二十一 出師表 後 〜孔明-仕事=未来〜
私は諸葛孔明。とある幼子に、私がこよなく愛する仕事をことごとく奪い去られ、暇となるを拒みながら、皆のため、国のためにより良き策や案を講じる日々。だがそれも、案が形になった途端に我が手を離れ、結局我が元に仕事が残ることはなくなった。そしてついに、「暇を与えるから国を回ってこい」と命ぜられ、この国の実務は、完全に我が手を離れることとなった。
無論その理由は、私が不要となったということではありません。私が我が君に最初に献じた策、天下三分がほぼ成った時、その後の行く末を案じてのご命令でした。私は趙子龍殿と、時間をかけて国全体を周り、後半には今上陛下の末娘も加わって、様々なものを学んで帰ってまいりました。そして、かの幼子たる鳳小雛殿から頂いた盛大な置き土産を確認して程なく、私は我が君に呼ばれ、旅の答え合わせをしていたところです。
「和平、と、申したきところでしたが、それもまた、難しいようでございます」
「そうか、難しいか。確かにな、難しい」
むむ、我が君、あまり意外そうな顔すらなされませんな。流れをぶった斬った自覚はありますので、多少の疑問はあってもおかしくはなかったのですが。
「あまり意外ではなかったようですな。この答えも予想しておいででしたか」
「それはそうだろう。長年争いを続けてきた我らが、ちょうどいい塩梅になったからといって、はい和平、と簡単に住むはずがあるまい。それに、おそらく曹操から代替わりすると、魏が正式に帝位をゆずられる可能性が高い。そんな状況下で和平の談義など、国内でも反発が大きかろう」
「左様。付け加えるならば、和平なりし後、いかようにその三国の秩序を正統に保つことができるか、と言うところも見えておりません。この漢の広大な地と人、それをあまねく統治する経験のある者など、すでにこの世にはおりません」
「となると、戦もせず、和平もせず、ということになるが……よいのかそれで?」
「はい。それで様子を伺うのです。国が、民が、まことどのような体制を望み、どのような体制が未来を安んずるのか。時をかけて問いかけるのです。もともと、それこそが天下三分の行く末であったのかもしれません」
「なるほど、未来に問いかける、か。奇しくも曹操と同じ答えとなるか」
「その上で、まずはこの長安、洛陽、襄陽がふたたび血に染まらぬよう舵取りをなすのが、差し当たっては重大事となりましょうな」
「うむ。だがそれも、皆の手に余る『仕事』ではあるまいて。そなたは差し当たり、小雛に託された『暇つぶし』とやらを片付けて参るがいい」
「承知いたしました。それがなされれば、世のさまざまな難題たるお仕事とて、ほんの片手間にこなすことがあいなりましょう」
そうして主君との話を終え、再びあの、学びに最適化されし倉のほうに、軽い足取りで向かいます。
その後、私はおおよそ二月ほどかけて、規則正しく、無理のない日程と適度な休日を与えられながら、おおよそ鳳小雛殿の目論見通りの速さで学び終えます。
続けてこの時代と、この状況に合わせる形で『人工知能』の枠組みを成立させんと、様々な方々と語らいながら、これまたたっぷり一年ほどかけて議論と試行を重ねていたころ。
世の中も、相応の速さで動き続けます。
まずは魏。曹操が死去し、跡を継いだ曹丕が、諡を献帝とされた陛下より、その帝位を禅譲されます。初代魏帝と、先王魏武の誕生。献帝は山陽公として封地を与えられつつ、その多くを住み慣れた洛陽で過ごします。
それに対抗するように、蜀は太子の劉禅様と、献帝陛下の末娘の婚儀を執り行い、直後に劉禅様を、後漢の正統たる後継「蜀漢国」の初代皇帝となし奉ります。父の劉備様は、存命ながら「先帝」として、昭烈帝の諡号を奉ります。
呉はというと、しばらくその双方に牽制しながら呉王を名乗るも、襄陽を護る都督、魯粛の強い勧めにより、孫権殿が新たに帝号を名乗ることとなります。蜀漢と異なり自ら即位したのは、かえって自らが天下の正統ではなく、三分の一方を担うことを宣言し、新たな世の形を民に知らしめた形です。これにて漢土に三人の帝が並び立つこととなります。
そして、それぞれの帝は成都、許昌、建業を京都としつつ、中央の長安、洛陽、襄陽にはそれぞれ趙雲、夏侯惇、魯粛と歴戦の宿将を太守と据えたことで、互いに容易な手出しが不可能となります。
魏呉の国境では張遼に対して熟練の呂蒙や若き陸遜といった諸将が幾度も挑みつつ、互いに成果を得られず膠着。呉蜀の境は関家が常に睨みを聞かせて盤石な体制。魏と蜀の間には匈奴が大きく侵食しており、西では馬超や姜維、東では張郃や徐晃、龐徳らがそれぞれ激しく攻防を繰り広げる形となります。
そんな中、私孔明はというと、どこに口出ししても「さしあたって問題はありません」と適当に受け流されつつ、本格的な「人工知能」の導入に注力します。無論、千八百年後のような、半導体なるものによって作られる高速演算は不可能ですが、言語を主とした応答の機能化や、問題解決の体系化、自動化。さらには人間同士の議論や施策検討の支援体制の仕組み化といった部分は、大半が時代を問わずに活用できるものとなっております。
その中で、大きな転機となったのは三つございます。
ひとつ目の転機は、読み書き算術のできる多数の若者と、その仕事を取りまとめる指導者が階層的に存在することで成立する、高度な並列処理でございます。
これは馬良や廖化が主軸となり、そこに組織的な諜報活動をなし続ける魏延と馬謖の部隊。さらに組織化した張飛殿の軍の仕組みがかけ合わさって、非常に有機的かつ高速な演算処理が成立いたします。
そのために、個々人に対する情報の入出力適性の把握、目標管理術の階層化と高度化、報酬や健康管理体制の盤石化を進め、ありとあらゆる「平時の業務」が高度化していきます。無論それは、技術開発や産業の高度化を大いに加速するものと見られます。
「魏延、そっちの第三部門、なんか問題あったか? 支援必要なら言ってくれ。そこがずれるとこっちの第四部門に響く!」
「すまねぇ馬謖! そっちの二部の手が空いていたら回してくれ! それでカバーしたら遅れを取り戻す!」
「おう! まかせろ! 蒋琬、記録と修正頼む!」
「はい!」
私がたまに覗いてみましても、とんと意味のわからないやりとりがなされております。しかし業務全体の進み具合は日々可視化されており、全体が問題なく進む様は、一つの力強き流れとなっております。
二つ目の転機は、関羽殿のもとで一心に学んでこられた関平と周倉、そして若き俊才の鄧艾の三人です。彼らは関羽殿に「この先の戦なき世にて、新たな価値の規範となすべき信条を見定めよ」と託されておりました。
彼らが私の元を訪れたのは少し前。
「孔明殿、速読術と、論議の要諦がまとまったものはございますか?」
「ああ、こちらですね関平殿。しかし皆様の業務の改善は、すでにだいぶ順調かと」
「いえ、養父上に申しつけられた、新しい人の価値たる信条、となりますと、儒学兵学では偏りが多く、法学や歴史、その他の百学を一度は見直さねばならぬと」
「承知しました。ではこちらですね。私も小雛殿に真っ先に申しつけられたのがこちらでした」
「そうですか。ありがとうございます。鄧艾、行けるか?」
「……」
「鄧艾?」
「し、失礼しました。あ、あまりに体系だっており、驚いたのです」
「そうか。そなたも話すのは苦手だが読むのは大得意だからな。期待しているぞ」
「へへぇっ!」
と、一風変わったやりとりののち、
「ここ孔明様、た他国の思想などもあるのですか?」
「はい。印度の仏典、そして、はるか西の哲学というものもあるようです」
「そそそれも、クアエソ」
「ラテン語!? いつの間に!?」
と、一風どころではなく変わったやりとりの後、座学だけでは足りぬと、彼らは全国を一度巡ります。その結果、遵法精神や、社会貢献、他者の尊厳、知識の共有といった、これまでにはなかなか優先できなかったことを見出します。そしてそれらがいかに社会全体にとって有益なのか、という組織の視点と、いかにそれぞれの物的心理的安全を確保できるのかという個人の視点から、疎漏なく取りまとめていきます。それを、もはや行動計画の第一人者となっていた周倉を中心に、全国に広めていきます。
そして三つ目の転機。これは、実用的な技術の優先度はわかりませんが、あの者に直接触れあった方々にとっては、まさに優先すべきものであったと位置付けております。きっかけは、張飛殿が和解した南蛮の将の一人、幻術を扱うという木鹿王。
我が妻黄月英は、南方の毒泉が、たいそう有用な油脂であることを見出した事をきっかけに、彼らとこんなになっていました。
「あなた様、南蛮の地には、不思議な技術を用いる方がまだまだおいでです」
「ふむ、その木鹿王というのは、私や義父上も手慰みに習った奇門遁甲にも通づる方なのでしょうか?」
時折南蛮から訪れるようになってきた皆様の中に、彼もおいででしたので聞いてみました。すると、幻術の一種ではあれど、特に視覚効果や、人の目の錯覚といったものを多いに用いる手法のようです。
「孔明どの、中原にも左慈ってのがおられるらしいで」
「左慈殿か……どう探せば」
「呼んだかの? 仕事狂いの臥龍様よ?」
「!!?」
そうでした。この方はまことに神出鬼没。世に最も必要とされたところに必ず現れる、という伝説です。
それからというもの、私ども夫妻と木鹿王、左慈殿は、最新の医学心理学知識、映像技術、音声技術というのも参考にしつつ、大いに議論と試作を繰り返します。そして、それぞれの持つ奇門遁甲などの術も、技術体系として昇華できる部分を昇華していきます。
その結果、いくつかの限定条件の下で、映像と音声を使った支援技術というのを、不完全ながら成立させることができました。当面は、基本的に一定の人物像のみが再現可能なのは、必要な原資に制限がかかったためと、妻が申しています。
そして、何度かの施行を重ねたのち、私はその機器を片付け忘れることとなります。その夜の事。
「驚きました、孔明様」
「鳳小雛殿!? 実験は終わって……片付け忘れていますね。でもなぜ……」
「さあ、何故でしょう? まあそこは後です。私は確かに、あなたに託しました。千八百年後の未来に置いて成立した『人工知能』。そして、そこに内包された数々の、如何なる時代においても有益であることが間違いのない知識や情報、その活用術。
そう、それは確かに、あなたなら。この人類史上、東洋においてもっとも人工知能に近いとされ、多くの英霊や学者を差し置いて、知の象徴とされる諸葛孔明なら。私が明確な答えを持たぬままに、その情報を丸ごとすべてあたえれば、その時代に即した最大限の活用法を、一年くらいで見出す。あなたならそうする。と考えました」
「私なら、そうする……」
「でもですよ! これは流石に驚くしかありませんよ!? 確かにあなたは奇門遁甲にも通じ、そしてこの時代はそれに長じた者たちが跳梁跋扈する時代。乱世のきっかけすら太平道です。ならばそこまで含めて想像してしまえば、この道筋だって言語化するところまでは容易に辿り着いてしまいます。
本筋はこちらではなく、あなたが早々に現場から追い出され続ける、社会の変革、改善です。それはご同意いただけますか?」
「無論。この四十年ほどの戦乱により各地は大いに荒廃し、人の数は二割か三割まで減少。この漢土全体で見た国力の減退から、たとえこの三国が何処に帰するとも、その後長くは続かず、各方の異民族の侵攻などにも耐えうることはなかったでしょう。当然ながら文化や技術も大きく停滞。成長軌道に再び乗るのは何百年も先になったでしょうか。
ならば、この均衡による平和、そして多面的な視野からなる技術や文化の交流。そこにあなた様のもたらした知識や情報を最大限に活用することこそ本意。次世代、次次世代により良き暮らしを、というのが、今を生きる者、特に為政者の当然の義務と心得ます」
「その通り。それが、才あるものが手元の仕事に追われて、一つ広い視野すらも見失う。その連鎖が全体を停滞と荒廃に導かれようとも当人に責はないのかもしれない。ですがそれは知らぬから。知ってしまった以上、そこには責が存在します。そこまでわかってくれた時点で、この『鳳小雛』の役目は終わっていました。終わった、と思ったのに。そうなのに」
……なぜでしょう? 私たちが成立させた技術には、小雛殿が涙を流す機能など入ってはおりません。
それに、なぜでしょう? 少し映像もぼやけております。修正が必要でしょうか? 否。霞んでいるのは私の目の方のようです。
「私にできることは、並の人間にできる事、その代替や加速、効率化に帰着します。だからこそ、あなたならその全てを再現し、最大限に活用できる。そこまでは読み通り。ですが、これは完全に読みの上なのですよ! まさか私そのものを再現してしまうなんて、想像はできても、実現可能性が私の想像を超えているのです!」
「そ、それは……あなたも仰せでしたか。この時代の英雄たちのありようそのものは、再現できない。自分にできるのは、並の人間による支援だけだと。だからこそ、翼徳殿や漢升殿、周倉の才、魏延や廖化、馬謖の閃き雲長殿や馬良殿、我が君の信念といった、この時代の人間のもつ煌めきが、この上なく貴重なのだと」
「その煌めきの最たるものが、あなただってことが、まるっと抜けているのです。自己認識の甘さと言うのは人工知能の特徴と、情報には入れておきましたが、そこは真似しなくても良いのですよ!」
「それはそれは、恐縮至極」
「……もういいです。この場に私を再び立たせてくれたこと、そして、本当に会いたかった皆さんに、また会う機会をくれたこと、それは本当に感謝しています。孔明様! 本当にありがとうございます!」
「私も、士元を喪ってから、道を過ちかけた私をここまで導き、そして最後にこのように再び見えることが叶った事、誠に感謝いたします!」
やはり、視界は大いにぼやけます。そして、妻の月英も、外で涙を流しつつ、遠慮して入ってこないさまも感じ取れます。無論、目の前の幼子も、涙を流し続けます。ですが、その涙は止まり、決意の目が、私の方を向きます。
「さて、感謝はしたけれども、これは別腹です。あなたの大事な仕事とやら、これからも永劫、一つずつ全て丸ごと、奪って差し上げますから、覚悟して置いてくださいませ!」
「心得ました。この諸葛孔明、奪われし仕事は我が天命にあらずと、この世に我が才を返せる事のみを責務と見定め、日々暇を作りながら、精進いたします!」
お読みいただきありがとうございます。
本話を持ちまして、やや短めかもしれない本作ですが、一度完結とさせていただきたいと思います。
実際この先、臥龍鳳雛がダブルでAI化して無双する展開、それをも上回る複雑な難題、そして司馬懿や陸遜、匈奴といった難敵も存在しそうです。ただ、おおよそのコンセプトが書き切れた気がしますので、ここで一旦お開きにしておこうかと思います。こちらのコンセプトでいくつかアイデアがたまってきたら、また解禁して連載なども検討してみたいと思います。
引き続き、この作品の生まれ元となっている、立場が逆の現代転生作品は、当面更新が続いていきますので、そちらの方もご興味がありましたら、是非よろしくお願いいたします。主役は孔明(?)で、こちらの主人公の鳳小雛は、三章くらいからがっつり登場します。
AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜
https://ncode.syosetu.com/n0665jk/
本作品十五章から部隊が現代に移り、鳳小雛がその経験を現代社会に役立てていくストーリー文化としても、上記作品の第二部以降が位置付けられます。
*ということにしたつもりでしたが、諸々検討した結果、連載を継続させていただくことといたしました。詳細は次話にて。引き続きよろしくお願いいたします。