四十六 農政 〜陸遜×三公=出張?〜
魏の三公、華歆、王朗、鍾繇。後漢末に、魏武曹操が丞相となるとともに廃止されたが、魏が正式に帝を禅譲されると、国都の政務における最上位として復活した官職。だがその実情は、賈詡や程昱、陳羣といった、あまりに強力な人材を三公という地位にあてがうと、まだできて間もないこの国において、いらぬ野心を抱きかねないという配慮があった。
その意味で、高い忠義と、政務における実務能力、そして無難とも言える謀の少なさが、彼らの地位を確定さしめたと言っても過言ではないだろう。そして南からこの国の危機を救うべくやってきた陸遜に、「人手が足りないなら、暇そうなあなた達が動け」と名指されても致し方ない。この司書たる陳寿とて、国の危機とあらば、かような仕事に駆り出される覚悟とてある。
陸遜と三公は、郝昭や于禁、許褚、そして若手の文官武官を引き連れ、まずは侵略の恐れがほぼない、魏の中心部である陳留に向かう。そして、やや長い期間、侵略にあっていないからこそ、見るものが見ればすぐにわかる。
「水はけの悪さ、そして地の力。ともに良くはありませんが、どうにかなりそうです。土が極端に赤くもなく白くもないときは、水路を整備し、まずは豆を植えましょう。赤い時は草木の灰を巻いてから、白い時は森林の土を集めて混ぜ耕してからに致します」
「地の酸度、でしたか。理屈は分かりませんが、酸の毒ならば、それが作物に悪影響というのはうなずけます。しかし、何故に豆なのでしょう?」
「豆は、気中から地力の素を、一部取り込むことができるようです。豆がよく育つ場合はそのまま刈り取って牧草地とし、牛馬を放ってその糞なども肥やしとし、そして麦を育てます。その後は休み、豆、牧草地、麦と回せば良いでしょう」
「豆が育たなかった時は?」
「豆ごと耕し、一度放っておきます。少し時がかかるゆえ、危急の今は放置しましょう」
三公が、作物の周期についておおよそ聞き終えたことを見定めると、次は人手が必要な灌漑について、于禁や郝昭が問いかける。屯田によって力をつけるところからその台頭が始まった魏では、灌漑などの大きな土木工事は、むしろ武官の役割として認識されている。
「灌漑は、こちらも知識がないわけではない。どちらかというと地主のしがらみがあって、計画が乱されることが課題だな」
「そこは長い目で見れば、法制度を変えていくのが良いでしょうね。呉や蜀では、一度統治者が丸ごと入れ替わったがために、その下の地方官吏もおおよそ変わっています。それに対して魏は、兗州や徐州、青州あたりを中心に、元の地方閥が残っていることが多いのでしょうか」
「その通りだ。だからこそ、今のような危急のときに合わせて、大きくその枠組みを入れ変えてしまうのがよかろうな」
「ご明察かと。特に華北に関しては、最終手段として、一度鮮卑に明け渡してしまう、という大胆な策もお考えいただくのもよろしいかと」
「あいわかった。その手を取らずとも良いように計画を詰めるが、それでも難しい時は、それも手ではあると心得ておこう。夏侯惇殿や張遼殿の手も借りれば、取り返すのも困難ではなかろう」
そして三公の一人、鍾繇と、于禁、若手の数名が陳留にとどまり、あとの者は東の徐州へと向かう。その道中で郝昭は、襄陽で途中まで聞かされて、その後急報が入って話が中断になっていた、呉で最近開始した試験的な農法の話をせがむ。華歆や王朗は、一時的に呉の地で働いていたこともあり、以前と今とで江東の地がどのように変わっていっているか、そんな所に興味を抱いていた。
「陸遜殿、品種改良、そして実験計画というもののことについて、ご教示お願いできますか? 襄陽でお話を伺っていた時、それらこそが呉の百年の計とお聞きしましたが、どう言ったものとなりましょうか」
「承知いたしました。あの時から終始心ここに在らずでありました郝昭殿。お気持ちは重々分かります。
そうですね。ここは丁寧にお話ししてまいりましょう。『鳳雛の残滓』その一端に触れることとなる、呉の百年の計について」
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少しさかのぼり、私陸遜が呂蒙とともに呉で新農政を始めていた頃のこと。それを思い出しながら、彼らには全ては話さず、かいつまんだお話をいたします。まあ、郝昭殿の好奇心はそこで留まることはないでしょうが、その知識の出所さえわかっていれば、この方は遠からずご自分でそこを訪れるようなお方でしょう。
「やはりさまざまな害に強く、それでいて今よりも美味というものを目指さんとするのなら、多様な環境条件と、それぞれの中では同条件を保つように、しかと管理された農場を幾つも作る必要があるな」
「そうですね呂蒙様。その試験の歩みは余すところなく記録し、そして顕になった違いが誠に違いとしてみて良いか、すなわち『有意』かどうかを判定し続けるのが肝要」
「その計画の要となるのが、同条件と言えるものをある数用意すべし。因子ごとにある大きさの固まりを作るべし。その固まりごとの位置関係は無作為たるべし、か。まあ直感としてその辺りはよくわかる」
「試験を行えば、必ずその結果はばらつきを伴う。だからこそ、毎回毎回出てきた結果。すなわちよく育ったか、いくつ実ったか、その味はいかがだったかと言った目的に対応する値に差が生じた時、それがそのばらつきの範囲なのか、そうではなく状況を変えたことの結果なのか、すなわちその状況が目的に対して有意なのか、を評価いたします」
ここまではおおよそ人が理解しやすい領域と言えなくもありません。順序立てて説かれれば、多くのものは納得できましょう。問題はこの先。どう計画を立てるか。そしてどうやってその『有意』を見定めるか。そこには本来、この時代の人々が、およそ到達し得ないのではないかという叡智が詰まっておるように感じられます。その知識を難なく結集し、そして体系化した『叡智の書庫』そして『鳳雛の残滓』。それが何者なのか。まだ私どもが知らされていない秘密があるのでしょう。それはいずれ明らかに致しますが、今の私は未熟にて、一つずつその技をモノにしていくのみ。
「そこを見定める手法が、仮説検定と分散分析。そしてその理に基づいて試験を効率化するのが、実験計画法、という位置付けであったと心得ます。仮説検定とは、より取るに足らない仮説をおき、それを否定せざるを得ない情報が揃ったところでそれを無に帰す。帰無仮説と、その否定を促す対立仮説。およそここでは、その結果から見える差分が、偶然のばらつきの範囲だという帰無仮説と、否、それは意味のある差、有意な差だという対立仮説」
「その否定ができるか否かのしきい値を、帰無仮説が是である可能性を百に五くらいに設定しておけば、およそ先に進むに利多きといえる、だったな。そこは『割り切り』と捉えるか、『意思を決めるための背押し』と捉えるかは人次第だろうな」
「そこが分かれ目なのか、その叡智にたどり着いた時点で結構な割合の者が突き進むのか、その評価は人の業に委ねるのがよろしいでしょう。そして、その技法に基づき、二つのばらついた結果の集団があった時、その二つのばらつきの母体が、同じばらつきの真源から来たとなすを帰無仮説、否、そもそも母体に違いがあるからその違いは有意、となすを対立仮説として、試験の成果を論ずるのが分散分析」
「これを成し遂げるには、情報を統べて計るという学問、統計の理が必須であるということだな。世の中は無限の賽からできており、その結果が分布となって現れている。その分布は平均値と分散の二つのみの値で規定できるがゆえに、先ほどの分散分析もさほど困難ではない、と」
この理をなすために必要な情報の量が、今のこの世において足りているのか否か。そういう論をしたい好奇心を抑えつつ、あの四百年前の戦乱の世や、はるか西の羅馬や希臘なる地の論議においてならば成立しうる、とも思いつつ、最後の論に言及します。
「その分散分析を、ただひたすら繰り返す。それをいかに計画的に、そして過不足なく必要な情報を集めるか。それが実験計画、ですね。考えるべき因子が一つ、かつそれが有無や優劣といった数値に基づかぬ要素なら、二つの集団を比べれば終わる。しかしそれが計数的な者であれば、傾向を見るために三つ四つの集団を比較したくなります」
「そして、因子が二つ以上となると、もう一つの要素が生じる。それが、二つの因子が重なって初めて生じる効果。主効果にたいして相乗効果と言っておけばよかろう。それの可能性を探るために、因子が一つ増えればやりたい試験は一つ増えるのではない。それは理想的には倍倍で増やしたくなる、であったな」
「さようです。ありあり、ありなし、なしあり、なしなし。その全てが異なる成果を出しうる、ですな。ですが二つならよいですが、我らの命には限りがあります。農政という、一つの結果が出るのに一年かかる対象において、一度にできる試験の数が無限ではないとすると、一気に十も二十も試行をしたくなります。
「だがそれは厳しい制約。十ならば五百、二十ならば五十万もせねばならん。到底そのような地、などはどこにもない。それにそれが全て計数因子ならば、十因子ならば五万、二十因子ならば何十億となる」
「ならば、そこを大きく減らすためには、一旦多重、すなわち三要素以上の相乗効果を無視するのが、人の叡智。それならば十要素で五十、二十でも二百に抑えられます。計数因子があっても、数倍ずつ程度となりましょう」
なにやら一気に話を吹っ飛ばして参りましたが、この計画を成すために、かの白眉、馬良様から頂いた、多量の図表がございます。また、その有意を検定するための統計分布表なる曼荼羅も、かの数狂たる法正様より。つくづくあの国の恐ろしさよ。
その試験環境をおおよそ整え、一週目、すなわち一年目の試験を始めたところで、あの姫様がどこかから来訪者を無理やり引っ張ってきた、という風の噂をお聞きし、猪を狩ってまかりこした、というのが、我らと郝昭殿らとの出会いとなります。
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やや目を回しておいでの郝昭殿、そして頭を抱えて間の華歆様、王朗様。しばしの時を得て、郝昭殿がつぶやきます。
「これは、農政のために作られた技なのだろうか。それとも、もう少し違うところ、例えば軍事やそこに付随した医術などで発展したのだとしたら。それは一回一年に止まらぬ方を産みますね」
その気づき、少なくとももう一人、すでに得ていたお方がいました。ここではありませんが。
「さようですね。呂蒙様も似たようなことを仰せでした。少なくとも私は農政を主に、呉の千年の計をなし、それを魏蜀に広めんと見定めておりますが、無論この技法はそこに限ったことではないのでしょう。蜀はすでに多くの技術に役立て始めておいででしょう。
そしてこの技がどこでどう広がりを見せるのか。そうなる前に自らものにするのか。それはこの先をどう生き延びるのか、というのを占うことなのやもしれません」
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二〇??年 某所
「鳳さん、また随分と攻めたテーマで話を進めるんだね」
「そ、そうですか? AIがテーマなら、統計に話がいって、食いしん坊さん達の呉なら、そっちまで話が結びついてもおかしくはない気もします。それに、農業系の内政は、ちょっとネタが使い古しなので、これくらい攻めないときついのです」
『小雛さんの発想の連環、その根源はどこなのかは分かりませんが、今のところはそうする、の連環という言い方で良いのではないか、と大規模言語モデルの観点で推測致します』
「AIがAIらしく考察して、人が人らしく発想するとこうなるってことだな。それはそれでいいんじゃねぇか?」
「そうかもね。僕たちの目的ともずれていないし、このまま進めてみようか。つまりこの方向は、『鳳雛の残滓』として話を進めることで、AI知識の一部は独占されずにどんどん『英雄』たちの元に供給される形で様子を見ていく、ってことだよね」
「そうですね。そうやって『英雄たちのそうする』を見ていくのです」
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