二十四 技術 〜程昱×劉曄×張遼=四五五?〜
我が名は陳寿。三国の行末を眺め記す、時代の傍観者。孔明や諸将をはじめとした急速な進化は、三国の天秤を大いに平らかにした。その躍進のあおりを直接受けることとなった魏国は、乱世の奸雄たる武帝の亡き後、次代の曹丕が帝位の禅譲を受けるも、その実は三つ分たれたうちの一つの君たる評価は、今もこの先も変わらないと推察される。
その遠因を探り当て、いかにして善後策を練らんとしてまず動いたのが、魏武の隆盛を影に日向に支え続けた、老獪なる三人の宰相、程昱、賈詡、荀攸。その一人目たる程昱は、蜀漢の技術革新の原点を探ることに注力し始める。
「劉曄殿、この魏において技術への造詣が深き者は、そなたをおいて他にはおらぬ。それゆえ、この国がまことの斜陽とならぬうちに、かの蜀漢と名乗りし国の、今の力の源泉を突き止めねばならぬのである。
ゆえに、益州を己がものにした前後において為された変革が、いかなる経緯で生み出され、そしていかなる革新の連鎖を起こしておるのか、互いの知る限りのことを話し合わさせてもらいたいのだ」
「承知いたしました、仲徳殿。そして、この様な国家の大事において、私なんぞにお声がけくださることに感謝致します」
この劉曄というお方、いささか謙虚にすぎる物言いと評せざるを得ない。話しかけた程昱とは親交も深く、世に広まる新技術への感度の高さや、旧来のからくりなどへの造詣の深さは肩を並べ、彼らが事あるごとに相談しているからこそ、この国の技術水準は一定以上たり得ている。
それに技術のみならず、対話の質という側面においても、決して三宰相や過去の謀臣達に対して引けを取る者ではない。だからこそ程昱も心地よく論をすすめ、自らの思索を高い効率で整頓できる側面もあろう。
「繰り返しになるが、技術という範囲で、そなたをおいて他に相談すべき相手はおらんのである。まずは、すでにあの国から流れ来たるいくつかについて、掘り下げると致そうか」
「流れ来たるもの、ですな。ごく最近の流れ物である木牛流馬や、それと時を同じうして、ともに運び着きし物である幾種かの甘露水は、この度の趣旨と異になりましょうな。あれは旅人や商人には大層有意義ですが」
「然り。そのあたりはごく最近なればこそ、かの国の躍進の後にもたらされし物と見られる。ゆえに、それらのものは、我が話題にしたき『かの国の躍進の源泉』という意味において有用な因果をもたらす情報とは言い難きもの」
「……ならば、やはりまず着目すべきは、割符、孔明記具、砂盤の三つと心得ます」
ここで程昱、劉曄の言に対してやや違和を覚える。
「むむ? 先の二つは良い。おそらく時がもっとも我らの論ずるにふさわしき物である。だが砂盤は、確かに孔明の改良せし物と伝え聞くが、その改良自体がなされし時は、赤壁のすぐ後ほどと見られているのではないか?」
「当初はそのようですな。しかしこの砂盤たる物、直近にて幾度か細かな改良がなされていることに、仲徳殿はお気づきでしたでしょうか? この技術は、主に戦場の幕舎などにおいて、将官同士の作戦の共有などに大きな効果をもたらす物とされております。それゆえこれまでは、机上全体に広げるような、やや大ぶりなものが多く用いられておりました。
しかし、益州があの者らの手に落ちてほどなくでしょうか。必ずしも戦場での意識合わせには到底そぐわぬような、二人三人向けの物や、さらに小さな、一人用ではないかと思える物まで流れてきております」
「むむむ? 二人三人なら分からぬではないな。防諜や伝達速度の改良のためなら、その数でも価値はあろう。だが一人となると、これはもはや認識の共有という用途から外れし物と考えざるを得まい?」
二人、少し考えるも、すぐに答えが出ない。だがそんなとき彼らは、立ち止まるという選択は取らない。
「ならば一旦ここで留めおこうぞ。書き置こう。この孔明記具とやら、鉋で削り落として木片への書き付け面を出し直すという、なんとも手軽な設計。我も大いに活用させてもろうている。
それに、一度書き置きし内容を残したまま削り出す鉋と、そうではなく削り崩して捨て去る鉋の二つを切り替えられるのが、これまた良き使い分けをなせる。なんともかゆき所に手の届く品である。孔明憎しといえどもこの品には感謝しか覚えぬ」
「然り。今のように、しばしの間残したき書き付けには、厚めの削り片。防諜などのためなら削り去れる薄めの屑。なんともよく出来ておりますな」
「むむぅ、書いては消す、その繰り返し。先の砂盤と、まことによう似た代物よの」
「……ん?」
「……ん?」
「今何と?」
「先の砂盤とよう似た、と」
「それも確かに重要。そしてその前です」
「書いては消し。書いては消し」
「む……これは何とも。もしかすると、かの国の躍進の尻尾の一つ、掴みかけてあるやもしれませんぞ」
この二人、やはり対話の中で、どちらかが気づきを得、もう一方がそれを拾い上げる。そうして魏の躍進を支えてきた。この二人だけに限らず、謀臣や文官、知勇兼備の将が多数存在する魏において、その二人組み合わせの数だけ、策やひらめきが生まれる。十人いれば四十五とおり、十五人いれば百五とおり。
「すなわち、読み書き、そして消し、であるな。おそらくかの国、ある時より将兵や民の読み書きの力に格段の向上が見られている形跡があると、賈詡殿がおおせだ。
それは漢中において、やや地味ながらも着実な働きをした、廖化、という将の存在が物語っている。その者どうやら黄巾あがりで、読み書きなどできそうもなかった者なれど、先の戦ではやたら緻密な動きが、敵ながら天晴であった」
「識字の率、ですな。それに、もう一つの割符にも通ずるところがあり申すが、用間、とくに諜に対する防ぎの術の高まりも、これまた強き印象を覚えます。
特に、白眉と名高き蜀の馬良が弟の馬謖とやらは、防諜術を国内に押し広げる活動の主格として、『黒眉』との二つ名が広まっているとか。そして同じく賈詡殿の謀の弾かれようは、いささか目を引くものでございます。
――――
「くしゅん」
「おうおう馬謖、いや、『黒眉』。風邪でも引いたのか?」
「やかましいわ魏延。それにその二つ名、もはや広まりすぎて、変わることはなさそうなのだよな……
「白眉の弟。突飛なる閃きはなけれども、他者の届く範囲は漏らさず成し遂げる。それこそが平凡なる非凡『黒眉』。俺はいいと思うがな」
「やかましいわ」
――――
「へくち」
「文和殿、風邪ですかな?」
「否。阿呆と悪者は風邪を引かぬと申します。風の噂にでも当てられたのかと。まあ仲間内でしょうな」
――――
識字率と防諜組織の高まりが、蜀の躍進の原点かもしれない。そう見定めた程昱と劉曄。しかし何か不足を感じている。
「むむむ……まだ足りぬものがあるような」
「この『小型砂盤』でしょうな。何か、われらに足りぬ視点、ですか……」
そこに吹き荒れる突風。否。それはそういう感覚を二人が覚えたのみ。しかしその感覚は、二人にとってはある意味で珍しいものではなく、そしてこの上なく頼もしきものであった。そして、二人によるひらめきの組み合わせの数に対し、三人の組み合わせなら、それが十人なら百二十、十五人なら四五五とおり。
――遼来来――
「論、技、閃。お二方の才のお変わりなきこと誠に重畳。辿り着けぬは、お二方と、我らとの役目の相違」
――遼去去――
一陣の風とともに残されたのは、二人用の小型の砂盤、そして、その上の三文字の書き置き。
『標、迅、略』
「むむむ、張文遠殿、相変わらずの神出鬼没にて、強烈な存在圧である。そして、残された三文字……」
「目標、あるいは標的。迅速。そして戦略や軍略、といったところでしょうか……!!」
「そういうことであるか。多くのものが字を覚えたからこそ、それぞれが目標を迅速に練り上げては消しを繰り返して見定め、上下様々な立場の戦略や目標を共有し、擦り合わせることができる……
その迅速な思索の末の決定が、かの記具などで共有され、組織全体や小隊、ひいては個人にまで行き渡る。そして重要な伝達は割符をもって管理され、必要に応じて抹消される。
これが組織全体に行き渡るのであれば、かような組織や個人が躍進せぬはずがあるまいて」
「然り然り。これこそが、かの国の躍進の、まさに原点でありましょうな。文遠殿が仰せの通り、迅速な目標管理や、上下にわたる目標の共有という技術は、戦場でこそ最大の力を発揮いたしましょう。なれど、平時にあってもこの仕組みが応用されているのだとしたら、それは組織と個人の成長を大いに促すものに相違ありますまい」
こうして、三国の一分を堂々と占めるに至った蜀漢国、その「どうやって」が、おおよそ垣間見えるに至る。しかしその時すでに、かの国はその躍進の原点から大きく先に進んでいるであろう。
その事を二人、否、三人が思い至ると、彼らの危機感はより一層増幅するに至る。そしてその目標管理術は深く掘り下げられ、魏国においても独自の進化を遂げていく。
お読みいただきありがとうございます。
対決と言いつつ直接衝突はしませんでしたが、直接当たる時と当たらない時は今後も出てくるのではないかなと考えております。