三十三 激戦 〜(徐晃+龐徳)×匈奴=行列?〜
匈奴。その名を聞いて恐れを抱かぬ者は、この時代の民ではないだろう。そこに嫌悪の情が混ざることも、咎める者はほぼ皆無といえる。その部族が最も力を持っていた時期は、前漢が成立して間もない頃。
『史記』や『漢書』においてその名は終始、侵略者としての地位が保たれる。彼らとの戦いで大きな戦果を挙げた者、その凶刃に殉じた者は、例外なく英雄として祀られ、彼らに利をなした者は、ことごとく悪名を残すこととなった。
そしてこの三国並び立つ時代、様々な要因で、匈奴という部族は衰退の途を辿っていた。もし彼らの勢力が、あと少しでも以前の威を保っていたら、黄巾の乱以降の漢土の騒乱に乗じて、漢土が大きく侵食されていただろう。
また、この時代、更に北の地において、鮮卑という新たな部族が急速に勢力を拡大していた。やや話の通じる彼らが、匈奴に対する牽制役を買って出ていたこともまた、末期の後漢、そしてそれに代わる魏にとっては、不幸中の幸いだったと言える。
いずれにせよ、馬超が羌族と実質一体となる融和を果たし、張飛が南蛮族を、その才知と人柄を持って心服たらしめていたのに対し、魏国は、四百年来にわたる匈奴とのせめぎ合いを、漢室から引き継がざるをえない形となっていた。そして、彼らがなぜ、この期に及んで戦い続けるのか、この陳寿とて、その理由を解き明かしたと書き連ねることは、今はまだできない。よって、たとえ全盛期から大きく衰えようとも、我ら漢人にとって、かの民族が恐怖の対象である事実は、決して消えることはないと言える。
「龐徳、騎兵で横から一当てしてくる! 全体は任せた!」
「了! 陣を斜めにし、突撃を正面から受け止めないようにかわします!」
今回も、国境付近の小競り合い。大群で制圧しに行っても、匈奴は散り散りに逃げてしまうため、彼らを根絶したり、服属させるのは困難を極める。それゆえに当面は、不毛な小競り合いの中で、被害を最小化するしかない。それは相手も同じ……はずなのだが、
「ヒャハハ! また強そうな奴だ! 突っ込めー」
「おおっ、勢いを逸らしてきたぞ! 厚めにぶつけて押し込むんだ!」
「ダハハ、斧のやつが横からきたぞ! 迎え撃ちたい奴は迎え撃て! 違う奴は散れ!」
なんというか、楽しそうにしか見えない。そういう印象は、ある程度長いこと何度も匈奴に向き合ってきた徐晃からしてみると、やや見慣れた光景。
「ちっ、突撃がかわされ……むっ!?」
「居たぞ! ジョコ! 勝負勝負!」ガキーン!
「またお前か! 対して強くねぇのに向かってきやがる!」
「あ、まずい! 逃げろー! ジョコ、また鍛えてきたら勝負するぞ!」
「ジョコ、勝負!」 バキッ! ドサッ!
「十年早いわ! くっ、落馬したそばから逃げやがって! 追いきれん!」
「ダハハ! あいつまた落ちたぞ! 逃げ足早ぇ!」
やたらと自らに突っ込んでくる匈奴の有象無象。そして蹴散らしたら蹴散らしたで、すぐに逃げ出してとらえきれない。
「徐晃殿! 一度代わります! 匈奴ども! この龐徳が相手だ!」
「ホット? こいつ強いか? キャハハ!」ドサッ!
「ダハハ、あっさり落とされてんぞ! 次は俺だ!」
「俺だ俺だ! ホット! 強ぇ! 勝負勝負!」
適当な呼ばれ方、次々に挑まれる龐徳、そして蹴散らしても蹴散らしてもまた向かって来ては逃げ去る。
「なんだ貴様ら、敵わぬなら纏めてかかって来んか?」
「まとめて? 何で? ダハハ! 勝負!」
「ギャハハ! 次は俺だ! 行くぞ!」
そして一人ずつ蹴散らされ、落馬する者も何人も出るが、へこたれる様子もない。
「ギャハハ! 兵は二人でも三人でも来いや!」
「ホットには強えから一人ずつだ! ヒャハッ!」
「突っ込めー!」
そうして、一日中ぶつかり合いは続き、暗くなり始めると、法螺貝の音がなる。
「ギャハハ、皆退けー! 散れー!」
「ジョコは今日も強かった! ホットはもっと強え! ダハハ!」
「バチョとどっちが強え?」
「分からん! バチョもホットも強え!」
徐晃と龐徳は、あまりに潔く、てんでばらばらに散り退いていく匈奴の騎兵達を、追撃することはできない。落馬した者も居たはずだが、いつのまにか姿を消している。
「くっ、やはり奴らに、まともな被害を与えることはできなんだか。龐徳、こちらの被害は?」
「致命傷を負った者は殆どおりませんな。何人か落馬して、しばらく再起が難しそうな者がいるくらいですね」
「そうか。それはそれでいつも通りだが、何か手を打たねば、この小競り合いはいつまでも続きそうだ」
「でしょうね。双方に人的被害が僅少ながら、武具や兵糧は確実に消耗します。何より、功績らしい功績を上げられずにいるので、将兵の士気が保てません」
「ああ、少なくともこちらはそうなのだよ。それが何となく見えているがゆえに、最近は時折り配属を入れ替えざるを得なくなっているんだ。呉も呉で膠着しているから、結局どっちもどっちと言わざるを得んがな」
「張遼殿も、あの兵数でどうやって呉の大軍を毎度毎度あしらっているのやらと、不思議でなりませんが。いずれにせよ領土拡大や敵将討ち取りなどの功績は、あちらもなかなか上げづらくなっていそうですね」
「鮮卑はもっと厄介だがな。恭順と反乱を繰り返すから、武官だけではどうにもならん。以前も仲達や程昱殿がわざわざ出向いていたが、決定的な成果はまだ聞いておらん」
「一周回って、最も落ち着いているのが、蜀と呉と三国で角突き合わせている三都市まわりですね。あそこは互いに最強格同士が向かい合っているからか、小競り合いすら起こらず、帰って民や商人らが自由に行き来し始めています」
「この前なんか、張飛が洛陽で、普通に飲んで騒いでいたらしいぞ。まあ問題を起こす様子はなかった上に、誰も止められんから太守の夏侯惇殿も傍観するしかなかったと聞いているが」
その日の状況報告から、魏を取り巻く戦況まで、二人は語らう。そこには華々しいものは全くなく、かといって危機的な状況もあるといえず、一言で『膠着』と言っていい状況といえた。そして、一度全体を振り返った後、改めて彼らの向き合う相手について語らう。
「それにしても厄介な相手ですな匈奴というのは。そして、捉え所がありません」
「そなたもそう思うか。私はこれまで何度も当たっているから、覚えられているらしいな。ジョコという雑な呼ばれ方をしているが、奴らから名乗ってきたことは無いな」
「私もホットですか。確かに名乗りを受けることはありませんでしたな。名をあげることに頓着しないのか、それとも勝てぬのに名をあげるのを避けているのか、いずれかはわかりませんが」
「ああ。確かに今のところ、突出して強い者は出てきてはおらんな。それに、鎧兜にも派手さがある者はほとんどおらず、皆一様に、丸兜に胴鎧、肘当てに小手といった、地味な装いだ」
「それに何と申しますか。戦場での信条といった者が、全く見えてこぬのです。先ほども、まとめてかかって来るようなことは決してせず、向こうは複数人を同時に相手するのもそれほど卑怯となじることもなし。誇りを重んじるのかと思えば、先ほどの名乗りもなし、勝てぬと別ればすぐに逃げ出す」
「そうなのだ。それに、落馬したり逃げ去ったものを嘲笑いつつも、決して咎め立てはせず。そして挑むときも先を争うことなく、ある意味で行儀良く順番に挑んでくる」
「そしてなにより、勝とうが負けようが、終始楽しそうに笑いながら向かって来るのだ。全くあやつらの考えが読めぬのだよ」
「全くですな。こちらに対しても、落馬したり逃げ去ったりする兵を追うでもなく、ただひたすらぶつかって来ます。そもそも毎回の戦の中で何を求めているのか。それすらもわかりません」
「かと言って小競り合いをやめたら、以前のように、町や村に襲い掛かり、家を焼かれてことごとく命を奪われるという悲劇がおこりかねん。それに、時折見るように、あやつらの遺体は野晒しにされ、獣や鳥の餌にしかならん。その残虐さ、野蛮さ、死者への冒涜という側面に、大きな変化は見られんのだよ」
「むむぅ……分かりませんな」
「ああ、分からんな……」
そうして彼らは何日もの間、似たような戦いと、似たような会話を続けることとなる。幸いなことに大きな被害が出ることはないが、ただ武具や兵糧の消耗と入れ替えが繰り返される。そしてそれにともなって人員の交代も行われつつ、ただ似たような日々が続く。
変化の兆しが生まれるのは、もう少し先となるのかもしれない。故にそれまで、この陳寿とて、同じ筆の運びを繰り返すことははばかられる。
――――
二〇??年 某所
「これは……いいのかな?」
「し、仕方ないのです。私たちは、幸いと言うべきか、戦争という物に対する実体験を必要とはしていません。つまり、英雄に対する『そうする』は有意義であっても、戦士、戦闘という人物像や出来事に対する『そうする』には、大した価値を見出せない可能性があります」
「だからこそ、戦争に対して真正面から向き合う人たちの描写は、少しばかり曖昧なんだな」
「ふむ、でも鳳さん、それならそれで、彼らに対する考察をしないという選択肢はなかったのかい?」
「そ、そうですね。それもあったかもしれません。ですが、彼らにはなにか、今の私たちや、現代の社会につながる物が、なにかあるとは思いませんか? もちろん、戦いという直接のもの以外で」
「んー、そう言われてみると、いくつかでてきそうだぞ。まずわかりやすいのが『競争』『争い』だな。別に命のやり取りがなくても、人は必ず競争をする。その中での人と人との読み合いや予測を考えることは、間違いなく俺たちにとっても有益だ。それに、バトルに関してはある程度俺たちも、フィクションという意味では想像力の補完が効く」
「そうだね。もう一つは『価値観』『食い違い』と言った部分なのかな? 現代人だって、互いの目的や思考原理が理解できないことで、トラブルになったり、適切な行動ができないことはよくあるよね。だからこそ、そういう状況を、より極端に描写して、考察対象にする、という意味がありそう、ということだね?」
「は、はい。二人の認識で大丈夫です。あと一つは『無名』『群衆』のありようです。私たちは、『英雄』の考え方、あり方を掘り下げるために、この話し合いを続けています。ですが、それだけでは現実からどんどん離れていってしまうのと、個人だけが特異性を持つとは限らない、という二つを、外すのはあまりよくない気がしました。
なので、多少慣れない部分はありますが、ここで彼らの『そうする』や、彼らに向き合う英雄たちの『そうする』を、もう少し見ていくのがいいのではないかな、と、そう思ったのです」
「ああ、そりゃ合理的だ」
「そうだね。続ける価値がありそうだよ」
お読みいただきありがとうございます。
この匈奴の謎に関しては、やや先の章まで引っ張ろうかな、と検討中です。具体的には、おおよそ魏呉やその他の主要登場人物たちが出揃うあたりにふたたび、でしょうか。