二十八 諱名 〜(法正+黄月英)×孫尚香=改名?〜
妾は孫尚香と申すのじゃ。今や昭烈帝と号される、劉皇叔、いや、これは今や正しくないの。帝の父じゃからの。劉玄徳……むむむ、面倒くさいわ! 劉備の後妻じゃ!
たまたま長安の方に、遊……違うぞい。視察がてら、小雛に用があって成都に連れ帰りにきたのじゃが。何やら面白いことになっておるの。法正という、少しばかり、否。だいぶ頭の吹っ飛んだ文官と、月英。そして張飛殿と趙雲殿の四人が、どうやらまたとんでもない技術を生み出しそうじゃな。それはあの者らならば、遠くないうちにまことに形作る事は必定じゃ。
じゃが本題はそちらではないのじゃ。まあさっきの話にもつながりそうじゃの。
「ん? どした?」
「……もう、法正で良くないですか?」
「む、そうか。俺も子龍も何度も言いそうになったし、もどかしくなっちまったか?」
「それもないとは申しませんが、他にもいくつもの理由があるのです。無論、この国は漢の正統であるがゆえ、儒教の考え方を尊重すべきは理解いたします。しかしその全てを儒に基づくのは、これからの世において、とくに三国が並び立つことで、新たな形で競争が激化するこれからにおいて、一つの枷となるのではないかとも考えます」
「それもそうだな。そのあたりは最後は兄者にも、陛下にも伺いを立てないといけねぇが、まずは俺らがしっかり話を聞こうじゃねぇか」
こやつがいくつも、って申すからには、多分一通り全部整理がついておるんじゃろうな。法正ってのはそうするやつじゃ。
……辛抱できぬぞ。そもそも辛抱する必要はないぞえ。入るとするかの。
「なにやら面白い話をしておるではないか! 妾も混ぜるが良いぞ! 法正じゃったな! 続けよ!」
「孫夫人!」
「三秒で矛盾したのは、その口かえ?」
「し、失礼いたしました! そ、孫尚香様!」
「カカカッ、良い。続けよ」
少々遊びすぎかの? まあ良かろう。少し刺激のある方が、話もまとまりやすいじゃろうて。
「で、姉貴? いつから聞いていたんだ?」
この張飛殿の姉貴呼びは、おおよそ最初からであったのじゃ。無論妾の方がだいぶ年下なのじゃが、この方の性格ゆえか、やたらとしっくりくるから気に入っておる。
「こちらの小雛が、二次元号などと申していたあたりからじゃの。なにやらまた新しき工夫がなされるのなら、妾も楽しみに待っておれば良いのじゃろ? 呉の方にはいつもの通り、互いのやりやすさを増すようなところを切り出して貰えば良い」
周公瑾が命を落としたころから、少しずつこちらと呉の間に亀裂が入りかけており、妾もどうしたものかと思うていたのじゃが、小雛がいろいろ手を回してくれたおかげか、今ではすっかり持ち直しておるの。妾も割と自由に行き来させてもろうており、その時に、『蜀漢の不利益にならない範囲で』技術交流なんかもさせてもろうておる。
意外かの? 別に一方的ではないのじゃぞ。呉からも、蜀が食糧不足がちな時もあるゆえ物的支援もするし、行治水関係では先行しておる呉の技術共有もしておるのじゃ。
逸れたの。その辺の取り仕切りは趙雲なのか? 多分違うがこの場は問題なかろう。
「はい、奥方様。出来上がりの目処が立ち次第、外交官と技術側で話し合いを始めますので、大きく遅れることはないかと」
「そなたは相変わらず固いの。まあよいわ。そちらは後じゃな。
法正よ。話を続けられるか?」
「かしこまりました。字と諱。これからの世においていかなる動きになりそうか、いくつかの視点を申し上げたいと思います。
まずは、技術面や制度面ですね。ここ数月の動きとして、官民台帳、すなわち戸籍の整備を正確に始めております。今は青年男子のみですが、これからは幼子、赤子、無論女性の整備も急務です。さらに、先ほどの二次元号、おそらくこれができると個人認証という枠組みも可能となるでしょう。
「個人認証? 何じゃ?」
「私は誰です、という認証を可能にしてしまうのです。そうすると、例えば仕事場や軍事施設、情報施設などに入るときに、その施設の認証と、個人の認証登録を併用することで、多重の防備が可能になります。また、配給や俸給なども、それを用いて管理しやすくなるでしょうな」
「なるほど。妾は孫尚香じゃ! などとそこらの町娘が言い出しても、下手をするとわからぬ衛士はおるかもしれんからの」
「はい。名のある方ならともかく、兵同士や民同士ならなおさらかと。そんな時に、幼子や女性、そして字名などの文化のない羌族や南蛮族といった方々を登録するときにどうするかを悩んでしまうかもしれません」
「逆に、その登録情報を読み上げたくなる者もおろうな。その時に、諱を言うて良いのか悪いのかをすぐに判断できんかもしれん。厄介じゃの」
なるほどのう。技術の進歩が、そういう違いを生むのじゃな。
「左様です。二つ目が、先ほどと関連しますが、字名を持たれぬ方と持つ方がおいでであること。戦時ならば成人男子を優先しても良いでしょうが、平時においては女性も同等以上の才を発揮し得ますからな。この場などすでに同数です」
「カカカッ、そうじゃの。それに小雛など幼子じゃからの。若き才もおるやもしれん。関様の元に拾われた、どもりの若造、なんじゃったか? あやつ、字名決まっておったか?」
「鄧艾でしたか。たしかまだであったかと。それに南蛮や羌、氐の方々や、かれらと付き合いの深い方々は、むしろ名をしかと呼んで欲しいという文化圏もあるようです。馬超殿も孟起と字名がございますが、最近使っていないと仰せでした」
「厳顔なんてひどいもんだぞ。自分でもなかなか出てこなくなったとか言って、俺ですら字名聞いてねぇんだ。だからあいつ最初から厳顔なんだよ」
あの老将、阿呆ではないからの。まことに南との付き合いから、そういう言い方をしておるのじゃろうな。まさに先見の明なのやもしれんな。
「三つ目もその関連ですな。本名を呼ばれることを忌む風習は、必ずしも絶対の義ではないということです。むしろ積極的に呼ばれたがる氏族もおります」
「だな。厳顔がそれに付き合うってのもすげぇが」
「関連して、近年は『名が売れること』の価値をしかと見定めている者も多いためでしょうか。しっかりと諱と字名を書状などにも併記する者も増えてきております」
「糜芳んとこの、なんだったか? なに士仁だったか? あいつ一文字目がにじんだまま書状送ってやがったって笑われてたぞ」
「傅士仁殿ですな。字名は失念いたしました」
「そうか。そんなふうにぼやっとしているところが、余計な『手間』になるっていうんじゃ、これから先にはそぐわねぇのかもな」
「小雛殿、諱の語源は『忌み名』なのは存じていますが、他にも要素などはありそうなのでしょうか?」
『はい。ごく親しい方同士のみが呼び合う「隠し名」、死後にその栄誉を不朽のものとする「終名」、そして、呪術の意味合いがある「真名」といったところでしょう』
どれも、少し先にはしっくりこぬようになりそうじゃの。
「国として一体で盛り立てていこうという時に、隠し名というのはあまりそぐわんの。そして、あの曹操がいっておったのじゃろ? 死後の名誉などで腹はふくれん、生きておるうちが華、という意図じゃ。
それに、呪術も呪術で、必ずしも名のみで成立するものではなかろうの。むしろ、諱が特別であるからこそ、そこの情報量に歪みが生じるのではないか? 皆が当たり前のように名を呼んでおれば、そこに呪の入り込む隙が減るやもしれんぞ? のう小雛? 情報量というのはそういうものではないか?」
『はい。繰り返されれば強化され、避けられれば消えたり歪んだりすることもあるのではないかと』
「ガハハ、姉貴もやるじゃねぇか。そんなところまで学んでいるとはな」
「当たり前なのじゃ。妾が学ばんで、誰が呉と蜀の橋渡しをするんじゃ?」
ここで張飛殿、結論を出すようじゃ。
「うん、論は尽くされたんじゃねぇか? 確かにいろいろ障害はあるだろうぜ。でも進めてみる価値が十分にあることはわかった。
法正、お前の考え、やはりその名の通りじゃねぇか。法に則り、正しきを求める。字名もまあ近しいが、より名が体を表してやがる」
「はい。まことに、この法正、この名こそ我が信条にございます」
「ガハハハ! そしたら俺も張飛だ! 翼徳ってのもかっこいいが、どっちにしたって飛んで駆け回るんだよ!」
「ははっ! 翼徳様! 否! 張飛様!」
「ガハハ!」
「私はどちらも好みですね。趙雲でも子龍でも、それこそ渾名の竜胆でもようございます」
「渾名がある者も少なくないからの。白眉の黒眉の、と」
「それに、孔明は孔明なんじゃねぇか? 今更諸葛亮はちと長え」
「字名が通ってしまっている方も少なくはなさそうですな。それはそれ、として、認証基盤とでも申しますか。その台帳には本名を使えるように、進めさせていただければと存じます」
さて、一件落着かの。では妾が劉玄徳、否、劉備様の元にお伺いを立ててみるとするかの。
「さて、では妾は成都にもどるぞ。小雛、ちとあちらで用があるのじゃが、これるか?」
『むぅ、あまり良い予感がしないのと、法正殿のお手伝いも必要そうですが……』
「やかましいわ! ゆくぞ! ではの」
『わわわ! なんで首根っこ捕まえられるのですか!?』
なぜじゃろうな? わからんの。
「すげぇな姉貴。それじゃあ、鳳雛殿もまたな!」
『は、はいぃぃ』
そして成都にもどり、劉親子や孔明らには、小雛とともにその新技術の話と、名の話をしかと耳に入れておいた。孔明は「私はなぜ孔明なのでしょうね」とぼやいておったが、特に新陛下の劉禅様が大いに乗り気じゃった。あの方、字名の公嗣よりも幼名の阿斗の方が広まっておいでじゃからの。そちらで呼ばれて幼子扱いされるくらいなら、諱の方が良いとの仰せじゃ。ちなみに我が夫は、諱でも字名でもどちらでも良い派じゃ。こう見るとまことに様々じゃの。
皇帝としては異例中の異例とも言える『諱呼び』を許す、という表明は、蜀漢だけでなく全国に広まり、諱、字名、そして渾名のどれで呼ぶかというのに、呼ばれる側の自由が与えられ始めたのじゃ。
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「蔡文姫様、否、蔡琰様、どうやらあちらの国では、男女関係なく諱で呼ぶことが流行り始めているようです」
「そのようね王異。では私たちも、さしあたり私たちの旦那や、その仕事場周りから、その機運を作ってしまいましょうか」
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「尚香、久しいな」
「兄上、今回もいろいろ持ってまいりました」
「それはそうと、そなたもなかなか尖ったことをするものだな。諱で読んでも問題ないように、国全体を動かしてしまうとはな」
「それはそうです。妾の夫など、いくつの呼び名を使い分けておいでなのか、めんどくさくてなりません」
「ふふふ、だそうだぞ陸遜」
「ははっ。私もまだまだ未熟にて、その機微は計りかねますが、尚香様、孫権様? でよろしいのでしょうか? 慣れませぬが」
「カカカッ、どうですか兄上?」
「ああ、よいのではないか?」
――――
そうして、少しばかり先にはなるが、白と黒の格子模様に透明な板を合わせて『不割符』が出来上がるのじゃ。
そして模様そのものも、まずは四かける四で運用が始まったんじゃがの。ほどなくして、傷ついた時も安心できるような六かける六のますに対して、その左上の三かける三の位置合わせという、なかなか見栄えも良き号が完成したのじゃ。それは開発者の名を、それも不朽の諱をとって『法正号』と呼ばれるようになり、誠に多くの用途に活用されるようになってゆくのじゃ。そして、文官の中で才ある者は、登録された文字と、対応する法正号を覚えて素早く復号したり、より強固な符牒を開発するといった『暗号技師』とも呼ばれる者らが出てくる。当然、その筆頭は法正なのじゃ。
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「なんか彼らの技術が、プチSFじみてきたけど大丈夫かな鳳さん?」
「だ、大丈夫です。ダメなときは。ちゃんと『無理がある』ってAI孔明は言ってくるのです」
『そうですね。この二次元コードは、彼らの技術や仕事力の進化速度ならば、ある程度の合理性で思いつく可能性がなくはないです。それに、法正や黄月英に、張飛や趙雲が立ち会っているという状況は、すでに常人の「そうする」を相当程度はみ出しても構わない範囲と考えられます』
「まあいいんじゃねぇか? 俺たちの目的は、英雄たちの『そうする』なんだから」
「まあそうだね。このまま続けてみようか。そして、その続ける時に障害となっていた、『対話速度を遅らせる要因』について、あくまでも合理的に取っ払うことにしたんだね」
「は、はい。人の名前というのは、やはり一貫性あってこそ会話が弾むものではないでしょうか。話を進めるたびに名前で一呼吸置かれては、過呼吸になります」
『過呼吸は違いますからね。字面だけで親和性を過大評価するのは、大規模言語モデルとしては、要調整課題です』
「わ、私はあっちの幼女じゃないので、そのへんは気にしなくていいのですよ」
「それにしても諸葛孔明、あいつ仕事の次は、出番まで奪われ始めてねぇか? 確かに超重要な仕事、っていう形で追いやられているけど、ある程度定期的にあの天才の『そうする』は追いかけたほうがいいかもしれねぇぞ」
「かもしれませんね。まあそのうち、です。でも次は予約が入ってしまいました。次は『正義の求道者』『怪我明けのベテラン』『防戦職人』そして、『三兄弟の信条』なのです!」
お読みいただきありがとうございます。
というわけで、今後、あまりに違和感が出てくるような場面をのぞいて、積極的に「諱」の方を使わせていただければと思います(孔明以外)。なにより、混ざっていると読みにくくなったり、「誰?」ってなるのも大変ですので。
どうにか歴史上の変化を加速することで、その考えが合理的であるように、AIと相談して専用話を構築しました。引き続きよろしくお願いいたします。
また、最後に再び出てきた、現代メンバーが活躍する作品も、「時代の違うパラレルワールド」のような形で並走させる試みをしています。こちらの方も、「孔明vs魏っぽい三大クセ強」などを描いております(第二部の前半あたりから、わかりやすい話名です)。両方独立作品ですが、ご興味がありましたらよろしくお願いします。
AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜
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