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四十 評価 〜(荀攸+孫尚香)×魯粛=自覚?〜

 私は魯粛。呉の大都督ということになっています。気づけば先代の周公瑾殿よりも長く務めていることに気づくと、感慨深いような、何やら運命の天秤の殆うさも思い至るような、そんな心持ちがします。


 ここ襄陽の地を関羽殿が落とし、すぐに我らに譲り渡したのち、彼らは長安まで手中にしました。そして洛陽と合わせた三都はその三すくみを盤石な形で維持し、どの国も無理な進軍が出来なくなります。その結果、もはや大きな戦はあるまいと、民や商人、果ては将兵の一部すらも、割符を携えて行き来し始め、三都市や周辺の街は大いに賑わい始めます。


 私自身はこの変化に対して大した事を成していないことに、やや引っかかるものがあれども、以前のような胃の痛みはすっかり消えており、まだ相当な年月は生き延びることあいなりましょう。そしてその間に、時代の若き者らを育てていければよさそうです。



 む、何か来ます。馬から飛び降り放たれた、赤衣の矢。



「魯粛! 久しいの! 顔色がそなたの色ではないから遠目では分からなかったのじゃ。やはり心労というのは大毒なんじゃの。どっかの孔明は仕事し過ぎると快楽と捉えるのか、顔色が良くなるんじゃが、あれはまた違う病ぞ。こやつが荀攸じゃ。知らぬ仲ではあるまいの。こやつも魯粛色はすっかり消えておるのじゃ」


 ……先触れや書状? この方にそのような概念があるはずがございません。それに、顔色が悪いのを魯粛色とはなかなかご辛辣なことです。


「お嬢様、目標を見つけたら一直線は相変わらずですか。その顔色がよくなったはずの方は、息が上がって苦しそうな表情ですぞ。確かに私や呂蒙から、不吉な病の色はすっかり消えたというのが、陛下や華佗殿のお見立てですが」


「阿蒙は今はおらんのか? あやつも面白いからの。どちらかというとこちらの郝昭殿なんかと話が合いそうなんじゃが」


「本来は前線の新野太守ではありますが、さほどすることもないのでこちらにいる事も多いですね。彼の才なら、前線を守りつつ、こちらに来て新たな知識を取り入れるなど造作もないのです。なのでいずれ会えるかと」


 呉下の阿蒙。あやつが、先代孫策公の叱咤によって学びに目覚めてから、その才は呉の誰よりも強き輝きを見せています。師の私など、軽く凌ぐくらいには。

 懸念があるとすれば、軍略、策謀、政務の全てに才あるがゆえに、その全てに関わろうとする勤勉さ。そして、その勤勉を他者にも求めんとするその信条。薬が効きすぎた、とでもいうべきでしょうか。



「そうか、ならよいのじゃ。先にそなたじゃ。周瑜兄がうっかり命を縮めた後、呉の兵制を一手に引き受けたそなた。今の今に至るまで、その死因たる諸葛孔明への恨みの声が上がる国論を抑え込み、現状を作り上げたこと。よもや特に己が功無しとでも申すまいの?」


 

 この方は、孫尚香様は昔からこういうお方ですな。自らの主張をしたいのではなく、各人の思い込みや目の曇りを解くことに注力し、あとは何をするでもなく何処かへ行ってしまわれる。


「確かに数刻前に、さような思いをめぐらせておりましたな。この魯粛、軍略や智謀は先代の周公瑾に遠く及ばず、次代や、次々代の優れたものが育つまでの繋ぎ程度に心得ておりました所。まあ呂蒙も呂蒙で、やや自らが抱え込みすぎる傾向がありますので、私がいるうちは、あえて全てを任せる必要もないのでは、と考えてはおります」


「気持ちは分からんでもないのじゃ。周瑜兄は傑物じゃ。曹操が、己と劉玄徳のみが当代の英雄、と申しておったそうじゃが、もし我が夫が、『孫堅や孫策はいかがか』ではなく、『周瑜はいかがか』と問いかけておれば、曹操は三人目として首を縦に振ったかもしれん。そのやりとりがなかったのは、たんに劉玄徳の知識が華北に寄っていたからに過ぎんのじゃ」


「かの有名な『英雄談義』。今でこそ、この三国鼎立を読んだかのような曹操の先見を語り継がれていますが、確かに片手落ちの理由があるとすれば、そこが理由、なのですね」


「うむ。何もなきところから、江東の地を平定し、孫家を『呉』という国たらしめたのは、間違いなくあの方の力じゃ。あの『江東の二喬』たる才女の小喬姉様が、一目で惚れ込んで、全力で捕まえんとしていたのも頷けよう。その後も、江東平定や、赤壁の折など、それぞれの旦那が迷いそうな時は、本人すらその迷いに気づく前に、そっと背中を押しておいでだったのじゃ。妾のような、勝手にほっぽり出して突撃するのとは器が違うのじゃ」


「あなた様もたいがいですが、あのお二方も、単にお美しいというだけではなく、英雄を見る目、そして支える力、というのに傑出しておいででした。あの曹操が目をつけたのも、単に容貌だけのことではなかったのでしょう」


「まあうちの旦那も、最近は負けてはおらんがな。最初はどこのごろつきかと思っておったが、蜀を取り込まんとする途上から、また一段階も二段階も伸びたのじゃ。まあその話はよい。何にせよ、二張や文官の方々、先代や太史慈、甘寧と言った武勇に優れた方々も揃っておるが、あくまでも周公瑾あってこそのこの国の成り立ちよ」



「はい。そこに近づくことは、私も呂蒙も到底できかねるところです。一瞬の輝きであれば、呂蒙がその域に達することも叶いましょうが」


「……やはりこういう小難しい顔色の奴は、自分のことを省みるのは、どうしても不得手になりがちなのじゃ。なんなら、周公瑾の最大の功の一つが、半ば無理矢理にもそなたを巻き込んだことじゃと、妾は感じておるのじゃ。如何ですかの荀攸殿や?」



 ここまで滔々と私に語りかけて来ておいて、突如他国の方に振る、というのは、そういうことでしょうか。こういう方の、客観的なご意見を聞け、と。

 ただ単に、爆走して来たお嬢様に追いすがって、息を整えるまでの間をつないでいた、などと言った可能性もなくはないのですが。



「はぁ、はぁ……」


 どちらかわからなくなりました。


「……失礼。お目にかかったのは随分と前でしょうな。その頃もあなた様の才は、先帝魏武とて惜しんでおられた者。今や呉の大都督と言えば、魯粛殿をおいて他になき代名詞。よもやこれほど己に対する評価が低いとは。失礼ながら、ややお目が曇っておいでとしか申せませんな」


「正義、正道の探求者たる、荀攸殿にそう言われると、考え直す必要があるような気もして参りましたが……」


「かかかっ、妾では足りぬかえ? まあ妾もそのつもりで、この息も整わぬ『正道の君』に話を振ったのじゃがの」


 お嬢様もお人が悪い。やはり全てお見通しではないですか。


「まあ目が曇って、とは言い過ぎですね。少し前まで、その秤の平衡を保つため、文字通り身を削っておいでであったお二方からすれば、そこからある程度道が見え、落ち着いたところでこの襄陽という大役。息つく暇もないとはこのことではあります。顧みるなど二十年はしておられますまいて」


「かもしれませんな。ここに来るまで、ただただ必死に追い縋って来ただけやもしれません。商いをしていた頃は、やや飽きがくるほどの余裕すらあったこと、忘れかけておりました」



「でしょうな。ならば、今ならその余裕、多少はおありでしょうや。孫尚香様のお言葉を借りれば、そんな顔色、でございます。

 周瑜が当世の傑物たるは、魏武を含めて誰一人否やはありますまい。その才、言うなれば楽毅、呉起、韓信と並び称しても過分にあらず。なれど今私があげた三人の中に、成功者はどなたでしょうか? 末路はどなたも不幸であったのは本題ではありません。その後の『国』としての成功者でございます」


 しかと、本題はなにか、という面まで補足して、私に問いかける荀攸殿。この方も、『我が張良』と曹操に準えられた、年上の甥の荀彧殿亡き後、その穴を埋めるべく、その全てを学びとることに成功しておいでなのでしょう。


「その意味ならば、答えは韓信一つですね」


「然り。その心は?」


「韓信一人の功にあらず、国を形づくり、敵を圧する略を与えし張良、国を支え、糧を絶やさぬ道を作りし蕭何。その二人無くして漢という国なし」


「ならば、呉にて蕭何とは?」


「江東の二張。張昭殿と張紘殿」


「では聞きます。張良とは?」


「……」


「国の大計を支え、勝利の道筋を示しながらも、その成功を決して己の功として残さなかった者。単なる水賊退治という、何もなきところから、天下三分の一を手にした呉において、その役目を担った者とは?」



 ……これがその『探究者の問い』でございますか。お嬢様もにやついておいでです。ここで誤魔化す答えなど、持ち合わせてはおりません。が……


「どした魯粛よ? ここまですらすらと答えて来たのに、いきなり止まるとは。はよ答えんか? 妾が答えるか? にひひ」



「……いえ、それには及びません。その大役を、漢においては三英雄の筆頭は誰かとあげられて、百人がそう答えるだろう張良の役を果たした者。この魯粛こそがそうだと、仰せになるのでしょう」


「仰せも何も、その通りですからな。そもそも、この呉の国の正道、正義とは何ですか? 現帝たる孫仲謀様が先代や周瑜殿より言い含められ、しかと実施している、この国のあるべき姿とは?」


 何という整然とした論理か。逃げ道とてございませんな。


「この江東を守れ。長く、久しく。多くを求むるな。それこそが国の道にて、漢土復興への道筋である」


「かかかっ、荀攸殿に、呉の国の正義はなんぞ、と知らしめるために連れて来たのじゃが、逆に教えてもろうているではないか? 魯粛よ、胃痛は治ったのじゃから、次はその辺りの見直しも必要なのじゃぞい?」


「まことその通りですね。その正義こそが呉国の信条であれば、国を広げる英雄の周瑜殿、国を富ませる英雄の張昭殿。そこに対して、その信条そのものを表すのは、国を保つ雄。それは、この魯粛をおいて他におらなんだ、と言うことですか」


「左様じゃ。諸将の反対を押し切って、この妾まで送り込んで劉軍と組み、彼らを躍進させるに任せたのは何のためぞ? 周瑜殿が構想していた天下二分では、いずれその左右を決すときに、こちらに決めたが足りぬと見定めたのは誰ぞ?

 そして、その構想が一致していた、あのこざかしき傑物、諸葛孔明をけしかけ、その道を影から支えたのは誰ぞ?」


「それは全て、この魯粛が成したことでございます」



 荀攸殿、そしてお嬢様に完全に丸め込まれ、そして我がこれまでのありよう、そしてこれからも続けねばならぬこと『国の形を明らかにし、その国を末長く守る礎をなせ』。それこそ私に課された天命。そういうことでございますね。周瑜殿、孫策様。

 もしこの自覚が足りぬまま、私が私に対する役の重さを自覚せぬままであったなら。時代もその重さを少しずつ軽視しはじめ、無理な拡張や、賢しき権謀術数などにかまけ、その才がかえって国の命数を縮め、民への負担を高めていたやもしれません。その礎の要諦、しかと次代に引き継がねばなりませんが、少し整理には時がかかりそうです。


「にひひっ、魯粛よ、顔色がいろんな色になっているのじゃ。その辺りの整理は、まあゆっくりとかけてするが良い。この方とお話しする機会も、次代の若者らと語らう機会も、また何度も訪れようて」


「はい。承知いたしました。今後ともよろしくお願い致します」



 感慨に耽っていると、なにやらまた外が騒がしくなりました。こんどはあいつか。


「師父! 猪とって来た! そろそろお客さんが来そうな気がしたから、でっかいやつにしといたぞ! 今日はちと寒いし、猪鍋にすんぞ! いいか陸遜?」


「かしこまりました。白菜や豆腐を買ってまいります。新しき米も、そのしめにふさわしき。未熟な私なれど、その準備程度であれば抜かりありません」


「よし、まかせた! その間、わしはこのお客様とお話をさせてもらうぞ! お客様が誰なのかは知らんし、なんか予感がしただけなのだがな! ガハハ!」


 次代の傑物、呂蒙。そして彼がどこからか拾って来た、その次を担うであろう、誰よりもその底が知れぬ若者、陸遜。彼らがやたらと騒がしくやって来ました。

 お読みいただきありがとうございます。

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