三十二 深酒 〜(荀攸+于禁)×関羽=信条〜
我が名は関羽。字名の雲長も気に入っているが、ここ最近、様々な理由で諱で呼ぶという風習が広がりつつある。だが私は「養父」だの「お頭」だの、「太守様」「二兄様」だの、名前に基づかない呼ばれ方が大半のようだ。
現在は、長安と襄陽を結び、洛陽からも遠くはない要地の上庸を管理している。一旦大きな戦はなくなったとはいえ、警戒を解いていい訳ではなく、主要三都市やその周囲には、相応の人物が太守として置かれている。
ん? 国内最強が誰かって? それは張飛と即答するほかない。私が次点か、という問いにも、今やはっきりとした答えを示せぬであろう。攻めや守り、いかなる戦でも負けを知らぬ趙雲は言うに及ばず。あらゆる情報をまとめ上げて敵を翻弄し、標的を仕留める手腕は黄忠の右に出るものはおらん。羌族という一大部族の中心となり、あの匈奴と互角に渡り合う馬超の力とて底が知れぬ。
これほどの将をそろえ、孔明や鳳小雛を中心に次々に新たな施策を生み出してもなお、三国の秤を傾けるに至る目処は立たぬ様子。それほど、魏や呉のそれぞれが、相応に卓越した物をもつ現状。少なくともしばらくの間、この均衡は続くのだろう。
む、何やら騒がしいな。張飛か。
「おーい、郝昭、大事ないかぁ? ガハハ」
「むぅ、張飛殿、お付き合いしてつい深酒をしてしまいましたな。誠にお恥ずかしい」
やれやれ……
「張飛!? 全くお前は何をしているんだ? 正使の護衛殿を酔い潰すとは如何なる了見か!?」
「ダハハ、面目ねぇ。ちょっとまずそうだったから、代わりに護衛して連れてきたわ。久しぶりだな兄貴! こいつ面白えぞ! まだまだこんな厄介な奴がいるんだよ! 戦だけじゃなくて、いろんな考え方が新しくて面白ぇんだよ」
「まことにお恥ずかしい。話が盛り上がりすぎて、丸々三日ほど、大いに語り合わせていただきました。結果的に護衛の任がどこかへ行ってしまったのは、面目次第もございません」
荀攸殿や于禁は、気にするなとばかりに温かい目で見ている。
「郝昭、そなた回復に少し時間がかかりそうだな。ゆっくりと休むがいい」
「お恥ずかしい。では私は隅の方で大人しくしております」
「兄貴、俺は長安に戻ってやることがあるから、あとは任せて大丈夫か?」
「ああ、心得た。だがこの件はあとで兄者と説教だからな。覚悟しておけ」
「ダハハ、そりゃ勘弁だ。まあ兄者は兄者で用があるから、そのうち顔を出しに行くわ! 荀攸殿、于禁、郝昭、それじゃな!」
「ありがとうございました」「またいつか」「お世話になりました」
最後はどうあれ、こいつとこの三人の話は、なかなか充実したものだったのだろう。互いに満足げな表情を浮かべて、別れを告げる。
「改めまして関羽殿、お久しぶりです。荀攸です」
「ああ、荀彧殿はもう四、五年前か。惜しい方を無くしたものだ。お二人と、張遼とは、あの頃よく語らったものだ」
そう。私が曹操のもとに一時的に身を寄せざるをえなかった頃、義心の強い彼らとは、比較的話が合ったことから、天下国家の事、市井の事、思想信条の事、大いに語らうことがあったと言える。私が愛読する春秋左氏伝も、彼ら二人の解釈は誠に新鮮であった。
「誠に。彼の信条というのは、三帝並び立った今こそ、再び顧みられるに値するような気もしています。ですが私の中にも、まだ捉えきれていない仁義があるような、そんな気がしてならないのです」
「ああ、この旅の中で、それを見つけられることを願っているぞ」
「痛み入ります」
続いて話し始めるのは于禁。こやつも何度戦場で向き合った事か。
「先ほどの戦、そしてその後は誠に世話になった。当たりどころがよかったのか、それともわざとだったのか。華佗殿の治療もあり、なんなら怪我前よりも良くなった気すら致す」
「それは何より。まあそなたの勘は間違っておらん。そなたの怪我も含めて、全てが計画通りであったとも言えよう」
「全て、か……どこからどこまでかは全て聞き出すつもりは毛頭ないが、何かしらお教えて貰えるのか?」
「無論、そのつもりで準備はしているさ。最初に周倉に会っているんなら、これはある程度見慣れていよう」
私は、あの襄陽の戦いの直前、三国の行く末をかんがみて行動指針を大きく変更した時の、『周倉流』目標設定を、そのまま彼らに見せることにした。
『大目標 魏軍の被害や嫌悪を増やさずに襄陽を落とす
目標一 敵将を討ち取ることなく襄陽を落とす
主要成果一
一 于禁を生け捕りにする
一 龐徳を合理的に退却させる
一 曹仁に撤退を判断させる
目標二 敵将の名誉を守る
主要成果二
一 于禁の捕獲に、重傷の治療を理由づけするため、華佗を説得する
一 于禁の奮戦を龐徳に伝え、その伝達者が自身しか居ない状況をつくる
一 于禁、龐徳の名誉を守ることで、曹仁の判断を合理化する
目標三 敵の将兵、民に悪評を与えない
主要成果三
一 劉軍の快進撃や、その過程の公明正大さを城下に広める
一 呉が平和裏に活動するさまを広め、民に影響が少ないことを示唆させる
一 魏の三将の名誉を守り、撤退に合理的な理由づけをする』
二人はうなる。隅っこで大人しくしている郝昭も、于禁から渡されて、食い入るように何度も読み返す。まず、比較的消化が早かったのだろう、荀攸が評価する。
「これなら、自らにとって最後の大戦かもしれぬと、やや複雑な感傷の中にいる于禁殿、一度離反を余儀なくされて二度はありえぬと、やや視野狭窄となっていた龐徳殿の、本来の名誉が保たれましょう。そうすれば、曹仁様も未来に目を向けて消耗を避け、荊州を捨てる判断に理を保てる、ということでしょうか」
「ああ、全てその通りだ。我らも、この戦の次があるとしたら、どのような形になるのか。そして、本来は豊かなはずの立地や気候にある荊州の地が、他の地と比べても荒れ気味であるといったことへの憂慮。そういったことを考え、指針を見直すだけの下地が、孔明、そして、『鳳雛の残滓』によって出来上がっていたのだ」
「てことは、私に対する手加減ってのも、次に向かってくるだろう龐徳、そして総大将の考えそうな事、しそうな事を先読みしての、策の一つだったってわけか。周倉流ってのがとんでもないのか、それに寄与しているんだろう孔明や、その『鳳雛の残滓』ってのがそれをさせたのか。
どっちにしたって荀攸殿、この国は何歩も先に進んじまっている。探りを入れる、なんていう甘い心構えじゃあ、置いていかれるのは我ら、そして我らに続く魏の若者らよ」
「その通りでしょうね于禁殿。私どもがなすべきは、かような老骨の知的好奇心を満たすことでも、ましてや賈詡殿のなさるような間諜まがいの情報収集でもありますまい。
やはり関羽殿は関羽殿、その根幹は以前と変わらない、忠義と道義の将でございます。でありながら、やはりどうしても、少しばかり以前と異なるものをお持ちと感じるのです」
確かに私もそうだが、彼らに残された時も、年相応に限られたものとなるのだろう。ならば、今彼らが得たいもの、それは次代に何を残せるか、その指針ともいうべきもの。であれば、最初から横で大人しく控えていた二人に、少しばかり時を預けるとしよう。
「関平、鄧艾、いかが考える?」
「養父様、いつ我らに話が流れてくるのか、少々読みがたかったので大人しくしておりました。正使の皆様、関雲長の養子の関平と申します。
そしてこれなる小僧は鄧艾と申す者、襄陽から魏軍が撤退する時に、我らに興味を抱いてこちらに残ることを決めた者の一人です。引き抜くようなかたちになったのは誠に恐縮ですが」
「とと、鄧艾と申します。魏の皆様に隔意があったわけではありませんが、押し迫る関心に身が逆らえなかったゆえ」
応じたのは于禁。どうやら全く知らない者ではなかったようだ。
「よいよい。確かに目端の効く者がいると思ってはいたが、その口下手を押してまで取り立てられるほどの受け皿が、我らにはなかったということであろう」
「へへぇっ、う、于禁様の目にも入っていたのは、大変ありがたく」
荀攸も荀攸で、私がこの二人に声をかけた理由を知りたがる。
「このお二人が、私どもが知りたい、次代に向けた何かをお持ちということでしょうか?」
「すでに持っている、というよりは、しかと見つけ出せ、と養父から拝命しているという形ですね。
私はこれまで、養父に仕え、忠義や勤勉、勇壮さ、豪胆さといった、乱世に必須な信条を学んでまいりました。今後、少なくとも当面の間、戦場を渡り歩くようなことは減ってくる見通しです。そうなれば、我ら次代の者は、新しき治世において、誠に必要な信条、価値観を見定めねばならないと、そう承っております」
「あ、新しい治世の価値観、そ、それを追い求めるは、まこと得難き、面白き務めと心得ます」
「治世の価値観、ですか……関羽殿ならば、そのうちの多くをすでにお持ちなのでしょうが、それでは足りぬというお考えも、また同様に正しきことと存じます」
「そうなのだろうな。例えば忠や信義は治世にも重大事だが、それは乱世においても同様であったからこそ、我らはそこに重きを置くことができていた。だが、その足りぬものを全て追い求めるには、我らに残された時は短く、我らの背負うものは重過ぎよう? なればこそ、そこを次代に預けるのも、また義なのではないかと、今はそう考えているのだ」
「お三方共々、まことに素晴らしきお志。そして、お二人には、すでに何らかの目論見がおありなような、かような迷いなき目をしているようにも見えるのですが、いかがでしょうか? 差し支えなければ、その一端でもお聞かせ願いたく」
この問いに対して答えるのは鄧艾。だがこの男、とにかくまともに話すのが得意ではない。
「に、西です、ございます」
「西??」
分からなすぎる。少なくとも、話す相手である荀攸や于禁には伝わる気配はない。
「羅馬は一日にしてならず、です」
「あはは、鄧艾よ、それでわかるものは張飛叔父上くらいぞ。
失礼いたしました。今や我らの領分となっている長安や益州や涼州は、前漢武帝が切り開くことを志した、何本かの『絹の道』の起点となっております。そして、旅人や商人、そして羌族などから伝え聞くに、はるか西方には、ここ漢土とはまた異なる、大きな文化圏を有する地があると聞きます。
また、その途上途上にも、それぞれ異なる文化、異なる習俗の者らが多数おり、それぞれがそれぞれの価値観を醸成している、との事」
「そそ、そんな人らがいるのなら、我らの追い求める、治世にあるべき信条、それを見定める一助となりましょう。
ま、まずは、西の中継地にして、すでにある程度の繁栄をなしながらも、罪人や貧者の住む地と蔑まれ、閉ざされた繁栄をなしている、砂漠の孤城、と敦煌に、そ、その問いをかけて見るので、ござる、ます」
聞いた時は何を言い出すんだと思いはしたが、こやつは成都でも、鳳小雛が残した『叡智の書庫』に、ことさら熱心に入り浸ったと聞く。そして、見たこともないような言語で書かれた書物すらも、その原典を少しずつ読み解くことに成功しているというから驚きだ。
「なるほど……それはまた壮大な『問いかけ』でございますね。我らが魏の若き者達も、その問いの答えを自ら探し始める時が、遠からず来る事を願うばかりです」
さすがは荀攸。どうやら全てではないが、ある程度脈絡のない鄧艾の言を理解したようだ。荀攸の願いに対して、すこし雲が晴れたかのような表情を見せる于禁。
「ああ、それはまことに遠からざる事なのかもしれねぇぞ。我らの若い頃も、まだ見ぬ脅威に対し、果敢に向かって行った時があろう。若いってのはそういうものよ」
そして最後に、私は少し気になっていたことを問いかける。
「そうだな。そう言えば、龐徳はどうしているのだ? あの者、ともすれば私にも考えが近き、忠義と誇りを重んじるものにて、ややその心根に危うさを感じてな。他人とは思えぬ者であった」
「龐徳、か……先ほどのそなたらの目標を聞く限り、結果的に、私の心もあいつに助けられた、という事なんだな。己の矜持よりもそれを優先するとは、あいつには感謝せねばな。
あいつは今、徐晃殿とともに、これ以上ない難敵と向き合っている。駆り立てる騎馬はいかなる漢族や他民族よりも巧にして速。敵味方を問わず、笑いながら襲いかかる。その血までも戦意に染まっているのではないかと思わんばかり。四百年来、この漢族が手を焼かされている戦闘民族、『匈奴』とな」
お読みいただきありがとうございます。