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第七章 龐徳 おまけAI談義

二〇??年 某所


 私はAI孔明。今日も今日とて、卒業旅行の道中にも関わらず、三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。

 彼らの紡ぎあげるこの物語は、多くの部分を、AIの協力のもとで構成されています。アイデア出しやレビュー、考証などを多数実施しております。以下は、その主要な一端となりますので、様々な形でお役に立てればと存じます。

 匈奴や敦煌といった、彼ら自身にとっても、やや馴染みの薄いと言わざるを得ない土地や習俗で、どのような『そうする』が発生するのか、私AIとしても心が躍るところでございます。



――――


三十三 激戦 〜(徐晃+龐徳)×匈奴=行列?〜


「さ、三国志の作者、陳寿……この人の目線っていうのは、今のAIなら簡単に再現できるのです」


「史記を書いた司馬遷とかになってしまうと、また少しハードルが生まれるのかもしれないね」




Q1

 次はその、匈奴と対峙する龐徳らの場面です。その前段として、三国志をまとめたとされる陳寿の描く前段です。彼の目線としたら、おおよそ以下の記述は適切ですか?(本文略)


A1

 この記述は非常に適切で、陳寿の視点としても自然なものに思えます。以下の点が特に陳寿らしいと感じられるポイントです:


1. 匈奴の歴史的位置づけ 「史記」や「漢書」の引用的なニュアンス

 匈奴が侵略者として記録され、その対抗者が英雄視される一方、彼らに妥協した者が悪名を被った、という記述は、『史記』や『漢書』の歴史叙述の特徴をよく反映しています。このような過去の記録を引用する形で、自身の記述に深みを加えるのは陳寿らしいアプローチです。

2. 匈奴の衰退と鮮卑の台頭 時代背景の整理

 三国時代における匈奴の衰退と鮮卑の台頭を冷静に捉えつつ、魏国にとっての戦略的環境を簡潔にまとめています。特に、「鮮卑が匈奴の牽制役を果たしていた」という分析は、史実とも整合性が取れており、陳寿の史家としての視点を感じさせます。

3. 他国との対比 馬超や張飛との比較

 馬超が羌族との融和、張飛が南蛮族を懐柔した例を挙げ、魏の匈奴との関係がいかに異なる課題であるかを浮き彫りにしているのは、三国の状況を俯瞰的に捉える記述として効果的です。

4. 陳寿の「謙遜」的な記述スタイル 「この陳寿とて…解き明かせない」

 陳寿が史家として、未知の部分については断言を避ける謙遜的な態度を見せるのは、『三国志』の記述スタイルに忠実です。特に匈奴の戦闘民族としての本質や動機について「解き明かせない」と明記することで、後世に問いを投げかける形となり、読者に深く考えさせる効果があります。


 もしさらに深みを加えたい場合、以下を補足として考慮するのはいかがでしょうか:


 匈奴の文化的な要素(例:遊牧民の生活様式や戦争観)を簡潔に触れることで、戦い続ける背景を少しほのめかす。魏の具体的な対応策や、匈奴が魏にとって戦略的にどのような位置づけだったのかをもう少し具体的に描く。

 例:「彼らの戦争観や価値観については、遊牧という生活基盤に起因するものが多く、漢土の民とは根本的に異なる。馬を操る技術と、決して拠点に固執しない戦い方は、魏の将たちにとっても難敵であった。特にその動きが西方の交易路を脅かす際、魏の将たちはたびたびその対応に苦慮したと伝えられる。」

 全体としては、陳寿らしさを存分に感じさせる優れた記述だと思います。



補足案

 もし内容をさらに補強し、陳寿の語り口に近づけたい場合、以下のような追加や調整も検討できます。


文化的な背景を簡単に触れる

「匈奴の生活基盤は、遊牧と狩猟に根ざしており、馬を操る技術において漢族の兵を凌駕する者が多い。その戦争観は土地に執着せず、勝敗よりも名誉や伝統を重んじる性質があったとも言われる。このような性格が、長く彼らを漢土の脅威たらしめたのかもしれない。」


魏の対応策や戦略を補足

「魏は曹操の代より、匈奴を東西に分けて間接的な支配を行い、時には彼らを味方につけて異民族との戦いに利用することもあった。しかし、その支配が完全であったとは言い難い。匈奴は常に国境を脅かし、交易路や農村を荒らすことが多く、魏の軍勢を北へと引き寄せる一因となっていた。」


視点を少し広げる

「三国の均衡が保たれるこの時代にあっても、北方の脅威が消えたわけではない。匈奴、さらには鮮卑の動きが、時折この均衡を揺るがす一端を担うことがあったのだ。この陳寿が記す歴史は、三国の内乱だけでなく、北方の戦いにおける数々の英傑たちの活躍もまた、その一端を彩るものである。」


最終的な整合性

 匈奴を描写する際に、陳寿らしい「史家の分析」としての中立性が出ています。三国の武将(馬超、張飛)との対比も、魏の課題がより際立つ形で描かれています。読者に問いを投げかける結びの部分も、自然な形で三国志の主題に帰結しており、読み応えがあります。


全体評価

 現状の記述に、これらの補足や視点を加えると、匈奴と魏の関係がさらに鮮明になり、物語の重厚さが増すと感じます。もちろん、現在のままでも十分陳寿らしさを感じる記述です!



Q2

 そして次が、戦闘描写です(本文略)


A2

 *応答前に、下記の警告を受けました。戦闘描写のときは、これがついて来るリスクがあります。また、応答自体も、伝えてもいないネタバレをかまして来るので、適宜削減しています。


 このコンテンツは利用規定に違反している可能性があります。


 戦闘描写として、非常にユニークで面白い流れですね。以下のポイントで特に効果的だと感じます。


1. 匈奴の戦闘スタイルの特徴描写

「楽しそうにしか見えない」

 匈奴の騎兵たちが戦闘を遊びのように楽しんでいる描写は、彼らの異質さを強調し、読者に強い印象を与えます。特に「ヒャハハ」「キャハハ」といったセリフが、彼らの価値観や行動原理を浮き彫りにしています。

「一人ずつ挑んでくる」

 龐徳に次々と挑戦する匈奴の姿は、戦術的合理性よりも、個人の強さを確かめることに重点を置いている文化を感じさせます。


2. 龐徳や徐晃の反応

「敵わぬなら纏めてかかって来んか?」

 龐徳が彼らの行動を理解できずに戸惑う描写が、匈奴の異質さをさらに引き立てています。同時に、龐徳自身の真面目で正面突破を好む性格も感じられます。


徐晃の「見慣れた光景」

 徐晃が匈奴の行動をある程度理解しつつも、諦め混じりに対応しているのが対照的です。戦場での経験値がある分、冷静に「追いきれない」と割り切っているところも魅力的です。


3. 匈奴の呼び名と個性

「ジョコ」「ホット」「バチョ」

 匈奴側の適当な呼び方が、彼らの価値観や文化を暗示します。相手の名前を呼ぶことで敬意や秩序を表す漢文化との対比が際立ちます。


「ホットは強えから一人ずつだ!」

 こうしたセリフが、彼らが「強者との個別の勝負」に価値を置いている文化を象徴しています。


4. 「法螺貝の音」と撤退の描写

潔い撤退

 暗くなると法螺貝で散り退いていく匈奴の様子が、彼らの統率力や独自の規律を感じさせます。同時に、「追撃できない」という状況が、魏軍にとっての苛立ちや無力感を強調しています。


「落馬した者もいつのまにか姿を消している」

 匈奴のしたたかさや生存能力の高さを暗示しており、彼らの脅威がただの蛮勇だけでないことを示しています。



――――


三十四 敦煌 〜(関平+鄧艾)×(姜維+馬超)=混沌?〜


「孔明は、少しストーリーに甘さが




Q1

 その辺りの要素をを踏まえながら、続きを書いてみました(本文略)


A1

 *おそらく、初稿が分かりにくい時の反応と見られます。バンバン補足や追加を、例文つきで提案して来ます。大半の場合、例文がキャラをしっかりとらえて来るのがおそろしいです。


 とても良い展開ですね!敦煌という「混沌の古都」を象徴的に描きつつ、各キャラクターの個性を活かしたやり取りが、軽妙ながら深みを持っています。以下、いくつかの観点からの補足や微調整案を提示します。



1. 馬超と鄧艾のやり取りの補強

馬超の自由奔放さと鄧艾の朴訥さの対比は魅力的なので、この掛け合いをさらに生き生きとさせる工夫を加えるのもよいかもしれません。


馬超が笑いながら肩を叩く。


「こことんとんとんこう? おい鄧艾、それは混沌どころか平和すぎるぞ!」


鄧艾が小さく肩をすくめて答える。


「へへっ、混沌という言葉は、私の語彙にはまだ少し、重たくて……それで父の肩を叩くような音に逃げた次第で」


姜維が鋭いツッコミを入れる。


「語彙に重たいも軽いもあるか! 言葉の使い方が混沌としているのはそなたではないか?」


「そ、そうですか? で、では混沌を少し軽めに、敦煌と……」


馬超が大声で笑い出す。


「ハッハッハ! そいつは良い! 混沌を軽くするために敦煌を使うとは! さすがだ、鄧艾! お前はどこまでも面白い男だな!」



2. 費禕への期待感の強調

「混沌を活用する」という役割を与える形で、費禕の登場への期待感をより煽るのも良いでしょう。


姜維が真顔で補足する。


「……ただ、混沌をそのまま活用するのは、容易いことではありません。普通の者なら振り回されて終わる。ですが、費禕殿のような方なら、混沌を逆手に取ることができるでしょう」


関平が頷きながら言葉を継ぐ。


「おっしゃる通りです。費禕殿は混乱の中でも理を見出し、場を整えつつも乱れを許すという、不思議な采配をされますからな」


馬超が腕を組んで口を尖らせる。


「へぇ、混乱を整えつつ乱れも許す? そりゃますます楽しみだな。どんな采配を見せてくれるのか、俺もこの目で確かめたくなってきたぜ!」



3. 張任の「存在感の薄さ」を逆手に取る

張任の無言キャラが、逆に「いるだけで確実に何かをこなしている」ことをほのめかす演出も良さそうです。


馬超が後ろを振り返り、張任の姿に気づいて肩をすくめる。


「ダハハ、ほんとだ。いたのかよ! あんたが黙っているときゃ、大抵何か考え事してるときだよな?」


張任が無表情で軽く頷く。


「必要があれば申し出るだけです。それ以外に声を出す意味はありません」


姜維が苦笑いする。


「それが張任殿の流儀ですね。ですが、この隊の混沌っぷりを支えるのは、張任殿の黙々とした仕事あってのことですから」


馬超が大笑いしながら張任の肩を叩く。


「そりゃそうだ! だがまあ、今は確認だけ頼むわ! 何か抜けがあったらお前が一番に気づくはずだからな!」


張任が一言だけ返す。


「心得た」


4. 次へのつながり

 この場面を締めくくる際に、「敦煌でどんな変化を起こすか」を示唆する一言を加えると、次への期待感が高まります。


馬超が空を見上げて呟く。


「混沌の古都、敦煌、か……面白そうじゃねぇか。俺たちがどう足跡を残すか、この砂漠の神様に見せつけてやろうぜ!」


鄧艾が小さく呟く。


「きっと、足跡はすぐに砂に埋もれても、そこから新しい道が生まれるかもしれませんね」


姜維が横目で鄧艾を見ながら微笑む。


「それが羅馬への一歩目だとでも言いたいのか?」


鄧艾が微かに頷き、言葉を返す。


「ひ、ひょっとしたら、そうかもしれませんね」


全体として、キャラクターの個性を引き立たせながら、混沌をテーマにした展開が進んでいきますね。続きも楽しみにしています!



Q2

 民の喧騒を見ていて、敦煌がどのような状況になっているかは、なんとなくわかりますか?


A2

現状の描写から、敦煌の状況は次のように推測できます。


敦煌の現状:混沌の中心にある秩序

創作と議論の熱狂的中心地

 民の会話から、「発想」「感慨」「筋」「一騎打ち」「臨場感」「角度」など、創作や物語に関する言葉が頻出している。これは、敦煌が単なる交易地を超え、文化や芸術の議論、そして創作活動が盛んな土地となっていることを示唆しています。

 考えられる背景: 流刑地や辺境という特殊な環境が、既存の権威や価値観から解放された自由な議論を可能にしている。

 具体例: 限られた資源(紙や筆記具)を巡り、どの創作に優先して使うべきかを熱く議論する光景。

 紙や筆記具に対する異様な反応は、敦煌が物資的に豊かでない一方で、知的・文化的活動への飢えが極めて強いことを表している。物資の価値が高騰し、「紙様」という形で物資そのものに神格的な価値を与えるほどの状況。


秩序なき繁栄:議論が統制を欠いている

 民が自由に意見を述べ、熱狂的に議論を交わしているが、それがまとまりや方向性を欠いている様子。

 例: 絵を描く資源の優先順位を巡る罵り合いなど、混沌とした議論。

 仮説: 各々が自由を謳歌しながらも、根底には共通の価値観やルールが潜在している可能性。


関平たちが感じる「異質さ」

熱狂の異質性

 他の都市にはない「熱気」や「異質さ」を関平が感じていることから、敦煌は漢土の伝統的な価値観から完全に解放された、独自の文化を持つ都市といえる。

この異質さは、敦煌が「混沌」に見える一方で、何らかの秩序(議論のテーマや共通の目的)を内包している可能性を暗示している。

創作の中心地への進化の兆し

 関平たちはまだ気づいていないが、敦煌は漢土の文化圏を超えて、東西の文化や思想が混ざり合う創作の「実験場」になっているのかもしれません。


推測される敦煌の特徴

「境界」や「異文化交流」の象徴

 敦煌は、漢土の秩序から解き放たれた文化的・思想的な「境界」として機能している。この混沌さが、新たな価値観や創造力の源泉となっている。

制約が創造性を促進

 資源不足や辺境ゆえの孤立が、既存の価値観に囚われない自由な思考を促進し、創造性を高めている。

近代的な「知的サロン」のような機能

 各地の思想家、芸術家、商人、あるいは流刑となった知識人が集まり、議論や創作を行う知的な中心地になっている可能性。


関平たちの視点からの問題点

「何が議論の中心か分からない」

 議論や喧騒が激しく、どれも重要そうに見えるが、その全体像が掴めない。

「秩序がないように見える」

 まとまりのない状況が、初見の関平たちには単なる混乱に映っている。

「何が真の価値か分からない」

 例えば紙や筆記具への過剰な執着が、これが単なる熱狂なのか、それとも本質的な何かを象徴しているのかが不明。


次への繋がり方

 費禕や鄧艾が敦煌の混沌に潜む秩序や本質的な価値を解き明かし始めることで、敦煌の状況が徐々に明らかになる。

 この混沌が、蜀漢、あるいは三国全体の未来に何らかの影響を及ぼす可能性があることを示唆して、次話に繋げると良いでしょう。

 お読みいただきありがとうございます。

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