四十九 地球 〜(鄧艾+姜維+費禕)×西域=突飛?〜
私は関平。若き三人とともに、あの混沌の街敦煌を出立して二月ほど。羌族の方々の手厚い支援を受けつつ、旅はすこぶる順調に推移した。たまに歌ったり踊ったりさせられたり、鄧艾があらぬ方へ進もうとするのを姜維が止めたりするくらいか。
楼蘭という街は、漢土の封地ではあったこともあるようだが、戦乱の中で、すっかり西方の影響を受ける街になっていた。
クチャ、そしてアクスという街は、匈奴の影響が色濃く、やや殆うさを感じることもあったが、亀茲という国が一定の秩序を保っているようで、姜維や私の力でどうにもならないという問題は起こらなかった。
そして再び西に向かい、大砂漠を左手に、疏勒という国が治める、絹の道の要所、カシュガルという街が見えてきた。その前日の野営で、鄧艾がいつも通り、とんでもないことを言い始める。いや、きちんと前置きを入れた時点で、彼らしからぬ振る舞いではあったのだが。
「きょ姜維、へ、変なことを言ってもいいか?」
「お前の発言が変でなかったことを、私は思い出せないのだが。楼蘭が砂漠に飲み込まれないのか、とか、青い目の人は景色が青くないのか、とか。答えを知り得ん問いばかりぞ。ちなみに、これまでで一番驚いているのは、今お前が、私に変なことを言う前にしかと確認をしたことだよ」
私もうなずく。そして横で黙って聞いている費禕もうなずく。そして、
「せ、世界は、丸いかもしれん。俺最近、お、起きるのが早い」
「「「……」」」
これまでで一番変な事が、先ほどのこいつの、初めてと言ってもいい気遣いを、全て飲み込んだ。
「……一旦その是非を置いておこう。まず、お前の言ったその、脈絡のなさすぎる二つのつながりを聞いてからにする」
この姜維の判断が正しかったのか、私は生涯答えを出せることはないだろう。
「お、俺は襄陽でも、成都や長安でも、ね寝坊したこともなければ、早起きしたこともねぇ。同じ時間に腹減るし、同じ時間に眠くなって寝る。みんなそうだと思っていたけど、人によるってのは最近知った」
「そうだな。関平殿はお前に近い気がするが、私はどちらかというと朝日と共に目覚める。費禕は適当だな。仕事が終わったら寝て、周りが騒がしくなったら起きる。そういうやつだ」
その話は、敦煌で街作りの話をしていた時に一度話題になった。体内時計、という言い方をするらしく、そこからずれた働きを続けると、多くの者はその働きを鈍らせるらしい。ちなみに街のお頭姫様たる蔡琰殿は、寝たい時に寝て、起きたい時に起きると仰せだった。孔明様は、奥方の月英殿が言わないと寝ないとの話だな。最初に聞いた時は、その勤勉さに感心したが、今聞くと、童子じみた気質な気もしてくる。
「そ、それでなのだが、俺の朝起きがおかしいのは、と敦煌から少しあったんだ。ちょ長安より少し、四半時(三十分)もないくらいだったから、そそその時は、おも面白い事が多いから、お起きるのが早いのかって思っていた」
「違うのか? 朝から毎日うるさいから、そうなのかと思っていたが。そういえば夜は少しおとなしいなお前」
「じょ襄陽のときはそうでもなかった気がする。夜も騒ぐ時は騒いでいた」
私もなんとなくその感覚があった。鄧艾は特に朝型、という印象がついたのは、敦煌以降な気もしなくはない。
「まだ続きがありそうだな」
「そうだ。その次のろ楼蘭、くクチャ、あアクスと来た。確かにそれぞれの街も、青い目の人たちも、通じない言葉も、面白いのは面白い。でも、と敦煌と比べてどうか、と言われると、多分そうでもない」
「たしかにな。敦煌でおおよその話を聞いていたからか、驚きというよりは、よりつぶさに観察することと、漢土のはなしを現地に語り聞かせることに集中していた気がするな。私もそなたも」
「でもな、どうだ? 俺、お起きるの早い、ね寝るのも早い?」
「……確かに、言われてみれば、お前の朝と夜の動き、どんどんずれてきている気がするな。疲れてきて、起きるのが遅くなるならわかるが、元気に満ち満ちているわけでもない。その割に、朝起きるのだけ早くなっている。そういうことか?」
「そうだ。そうしたら思った。日は東から昇り、西に沈む。西に進むと、日から逃げていくんだ。だから、同じ時に起きても、まだ日が出てないんだよ」
「それはそうかも知れんな。だがそれだけでは丸いというのは言い過ぎではないか? まっすぐでもさほど問題あるまい?」
「まま真っ直ぐだとしたら、果てがあるかも知れね。だが、そうさな、姜維、何刻ずれたかを考えているとな、多分なんだが、襄陽からだと一刻くらいずれてんだ」
「一刻、か……一日が十二刻だな」
「この前羌族に聞いたんだ。ローマは、長安からカシュガルまでの、何倍かかるんだ? ってな。そしたら、大体二倍だって言っていたんだ。つつまり、合わせて三倍だな」
「つまり三刻ずれている、と」
「それに、と敦煌で聞いた話だが、ローマの向こうはもう少しだけ陸が続いているらしい。そうなると、俺たちが知っているこの陸地は、端から端まで行くと、多分四刻と五刻の間くらいなんだよ」
なにやら色々計算を始めたが、まあどうにかついては行ける。こやつらの話はあちこちに飛ぶが、聞いているだけならどうにかなる。お陰で費禕と並んで、すっかり聞き役に回ってしまうようになったが。姜維が進行役と鄧艾への突っ込みを両方やってくれるからな。
「そうすると、お天道様は、この陸を端から端まで渡るのに四刻、そこから昇ったり沈んだりにそれぞれ一刻ずつとして……
そこからこの世界の裏に回って同じだけの時をかけて……
!! 間に合わんではないか。夏の夜はそんなにないぞ」
「そうなのだ。ふ、冬はそれこそ昼が間に合わんのだよ」
「だとすると、東の海の果てから日が昇り、西の果てから日が沈む。だとしたら冬の日は何をしているというのだ?」
ここで費禕が口を挟む。滅多に話さないのだが、面白いとたまに口を挟む。
「そういえば、南蛮は、夏と冬にそれほど日の長さに違いは大きくないですね。敦煌や、西涼の方がその差は大きいかも知れません。それにそもそも、南蛮ではいつも日はもっと高い、かも知れません」
「費禕、つまりそれは、北と南では、日が通るところが違うということか? 私はあまり南にいた事がないので分からんのだが」
「お、俺もあんまり成都はながくねぇ。な南蛮も行ったが、人とか象が面白過ぎて、日は見てなかった。み南もき北も知っているひ費禕のほうが、それはよく知っているかも知れねぇ」
「夏と冬で、夏の方が日が北よりを通る。それだけだと思っていたが……これは、カシュガルについてから、地図や砂盤を広げて論じるのが良いかもしれんな」
そこで私をみる姜維。これは、少し長くなるという意図だろう。
「構わないのではないか? 羌族のおかげで道中はすこぶる順調。鄧艾もこのまま放っておけば夜中に起きかねんからな。話をつけておくと良い」
「承知しました」
すると、羌族の者が声をかけてくる。
「見えてきたぞ! カシュガルだ! 少し高い建物があるんだよ!」
……全然見えない。羌族は砂漠と草原の種族であるからか、目がものすごく良いのだ。私も文官仕事の多い費禕ほどではないが、彼らと比べるとやや落ちる。匈奴や羌族の索敵能力も、相応に高い。すると、次に目が良い姜維。
「確かに見えてきたな……んっ?」
「どどうした姜維? お前も変なこと言いたくなったか?」
茶化す鄧艾。いつもなら「うるさい!」とか「お前が言うな!」と言った反論がくるのだが、今回は違った。
「ああ、そうかも知れないな。あのカジュガルという街、いくつか尖塔のようなものが立っているんだが、ここからだと見えるのは、その頭だけだ。鄧艾、私もお前も変なのか、どちらも正しいのか、街に着いたら改めて論じることとしようか」
「ひひひっ、そ、それが良いな」
「よろしいでしょう」
こいつら、私が分かるかどうかなど、気にも留めておらんな。確かに、この世界がまるければ、遠くの建物が頭だけしか見えないという現象は説明をしやすい。特にこのようなだだっ広い平原なら尚更だ。違う場合につける理屈は、考える方が難しいといえよう。
もしかしたら、世界が丸いかどうかなど、彼らの中ではとうに結論が出ていて、その上で、だったらどんな面白い事がある、という論議が始まるのではないか。そんな予感が、私にもしている。
――――
二〇??年 某所
「確かにこの人たちなら、あっさりとその結論にたどり着く可能性はあるね。シルクロードを往復する人たちの中には、その辺りの知識がある人も少なくはなかったはずだね。孔明、どう思う?」
『「世界が丸い」という概念は、古代から存在し、さまざまな地域や時代の学者たちが独立して提唱してきました。以下、主要な人物とその背景を挙げます。
古代ギリシャ
ピタゴラス(紀元前6世紀ごろ)
ギリシャの哲学者であり、最初に地球が球体であると考えた人物の一人とされています。天体の形状が球体であることに基づき、地球も同様であると推測しました。
パルメニデス(紀元前5世紀ごろ)
ピタゴラスと同様、地球の球体説を支持しました。天文学や哲学の観点から地球の形を論じました。
アリストテレス(紀元前384–322年)
地球が丸いとする証拠を体系的にまとめた人物です。月食時に地球の影が丸いこと、遠くの船が水平線に沈む様子などを挙げました。
エラトステネス(紀元前3世紀)
地球の周囲の長さを計測した人物です。エジプトのシエネ(現在のアスワン)とアレクサンドリアで、夏至の日の影の角度を比較することで地球の円周を驚くほど正確に算出しました。
インド
インドの天文学者たち(紀元前5世紀以降)
古代インドの文献には、地球が球形であるとする記述が散見されます。インドの天文学者アリヤバータ(紀元476–550年)は、地球が自転しているという考えを提唱しました。
中国
古代中国の天文学
古代中国では、地球が四角く、空が丸いという「蓋天説」が一般的でした。しかし、唐代(7世紀)以降、インドやイスラムの天文学が伝わり、地球が丸いという概念が一部の知識層に浸透しました。
イスラム世界
アルマムーン(9世紀)
アッバース朝のカリフであり、地球の円周を計測する科学プロジェクトを支援しました。イスラム世界では、ギリシャの科学が翻訳され、球体説が広く受け入れられていました。
ヨーロッパ(中世~近世)
中世ヨーロッパの球体説
中世ヨーロッパでは、教会の影響で「地球が平らである」という誤解が広まりましたが、実際には多くの知識人は地球が丸いことを認識していました。
例えば、13世紀の学者トマス・アクィナスは、地球が球体であるというアリストテレスの考えを支持していました。
クリストファー・コロンブス(15世紀)
地球が丸いという考えをもとに航海に出発しました。ただし、彼の時代にはすでに地球が丸いという知識は一般的でした。
知識の伝播
これらのアイデアは、ギリシャからインド、イスラム世界を経由して中国やヨーロッパに広がり、時代ごとに発展していきました。このため、「世界が丸い」という考えは特定の時代や人物に限定されず、多くの地域で独立に生まれ、発展していったと言えます』
「なるほど。なら彼らは早晩そこには辿り着きそうだな。そこまでは、彼らなら『あるある』なんじゃねぇか?」
「はい。だ、だとしたら、彼らの『そうする』を見定めるんなら、そのあたりまでは知識や議論のベースラインをあげてみないといけないようです」
「それは簡単じゃなさそうだけど、それこそが現代にもつながる価値、になるかも知れないんだよね。ならここからは、どんどん歴史から逸脱していくかも知れないけど、その世界の中で、これまで大体出揃ってきた彼らの『そうする』を、見定めていこうか」
「そ、そうですね。ですがごめんなさい。その上で少しだけ。出揃ったというのは、三国志の英雄だけかも知れません。そうではない人たちのところは、まだ足りない部分がありそうです」
『つまり、新キャラの登場ですね。承知いたしました。その背景などは、可能な限りサポートいたします』
「よ、よろしくお願いします」
お読みいただきありがとうございます。
第三部以降は、三国志のメンバーの新キャラは減りつつも、時代の方が大きく動いていくようなイメージを、今のところ考えています。今後ともよろしくお願いします。