四十一 満腹 〜(荀攸)×(呂蒙+陸遜)=鍋!〜
私は魯粛。呉の大都督。気づけば先代の周公瑾殿よりも長く務めており、その身に余る大役への感慨を深めておりました。
と思っていたところに、魏から蜀漢に訪れていた荀攸殿を、半ば無理やり引き連れてこられたお嬢様、孫尚香様。お二人の質問攻めによって、私がこれまで必死に成し遂げて来たことこそが、この国を保つべしという先君の遺志その物だったことに気付かされます。
ならばこの先、次代、次々代に、その要諦をしかとお伝えせねば、と思い定めることとします。
したのですが……
「なんだ師父? そんなことか? それなら俺や蒋欽、潘璋なんかは散々先代様からいい含められているぞ? それこそ当代陛下もな。だからこそ、周都督亡き後の師父のやり方に、反発の声はあっても、最後は皆従って居たんじゃねぇか」
「そうか……知らぬは私ばかり、ということであったか」
「うーん、まあその辺りを説いて聞かせる暇があったら、それぞれ自らの役目や勉学にはげむことを先んじているからな。
――まあ実はそれが、とんでもない落とし穴だって気づいたのは、俺も最近なんだけどな」
「!!」「!!」
「あ、そうだ、忘れてたわ! お客さんはどちら様で? お嬢が引っ張って来たってことは、蜀……じゃねえな。蜀なら別にお嬢が無理やり連れてこなくても勝手に来るわ。張飛殿も関平殿も何回も来ているし、この前は何だっけな? やたらどもって名前も分からなかった、トト何とかって若いのがついて来ていたぜ」
張飛、関平は確かによく来ます。割符の申請もありました。トト何とか……む、于禁殿がご存知のようですね。
「ああ、あいつかもしれないな。鄧艾。確かにあいつはどもるし、出身がこっちだから、往来するのも分からなくはないな」
「おお、あいつか! と鄧艾! 妾もあいつは面白いやつじゃと思っておった!」
ふむ、とと、否、鄧艾という名は、覚えておきましょう。いつお会いできるかは分かりませんが。
「あいつ西にいくとか言っていたから、会えるかは分からないけどな。と敦煌とか、羅馬は一日にしてならず! とか意味不明なことを言っていたんだよ。
あ、使者様。置いてきぼりにして失礼しました。なにやらお客様が来たそうだ、というのは民が騒いでいたので、猪をとって来たんだよ。
于禁殿が護衛ってことは、相当なもんですね。てことはあの二人はこっちに来るような危険は犯さないでしょうし。荀攸殿ですかな?」
「はい。ご名答です、呂蒙様。荀攸と申します」
「のう荀攸殿? 面白いじゃろ? まだこんな物ではないがの。さっきも途中で話止めておったし」
「まことに。ここでお会いできたのは、まさに僥倖という他はありません」
「かかかっ! それは何よりじゃ」
喜んでいただけで何よりです。それにしてもこの呂蒙。まことにあの時、先代孫策様のご叱咤がなければ、単なる荒くれ武者で終わっていたであろうというのは皆の一致するところ。ただ、そうであったとしても、この感の鋭さ、洞察というものは、あちらの張遼や、もしかすると張飛にまで手が届くところでもあったのやもしれません。
そこで知略を学んだところで、何をさせても人一倍、という者に大化けしたのですが、それがかえって当人の負担を……というのは、今や無用な心配ですな。私もまだ健在であり、後進の陸遜とている現状、何も心配はいりません。
「陸遜! 鍋はもうできるか!?」
「はい! ただいま! 我が腕未熟ゆえ、お口に合うかはわかりませんが、使者様方もご賞味あれ」
「鍋に未熟もあるか! しっかり食べていってくれや! これが江東のもてなしってやつだからよ!」
江東のもてなし……その話もしっかりせねばなりませんね。先ほどの呂蒙の言い淀みと、どちらを先にするかは、荀攸殿次第でしょうか。
「かたじけない。いただきます。ですが、このままおもてなしを受けておりますと、先ほどの呂蒙殿のご慧眼を忘れてしまいそうになりますな。いただきながら、お話しをお聞きいたしましょう。『とんでもない落とし穴』とは何でしょう?」
「ははは、これは確かに、先に片付けておかねば、飯も不味くなりましょうな。良きご選択かと。まあ分かりやすき話です。
もし何らかの形で、今やだいぶお顔色もよろしくなったこのお方が、かの国の今一人の俊才たる鳳雛のごとく、お命を縮められたら。そしてその遠因の一つが、呉蜀間の板挟みによる心労だとしたら。
その直接の原因が、魏のどなたかの差金であろうと、それは大きな違いはない。その先がどうなったかは、あまり考えとうはないお話しです」
私もその想像をしたことがないとは言いません。おそらくそうなれば、今のような三国の秤は、大きく魏の方に傾いたでしょう。
何故でしょうか。荀攸殿、そして于禁殿や郝昭殿も、その一言に対して、何やら過剰に動揺しておいでです。呂蒙もそれを見て、少し探りを入れます。
「どうされました? 魏にて思い当たる動きでもおありでしたか? それとも、蜀漢の地で、どなたかの先読みでも目の当たりにされたか、その両方か……」
「まことに面白きお方。勘強き武人が勉学に励まれるとこうなるのですね。まあ魏にも蜀にも似たような方は増えて来ている気もしますね。
まさに両方です。前者は、確度の高い予測ですが、前例は多数ございますからなあの鉄面皮は。あの賈詡は、大きな相乗効果が見込まれる時は、後先を考えませんからな。すでに何かしらの毒牙が伸びていた可能性はあります。今はどうやらそれどころではない様子でしたが」
「まあ評判通りであれば、龐統を仕留めた後の動きとしては頷けますな。しかし、蜀の防諜網に引っかかり、さらに力を増した彼らの反攻にあって、以前よりも動けなくなっておいでなのかもしれません」
見て来たような言い方をする呂蒙。この言い方は、通例ではでたらめという悪い意味で使われます。しかし今回は、目の前で荀攸殿が箸を取り落としそうになるくらい、的確な推論、という意味です。
「その通りなのでしょうな。私と彼はあまり合わぬので、詳しく聞いてはおりませんが、まさに見たままを語られるような推測。こちらは驚かされ通しです。
後者もその通りですな。あちらでは『鳳雛の残滓』と呼んでいた、龐統殿の残していた多大なる資料。その中には、先ほど呂蒙殿が仰せになった予想の具体的な行き着く先、すなわち蜀漢と呉の敗亡までの道筋が明示されていました」
「それはもはや、蜀の上層の中では周知じゃ。一つ間違えればこうなる。こうならぬために一人一人がなすべきはなんぞ? それが皆の考えの芯となって、あの国の、いわば『二回り目の歴史』を積み上げておるのじゃ」
お嬢様の一言を聞いた時、私は頭に浮かんだままを返します。
「二回り目、ですね。ということは、このままではわれらや魏とて、周回遅れということにあいなりますな。まあ互いにそうならぬよう、すでに少しずつ手を進めてはおりますが、その『認識』のありとなしとでは、先の見通しも大いに違いましょう」
「まああれだ師父。とりあえず食おうや。それを差し置いて、今打てる手はなかろう」
まことに呂蒙らしい物言い、しかしこれこそが、我ら呉が、決して魏と蜀に負けることのないもの。
「ああ、その通りだ。食こそ命の源。衣食足りて栄辱を知るは、かの管仲の言。豊かなる江東、そして本来は豊かなれど、戦乱で荒れた荊州。この地を食物でみたすことこそ。全てを横に置いても優先すべき、我らが正義。荀攸殿、それが我らの答え。だからこその鍋です」
「この鍋、もてなし、一宿一飯差し出せぬ者に、義を語る力なし、ですか。
確かに中原や河北はもとより穀倉が枯れがち。何にしても食は江東頼みとなりましょう」
「平たく申し上げると、食を戦略物資にしてはならない。これが先代から引き継ぎし、我らの信条になります」
荀攸は少し考え込み、頷く。
「なれば、そこに関羽殿が納得された理由も同じであったと? 荊州の維持を粘ろうという構えをとき、すぐに譲られたのも」
「でしょうな。呉の食と海産、蜀の資材と書具、魏の法制と文化。これらは、いかにこの三分が続けども、流通を絶やしてはならぬのでしょう」
そして、呂蒙は、もう一人いる若者に話の中心を移そうとします。
「こやつは陸遜というのですが、まあ何をさせても当人は未熟未熟と申しながら飲み込みが早く、次代に大きく期待がかかっている若者です」
「陸遜と申します。未熟は事実ゆえ、意識せずとも口から出てしまうのです。それこそが未熟なのやもしれませんが」
「荀攸殿、やや唐突ですが、十年の計、百年の計、千年の計。それぞれなんだと考えますか?」
「十年は、いま困窮する者を救う計。百年は、次代、次時代にもつながる礎を築く計。千年は、その礎を永劫に育むための理をなす計、でしょうか」
「だはは! そのとおりです! 陸遜、どうだ?」
無茶な振り方と思うかもしれませんが、陸遜にとってはどうということはないと思われます。
「私は未熟ゆえ、荀攸様のように俯瞰的に考えることはできませんが、こと食に関しては私がすでに取り組んでおるものですので、お答えが可能と存じます。
十年の計は、土地を広げ水を治る術。そして民により良き技術を浸透させる術。それを学ばせるための読み書算術などの強化も、ここに相当させます。
百年の計は、その広がった土地をいかに痩せさせないか。そして同じ土地からいかに実りを増やすか。すなわち農法と、品種改良です。無論、より効率的な試験法なども、ここで立ち上げる必要がありましょう。
千年の計は、その日進月歩をいかに止めないか、が最大の要です。だとするならば、より豊かな、より良き食生活を人がもとむる気質を醸成し、必要な技術革新と制度更新を絶やさぬための方策。すなわち食文化の形成でございましょう。未熟ながら、こう言ったことと存じます」
「陸遜、お前やっぱりほっとくと最後まで喋るんだな。まあいいや。荀攸殿、如何でしょう?」
「お見事という他はございません。私の申したことが必要だったかどうかも定かではありませんが、最後は、食を文化となす、ですか。それが千年の計、とは恐れ入ります」
「皆が腹を満たしたい、と思っているときに、上が美味いもの食いたい、と思っているような国は、誰もついてこんのじゃ。せいぜい上手くて体に悪い物をたらふく食わされるか、酒や薬で味覚を狂わされるのが末路じゃ。
だが、民の皆が、より美味い者を食いたい、と思い始めたら、それはもう大いに前進を期待できる、まことに頼もしき大波となるのじゃ。それが文化というものじゃ。その力は、魏こそ知っておるはずじゃな」
「然り。書画の中に、これが趣ある物だと記されれば、人の価値はそう動いていきます。ならば、何を是とするかを定める立場のものが、しかとその文化の方向性を見定めねばならんのですね」
「ダハハ! その通りですぞ! だからこそ、この鍋をしっかり最後まで味わい、その上で最後の飯まで食い切る。まあ合わなければ文句を言っても構わねえ。そして最後に陸遜にご馳走様を言う。ここまでが食文化、の基本ってやつなんですよ」
「食文化、その大きさはしかと理解いたしました。もう少しお時間があるのでしたら、ぜひともお話を続けさせていただきたいと思います」
「ああ、そのつもりだぜ。陸遜はな。さっき言っていた十年と百年と千年、その全部をまるっと同時に推し進めていく、そんなやつだ。底知れねえんです
だからこいつは、二周目に手をかけ始めた、のかもしれねえって、皆がそう思い始めたんですよ」
「未熟にて、大変恐縮です」
お読みいただきありがとうございます。