三十六 楽市 〜(鄧艾+姜維+費禕)×敦煌=新街?〜
あたしは蔡琰。文姫っていう字名らしきものもあるけど、最近じゃ使わなくなったね。年は四十半ばだよ。ちとババアっぽく聞こえんのは、男どもに舐められないためさ。最近はめっきり戦が減って来て、この裏が見える通行証さえあれば、洛陽からこんなとこまで自由に往来できるんだよ。便利な世になったもんだろ。どこにいるのかって? 砂漠の街、閉ざされた楽園、開かれた牢獄、敦煌って街さ。
久しぶりにきてみたら、この街ゃ相変わらず面白いね。あたしの蔡っていう姓は、あの紙を作ったっていう蔡倫様とは直接関係ないんだがね。この街はやたらと創作意欲の高い子たちが集まっているせいで、紙というものに対する敬意が天井知らずなのさ。多くの子たちが紙に様づけして、紙様なんて言っているんだよ。
そのあおりで、蔡の名をもつ私までも、若い時からやたらと持ち上げられてね。調子に乗っていろいろ琴だの詩だの講談だのってかましていたら、いつのまにか「お頭」「姫様」それが混ざった「お頭姫様」の連呼が始まっていたよ。
あたしの話はどうでもいいんだよ。今この街は、かつてない熱狂で沸き返っているんだ。少し前に、三国並び立つ形でこの国に三人の皇帝が立った後、その西の一角の蜀漢では、物書きに対する技が急にのび、特に紙は、これまでと比較にならない量が産み出され始めた。そのおこぼれがここまで届き始めると、ここの子らは、現帝の劉禅様や、関係者の白眉様なんかを盛大に崇め始めたもんさ。
そして、その多量の紙と共に、特殊な鉄筆と、油墨ってやつが届いたから、もうお祭り騒ぎはとまらないね。その持ち込みの中心にいた関平、姜維、トトーガイ。あ、こいつはどもったせいで名前が変わっちまったんだがね。そして、後から来た費禕っていう若い四人が、これからこの地に何をもたらし、そして何を得てここから旅立つのか、今から楽しみだよ。
何日か経って、喧騒もようやく落ち着いて来たころ、あたしと、この街の管理者で英雄の血筋、班と霍の二人は、彼ら四人と話し始めた。といってもこの二人はほとんど喋らんのと、関平も若い三人を見守っているから、結局三人と私が喋っているだけさね。まともに喋れないくせによく喋るトトーガイ、頭いいくせにあまり喋らない費禕、二人を論理的にまとめ上げる姜維。なかなかいい天秤の塩梅ではあるのだが、ちょいと耳を離すと置いて行かれるんだよ。
「こここの街は、大事な街。ま守るべき街。守りやすい街」
「絹の道の一宿駅という地位を超え、東西の創作文化の中心たるのであれば、その灯を絶やすべきではありません」
「説明不足もはなはだしいが、意図は同意だ。この街の文化は単に独自なだけではない。この地のありようをどう整備していけるかが、後世にも大きな違いを与えそうだ。
肥沃なわけでも、資源などの戦略的価値があるわけでもなく、大きな戦乱に巻き込まれる可能性は低いだろう。だが、この街のありようを守るというのは、外敵から守るだけでは足りんかもしれないぞ」
「いつの間にやら、この街がどうあるべきかっていう話になっているんだね。それはそれでありがたいが、今のままでもある程度やっていけてそうなんじゃあないかい?」
こんな議論が勝手に始まってくれるというのなら、その灯は絶やすべきじゃあなさそうだね。頼もしい限りだよ。
「お往来が増えて、ただ開かれれば、行先は普通の街。と閉ざされたままは、仮初の楽園。その先は遺跡」
「街が街のありようを変えずに、安定と持続的成長を両立する。できますか?」
「ここの街どんな街、み、皆がそれをしかと胸に定める? そ、それなら不文律、明文律、できる?」
「創作の街。皆の自由? な発想を守るため、住民や往来者が守るべき心得を作るのが必要ですか?」
「鄧艾も費禕も、場の全員が話に着いて来れそうだと、安心して話をかっ飛ばすんだな。まあ悪いとは言わんが、外でそれやると誰もついて来んからな」
「も問題ない。か、形にしたらみんな分かる」
「心得、飯の種、成長の糧、守りの要。この辺りでしょうか」
「原則でいうと、衣食足りて礼節を知るというところを踏まえれば、順番は飯、心得、成長、守りの順に論じていくのだろうが。だがこの場は、それが当てはまるのか?」
「め飯は大事。でも、の農作やぼ牧畜は困難。どうやって食っている、ますか? 姫様?」
いきなり私に振るのかいトトーガイ。まあいいだろう。
「今は、遊牧民や、外の商人たちが勝手に持って来てくれるので、足りてはいるね。これ以上大きくなると殆ういのと、対価は常に考えなきゃならんけどね」
「対価。価値。資源はありません。商魂は感じられませんので、あるとすれば、創作に対する対価、でしょうか?」
「その通りさ。物語や絵、歌舞や劇。そんな者を見に来ては、その対価として金銭や食糧、生活用品を置いてきつつ、次の商いや遊牧を続けるのが、ここをとある物たちのありようさね」
「きょ虚構の作が外に出るのは、殆うい? ことがある?」
「ん? どういうことだいトトーガイ?」
「へへぇ、し史書の実と、そ創作の虚。それが同時に世に広まると、真を判断できない者がふえるかも。それは、く国が敵になる危険、です」
「つまり、歴史を定めるのは国であり、実なる知識を定めるのは技術者である。その原則をかき乱すような創作が現れることは、情報の一義性を損ね、ひいては権力者による制裁を向けられる恐れがある、か」
なるほどね。この街の価値と、その裏に潜む殆うさを、皆が理解したか。確かにこのままじゃ、立ち行かなくなって消えるか、ある世の権力者に焼き払わられるか、はたまた特徴を失って普通の街になるか、そういう未来の可能性の方が高まりそうなのさ。
もしかしたら、焼かれるその直前に、一部の創作だけでも壁の内に深く埋め込んだりするかもしれないね。そうして、さらに後世の人がその書群を掘り返して、その大変な歴史価値に感嘆するかもしれない。でもそれは、当世にとっちゃあ少なくとも悲劇と閉塞でしかないんだよ。
だが彼らなら、この若者たちなら、何かを変えてくれるんじゃあないか? そう思えて来たんだよ。まあ多少のわかりづらさは仕方ないさ。このオバサンを放っておくのは、この街を救う気概に免じて許してやるよ。
「著作に、一次と二次をなす?」
「費禕、それはさすがに意味がわからない」
ああ、さすが姜維だ。こいつは別に当人が分からないわけじゃあ無いんだろうさ。でもここは核心さね。だからこそ、ちゃんと本人に言葉を尽くして説明させる。その必要があると判断した。それを促す意味での、わからない。なんだろうね。
「失礼。著作や創作に対して、明確に原典と、二次創作を分けるのです。しかし、おそらくこの地の熱気や活気、後世にも連なるでしょう価値の根源は、原典の方ではなく、そちらの二次創作の方にこそあるのでは、と私は感じています」
「にに二次が、強い、面白い。でもそれが、危ない?」
「でしょうね。だからこそ、その二次を、この敦煌という『防壁』あるいは、誤解を恐れずに言えば『監獄』で閉ざし、守ってしまうのは如何でしょう?」
「い一次と、に二次を、世の外と中で分ける? げ原典と認められる書は外に出られる。そうでないに二次は、壁から出られない。でも外に出ないことで、外に力を負けないから守られる。面白い」
……ああ、面白いね。現実と虚構の境を乱したり、原典の権威を損ねたりする恐れのある二次創作は、この街から出さず、この街の中だけで管理する。それができてしまえば、外からは『そういう街だ』と認識され、権力者や原典作者から睨まれることもなくない。そして、その壁が二次としての強さを保ちつつ、街としてもその価値を保って高めるというわけだね。
「管理は、そうですね。作品の優劣や、史実から創作かという側面などは全て廃し、原点か二次創作かだけを判断基準として、ここから生まれる著作を二つに分ける。全ての二次著作に、その原典の意味をなす『法正号』を押せば良いかと。無論、二次の二次とて同じ扱いができます」
「かか壁の外で、に二次創作が生まれたらどうする? そ、そいつらはほっとく? や、焼かれる? し、始皇は焼いたぞ。物狂いでもなく焼いたぞ。歴史や原作が二つは争いの元になるぞ」
「世がある程度平らかであれば、それは同じようにこの地に収めるという選択を与えることができましょう。荒れていたら難しいでしょうが、それは致し方ありますまい」
「二次創作は、未来永劫二次のままで良いのか? たとえば、鄧艾が目にした三国の歴史。あれは物語や講談として、外の世に出す価値が生まれることもありそうだが」
「原典の著作者が認めた場合。著作者が死したのち、歴史や原典価値を損なう殆うさがないと判断した時のみ、その原典を明示した形での、原典への昇格を認めるのも良いかもしれません。その認定は厳密に定める必要がありますが」
「よい。二次も、外に出られる可能性があるのはよい」
「原典と、その純粋な複製のみが、外の世で回ることができ、二次創作はこの獄の中だけで輝きを放てる。そうすることで、この街の価値は永劫に維持し、この街にしかない輝きは、世を照らし続けることができるのではないでしょうか?」
方向性が定まったのではないか? さすがはこの三人だね。ちゃんと話し始めると、姜維がいちいちまとめなくても、しっかりと課題を洗い出して、議論を見定めてくれる。
でも、荒っぽかった前半は前半で必要だったんだろうよ。雲を掴むような時には、とっ散らかった二人と、制御する一人。ある程度整って来たら、それぞれ己らが意見を管理して、自律的に論を進める。そんときゃ姜維もまとめ役の任を外れ、いち意見者に回る、か。
出来上がりそうな街の仕組みも面白いが、この子らの論の進め方も、なんだか楽曲のような面白さを感じるよ。あとで歌にでもしておこうかね。
「費禕。この原則は、しかと明文にすべき物だ。そなた、その明文の礎をつくれるか? 明文法の叩き台なら、そこのどもりよりもそなたが適任だ。できた者を、こいつや私、蔡琰様や、皆様の視点でしかと確認する。
まあ呂不韋のごとく、一字も直す必要のない法を作ってもらっても構わないがな。そなたならできてしまうかもしれん」
「承った。話すのは疲れたので黙ってつくる」
「アハハ! 費禕はよほど頑張って喋っていたんだね。喋り好きのどもりの、トトーガイといい組み合わせだよ。そしたら少しばかり、出来上がるのをまつとするかね。
費禕、根詰めるんじゃないよ。ちゃんと食って寝るんだよ。時間はたっぷりあるんだ」
「かしこまりました」
その後費禕は、たっぷり七日かけて、一言も言葉を発することなく、この敦煌という地どころか、著作というもの全てに対する権限の所在を明らかにする法を作り上げた。それは、二次創作の聖地としてのこの敦煌の地位を確立するだけでなく、史実や創作、巧拙の別なく、原典の有無のみによって著作物が分たれるという大原則を、この大陸中に広がることとなる。
そしてその有無を明示する『法正号』とともに、『費禕の黙法』は大陸中にその名を轟かせることになるのは少し先の話さ。
――桃園の三雄 名を剣に響かせ
敦煌の三雛 論を筆に宿す
混沌の砂塵 舞わす羌の踊
開明の黙法 天に紙を掲げる――
――――
二〇??年 某所
「敦煌文書が、鳳さんの想像力と化学反応を起こすと、こうなるんだね」
「まさかあんなところに、オタクの聖地が爆誕しちまうとはな」
「仕方ないのです。文字や文書がメインテーマとなって進むこの話の中で、著作権問題は避けて通れません。ついでにオタク的な役得は、権利としてはトントンです」
『皆様がこの旅程に敦煌をお選びになるのかはご随意にしていただいて良いかと思いますが、現代はそのような聖地にはなっておりませんので、ご期待には添えぬかと存じます』
「そりゃそうだ。それにしても、最近は孔明どころか、その転生した『鳳雛の残滓』すらなかなか出てこなくなっちまったぞ。ちょっとどもっているトトーガイに持ってかれちまってねぇか?」
「鳳さんもちょっとどもるから、そっちにキャラがひっぱられているのかな?」
「だ、大丈夫です。そろそろ荀攸さんも成都に着く頃だと思います。孔明はともかく、小雛ちゃんは、しっかりと巻き込まれてくれるはずです」
「「孔明……」」
お読みいただきありがとうございます。続きもお楽しみいただきつつ、評価やブックマークなどもいただけると大変ありがたく存じます。
敦煌に寄るかは分かりませんが、彼ら三人だけでなく、国民全員の軍師AIを目指す、現代に転生した孔明の活躍を描いた並行作品も、毎日連載中です。こちらも合わせてよろしくお願いします。
AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜
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