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第八章 陸遜 おまけAI談義 2

二〇??年


 私はAI孔明。今日も今日とて、卒業旅行の道中にも関わらず、三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。


「このトピック、AIが絶好調だったね」


「そうなのです。1行に対して2000字くらい帰ってきたのです。こう言う議論は大好きなんでしょうね。孔明らしいです」


「孔明、議論で人の命を奪っているからな……このトピックの二人と違って、なぜか完璧からずれているのが孔明だな」


『お恥ずかしい限りです』



Q4

 三国志だと,趙雲や張遼が相当しますね


A4

 確かに『三国志』において、趙雲や張遼は「完璧すぎる男性キャラ」として描かれやすい典型例です。それぞれの行動や人柄が非常に高潔で欠点が見えづらいため、まさに「裏があるのでは?」と思われかねないようなキャラクター像になっています。


趙雲(子龍)


完璧すぎる点

武勇

 長坂坡の戦いで劉備の息子を救い出すエピソードは、彼の武勇と忠誠心を象徴する有名な逸話です。数々の戦場で敵陣を突破する場面もあり、無敵の名将として描かれることが多い。

忠誠

 生涯にわたり劉備と蜀漢に忠誠を尽くす。私欲や裏切りの影が一切ない。

人格

 部下や民衆への配慮が行き届いており、人徳に溢れる。戦略面でも非の打ち所がない。


欠点のなさがもたらす印象

 趙雲は、「完璧すぎるがゆえにフィクション的」と感じられることもあります。彼のエピソードは時に美化されすぎており、史実以上に「伝説的な存在」として強調されることが多いためです。


張遼(文遠)


完璧すぎる点

武勇

 合肥の戦いでわずか800の兵で孫権軍10万を退けた逸話は、彼の名を歴史に刻んだ代表的なエピソード。

「張遼止啼」と言われるほどの威圧感を持ちながら、民衆からも支持される。

知略

 単なる武勇だけではなく、知略を駆使して戦局を動かす。孫権軍を退けた後の対応など、冷静で賢明な判断力が見られる。

忠誠

 曹操に仕えてからは終生忠義を尽くす。その振る舞いは敵国からも賞賛される。


欠点のなさがもたらす印象


 張遼も趙雲と同様、「完璧すぎる存在」として見られることが多いです。彼の活躍は極めて合理的で、「裏表のない理想の将軍」として描かれるため、逆に人間味が薄く感じられることもあります。


「裏がある」と感じにくい理由

 趙雲や張遼のようなキャラは、物語的には「裏のない純粋な忠義の士」として描かれているため、彼らに疑念を抱かせるような描写は基本的にありません。ただ、現代のフィクションの感覚から見ると、「本当にそんなに完璧なのか?」という違和感が生じやすいのも事実です。


『三国志』の文脈では納得感がある理由


時代背景

 三国時代では、忠義や仁徳が理想的な武人像とされていました。そのため、趙雲や張遼のようなキャラが「完全無欠」として描かれることに大きな違和感はありません。


視点の偏り

 『三国志』の記述は史実というよりも、後世の歴史家(特に陳寿)や物語作家が美化して描いている部分が多いです。そのため、趙雲や張遼の「完璧すぎる」エピソードも、ある種の「理想化された英雄像」として受け入れられる土壌があります。


現代的なフィクションで活用する場合

 趙雲や張遼のような「完璧すぎる男性キャラ」を現代的な物語に取り込む場合、以下のようなアプローチが考えられます:


完璧さの代償を描く

 例えば、完璧を求めるあまり孤立している、部下や仲間が萎縮してしまうといった「代償」を設定する。


視点を変える

 敵や民衆、部下の視点から描くことで、完璧に見えるキャラの「裏側」や「別の一面」を見せる。


完璧さの原因を掘り下げる

 完璧に見えるキャラが、過去に失敗や苦難を経験しているという背景を描き、その成長過程を提示する。


周囲との対比を活用

 完璧すぎるキャラを周囲の未熟なキャラと絡ませ、彼らに成長を促す「導き手」として活用する。


結論:

 趙雲や張遼のようなキャラは、物語において「理想の英雄像」を体現する役割を担いますが、現代的な視点から見ると、その完璧さが不自然に感じられることもあります。そのため、現代的なフィクションでは、完璧さの裏にある弱点や背景を丁寧に描くことで、キャラクターに厚みを持たせることが重要です。



Q5

 逆にこの二人は、完璧すぎるがゆえに、歴史のど真ん中からは少しズレたところに描かれたいんしょうがあります。


A5

 おっしゃる通り、趙雲や張遼のような「完璧すぎる」キャラクターは、三国志の歴史の「ど真ん中」から少しズレた位置に描かれる傾向があります。これは、彼らの完璧さが物語の核心である「激しい葛藤」や「大いなる決断」に絡みにくいことに起因しているとも考えられます。


1. 趙雲:「完璧な忠臣ゆえに主役になりにくい」

役割の特徴

 趙雲は劉備や蜀漢に対する忠誠を貫き、主君のために働く「理想の忠臣」として描かれます。彼の行動には矛盾がなく、主君に異を唱えるような葛藤や、戦略上の大失敗といった劇的な要素が少ない。そのため、彼は物語の主軸である劉備・諸葛亮・関羽・張飛といった人物たちの陰で、完璧な補佐役として活躍する場面が多い。

ズレる理由

 三国志では、運命の大きな分岐点(例:赤壁の戦い、漢中攻防戦)で「苦渋の決断」や「裏切り」「失敗からの再起」などが主役の物語になりますが、趙雲はそうした「泥臭い物語」には絡まず、むしろ「安定感」をもたらす役割を果たすため、ドラマの核心からは外れてしまう。


2. 張遼:「敵からも尊敬される英雄ゆえに中立的な立ち位置」

役割の特徴

 張遼は曹操陣営の中でも、特に敵国からの尊敬を集めた将軍として描かれます。合肥の戦いで孫権を退けたエピソードに代表されるように、彼の活躍は劇的ですが、物語全体を動かす立場にはありません。曹操や司馬懿といった「魏の中心人物」に対して、張遼は忠実な一将軍として働く立場に留まっています。

ズレる理由

 張遼は敵味方双方から高く評価される「完成された武将」ですが、同時にその完璧さが「物語の中での大きな葛藤」を生みにくい。彼が関わる戦いは「戦場の局地的な勝敗」に関するもので、魏の命運を左右するような場面にはほとんど絡みません。


3. 完璧さゆえの「ドラマ性の欠如」

 三国志の中心的なキャラクター(劉備、曹操、孫権、諸葛亮、関羽など)は、それぞれが何らかの「弱さ」や「矛盾」を抱えており、その葛藤が物語の核心を作ります。一方で、趙雲や張遼のような完璧すぎるキャラクターは、劇的な物語を引き起こす要素を持たないため、あくまで補完的な役割に留まります。


4. 完璧さをどう活かすか?

 こうした「ズレた」立ち位置を逆手に取ることで、完璧なキャラを物語に深く絡めることが可能です。


視点キャラクターとして使う

 物語の中心人物ではないが、彼らの冷静な視点を通じて他者の葛藤やドラマを描く。

完璧さがもたらすプレッシャー

 完璧すぎるゆえに、部下や周囲が萎縮する、あるいは完璧さを維持すること自体が彼らの内的な葛藤となる。

敵役に近づける

 完璧すぎるキャラを敵陣営に置くことで、「主人公たちがいかにしてこの壁を乗り越えるか?」というドラマを作る。


5. 趙雲・張遼の「ズレた位置」が持つ物語的魅力

 趙雲や張遼のような「ど真ん中からズレた」完璧キャラは、主人公たちの物語を引き立てるための重要な存在です。彼らがいることで、主役たちの欠点や人間らしさが際立ち、読者や観客は「彼らがなぜ物語の中心で輝いているのか」を理解しやすくなります。


 完璧すぎるキャラが物語の脇を固めることで、物語全体に深みと説得力を与える役割を果たしていると言えるでしょう。




「AI時々やってくるのが、特に期待をしていなかった、忘れた頃にやってくる前段蒸し返しです。男女の話は終わったはずなのでしたが」


「まあ、間は開けていなかったから仕方ないんじゃないかな?」



Q6

 メタ的な言い方をすると、完璧すぎるキャラは、その描写を客観的にも主観的にもしづらいというのがありますね


A6

 その通りです。「完璧すぎるキャラ」は、物語を進める上で客観的にも主観的にも扱いが難しくなることがしばしばあります。メタ的な視点で言うと、その完璧さ自体が物語の流れやキャラクターの関係性において独特の制約をもたらすからです。


1. 客観的な描写の難しさ

行動や決断の妥当性を常に保証する必要がある

 完璧なキャラを描く場合、彼らの行動や判断が「常に最適である」ことを読者に納得させなければなりません。これには、作家自身がキャラクター以上の知識や洞察力を持っていなければならないというプレッシャーが伴います。特に、戦略や哲学、技術に関する話では「本当にこれが最適なのか?」と疑われないよう、説得力のある裏付けが必要です。

葛藤や成長の描写が困難

 完璧なキャラは既に完成されているため、ドラマ性のある「失敗から学ぶ」や「葛藤を乗り越える」場面を作りづらい。見る側は「彼/彼女なら当然成功するよね」と思ってしまい、予想外の展開やサプライズが薄くなる。

「隙がない」が故に共感を得にくい

 読者や観客は、キャラクターの弱さや欠点に共感することが多いため、完全無欠のキャラは「感情移入しにくい」とされがち。


2. 主観的な描写の難しさ

視点キャラにしにくい

 完璧なキャラの視点から物語を描くと、彼らが「全て見通せている」ため、物語にサスペンスや驚きが生じにくくなります。また、読者との視点の格差が大きくなるため、「彼らが見ている世界」と「読者が想像できる世界」の間に乖離が生じ、物語が難解に感じられることがあります。

謙虚さや人間味を損なわずに描く難しさ

 完璧すぎるキャラが主観的に描かれる場合、「自分は完璧だ」と感じているキャラとして描けば傲慢に見え、「自分は未熟だ」と感じているキャラとして描けば不自然に見える。

周囲の視線をどう扱うか

 完璧なキャラの周囲にいる人々が「絶対的な信頼」を寄せるだけだと物語が単調になる。一方で「疑念を抱く」描写を入れると、完璧さを否定する方向に進む危険もある。


3. 完璧キャラを活かすためのアプローチ

 完璧すぎるキャラをうまく描写するためには、以下のような工夫が考えられます。

(1) 完璧さの「コスト」を描く

 完璧なキャラがその能力を発揮するために犠牲にしているもの(人間関係、健康、感情など)を描く。

例: 「張遼が孤高の戦術家として生きることで、部下にプレッシャーを与え続けている」など。

(2) 周囲のキャラとの比較で人間性を際立たせる

 完璧なキャラの隣に欠点だらけのキャラを置き、両者を比較することで、完璧さの相対的な魅力を引き立てる。例: 趙雲と関羽・張飛の対比。

(3) 完璧さが「足かせ」になる状況を作る

 完璧であるが故に抱える孤独感や、周囲からの期待が重荷になる様子を描く。例: 趙雲が「決して傷つかない存在」として扱われ、仲間から助けられることがない場面。

(4) サブプロットに活用する

 メインストーリーの中心ではなく、サブストーリーで活躍させることで、彼らの完璧さが物語全体に負担をかけないようにする。例: 張遼が、戦場ではなく若い兵士を育てる役割を担う。

(5) 物語の外側から観察させる

 完璧なキャラを他のキャラクターが語る形で描写し、神話的な存在感を持たせる。例: 趙雲や張遼が「伝説」として語られる場面。


4. 現代ジェンダー論との関係

 興味深いことに、こうした完璧キャラの描写難易度は、ジェンダー論ともリンクします。現代では、「完璧な女性キャラ」には批判が集まりにくい一方で、「完璧な男性キャラ」は「現実味がない」「鼻につく」と思われることがあります。


女性キャラ

 完璧な女性キャラは「理想像」として受け入れられることが多い。例: 卑弥呼、孫尚香のようにカリスマ性が際立つキャラ。


男性キャラ

 完璧な男性キャラは「リアリティを欠く」とされがちで、むしろ欠点を持つ方が人間味があると評価されやすい。例: 曹操のように野心的かつ矛盾を抱えるキャラが人気。

 「完璧さ」をどう扱うかは、物語全体のテーマや時代背景によっても異なりますが、完璧すぎるキャラは慎重に扱うことで、物語に大きな深みを与えることができます。その完璧さ自体が、物語の「軸」となるポテンシャルを秘めているのです。

 お読みいただきありがとうございます。

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