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三十八 残滓 〜荀攸×(劉備+孔明+龐統)=仮定〜

 この荀攸が、于禁殿や郝昭とともに成都にたどり着いた所で、やや鮮烈なるお出迎えを受けた。それはこの南の地からさらに南に進んだ、南蛮の地に住まう方々。彼らはあの張飛殿との豪快な対峙もさることながら、自分たちへの影響がより大きかったのは、次代たる現帝の方だったと語る。だがなぜか私は、その次代殿とはあまりお話しすることはできないかもしれないとのこと。

 それはさておき、関羽殿や張飛殿の言及していた、この国を大きく変えることとなった理由の二翼、劉玄徳と諸葛孔明の変化。そして、『鳳雛の残滓』について、お二人自ら私にご説明いただけるとの事のようです。まずは、聞いていたのと比較して、大層血色のよろしい、やや大仰な文官衣装を身にまといし、今やこの国の『丞相』とされる、諸葛孔明殿が話を切り出す。


「荀攸殿、まずは事実確認とさせていただきます。いやなに、とくに含むものもなく、今更というところではありますが、念のためでございます。やはりあの龐統の命を奪った『落鳳坡』の『事故』は、そちら方の仕込みということでよろしいでしょうか? 具体的には賈詡殿あたりか」


「然り。それに関しては、当人より、まことに厚顔の極みたる伝言を申しつけられております。『策に善悪なく、悪は我にあり。かの凶刃がかえって両国の秤を逆に傾けた胡蝶の舞いを読みきれなんだ未熟を悔いこそすれ、為したことへの反省は毛頭なし』だそうです。あの憎らしきしたり顔が、目に浮かびます。

 何だこの無恥なら伝言を切り捨てんと思いましたが、この言い様が、この荀攸自身が皆様に向き合う際に、すこしでも負い目を減らさんという目論見が、寸毫ほど感じられましたので、黙殺すること能わず。まことに失礼をばいたしまして候」


「ふふふっ、何とも強烈なる、当代一の謀神殿です。身内がやられた方としては手放しに誉めることは出来んが、そこに関しては見事という他はございません」


「はぁぁ……まことに」



 続けて玄徳殿が語らい始めます。


「まあまあ、そこから話し始めねば、その『残滓』についても話を進められん故な。すまなんだ。そう。まさにあの日。我らの定めはある意味大きく変わったと言っても過言ではないのだ。無論、あの者の策謀がなく、龐統が命を長らえていたら、という『三つ目の分岐』は語るべくもないのだが、そこはまた後世の誰かが、似非なる講談話でも編み上げるのを待つしかなかろう」


「三つめ、ですか。となれば、今のこの世は、『二つ目』という捉え方をなさっておいでなのでしょうか?」


「そのとおりだ。その答えを持っていたのが『鳳雛の残滓』なのだよ。彼の死後ほどなくして、崖から落ちた当人の遺体は見つからなかったのだが、彼の持ち物は大半がそのまま見つかってな。それを見つけた兵や、その上官の馬良、そして駆けつけていた私や孔明らも、彼の持っていた物の意味を、まざまざと思い知らされることになったのだ」


「それは、そのときはまだ貴重といえた、四冊の紙の書籍、そして当人作と思われる、やたら分厚い一冊の分厚い手記でした。そちらは痛む前に、直ちに書き起こした三部にまとめております。お見せできるのは一部のみですが」


「一部のみでもお見せいただけるのですか。それはそれは何とも。この国の躍進の糸口となるならば、私のような他国に渡すべきではないと存じますが」


「まあ問題がない範囲、と答えておこう。そういう切り出し方をした、いわば外向け、と言えなくもない書籍よ。その前に、あとの四冊だがな。孫子、呉子、戦国策、韓非子であった。ちなみに竹簡で史記、礼記、書経といった、比較的手に入りやすいものも持ってはいたのだがな」


「なんとも当代の知恵者らしき組み合わせですが、他の三冊はいざしらず、韓非子というのが引っかかりますな。それに礼記や書経というのも、龐統殿が治世の方にも目を向けていたということが明らかですね。そして、儒だけでは見通しが立たぬ、という強烈な示唆も加わっております」


「ちなみに、その四冊の中では、韓非子がもっとも手垢がついていたよ。単に他の三冊が早々に彼の頭に入ったからなのかもしれんし、まことに気になっていたのかもしれんがな」


「それはそれは……つまりあの方は、たんに参軍の策士や乱世の知者としてのみならず、知性の指導者、後の世の求道者としての目線を、早くもお持ちであったということですね」


「はい。この孔明も、やや多忙にかまけて、かような道を求めるような学びを疎かにしていたことを、まざまざと思い知らされた次第です。無論、それらの書の多様さという間接的な示唆の全てよりも、後に残った当人の手記の方が、私に向けた啓示としては何倍も重たかったのではございますが」



「ではしばし時間をとり、それを見てもらうとしようか。我らはしばし休み、また戻って来ることにしよう」


「ありがとうございます。それではこの場にて拝読致したく存じます」


 私はその手記を手に取る。それはまさに、龐統が明確に『諸葛孔明』に当てた書状のような描かれ方をしていた。


 赤壁後に勢力を拡大し、さらに益州を望む陣営の管理体制、特に顕著だった、孔明一人への普段の集中。そして、この陣営最大の欠点は、その時には彼らの最大の美点にして原動力とも言えたでありましょう、勤勉と忠義という価値観を、また別の視点で捉えていたのです。それは、目的と手段のぶれやすさ、視野が狭まりがちな気質、そしてその二つが重なった時に、歯止めをかかられる者の少なさと弱さ。


 『だがそれは、誰かが俯瞰的に見ていれば解決する。それは龐統でも孔明でも良かったが、どちらか片方では、いずれもう片方が潰れることが目に見えていた。漢室再興は曹家の打倒に、そして勝敗へのこだわりやそれに必要な知勇に。一つ一つが正しくとも、全体が少しずつ歪む、一昔前の漢土や、孔明と会う前の三兄弟に、また近づく可能性。それを打破できるのは常に臥龍鳳雛の両輪のみ。それが最大の殆うさ』


 いつのまにやら、于禁殿が、後ろから覗き込んできていました。


「この龐統という御仁は、何もかもお見通しだったということですか。そして、あの『鉄面皮の謀神』殿も同じところに目をつけられた。だからこそ、まだ地位や価値が定まり、その方を守ることが優先される前の、このわずかな時を狙った、というわけですか。劉璋と我が陣営は、うっすらと繋がっていましたからな。彼らの道のりを誘導するように張任殿あたりに流すなど、賈詡殿や程昱殿ならずとも容易だったやもしれません」


「然り。彼らならば、それは容易に成し得たでしょう」




 その先は、衝撃というにふさわしい内容でした。先ほど玄徳殿が仰せであった『今の世は二つ目』の意味が、そっくりそのまま書き記されていたのです。ややかいつまんだ表現で流していきますが、それはもう克明に、この先々の予測がなされていました。


『益州は落とし、馬超は降るも、彼に往時の覇気はなく。続いて漢中を落とし、魏王と名乗った曹操に対抗して漢中王と名乗りをあげた皇叔。しかしそこが絶頂。その辺りも、そしてその先も、やや前がかりになった皆々様や、知略に富んだ人財の宝庫たる魏軍の面々を思えば、こうなるだろうことは予測は容易。

 荊北を狙う関羽様は、こちらに近しい魯粛の若死ののち、都督となった呂蒙率いる呉と、密かにつながった魏の奸計に囚われ、敗死。怒りの漢中王は呉に出陣するも、途上で張飛様が部下との諍いで寝首をかかれる。負担高き文官の法正様、馬良様を相次いで失い、夷陵にて新都督の陸遜率いる呉に大敗、黄忠様も失い、孔明に後事を託して崩御。

 孔明はなんとか呉と和解したのち、自ら南蛮を鎮圧、そして北伐にむけて出師するも、結果は推して知るべし。当人の生存中は互角に渡り合うも、過労で力尽きて後は、坂を転げ落ちるように滅びへと進む』



 ……まるで見て来たかのような『一つ目の未来』。なれど、不思議と得心があったかのような面持ちで、私と于禁殿が顔を見合わせます。そしてなぜでしょう。その未来ではは、私も于禁殿も早々に舞台を降りていたのではないかと、そして私自身が生きながらえているこの状態すらも、この『鳳雛の残滓』たる、『第二の未来』のなせる技なのかもしれない。そんなやや悪寒に近き予感と共に、その次を読み進めて参ります。




『だがもし、何かの形で少しでも孔明や、何人かへの負荷が減り、それぞれが俯瞰しつつ、その英傑たる皆々の本来の才を振るうに相応しい時と所をえる機が一つ二つと出てくれば。そうなれば、万が一、否、それなりに高き可能性で、この龐統があの魏の謀将達の毒牙にかかろうとも、孔明一人の手で、一歩また一歩と好転したかもしれない。

 さらにその好転からなんらかの気づきを得られるのは、孔明ならば自明なること。天下三分計の本義を思い出し、鶏肋なる荊州を手放して関張を保ち、蛮羌を慰撫して敵を一つに定めるなど、孔明なら造作なきこと。そして、孫子呉子、戦国策の要諦を見直し、儒と法の両立を見定めるくらい、孔明ならばたやすきこと。本来の孔明なら出来ようこと』


「これが龐統が生きていれば孔明に自ら語り、死しても何かしらで伝わりさえすればよかった内容。しかしそれが共にままならなかった未来が、先ほどの『第一の未来』ですか。なにしろ崖から落ちていますから、何一つ得られなかった未来すら、さほど薄い可能性ではなかったのやもしれませんぞ」


「むっ? まだ続きがかなりありますな。ここまででも十二分に伝わった気が致すのですが」


 いつのまにか、孔明殿が戻って来ておりました。


「ここまで読んで、私が願ったのは二つ。『もし龐統が生きていたら』。もう一つは、『もし龐統が、私が仕事にかまけて失いし、同じ時を費やして得た、彼のもつ古今東西に対する学びの術を、改めて私が受け継ぐことができたなら』でした。

 そして、それは我が身の怠惰、我が身の慢心、我が身の強欲と、我が身の嫉妬と、そう自制しながらも、少し先にそれに目を通していた『白眉』馬良に先を促されたのが、続きとなります」


『もし孔明が、そなたが仕事にかまけて失った学びの時を取り戻したい、この龐統が費やした時までも欲するは、それも欲と言えば欲であろう。しかし孔明、そなたの欲は、知、そして仁。

 高みを得、他を羨まずとも良くなるため。

 人が人を慈しみ、愛せる世をなさんため。

 腹を空かす子や民が出ぬ世を作らんため。

 限なき知を見据え、慢心の停滞なきため。

 多くを欲すを、留める必要なくさんため。

 周り見えぬ働きが続くを、是とせぬため。

 争い戦い、止まらぬ怒の輪を断たんため。

 その欲を、誰が悪となすものだろうか?』



 いつのまにか、この荀攸の目からは、涙が溢れ始めておりました。こんな煩悩と情念にまみれた正義があってたまるか、こんな自制と節度のかけらもない正道があろうか。必死に否定しようとも、この言葉は私の胸にも、はっきりと入り込んで参ります。


「なんという、剥き出しの欲に似た、それでいて仁と愛に満ちた正義、正道なのでしょうか。この鳳雛という方は、かような乱世において、まことに道を極めた先の、かような邪道なる正道を見出されたということなのですか」


「そのとおりですね。彼はもとより怠惰にして嫉妬深く、それでいて傲慢な物言いが自らの立身の妨げになっておりました。その煩悩まみれの彼だからこそたどり着いたこの境地。

 そのような情念の明らかに不足していた私孔明こそ、その奥底の情念から目を逸らしていたのやも。そんな考えすら浮かんで参ったのです。

 嫉妬を隠し、世への憤怒を小馬鹿にせんとす傲慢。

 色欲や食欲を覆い隠す、承認欲求に注がれし強欲。

 そして、働き続け必要な思考から目を逸らす怠惰」


「正義が何なのか分からなくもなってまいりましたが、自らを省み、そして見つめ直すだけの時と心の裕度を保たねば、その探求すらできぬというのは、一つの真理なのでしょうな」


「そして、この最後に書かれた『残滓』こそ、彼がその叡智と研鑽の全てを注いだ、『いかにして孔明がその欲をなすか』の術でございました。そしてそれがそのまま、この国の今の躍進の原動力でございます」



『そして孔明、私は限られたようで限りなき時を用い、そなたに我が学びの要諦の全てをお伝えすることとした。

 その要諦は、並のものならば、読み解くにかかる時は十倍、理解や集中の不足を補うにさらに十倍はかかるゆえ、一人が学びきるにはどうしても一生を使い果たす。

 なれど諸葛孔明。自ら管仲楽毅になぞらえながら、その実は張良や太公望ほどの才もありなんと、師や学友に思わせていたその知略の原石。

 その者ならば、常人に対して抜きん出た理解力、記憶力、機略、集中力、そして無私心を有するその者ならば、先ほどの倍率を割った値にて、すなわち、一年か二年ほどで、我が漢土や西方から集めし諸子百家、古今東西の蔵書の知識を全てを己がものに出来ると、可測的に算出できた。この五百冊はその者のために用意した。これは認識の齟齬ではない。諸葛孔明、あなたにその受け取る意志あらば、次にこの私が編み出した、速読速記の術と計画管理術。次にその集解たる三十を読み解き、その理解のもとで、五百の智をあまねく取り込むべし』



「なにやら最後は、智による力技が見え隠れ致しておりますな……」


「お試しになりますか?」


「いや、二十の書生ならまだしも、この歳では。なれど、これでおおよそ全てを解き明かせたような面持ちです。諸子百家の、そしてかの西方の学術も全て取り込み、この地の政に生かす術に返したとすると、その躍進は頷けます。そしてその根底のある正義、まさに見定めさせていただきました。

 この荀攸、此度の皆々様のご厚意、そしてこちらで得た物全てを持ち帰り、そして次代の若者に託すべく、節制と精進を重ねたく存じます」



 と、綺麗にまとまったはずだったのですが……


「誠に良き心がけじゃ荀攸殿! しかし、妾にはどうも、一つたりておらん気がするのじゃ」


「むむ、あなた様は、玄徳殿の奥方、孫尚香殿でしたでしょうか?」


「いかにも孫尚香じゃ。そして、其方が忘れているのはまさに我が故郷、呉の地のことよ! あの国にとて独自の正義、そして独自の匠があるのじゃ! すっかり健康を取り戻した様子じゃて、否やはないの? 少し休んだら、直ちに出立じゃぞ!」


 そうしてまた出て行かれました。あれが弓腰姫、ですか……まさに矢のようなお方です。

 お読みいただきありがとうございます。孫尚香がオチみたいになってしまいました。

 続きもお楽しみいただきつつ、評価やブックマークなどもいただけると大変ありがたく存じます。


 この弓腰姫様っぽいキャラや、荀攸っぽい正義オタク、そして国民全員の軍師AIを目指す、現代に転生したAI孔明の活躍を描いた並行作品も、毎日連載中です。こちらも合わせてよろしくお願いします。


AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜

https://ncode.syosetu.com/n0665jk/

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