの人たちに悪いかもしれね」
「ダハハ、神にではなくて、人への礼を重んじるか。やっぱり面白い! その面白い奴ら、ジュってなんだかみんなに教えてくれ!」
「儒は、ひ、人の礼を重んじるんだ。人の礼、人がわかるまでの理を重んじる。それすら満足にできねえのに、神なんか論じるのは烏滸がましい! っていう理だ」
「ダッハハハ! 面白え! おまえらも、そのジュも面白え!」
「「「面白え!」」」
なんて雑な儒の教えだ……だが異国とのふれあいはこれくらいから入るのが帰って良いのかもしれないな。
「そ、そうだ、ひ費禕、さっきの十万里、この道中と、俺の早起きから考えた長さより、三分くらい長え。
やはり、この世界は平らでも円筒でもねえかもしれん。まんまるかもしれん。あのお日様や、月みてえに」
どうやら、本当に早い段階で議論が完成したようだ。姜維も、そこに入る前に終わってしまったからか、やや苦い顔をしている。
「こいつら、私が商いをしている間に、論を終わらせやがったな」
「きょ姜維、問題ねえ。論議は宿でも続くぞ」
何がどう問題ないのかは置いておいて、姜維の機嫌が保たれることだけは確かそうだ。
そして、やや笑い上戸な、髭の濃い現地人に連れられて宿にはいると、少しこの先の情報を聞けることになる。片言だったのが、いつの間にか流暢になっている気もする。
「今はこの先は相当危ないぞ。このペルシャ一帯を収めていたパルティアの国は、それこそ何百年もずっとローマと戦ってきた。古くはクラッスス、アントニウスなんていう、この辺じゃ知らないものはいないやつらとも激しく戦った。それぞれカエサル、オクタウィアヌスって帝と因縁があったらしいが、その辺はよく知らん」
「ろ、ローマは一日にしてならずっていうやつだな」
「ほほう、トトは知っているのか。そいつらは有名だからな。ダハハ!
そしてパルティアが一番危なかったのは、百年くらいまえの、トラヤヌスっていう帝が攻めてきた時だな。ほとんどの領土を取られそうになったけど、そいつが死んだ後でローマ自体が弱体化したおかげで、前の勢いを取り戻した」
「漢土の歴史にも、ギリギリのところまで攻め切ったけれど、後ろから刺されたり、満足な補給なく志を立たれるなんていう歴史は多々あったな」
「キョーイだったか。そっちの歴史もまた聞かせてくれや。まあ俺があっち行くわけじゃないから、今日はお前たちが聞きたがっているはずの、西の話にしておこうか。
そして数年前に攻め込んできたカラカラって名の帝。こいつが厄介だった。王家の娘を無理やり連れて行こうとしたり、なかなかやりたい放題だったようだな。なんとか追い払い、身内のゴタゴタもあってローマは撤退して行ったが、その爪痕は深く、パルティアという王朝は弱体化した」
「暴君っていうのは歴史のある間隔で出現します。真に暴君であったり、後世の正統性を保つための脚色だったりもしますが、この場合はそういう意図はなさそうなので、多分にまことなのでしょうか」
「費禕だったか。小難しいことをいうが、なんか息切れしているぞ。大丈夫か?」
「長く話すのは苦手にて。今のが一日の二割」
「ダハハ! 変なやつしかいねえ!
それで、パルティアに変わって出てきたのがサーサーンっていう謎の高僧だ。この名は、実在するどうかも分からねえ。つい最近、父に代わって即位? 台頭? したアルダシールってのが今の王だが、その祖父なのかどうかもよくわかってないんだ。箔付けっていう噂すら出ている」
「みみ皆んなが知っている誰かの血筋を名乗って箔を付けるのはよく聞く。だが皆んながよく知らんやつの子孫を名乗って箔が付くのか? 面白え」
「聖人の子孫ってやつだな。神の子という言い方からも遠くはないのかもしれん。お前らのとこだと通用しそうにないな。人の英雄の子孫の方がもてはやされそうだ」
「かかも知れねえ。か家系図ってのを大事にするんだ。祖先や父母を敬うんだ」
「なるほどな。たしかに父母は大事だ。それはどこの国でも変わらん。だがその先となるとな。このパルティアという土地は、ローマからも、それこそ東の匈奴や南、北と、いろんな民族の血が混ざってくるんだ。王ですらそうだ。だから、家系や祖先、というもので団結を図るよりも、神や教えと言ったもので人々の結びつきを狙うのかも知れないな」
なんというか、ただの宿主とは思えない、思慮に満ちたとらえ方。他民族が行き交うところで長年多くの人を見てきたのだろうか。
「それで、そのサーサーンという国と、パルティアが、まだ激しく争っているというのか?」
「ああ。間違いなくサーサーン優位だがな。パルティア軍の戦術は、ローマ相手にものすごく有効だったんだ。鎧兜に身を包んだ重騎兵と、軽装のまま、前後左右に自由自在に矢を放ちながら駆け回れる軽騎兵。その組み合わせによる散開戦術で、機動性に乏しい歩兵主体のローマは相当に手を焼き続けた」
「重騎兵と軽騎兵か。漢土だとその間くらいが主だな。漢軍の方がやや重めだが、匈奴も軽くて丈夫な鎧兜という印象がある。騎兵二つの使い分けというのは、確かに強力だろうな」
「ああ、それでローマの屈強で統率のとれた歩兵が手を焼くんだからな。
だがサーサーンはその上をいくんだよ。同じ時を過ごしたパルティアの戦術と、ローマの歩兵や拠点戦術を見事に融合して、戦略という形にまで落とし込みつつある。サーサーンという僧のことは知らんが、アルダシールっていうのは間違いなく英雄の一人なんだろうよ」
「え英雄っていうのは、れ歴史の境目では必ず現れるんだな。どんな形かはその時その時で変わる。ただ強ければ良い時もあれば、あ新しい戦略を作らないといけねえ時もある。もしかしたら知略や人徳で、世を収めないといけねえときもあるんだろうな」
「かもしれないな。なんにせよパルティア王朝はかなり追い込まれている。それに、誰が敵か味方かもよくわかんなくなっているから、かなり凄惨な状況でもあるのさ。それでも行くのかい?」
私は、若い三人の目をみる。その輝きには一切の迷いはない。
「答えを聞くまでもなさそうだな。まあ費禕以外は相当に強いし、問題はないだろう」
そして、鄧艾はなんの前触れもなく、また話題をすっとばす。
「なあ、この世界、もう一個か二個くらい、でっけえ土地があるんじゃねえか? さっき測ったんだが、漢土からローマ、印度で考えても」
「さっきの結論すっ飛ばして、話題を無理やり元に戻すのかお前は! まあ良いんだが」
「ダハハ! 俺の質問には、答えるまでもねえってことか。やっぱり面白えな。
この南西、ローマの対岸に当たる土地は、アフリカというらしい。ハンニバルってやつが、対岸からローマに襲いかかったことがあるな。その海は陸に囲まれているから地中海って言うんだが、両岸に結構な文明がそろってはいる。だがエジプトから、少し南に行ったら果てしない砂漠だって言うぞ。タクラマカンの比ではないらしい」
「ひひひっ、たタクラマカンよりでっけー砂漠か。見てみたいが、えエジプトあたりからのぞくくらいにしておくか」
「そうしよう。お前は絶対帰ってこれなくなる」
「そそれでも、多分だけど、全部出してもこの世界の二割にとどかねえな。海と大地がどっちが大きいなんて決まりはねえが、もう一個くらい、同じくらいでっかい大地が広がっててもおかしくねえぞ」
また珍しく費禕が反応する。どうせ寝るから力尽きて良いとでも思っていそうだ。
「鄧艾、そしたらそっちにも、おんなじような歴史があって、いろんな人たちの物語があるかも知れないのか? いや、そうかもしれないし、人なんかあんまりいなくて、こっちじゃ見たこともない動物なんかが闊歩しているかもな」
「ひひひっ、どっちでも面白え。俺たちはローマ行って帰ったらおっさんだから、そこまでいけるかはわからねえ。でも、誰かがたどり着くんなら、それはそれでいいことだ」
「そうだな。船がうまい呉の奴らなら、しっかりしたものを作って、案外すぐ辿り着くかも知れないぞ。呂蒙の部下には陸遜とか言う、とんでもない切れ者もいるらしいからな。それに、少し離れた東の島国には、天文や占星術に優れた巫女なんかもいるらしいから、強力な助けになるだろう」
「なんて壮大なことを考える奴らだよ。これは大変な奴らを宿に呼んでしまったな。
……よし! 決めた! 俺もお前らについていく! 通辞も必要だろうし、案内だって、土地に明るい奴がいた方がいいだろう? 道中でペルシャの言葉も教えられるぜ。どうだ?」
確かにこの人の教養や、土地への明るさは大変魅力的だ。なにより、しっかり通った信条のようなものを感じる。
「ああ、それは願ってもない申し出だ。こちらからお願いしたい」
「よろしくお願いします。それにしても、もしかして、あなたは漢土のご出身ですか? 見た目がほぼ漢土の特徴ですし」
「ああ、よくわかったな。向こうで色々あって、フラフラしていたらいつのまにかこんなところに着いちまったんだよ。名は単福っていうんだ。よろしくな」
「よよろしく。と鄧艾だ」
「トトで良さそうだな。現地にとっても」
「ひひひっ、ならトトでいい」
単福……どこかで聞いたことがある気がするが、思い出せない。まあそれはいずれ、だな。少しここで情報収集や論議をして、万全の準備を整えたら西に向かうとしよう。ここから先は羌族も不案内だから、我ら全員の腕や知略を尽くさねばなるまい。
お読みいただきありがとうございます。
この宿屋のおっさん、キャラが勿体なくなったので、ある人が憑依することが、数文字前に決定しました。