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三十一 陳倉 〜郝昭×張飛=了!?〜

 半分間話扱いですが、少し過去の、実際の戦場を舞台に描いてみました。事実でも郝昭が勝利した「陳倉の戦い」です。

 時は少しさかのぼり、かの陣営が蜀漢と名乗る少しだけ前。黄忠を総大将として漢中を手にし、さらに長安を望む劉軍の前に立ちはだかったのが、その手前に位置する堅城、陳倉。守将は当時無名の郝昭(かくしょう)。撤退中の兵をどうにかまとめ直して遊撃隊を再編した張郃(ちょうこう)徐晃(じょこう)の二人が支援に回っているが、攻め手との勢いの差は歴然。


 攻め手は、夏侯淵を討ち取って意気軒昂の黄忠軍に、これまた南蛮を一切の被害なく慰撫して帰ってきた、劉軍最強格の張飛軍。陳倉どころか長安すら危ういという認識が、魏軍内で大勢を占めている。この陳寿とて、そう筆を取らんと構えていた。だが、この郝昭という将は、状況を俯瞰的に判断し、自らの役割を十分に果たせると、そう予測していた。


 主な将は五名。参軍の楊修(ようしゅう)もいるが、表には出ない。


 守将は郝昭、字は伯道(はくどう)だが、名乗るほどではないと常々口にする。

 副将の郭淮(かくわい)、字は伯済(はくさい)。軍全体を率いた経験はないが、反乱の鎮圧や、いくつかの大戦への従軍などによって、一定の信頼を確保している。こちらも字と諱が韻を踏んでおり、呼びかけてもやや曖昧さが残る。

 同じく副将の王双(おうそう)。字はついたばかりの子全(しぜん)。当人すら呼ばれても反応しづらい。

 友軍の一、張郃(ちょうこう)、字は儁乂(しゅんがい)。騎兵のみを率いる。字は読みづらいが特徴的で、聞き間違えられることはない。

 友軍の二、徐晃(じょこう)、字は公明(こうめい)。こちらは歩兵や弓兵を伏せたり、罠を仕掛けたりする。字はどこぞの仕事狂いと似ているが、陣営の中に重複は少なく、区別はつきやすい。



「皆様、ご参集いただきありがとうございます。僭越ながら、守将を承りますが、単に役回りとお心置き頂ければ幸いです。郝昭と申します。字は名乗るに及ばないので、諱で結構です」


「謙遜は不要であるぞ郝将軍。我らは敗兵をまとめ、魏王陛下や将兵がつつがなく撤兵するまでの時稼ぎくらいに思っておけばよい。この張郃も苦き采配の後ゆえ、その目の光に曇りのないそなたに大枠は委ねる」


「その通りだ。下手に指揮系統に分岐があると、えらい事になるというのは直近に痛感したばかり。この徐晃も、その系統を一度そなたに預けたい」



「かたじけない。ではまず、大目標の話をいたします。それは、劉軍の勢いを殺ぎ、彼らに長安を越え、函谷関を狙わせる判断をさせぬ事、と存じます」


 ここで張郃、徐晃の二人は首を傾げる、否、盛大に突っ込む。


「待て待て待たんか。ここは陳倉。その後ろにある長安はもとより、潼関を飛ばして函谷関とな?」


「なぜその名が出てくる? 函谷関を抜かれれば洛陽は目と鼻の先ぞ。そこまでの心配を今するのか? 流石に僭越に過ぎぬか?」


「否。敵将は、あの夏侯淵様を罠にかけ、王平を寝返らせるに至ったあの老将黄忠と、劉軍最強の張飛。そして荊州では関羽が襄陽をその手にかけつつあり、涼州ではあの馬超が、羌族の手を借りて迫ってくる可能性すらあります。

 であれば、このまま通してしまうと、そのまま勢いに乗ってどこまでも進まれてしまう危険は大きいのです」


「なるほど。ならば我らの役目は、時を稼ぐのでも、ましてやここを守り抜くでもなく、ただ勢いを止めることにあり、と」


 この頃、戦略目標というところまで思い至れる者は、そう多くはなかっただろう。将軍であっても謀臣や文官であっても。特に古参ほど、曹操がまだ群雄の一でしかなかった時代を知っていること、若手ほど目の前の功績に注力する傾向にあることから、いずれもそこに到達することは少ない。

 郝昭という、常に一歩引いた観点で状況を判断できる将軍は、今後諸将に対して一目置かれることとなる。



「左様です。であるからこそ、特に狙いを絞ります。最強の将たる張飛。彼の勢いをいなすことに。黄忠はすでに大功を手にしたゆえ、今後の戦略的な狙いを吟味したり、本来の諜報任務にある程度重きを置くでしょうからです」


「なるほど。そうしたらどのようにすればよい? 勢いづいた張飛の恐ろしさは、知らぬものはおらんぞ」


 郝昭、ここで、戦の常識からいささか、否、根本的に外れたことを言い始める。



――張飛を、好き放題走らせます――



「?? 意味がわからん」


「?? 好き放題? 勢いを止めるのではなかったのか?」


「張飛と相対して無事であるものは多くはないでしょう。しかし、張飛とて無尽蔵に戦場を駆け巡ることができるわけではありません。時に彼は馬を降りて戦うこともありますからなおさらです。

 単純に、あの者を疲れさせれば良いのです。足を止めれば一息つけるゆえ、足を止めさせないのが鍵となります」


「つまり、ただひたすら張飛の勢いのままに突撃させ、被害が出ぬようにかわし続けるということで良いか?」


「おおよそはその通りです。お二人がお姿を見せてそちらに向かわせり、城の方へ当たらせたり。いずれにせよ彼は突出しすぎることを避けるでしょうから、城に向かって突出した場合は勢いを押し留めて左右どちらかに走るはず。

 そして、息があがればおそらく水の手に戻りますので、それは妨げずに戻るに任せる。そして時には周囲の敵兵の足を止め、時には堅陣を敷いて押し留め、時には斜めに陣を敷いて彼の行き先を定める。ただひたすら『張飛の動く流れを止めない』という事を意識します」


 流れを止めない。そんなことは、上から見ていなければ出来るはずがない。だが、上から見ている者がいる。それが城を守る戦。


「まさかそなた、我ら全員を上から見下ろし、張飛ただ一人が足を止めぬよう、全軍の動きを定めると、そう言っているのか?」


「ご名答です儁乂様。つまり、その動きの指示には必ず従っていただく必要があるのです。足を止めさせたら、はじめからやり直しになりますので」


「出来るのか? 戦場はそれほど小さくはなく、それに指揮系統もそれほど単純ではないぞ」


「公明様。守戦なればこそ、おおよそ互いの位置どりや命令系統は把握できるはずです。そして、最も大事な要素が、私が皆様にどう呼びかけ、そして、皆様が将兵にどう指示を出すか、です」


 呼び方などの指示が出るのは、遠い未来の戦であれば当然の手順だろう。しかしこの時代にその様な確認は、誰も聞いたことがない。



「どう呼ぶ? か?」


「私の指示の数は、おそらく一刻に何十度にも及びます。無論、私への問い返しや報告も出てくるでしょう。また、指示を受け損ねたり、受ける相手を間違えたりしたら、すぐに破綻が待っています。

 なので、皆様をどうお呼びするか、今のうちに指定をさせていただきます。

 私を含めたここの五名は一文字で呼び、下級将校は二文字、兵や隊伍は三文字、というように」


「ほほう。味方は誰が聞いても、誰から誰への指示かが明らかだというわけか。そして、こたびは大きな方針以外の、細かな指示が敵に悟られても何の問題もない、というわけだな」


「その通りです。まず私は『昭』。郭淮殿は『淮』、王双殿は『双』。三名は、やや字に馴染みの薄さや、ややこしさを抱えておりますため、これしかありますまい。そして、お二方は……むむむ」


「ああ、郃と晃は音が重なるな。厳密には違うが、これは聞き違うぞ」


「なら、私は『乂』、公明は『明』でどうだ? 皆十分に聞き分けられよう?」


「ありがたく。たとえば、私から公明様には、『昭、明、左翼前進! 告!』と申し、了承の時には、『明、昭、了!』。問い掛けたいときは、『明、昭、何歩!? 問!』。などとするのはいかがでしょう?」


「むむ、承知した。否。乂、昭、了!」


「こちらから報告がある時も、告でよさそうだな」


「そうですね。問題ないかと。そして、聞こえた下士官は、それを連呼するものとします。どちらにいるかは分からない方も多いかと思いますので」


「了の方もそうなるな。それくらいの叫びなら、戦場で飛び交っていても聞き分けられよう」


「はい。そして、下士官の方も、できたら諱を優先していただく方が良いかと存じます。字名はかなり重複があったり、意外と兵の間で知られていなかったりもありますので」


「ああ。今は戦時にて、儒のしきたりを優先するのは、子路とて憚られよう」


「ありがとうございます。それでは相手方が来るまで、少しばかり調練をしておきましょうか。全員の場合はこうしましょう。昭! 全! 告!」


「乂!「明!「淮!「双! 昭! 了!」」」」


 やや急とも言える訓練が開始。それができるかどうか、この『多数の一瞬に全てを賭ける』郝昭にとっても、試金石と言えた。そして、全員がそれに即座に答える。それが魏将の魏将たる所以。

 ここで蛇足。王双は子全なのだが、ここで変な返事をするような無粋ではない。王双はむしろ、少し嬉しそうに微笑む。



――――


 そして、劉軍が陳倉の前に陣を敷き、展開する左右の遊軍から攻勢をかける。


「昭! 明! 左翼三十歩前進! 告!」


「明! 昭! 了!」


「昭! 乂! 飛来来! 右翼後退! 告!」


「乂! 昭! 了!」



――何だ何だ? 下がるのか? そしたら城に向かうぞ! 続けぇ!


「昭! 双! 敵中軍交戦! 直後撤退! 告!」


「双! 昭! 了! 続けぇー!!」


「「「了!」」」


――くっ、厄介な! あっ、まて! 逃げるか!?


――翼徳殿! 突出気味です!


――分かった! 少し緩め……たら壁に近ぇから危ねぇな! 右に突破する!


 そして、徐々に魏軍が流れをつかみはじめる。


「昭! 乂! 敵本陣に左から一当て! 告!」


「乂! 昭! 了!」


「「「乂! 昭! 了!」」」


 そう。下士官だけでなく、兵まで指示や応答を連呼し始め、その叫びは大いに一体感を生み始める。


――むむ、少し喉乾いたな。一旦戻るぞ!


――承知! すぐにまた攻めますか?


――ああ、勢いはまだこっちにある!


 徐々に、郝昭の指示も、現場判断を信用してこなれてくる。そして兵は真似をする。


「昭! 明! 左前雁行! 告!」


「「「昭! 明! 左前雁行! 告!」」」


「明! 昭! 了!」


「「「明! 昭! 了!」」」


――なんか、掛け声が指示になってるみてぇだぞ? 読めるか厳顔?


――解読し終わる頃には、移動が完了していますね。意味がなさそうです。


――おっと、まずい、壁に近すぎた!



「昭! 淮! 左追斉射! 告!」


「「「昭! 淮! 左追斉射! 告!」」」


「淮! 昭! 了!」


「「「淮! 昭! 了!」」」



――むぐぐ……全然勢いは止まってねぇのに、相手を捉えきれねぇ。息も上がって来てやがる。


――一度整えますか?


――いや、まだ行ける。遊軍を蹴散らすのを優先して、城の包囲を爺さんに任せよう。


――承知。



 しかし、黄忠軍に対してはまともに相手をせず、取りつこうとした攻城兵器は焼き払われるなど、郭淮率いる壁上の兵もよく守りながら、遊軍はただ張飛を交わし続ける。



 そして、数日が過ぎ、張飛がやや当初の勢いを失いつつあった頃、


「郝将軍、長安から伝令です。襄陽が陥落、関羽が上庸に向かっているため、長安を放棄せざるを得ないとの事。直ちに撤退せよとのことです」


「昭! 了! じゃない。承知しました。全軍撤退の指示を出します」


「??」


「昭! 全! 目標達成! 長安撤退! 告!」


「「「昭! 全! 目標達成! 長安撤退! 告!」」」


「「「「全! 昭! 了!」」」」


 そうして、これらの掛け声とともに、郝昭の名は、「昭!」の諱のみが、魏や蜀漢の人々に知れ渡っていく。

お読みいただきありがとうございます。


 呼びかけ方は、ほぼ近代戦の無線通信ですね。

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