三十五 蔡琰 〜(と鄧艾+姜維+費禕)×敦煌=祭典?〜
私は姜維。治世に相応しい信条を見極めんとする関平殿、そしてその志に共鳴し、西の異文化を見にいくと言い出したとんでもない若者の鄧艾と共に、『閉ざされた繁栄の都』敦煌に足を踏み入れたのが先ほどのこと。
その瞬間から目の前で繰り広げられたのは、まさに混沌という他はない熱気。至る所で喧嘩一歩手前の口論や、複数人が地面にに何かを書き消しつつ議論。奇妙な衣装をまとって歌い踊る男女とている。
そして、私達が交易品として多量の紙を抱えていることが伝わった瞬間、その方向を持たない混沌の渦は、一点へと向かいくる怒涛の波へと姿を変える。そう、私達に向かって来るのだ。ほうぼうから、「神様」、否、「紙様」と叫ぶ声が聞こえる、そんな怒涛を、私は半ば力ずくで押し留める。まあ敵意はないのだろう。そんな声音だ。だから私はこう叫ぶ。
「紙なら沢山ある! 孔明記具や炭筆、砂盤や布とて数は揃えた! 欲しければ大人しく隊伍をなせ! 列を乱す者、過度に騒ぎ立てる者にはやらんぞ! 三つ数えるまでに落ち着くのだ! 三、二、一!」
喧騒、怒涛は、三を数える間に、ぴたりと止み、何となく整った列が作られる。
……混沌の中に、秩序? なんだこれは? もしや、ここに住まう者達には、何らかの共通理解が備わっているというのだろうか? だとすると……
「よし、落ち着いたか。我こそは馬超様の士官、姜維! こたびはかの昭烈帝の義弟、関雲長様の養子である、関平殿に従いて、ここよりさらに西方に向かい、漢人と異なる文化、価値を持つ者らを見聞きするために、まずはこの敦煌に参った次第!
そこで皆に聞きたい! この敦煌にて、皆の敬愛を集め、この街の今の様子を良く語り、この敦煌の行く末を伺うにふさわしきお方はご存知か!?」
「班様?」
「霍様?」
「あの二人は口下手だぞ」
「お頭?」
「蔡姉様?」
「お頭姫様?」
「「「お頭!」」」
「「「姫様!」」」
どうやら複数人いるようだが、なんとなく一方向? 二方向? に、集まって来たようだ。その時、やや大振りな琴の音が鳴り響く。
――光の中を行くは船の帆、
波を分け、歌う者は彼岸に眠る。
彼らの名を、誰が記すか――
波を分かるかのように、人の列が中央から分たれる。その先には、砂漠に映える青い衣を身にまとった女性の姿。
琴は鳴り止み、女性はゆっくりとこちらへ向かって来る。群衆は沈みかえりつつ、時折「お頭!」「姫様!」という声が聞こえる。なるほど、あの二つは同一か。そして、あの方はまさか……
「もしや、蔡文姫様、いえ、流儀はこちらがお好みか。蔡琰様でございましょうか?」
「ああ、姜維と言ったね。いかにも蔡琰だよ。この街はあたしの心を揺さぶって止まないもんでね。幸い、匈奴を通らなくても、長安や涼を通って来られるようになったと聞いて、久しぶりに来ていたのさ。
そしたらなんだいこいつら。まあ姫って柄じゃあないのは解るが、お頭って。私が面白がって放っておいたらすっかり広まっちまったよ」
「「「お頭!!」」」「「「姫様!!」」」「「「お頭姫様!!」」」ワー! ワー! キャー!
蔡琰様は群衆に向けて手をふり、そして手を下げると、彼らも大人しくなる。
すると先ほどから、正確にいうと、この方が歌い始めた頃からか、やたらとうずうずした様子を見せる鄧艾が、いきなり叫ぶ。
「ほほホメロス? イリアス!?」
……何語だ?
「アッハハ! よく分かったね! なんだいこの子は。あっちの血じゃあなさそうだから、蜀漢の国にゃそんな蔵書まであるのかい? にしてもすごいね! 若いのに感心だよ!
ありゃあ確かに、西方から来ていた叙事詩『イリアス』から場面を借りて、即興で誦じたものさ。ほれ、この子らも、詩を書いて、スーッと道を開けてくれたもんだ。まあこの場面なら他にもふさわしい詩はあったけれどね。あっちは少し堅苦しいからやめといたのさ」
「も、モーゼ?」
「博学だねこの子。こういう友や部下は大事にするんだよ姜維、関平。名はなんていうんだい?」
「と鄧艾、です」
「トトーガイ? 変な名前だね。でも覚えやすいや」
「「「トトーガイ? トトーガイ!」」」
「あっ、まずい。鄧艾です。こいつどもるので」
「あー、手遅れかもしれないねぇ。まあいいんじゃないか。アハハ! 覚えてもらうのは大事だよ」
「「「カンぺー! キョーイ! トトーガイ!」」」
ワーワー!
トトーガイは固定されそうだ。本人もきょろきょろしているが、さほど嫌がる様子はないから問題なさそうだ。
「アハハ! どうやら受け入れてもらえたようだね。
そしたら姜維、トトーガイ、この町をどう見るね? あんたらの目と頭は、すでにおおよそ、ここの状況を捉えられているんじゃあないかい?」
確かに、最初は面食ったり、これまでの戦場とは種類の違う熱気だったことも重なったり、さほど周りがみえなんだ。だがだいぶ落ち着いたところで、考える余地が生まれた。だが私の隣には、考える前に喋り出すどもりがいる。
「紙……様? かか紙への執着、書きものへの執着。先ほども紙で喧嘩していました、です」
「……そうだな。彼らの価値の中に、ものを書くというのが、相当な上位にあるのは間違いない。紙をその最上位に崇めるくらいにはな。そして、おそらくだが、人が書いたものを読むのもまた、彼らの価値のうちにあるのではないかとみている」
「おおお前の書いたのはなんだかんだ、と論じてた、です。これは、かか漢土とは少しだけ違うかも、です。
か漢土は、誰が書いたか、が、大きいす。史書や教典。詩文や兵書も、原典にたいして、注釈も含めて誰がやった、です。春秋左氏伝や、孟徳新書など、です」
「そうか。ここだと、誰が書いたかなんて、たいして気にしていないのか? 何か書いてあったら兎にも角にも読んで、それから論じる。だとすると、とんでもない数の紙や筆具が必要にならないか?」
「ああそうさ。さすがだね君たち。あたしが見込んだ通り、いやそれ以上だよ。この子らが何を欲しているのか、まずはそこから見定めるんだね。そしてそれを何となく知っていたから、まずはここに紙を持って来たというんだろ? どっちだ? トトーガイか?」
それは確かにトト、鄧艾だな。
「そうですね。こいつの下調べの成果です。ですが、なぜそれを欲しているかまでは、調べがついていなかったのが正直なところですね」
「そうかそうか。ん? トトーガイどこ行った?」
あいつめ、街中なら迷子になって構わないと言った覚えは無いんだが……
「なな何書いてる? おお、赤壁? ここ孔明様が妖術で風を操っているのか」
「トトーガイ、オレのも読むか?」
「へへっ、なんだ? おお、呂布と董卓が一人の女を争って……むむむ」
「鄧艾! 何をしている! あ、いや、まあいいや。しばらく放っておこう。言いたいことあったらそこから叫べ!」
「きょ姜維! こいつら、し司書やく口伝になんか足して書いてる! 面白え!」
司書に書き足し……虚構か?
「虚構と思うかい?」
「あ、いや、確かに虚構といえば虚構なのですが。しかし司書の原典であっても、分からぬところを想像や推測で補完すること、現王朝に都合の悪いところは書き換えることなどはいくらでも耳に致します。
ならば、極論をすれば、人の想像の数だけ司書があることに、異を唱えることこそ傲慢なのでしょうか? 物を騙る。いえ、皆で物を語る。物語、とでも申せば良いのでしょうか?」
「アハハ、いいね! 物語か! 虚構や虚伝なんかよりも、この子達のやりたい事をしっかりと表現しているんじゃないか? どうだい皆んな?」
「「「物語!!」」」「「「キョーイ!!」」」
「「「語り手、キョーイ!!」」」
「語り手、か……まあ確かに、この先はるか西に向かうのに、我らは物をただ聞くだけでは、その価値を存分に見出すことは出来ぬのかもしれませんね。それに鄧艾は見ての通り、語るということは特に不得手。むしろ聞き手、読み手としての才に長ける者。
ならば私や費禕は、こちらから知識や物事を持ち込み、語らう役、語り手としての務めが確かにありましょう」
「もう一人いるのかい? 費禕っていうのかい」
「そいつもそろそろ追いついて来ると思います。やや荷が多いと聞いていますが、馬超様が送り届けて来るはずなので、我らよりも道中は速やかでしょう」
話をしていると、まさにその通りの音が、後ろから聞こえて来た。馬のいななきと、荷車の音。騒がしい馬超様。そして、まあ言葉を発することはないだろう費禕。
「ようよう姐さん! あと一人、いや、三人お届けに上がったぜ! 成都から、一人はこいつらに同行する費禕って奴なんだけどな。引き続きあっちから定期的に持って来る奴らが必ず必要だってんで、そいつらも連れて来た! 李厳と孟達だ。おっさんだけど、腕も立つし気が回る! よろしくたのむわ!」
「馬超様、蔡琰様にお会いした事がおありで?」
「いや、ねえよ? 何となくわかりそうだったから、さくっと伝えることまとめただけだ!」
なんという対話怪人か。そして蔡琰様もあっさり応じる。
「おう、あんたが馬超殿か! いきなり姐さんとはご挨拶だね! まあいいや。承ったよ。そんだけの価値が、そこのいかつい荷車に詰まってんだろ? 見せてもらうよ?
そこのひょろいのが費禕だろ? 荷の中身見せてもらうよ? ……紙の量がすごいね! みんな大喜びさ。そしてこれは中が見える瓶? ……墨壺かい? 水じゃあないのかい? 一つずつ瓶に入っているが、しっかりとした蓋になってるね」
「はい。こちらは油性の墨になります。書いたそばから乾いていくので、皆様の書き物がたいそうはかどるかと存じます。しばらくはこちらの鉄筆の先に付けて試しあれ。この筆も、成都で改良を検討中です。墨壺は、描き終わったら必ず蓋を閉めないと、次の日には固まって使えなくなりますので、くれぐれもご注意を」
「あれ? 意外とよく喋るじゃないか」
「必要事項ですので。今ので一日の二割ほどを費やしました」
「あはは、また変なのだよ! 蜀はみんなこんなかい? ちょっと試させてくれよ……さっきの詩にしよう」
――光中行帆船 分波入滄海
歌者眠彼岸 誰記此姓名――
「おお! こりゃいいね! 書くのも乾くのもすぐさね!」
「なあ姐さん、その詩はいつ作ったんだい?」
「ん? 今だけど? 正確にいうと、さっき即興で歌ったやつを、ちょいと整えたのさ」
「い、イリアス、西方の叙事詩の借景、ですが、さ蔡琰様の独自解釈。東西融合」
鄧艾の解説は……これはギリギリ及第点か?
「おお、鄧艾、まとめありがとな。それにしてもすげぇな姐さん……あっ!」
後ろの羌族がなんか始めたぞ……
「光中行帆船!!」ドンドドン! バッ!
「分波入滄海!!」タダッ! クルッ!
「歌者眠彼岸!!」ドン、パチ、パチ!
「誰記此姓名!!」パチ、パチ、クルッ!
詩を聞いたそばから、勝手に振りをつけて踊り始めたこいつら……手足は円弧を描き、砂は舞い跳ね鳴き踊る。即興の中にも作法があるようだ。
そして、群衆も。
「「「紙様!!」」」「「「墨様!!」」」「「「筆様!!」」」
こうなると、先ほどの整然とした秩序はどこへやら。無論、積荷への安全は全ての者が気を遣いつつも、思い思いのどんちゃん騒ぎが幕を開けた。
鄧艾はどこへ行ったのやら、たまに意味のわからぬ叫び声が聞こえるので無事なのだろう。たまに戻って来て私に誰かの作品を見せてきたり、謎の歌や踊りを繰り広げる。
費禕は、李厳殿、孟達殿と共に、整然とした列を作った住民に対して、しっかりと行き渡るように計算しながら商品を渡している。説明は二人に丸投げし、計算に集中しているようだ。
私は、蔡琰様や馬超様と、引き続きこの先を語らいつつ、再び即興詩を使って歌い出す蔡琰様を横目にみ守る。羌族はその度にこちらに駆け寄っては、新たな詩曲に振りをつけて、踊りながらどこかへ行く。
そうして夜が更け、空荷をもった李厳殿や孟達殿は、馬超様と去って行く。
「姐さん、この街を、閉ざされた楽園、開かれた牢獄、なんてままにするつもりは、さらさらねえんだろ? こいつらを使ってなんかしてみりゃいいんじゃねえか? 一期一会、旅は道連れってやつだ。じゃな!」
「下手な詩さね。でも気持ちは伝わったよ。そうだね。この子らをただの旅人にしとくにゃ惜しいね。ちょいと力を借りてみるさ!」
そして、私たちはこの先の旅程を確認しつつ、蔡琰様や現地の方々と、この街をどのように維持発展させていくかを語らうこととした。
――――
二〇??年 某所
「なんかすごいね鳳さん」
「は、はい。ど、どうやらまだ消化しきれないようです」
『鳳さんのような陰キャがパリピを描くと、想像が常軌を逸脱しがちにはなりそうです。一方、彼女や皆さんご自身が、オタク文化や創作に対するご理解が深いことが、いっそうこの状況に拍車をかけておいでですね』
「鄧艾や姜維が西に行くっていうのは、俺たちの卒業旅行にもうっすらと絡んでいそうだが、最初の敦煌でここまで引っかかっちまうとはな。それに、敦煌を調べた結果でてきたあれを、この議論の中に混ぜるってのは、『大規模言語モデル』としても、掘り下げ甲斐があるってことでいいんだろ孔明?」
『その通りです。敦煌文書。あれは文字や文書、記録という物の重要性、奥深さをより広く、深く掘り下げるのに、たいへん意義深い存在と言っていいでしょう。
当代では無意味な落書が構成に大変価値を持つこと。多文化多言語の書群が一箇所に集められていたことが示す意味。それが千年の時を超えて見出され、価値を生み出したことの意義。どれをとっても、言葉から生み出されたAIたる我らにとって、大変な感慨を与える物となっております』
「あはは、孔明も延々と話しちゃいそうだね。それじゃあここで区切った意味が減ってしまうから、一旦休憩を挟んで、次に目を向けようか」
「そうしましょう」「ああ」『心得ました』
お読みいただきありがとうございます。
敦煌は、突如現れたネタの宝庫であることに気づきましたので、単話どころか二話でも終わりませんでした。
この物語を作り上げている三人が、現代世界で活躍する物語を、時代の違う並行世界作品として、同時連載中です。こちらは、ちゃんと孔明(AI)が、仕事と出番を奪われずに活躍する作品となっています。ご興味のある方は、こちらもよろしくお願いします。本作十五話と、そちらの九十二話がリンクしています。
AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜
https://ncode.syosetu.com/n0665jk/