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第八章 陸遜 おまけAI談義 3

二〇??年


 私はAI孔明。今日も今日とて、卒業旅行の道中にも関わらず、三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。



「NAISEIは、この世界にはあまりにも競合が多過ぎるのです。なので、ヘビを踏まないように、ここはさらっとです」


「それが良さそうだね。陸遜にはわるいけど、AIの付け焼き刃を駆使させてもらうよ」


「俺たちの世界で、SNSで流行っている言葉があるらしいぞ。『付け焼き刃は熱いうちに使え』だってさ」


「どこのサイコパスだよ! の割にしっくりきちゃってるよ!」



Q1

 中国北部では、ヨーロッパにみられた農業革命のようなものはあまりなかったのですか?それとも、あったけど言及が少ない形ですか?


A1

 中国北部での農業革命は、ヨーロッパでの「農業革命」とは異なる形で発展していました。以下にその背景を整理して説明します。


1. 中国北部の農業の特性

主作物の違い

 ヨーロッパでは主に小麦と牧草地、家畜が中心でしたが、中国北部では小麦や雑穀(キビ、アワ)を主作物とする農業が発展しました。さらに、中国南部の水稲耕作技術が北部に伝わることで、より効率的な農業形態も取り入れられましたが、北部では主に降水量の少ない地域向けの乾地農業が中心でした。


農業技術の発展

 中国では早くから耕地の拡大や灌漑施設の建設が行われ、北部でも黄河流域の治水・灌漑技術が大いに発展しました。ヨーロッパでの三圃制や輪作制に似た「休耕・作付けの交互運用」も行われていた記録がありますが、特に中国北部では灌漑に依存する農法が重要視されました。


2. ヨーロッパ型の「農業革命」との違い

ヨーロッパの農業革命は17世紀以降に飛躍的に発展し、特に以下の点で中国北部と異なります。


機械化と科学的アプローチ

 ヨーロッパでは農業革命の時期に種まき機や耕地の改良が進み、生産性が飛躍的に向上しました。中国では伝統的な農具(犂や鋤)が長く使われており、改良はされても飛躍的な変化は限定的でした。


土地の集約

 ヨーロッパでは農地が大規模化され、囲い込み運動エンクロージャーによって農業革命が進みました。中国では土地は家族単位の小規模経営が主流であり、地主制が強かったため、土地の集約や効率化には限界がありました。


3. 記録の少なさ

 中国では農業に関する革命的な変化があったかもしれませんが、ヨーロッパに比べてその記録や研究が少ない背景には以下の要因が挙げられます。


記録文化の違い

 ヨーロッパでは17世紀以降、科学的なデータ収集や統計の発展がありました。中国でも古代から『斉民要術』など農業技術の記録がありますが、統計的な分析や進化を詳細に記録する文化は発達しませんでした。


農業が慢性的に重要視されていた

 中国では伝統的に農業が国家運営の基盤とされ、「民以食為天」という思想のもと、農業技術は常に重要視されていました。そのため農業の進展が「革命」として捉えられるよりも、地道な改良や継続的な発展として位置づけられる傾向があります。


4. 農業革命があった可能性の具体例

 中国北部でも、農業革命と呼べるような重要な変化がいくつか見られます。


唐代の新しい品種の導入

 唐代には、より収量の高い粟や大麦などの品種が導入され、乾燥地帯でも耕作が可能になりました。

南方から耐水性の強い米の品種が北部に伝わり、二毛作が進みました。

元代の農業技術の発展

 元代には、農業技術書『王禎農書』が編纂され、種子の選別や栽培法が体系化されました。

これにより、農地の利用効率や収穫量が改善されました。

明代の農業技術

 明代ではジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモなどの新作物が新大陸から導入され、中国北部の乾燥地帯で栽培が進みました。


結論

 中国北部では、ヨーロッパ型の「農業革命」とは異なる形で、灌漑技術や品種改良、小規模な農法の改善が進みました。ただし、それが「革命」として記録されるよりも、連続的な発展とみなされたため、現代の研究においても注目度が低い傾向にあります。


 ただ、灌漑や治水、品種改良といった技術は、広範囲で重要な変化をもたらしており、これを「農業革命」として再評価する余地は十分にあるでしょう。



Q2

 中国北部では、土地が痩せるということへの対策はどういう形になっていましたか?


A2

 中国北部では、土地が痩せる(地力が低下する)問題に対して、さまざまな対策が講じられていました。ただし、対策は時代や地域によって異なり、ヨーロッパのように輪作制や三圃制のような体系的な方法が確立するというより、経験則や技術改良を基にした対応が中心でした。


1. 地力低下の原因と背景

主な作物と地力消耗

 小麦や雑穀(キビ、アワ)などの作物は、土地から窒素や他の栄養分を多く吸収するため、連作による地力低下が問題でした。中国北部は降水量が少なく、灌漑が重要視されましたが、灌漑の行き届かない土地では特に地力の回復が困難でした。

気候的な影響

 黄土高原を中心とする北部の土壌は肥沃ではあるものの、乾燥した気候や風食(風による土壌の流出)が地力を低下させる要因となりました。


2. 対策方法

(1) 休耕(輪作に似た手法)


休耕と交代耕作

 一部の土地を使わず休ませる「休耕」が広く行われていました。これにより、土地が自然に地力を回復することが期待されました。「交代耕作」として、穀物を植えた翌年に豆類や牧草を植えることで、土地に窒素を補充するという方法もありました。

豆類作物の利用

 マメ科植物(大豆など)は根粒菌を持ち、土壌に窒素を供給するため、土地を痩せさせにくい作物として重宝されました。


(2) 堆肥と有機物の投入


堆肥の使用

 人糞尿や家畜の糞、草木灰などを堆肥として使い、土地の肥沃度を回復させる方法が古代から広く用いられていました。特に黄河流域では、肥料不足の土地に堆肥を施すことで、長期間の耕作が可能になりました。

緑肥の利用

 クローバーやシロツメクサなどの緑肥植物を植え、それを鋤き込んで土地に栄養を補充する手法が取り入れられました。


(3) 灌漑と土壌の改良


灌漑施設の整備

 地力の低下を防ぐためには、水の供給が不可欠であり、黄河やその他の河川を利用した灌漑システムが発展しました。灌漑により土壌が湿潤状態を保ち、養分の循環が促進されました。

土壌改良

 乾燥地帯では、風で飛ばされやすい表土を保護するために、畦や草木を植えて土壌の流出を防ぐ試みも行われていました。


(4) 農法の改良


浅耕法

 土壌の深い部分を掘り返しすぎると養分が失われるため、表層部分を軽く耕す「浅耕法」が推奨されることがありました。

水土保持農法

 斜面での耕作では、階段状の段々畑を作る「梯田」を利用し、土壌の流出を防ぐと同時に、地力を維持しました。

密植農法

 作物を密集して植えることで、地表を覆い、乾燥や土壌の流出を防ぐ方法も一部地域で行われていました。


3. 伝統的な知識の共有

農業書の普及

 唐代や宋代には、『斉民要術』や『農書』などの農業技術書が編纂され、肥料の作り方や地力回復の技法が記録されました。これらの書物は、農民の間で技術の共有を促進しました。

地方の経験則

 地域ごとの環境に合わせた農法が継承され、時代ごとに改良が加えられました。


4. 地力低下への限界とその影響

限界と人口増加の影響

 北部では休耕や堆肥による地力回復が行われましたが、人口増加により休耕地を確保することが難しくなる時期もありました。宋代以降、南方の水稲耕作地帯が北方を凌ぐ生産力を持つようになり、南北の経済格差が拡大しました。

土地の荒廃と社会不安

 地力の低下に伴い、農村の荒廃や耕作放棄地が増えると、それが社会不安の要因となる場合もありました。


結論

 中国北部では、土地の地力を維持するために休耕や堆肥、灌漑、土壌改良など多様な手法が取られていました。しかし、これらの対策は一部地域で限界があり、農業生産性の向上には継続的な技術革新が求められていました。その結果、南部の水稲地帯が徐々に農業の中心となっていったのです。


 これらの背景を踏まえると、中国北部の土地利用と地力維持の取り組みは、実践的かつ地道な方法で支えられていたことが分かります。



Q3

 本作のように、三国鼎立が安定した場合、北部の魏は、ある程度南に頼らない自給策が必要になりそうです。そうなると,どのような農政が有力になりそうですか?


A3

 三国鼎立が安定し、魏が南の穀倉地帯である呉や蜀に頼りすぎずに北部で自給を目指す場合、以下のような農政が有力になると考えられます。これは、北部の気候や地理的条件、人口構成などに基づいた現実的な方向性を含んでいます。


1. 穀物生産の多様化

(1) 小麦と雑穀の重点栽培

 北部では小麦が主作物であり続ける一方、雑穀(キビ、アワ、ヒエ)などの耐乾性作物の栽培が増加するでしょう。雑穀は痩せた土地や降水量が少ない環境でも栽培可能であり、魏の北部に適している。食文化の転換として、雑穀の調理法を普及させることも重要。

(2) 大豆の増産

 大豆は窒素を供給し、土壌の地力を回復するため、連作を避けるための輪作作物として推奨される。大豆から得られる豆腐や味噌などの食品加工が発展し、食料事情を改善。


2. 灌漑の大規模整備

(1) 黄河とその支流の利用

 魏国の農政は、灌漑施設の拡張と維持が鍵となる。黄河の水を引き込む灌漑網を拡大し、安定的な水供給を確保。既存の堤防の強化や洪水管理を徹底し、農地を保護。余剰水を利用して養魚を組み合わせる「魚稲共作」的な手法を導入する可能性。

(2) 乾燥地域の水管理

 北部の乾燥地帯では井戸掘りや貯水池の整備を進め、水資源を効率的に利用。溜池や雨水貯留技術を用い、降水量の変動に備える。


3. 土壌改良と地力回復

(1) 緑肥の活用

 緑肥作物クローバーなどを輪作に組み込み、土壌の栄養分を補充。家畜の飼育と結びつけて有機肥料の生産を促進。

(2) 休耕の奨励

 一定期間土地を休ませることで、土壌の自然回復を図る。このため、土地の一部を牧草地や家畜の放牧地として利用。


4. 品種改良と農業技術の革新

(1) 耐寒・耐乾作物の開発

 小麦や雑穀の品種改良に注力し、収穫量を増やす。

耐寒性や耐旱性に優れた品種を導入し、気候変動への適応を図る。

(2) 農業技術の普及

 灌漑、播種、収穫の効率化のため、新しい農具の普及。鉄製のすきくわの導入と普及。労働力不足を補うための畜力農業(牛や馬を使った耕作)の強化。


5. 経済政策と農業の分業化

(1) 税制の改革

 穀物以外の産品(絹や鉄器など)での税納付を認め、農民の負担を軽減。土地制度の整備(屯田制の拡張)により、荒廃地の再生を推進。

(2) 地域特化型の生産

 地域ごとに特化した作物を育て、収穫物の交換を促進することで自給自足を補完。例:北部平原では小麦、山間部では果物や薬草など。


6. 知識と制度の強化

(1) 農業知識の普及

 農民に対する教育を通じて、農業技術の普及を図る。農書や政府の役人を通じて知識を伝える。官僚制度を利用し、農業専門官を設置。

(2) 軍事農業との連携

 魏が軍事と農業を連携させる屯田制を拡張し、安定した食料供給網を確保。軍事屯田では荒廃地を耕しながら、戦時には迅速な展開が可能。


7. 地域間交流と南北協力

(1) 南方との限定的協力

 自給を目指しつつも、南方(呉や蜀)の余剰物資と交換する形で食糧の一部を補填。米や特産品(塩や絹)との交易を管理。

(2) 外国からの技術導入

 西域から伝わる農法や種子を導入し、北部農業の多様化を図る。


まとめ

 魏国が南方に頼らない自給策を進める場合、灌漑網の整備、耐寒・耐乾作物の改良、屯田制の拡張が鍵となります。これらの施策を通じて、北部農業の生産性を高め、安定した食糧供給を確保しようとするでしょう。


 特に魏国は、中央集権的な官僚制度が整っているため、農政の改革を比較的効率的に推進できる強みがあります。加えて、農業知識や技術を持つ南方からの人材や情報を適切に活用すれば、北部でも安定した食糧自給が実現する可能性があります。



Q4

 遊牧民に、休耕地を解き放つのは意味がありますか?


A4

 遊牧民に休耕地を解き放つことは、農耕民と遊牧民の両方にメリットをもたらす可能性があり、以下の理由で非常に意味があります。


1. 休耕地を肥沃化する効果

 遊牧民の家畜が休耕地を利用することで、地力が回復する可能性があります。

 家畜の糞尿が天然の肥料となる:家畜が放牧されることで、地面に糞尿が落ち、土地が自然に肥沃化されます。

 雑草や枯れ草の除去:家畜が草を食べることで、雑草の繁茂を抑え、次の耕作の準備がしやすくなります。

 土壌の緩和:家畜の足で土が軽く踏み固められ、適度な土壌環境を作ることができます。これらの効果は、休耕地の回復を早め、次の耕作の質を高める可能性があります。


2. 遊牧民への利益

 遊牧民にとっても、休耕地を利用できることはメリットがあります。

 放牧地の確保:特に冬季や草地が枯渇する時期に、休耕地を使えることで家畜の飼料不足を補える。

 移動の自由の維持:指定された休耕地を利用することで、移動の手間を軽減できる可能性がある。休耕地を利用することで、遊牧民の生活が安定し、魏との協調が強化されることも期待できます。


3. 辺境地帯の安全保障

 遊牧民に休耕地を提供することで、辺境地帯での対立を回避し、安全保障に寄与する可能性があります。

 土地利用の合意:休耕地を遊牧民に開放することで、土地利用を巡る対立を未然に防ぐ。

 協力体制の強化:遊牧民に利用可能な土地を提供することで、魏の支配への協力を引き出しやすくなる。遊牧民が安定すると、魏は北部辺境の治安維持に費やす資源を削減でき、その分を農業や他の政策に振り向けられます。


4. 農業と遊牧の融合

 休耕地を遊牧民に提供することは、農業と遊牧が融合するきっかけになる可能性があります。

 混合経済の形成:一部の農民が家畜を飼い始めたり、遊牧民が簡易な農作業を始めたりすることで、農業と遊牧の境界が緩和される。

 土地利用の効率化:魏が土地利用を計画的に管理し、農業と遊牧を適切に組み合わせることで、土地の生産性を最大化できる。例えば、遊牧民が冬季だけ休耕地を使い、春には農民が作付けを再開するようなシステムが考えられます。


5. 潜在的なリスク

 ただし、この政策にはリスクもあります。

 土地利用の衝突:遊牧民が休耕地を過剰に利用すると、土壌が劣化したり、農耕民との対立を引き起こす可能性がある。

 遊牧民の独立性:土地利用が拡大すると、遊牧民が自立し、魏の支配を受け入れなくなるリスクも。これを防ぐためには、休耕地の利用を明確に管理する法制度や、利用状況を監視する仕組みが必要です。


まとめ

 遊牧民に休耕地を解き放つことは、農耕民と遊牧民の協調を促進し、土地の肥沃化や辺境地帯の安定に寄与する可能性があります。しかし、適切な法制度や管理体制が不可欠です。

 魏の強力な法制度と監視能力があれば、この政策を成功させる可能性は高いでしょう。また、遊牧民との協調が進むことで、北部の安全保障が強化されるだけでなく、農業生産性の向上にもつながるかもしれません。

 お読みいただきありがとうございます。


 次話から、第三部がスタートします。

 英雄たちが本気を出し始めてしまうので、歴史からどんどんはみ出していきます。

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