三十 長安 〜郝昭×(張飛+厳顔)=永宴?〜
私は郝昭と申します。字は名乗るほどの者ではありません。蜀漢に視察へ赴く荀攸様の護衛として、于禁様と随行しています。早速潼関で足止めを食らいます。といっても、まったく悪いものではありません。
関守の廖化殿、続いて周倉殿から、知識の大盤振る舞いとも言える様々な教えを受け、早速この国の躍進と、その源泉をいくつも目の当たりにします。
すでに我らはこの道中の目標をしかと見定めていたつもりでしたが、『周倉流』、これによってその視界は大きく開かれます。目標と主要な成果というまとめ方。それぞれが上位の組織目標にどう紐付いているのかを、自視点で可視化する手法。三人の目標とそれぞれ一人一人の目標との接続。
と、一つ一つの非常に簡明な目標に対して、全体が階層的に繋がっている、そんな構成法です。確かに戦場においてはこれができる者から生き残り、のし上がっていくものと心得ますが、政を司る荀攸様も、それはそれは見事にまとめ上げておいでです。
ただ、荀攸様も于禁様も、その学びの中で、やや顔を曇らせることも少なくなかったようにもお見受けしました。それは果たして、自国との違いの大きさゆえか、はたまたお二方の齢からくる、些か短き未来に対する憧憬か。
そして一路長安へ。そこでは私たちが渡された個人札をみせると、またこの街のための札を渡され、直ちに市内へと通されました。なんと素早い入市の手続きでしょうか。衛士の方も、出入りする方々も不安な表情は見られず、これがすでに日常となりかけているのやも知れません。
そして、正面からなにやらとてつもないものが歩いてきます。
……あれは張飛です。張飛がきました。
「おお! 于禁じゃねぇか? 怪我は大丈夫なのか? まあ大丈夫か。兄貴にぶっ飛ばされたくらいなら、唾つけときゃ直るわ。兄貴もあんたに会うのは楽しみにしているぜ。腕っぷしはそこそこだが、用兵と戦略の巧みさは認めてんだ。
てことはそちらが荀攸殿だな。昔会ったのかもしれねぇが、二十年は前だからな。流石に抜けちまったみてぇだ。申し訳ねぇ。正義の探求とは頭が下がるぜ。存分にこの国を見ていってくれや。まあ俺に説明してくれって言うのは難しいからな。そのあたりは白眉や黒眉あたりに頼んでくれや。
おお、それにこっちの剛健そうなのが郝昭か。長安のときは苦労したぜ。防戦を得意とする将なんてのは、簡単には見出すことは出来ねぇからな。それをいきなり実戦投入なんていうのは、さすが魏の人材探索の仕組みだよ」
一言一言に多量の情報が含まれております。戦場での威圧感とはまた異なった、言葉にしきれない、凄み、がありますね。
「張飛殿、その矛捌きとも変わらん自在な口上。相変わらずだな。関羽殿にやられた傷、あれは後に響かぬような吹っ飛ばされ方なのではって思っているのだよ。それにあんたら兄弟比べたら、腕っぷしがそこそこを超えてくるのは魏には何人もいないだろ。張遼殿や徐晃殿はそこそこ、ではないよな?」
「ああ、あの二人はなかなかだよ。許褚とか夏侯惇は強ぇ。龐徳も強ぇって兄貴が言ってたぜ。
おっと、立ち話も何だな。ちょっと先に小料理屋があるから、そこでどうだ? そこはお客さんへの配慮が完璧だから信頼しているんだ。どうだ荀攸殿?」
「は、はい張飛殿。よろしくお願い致します」
ごく自然な形で、諱での対話がなされていきます。やはり忌むべきは慣例への差し障りよりも、対話そのものの機会を失うことへの障り、といったところなのでしょうね。実は私も、陳倉の時には「諱呼び」を将兵間で推奨したことで、相互の連絡に齟齬が出にくいように配慮しておったのです。私自ら率先して、ですね。それはなかなかの効果でした。
「郝昭、あんたの字もなかなかかっけぇと思うんだが、こっちじゃ諱で通っちまってるぜ。大丈夫だよな?」
「は、はい。張飛様。ご配慮ありがとうございます。陳倉でもそうでしたので慣れております」
「お? それ面白いな。あ、もしかしてあれもそうだったのか!? よかったらあとで聞かせてくれや。ガハハハ」
む、あれとは? まああとと仰せなのであとにしましょうか。どうやら着いたようです。
「長安の符を出しといてくれや。それで案内できるからよ。食い物も酒も、十分あるはずさ。ゆっくりしていってくれ。于禁は飲めたよな? 荀攸殿はダメだったか。郝昭はどっちだ? どっちでも気にしなくていいんだけどな」
「ああ、頂こう。傷も治ったゆえ心配ない」
「私は結構です。お食事はありがたく」
「酒は命の水ですな」
たしかに、豪華さはそこそこのようですが、出入りや席の配置などに、細かな配慮があるように見えます。聞かれたくない人と、開かれたところで飲食する人で階が別れていますね。私たちは階上に案内されます。話を聞くまではお酒はほどほどといたします。
「趙雲いたらよかったんだけどな。ちょっと別件あるらしいんだ。代わりっちゃなんだが、副官の厳顔だ」
「趙雲殿の代わりは到底務まりませんが、厳顔です。皆様とのお話のお役には、ある程度立てるかと思いますぞ。ハハハ」
この人も戦場では、張飛の突飛な動きを全部組織の動きに変えてしまっていたのですよね。張飛もそれをわかっていて動いていたような。
「厳顔様ですか。私郝昭も、張飛様の動きを解き明かそうとして、それが出来なかったので、何度か注視したことがありました」
「あの視線はあんただったのか……組織の動きっていう意味じゃあ、むしろこっちが参考にさせてもらうことが多かったけどな」
「その通りだな。そいえば、もしかしてその組織ってやつに関係あるのか? さっきの『諱の方で』ってやつだったけどよ。なんか城の方とか、周りの兵達から、すげー短い呼びかけ? みたいのが時折聞こえたんだよな」
「そうですな翼徳殿、いや、張飛殿。中でも、『昭!』という声は頻繁に聞いた気がするんだ」
やはり聞こえていましたか。あの時の戦いでは、防衛戦でありながら、変幻自在の攻め手をする張飛軍、黄忠軍に悩まされ、その指揮命令の速さや正確さには、大いに気を配る必要がありました。
「その、昭、は私ですね。あの陳倉の砦では、お二方の軍があまりにも変幻自在であったがゆえに、私からの指揮命令や、将校からの報告を、迅速かつ間違えのないように行う必要がありました。なので、私に用がある時は『昭!』と叫ばせていたのです。
いちいち我が字名や、将軍位階などいろんな呼び方されたら、呼ぶ側も気を遣いますし、私も応答し損ねる危険性がありました」
「なるほどな……それで諱の一文字だけで呼び合っていたのか。それに、『双!』って声がかかると、めっぽう強ぇ奴が出ては消えていたし、『淮!』って聞こえると、少し乱れた陣形が、さっと整っていたような気がするんだよ」
「一人目は王双という、若き武者ですね。武力もそうですが、その個人の力をどこで使えば有効なのか、を私に預ける形で戦っていました。二人目は郭淮殿。副将の形で、兵や武具の不足や偏りがないよう、目を配っておいででした」
張飛様の聡さは、やはり並外れたものがあります。やはり、単なる猪武者、という評価は、本当にこの方の初期の戦いぶりに由来するものであったのやも知れません。そして厳顔殿も続きます。
「そういえば、今にして思えば、張郃殿には儁乂の『乂!』だけ、徐晃殿には公明の『明!』だけで呼びかけていたようなきがするんだよな。目上だからっていう気遣いなのか? とも思ったが、にしても一文字だけじゃあそれも台無しだ」
「はい。あのお二方にも、事前にお願いして飲んでいただいたのです。お二方の諱は郃と晃。音が似通っておいでな上に、役回りも類似。なので間違えないように、かつ少しでも反射的に相手に悟られにくいように、ですね。戦場の一瞬の判断ですので、数秒考えた後で対応される分には問題ございませんでしたので」
そう。その短い指示や報告は、まことの一瞬の差配。緻密な伝令は、きちっと人を遣わしてやり取りしていました。それこそ『孔明記具』を使って。
「ん? だとすると、名の呼び方をあらかじめ約束していたってことか? そんなの、先に決めとかねぇと無理だよな?」
「左様です。私や上位将校に用があるときは一文字。多くは諱で、たまに字名の一方の方もいました。下級将校は姓名の二文字。三文字の名の者は諱だけにするなど、二文字で表しました。こちらも思いの外、字名の読みが重複しやすかったためですね。そして兵や伍は、隊名と数字などの三文字表していました。
こうすることで、絶対に呼ばれ間違えないこと、音の長さでどういう範囲の指示かを即座に全員判断できる事。それに加えて、互いの名を呼び合うことによる連帯というのも、後からしてみれば大事な要素であったようにも感じられました」
「確かに、あの連携の素早さと正確さ、そしてやたらと軒昂な士気。兵からも、昭! だの、乂! だの聞こえてきたからな。これまで感じたことのない厄介さだったよ。厳顔以来か、それ以上だったな」
「私の時は、足止めというわかりやすい意図があったこと、張飛殿も互いの被害を減らしたかったことなどがあり、強引な突破を避けておいででしたからな。なのでこの郝昭殿の指揮の要諦が聞けたことは、誠に重畳でしたな」
む、少し話しすぎましたかな? まあ良いでしょう。このような拠点の局地戦は、今後多くはなくなるはずです。ですよね于禁様?
「まあ少し喋りすぎじゃあないかとおもったが、そちらの方が価値のある話をふんだんに抱えておいでだろうからな。こっちが出し惜しみするというのも下策よ。ですよね荀攸殿?」
「まことに。私達が話を聞きに参ったのですから、そちら方がご興味を持たれる話をするのは礼にかなっています。郝昭がそれをご提供できたことは、まことに重畳かと存じます。そして郝昭、やはり張飛殿が大きく変わられたのは、この厳顔殿が大きな役割であったと見てよろしいのでしょうか?」
私は、荀攸殿のそのご意見に、少し頭をひねりながらも、まずは話を進めさせていただくこととします。
「無論、この方が相当に大きなお役回りであったことは疑いがございません。厳顔殿や、何名かの若手将校が、あまりに秀逸な動きをなさる個人である張飛様と、軍全体の間をつなぐ動き。
あの動きがなければ、『ある程度突出した個人と、それなりに力のある組織』という評価にとどまっておいでだったのかもしれないと思いながら、対応に苦慮しておりました」
「そこまで見えていたっていうのかよ。この郝昭って将は、これまであんまり名前を聞かなかったが、やはり攻めの戦や野戦は得意じゃなかったのか?」
「はい。やはり砦の上から俯瞰できたこと、事前に準備する時があったことなどが大きいかと存じます。将としての才の全てを持ち合わせるには、天賦の才も、学び積み上げる時の数も、到底足りませぬゆえ」
「かもしれねぇな……人は経験からも知識からも学ばねぇと、どうしたって最初から出来るなんてことにゃならねぇよな」
……やはりそうかもしれません。この一つの引っかかり。これまでこの方が『どうなった』『どんな人や組織になった』のお話に終始しておりました。
危ないところでした。先頃の潼関での『周倉流』目標設定。それがなかったら見落としておりました。その『目標と、主要な成果』、ここで活用させていただきます。
――張飛の変容。その『何』『いつ』『どうやって』『なぜ』を明らかにする――
「張飛様、はなはだ僭越ながらお聞かせ願いたい。あなた様が『いつ』『どんなものを』『どうやって』得られたか、という問いには、ここまでのお話しで存分にお聞かせ願えました。実際には私自身がこの目で見た、あなた方『組織』の力に対する答え合わせが大半でしたが、それも大変満足いくもの。
しかし、最後の『なぜ』その変化が得られたのか、というところは、これまでとは別の流れでお聞かせ頂かねばならぬようです」
張飛様は、大きく頷き、私の目をしっかりと見据えてお答えになります。
「なぜ、か。そりゃ気になるよな。俺もあの分岐点の大きさは重々承知さ。腕っぷしから戦の知恵に至るまで、終始『個人』の力の研鑽に偏っていた俺が、『組織』ってやつの成長に舵を切れたのか。そしてその時に、俺自身の『個』を、潰さずにいられたのか。だよな。
その決めては三人。一人はここの厳顔。もう一人は、俺に対する『次』に対して考えを巡らせていた我が兄者、劉玄徳」
「昭烈帝ですか……やはり、あの方は皆様をしかとご覧になっているということですね」
「ああ。兄者はそういうお方なのさ。でもそれだけじゃあ足りなかった。三人目」
「三人目……孔明様?」
「いや、残念ながらあいつじゃねぇんだ。あいつはあいつで、その後にとんでもねぇことを繰り返しているがな。あいつにとっても分岐点だったかもしれねぇが。
三人目の中身は、成都でしっかりと兄者と孔明が聞かせてくれるはずだ。俺からは名前だけにしておこう。
我が陣営に迎え入れられ、大きな活躍が期待されるも、ある事故によってその命を早々に失うこととなった天才軍師。鳳雛、龐士元。あいつが残した『遺産』ってやつなのさ」
お読みいただきありがとうございます。