二十 出師表 前 〜劉備×価値観=新三国?〜
私は劉備、字は玄徳。孔明に暇を与えるという、当人にとっては衝撃だったかもしれん形で送り出してから、一年足らず。我らの快進撃は留まるところを知らなかった、と言ってもよかろう。
まず、不穏な影が見られた南蛮に対して、張飛が向かった先では戦らしい戦にならなかったと聞いた。彼らに万全な準備をさせた上で迎え撃たんとしたが、向こうの不手際ののちに、なんだかんだで意気投合。さすが張飛、さすが張飛軍。
ほどなく黄忠を大将とした漢中制圧軍は、育ちつつあった諜報術を駆使した見事な戦いぶりだった。敵将徐晃との不和を招いて王平を離反させたり、弓の撃ち合いであの夏侯淵を堂々と討ち取ったり。相手が留まり難く退き安い状況を巧みに作り、瞬く間に陽平関に到着。そして張飛の合流を待たずして、曹操自ら率いた魏軍は長安まで撤退した。
奇しくもそのときの曹操の言葉が「鶏肋」で、それは今目の前の孔明に対して鳳小雛が荊州の位置付けを表現した言と同じであったと聞く。孔明は、一年半ほどの旅から帰るなり、あの姿を消した鳳小雛が、我らに多くの恩恵をもたらすために使った力の全容を託された。今はその休憩がてら私自ら、孔明に話を聞かせているところだ。
「して我が主君、長安攻めはいかなる形で推移したのでしょうか?」
「慌てるな孔明。そなたもあの者に任された新たな仕事の影響を受け、話を読み解く力が格段に増しているのだ。私もあの序盤は目を通したが、話を発する力はそれほど伸びておらんぞ」
「失礼いたしました。あくまで休憩でございますれば、わざわざ主君自らご説明頂けているこの時こそが、貴重な時と心得ます」
「まあよい。長安だな。一言で言うと、長安は攻め落とせてはいないのだよ」
「はて? 長安は我らが抑え、今は旅から帰って早速、子龍殿が太守に任じられて向かっているところですが」
「ああ、間違いなく我らの地となった。それも、おそらく当面それが覆ることはなかろう。だがその過程では、私や張飛、黄忠が率いた軍は、その手前の陳倉で完全に押し留められていたのだ」
「一度は撤退した軍をまとめ上げていたのが張郃、徐晃らの歴戦の将。確かにそれでは攻めあぐねるのも頷けます。しかし、陳倉……そこを守るは郝昭という名の若き将でしたか。それほどでしたか?」
孔明は首を傾げる。確かに私たちも、黄忠の諜報網に入ってきたから知った名であった。
「ああ、それほどだったな。城外で撹乱してくる二将との見事な連携、決して城壁にとりつかせない緻密な守り。あれほど城守りに特化した才を持つものがおるとは、戦とは、人の才とは分からんもんだよ」
「なるほど。攻めの戦や野戦とはまた異なる才ですな。どちらかというと部隊を率いる経験や、ある程度の閃きや勘を伴った策も時に必要となるのが攻めや野戦。それゆえ黄忠殿の、情報を武器とした力が最大限に生きました。
ですが守りは、とにかく己の側の認識や管理に全てがかかりましょう。何か綻びはないか、これから悪くなる可能性はないか。どこで鼓舞するか。それは確かに、人という意味での才は全く違うのやもしれません」
「そうだな。適材適所とは、より深きところへの理解が望まれるのだろう。戦だ策だ政だ、ではなく、それぞれの中で、より細分化していくのだ。これはそなたがこれからなすことにも、深く関わろう」
「ご賢察と存じます」
「話を戻そう。そうして攻めあぐねていたのだが、援軍がこなかったのが一つの幸いだな。関羽が予定以上に早く襄陽をおとし、すぐに呉にそれを明け渡して上庸に入ったこと。時を同じうして馬超が、羌族を連れて涼州全体を抑えるに至ったこと。その結果、陳倉どころか長安自体が、魏軍にとって不自然に突出した土地となったのだ」
「なるほど。戦術から一つ上の、戦略としての勝利が成立していた訳ですね。それで魏軍は被害が大きくなる前に、函谷関に撤退した、ということですな」
「さよう。このときは流石の曹操も鶏肋とは言わず、相当に悔しがっていたようだ」
ここで、ただ興味深そうに聞いていただけの孔明は、一度しっかりと向き直る。ここからが、ある意味本題なのだろう。
「ですが我が君、その際には大きな打撃を与えることなさらなかったのですね。やはり、そういう方向になりそうですか」
「そうだな。そなたの意見も聞いてから出したい結論ではあるんだが、そちらもそちらで見当がついているからな。
長安まで確保し、思い描いていた、いや、それ以上の形で天下三分がなった今。そなたにも出立前に問うた二つの選択肢、その答えは今出さねばならん」
我らが長安を確保したことで、魏の洛陽、呉の襄陽と合わせた、相当に近接した三都市を三国で分け合う形となった。そしてそれは絶妙な均衡を生み出し、大きな軍事行動がままならなくなっている。だがあくまでそれは均衡であって和平ではない。
「我が君を頂点とするお三方、そしてその理念にここまでついてきた皆様方の宿願たる、漢室再興にむけて突き進むのか。それとも、今の三分を安定させて戦乱の世を収束に転じるのか、ですな」
「ああ。そして、その答えを示唆するものが、方々からきていてな。そなたの報告もその一つだが」
「一つずつ見ていきましょうか」
「まずはそなたと趙雲の報告だな。ぐるりとめぐってきたなかで、やや荒れた荊州に、立て直し途上の襄陽。それに対して大きく発展を続ける建業、許昌と、昔の活気をすっかり取り戻した洛陽。河北は匈奴などによる緊張が色濃いが、発展は目覚ましい。
つまり、誰が治めるかではなく、最後の戦からどれくらいの時が経っているかで、人の営みが決まっているといい現実」
「その通りですね。故郷の荊州のことですら、十分には見えていなかったということなのでしょうか」
「趙雲もそう言っていたな。若い時に河北に移ったからはっきりは覚えたおらなんだようだが。
次は黄忠や、情報に明るい者たちだ。そなたらが決めた、技術や人の流出流入はある程度許容するという方針が、やはり人や物の動きを活発化しているようだ」
「間違いございません。洛陽どころか許昌にまで、あの割符の技術は伝わっておりました。いずれこちらにも、魏の法制度や、豊富な蔵書に基づく文化、呉の農作や、水を活用した技術、それらの取り込みや切磋琢磨が進みましょう」
「張飛と馬超。きっかけは違うが、奇しくも至った先が全く同一よ。もし防諜策が整っておらねねば、我らが侵攻する際に背後を荒らすような謀略がなされたであろうと、馬謖や魏延から報告があった。
南蛮や西羌への融和、これが真っ先になされたのは、軍事はもとより文化、そして未来にも大きな効果がありそうではないか?」
「まさに。翼徳殿は、相手の七将を一所に集め、戦の予定が宴で解決という、なんとも剛毅なお方です。馬超殿に関しても、あの方の力は大きかったですな」
「ああ、弟の新たな力を引き出した厳顔、そしてその背後にあったあの者のなしたことが、ここまで及ぶとはな。
そして曹操。もはやあの者も長くはないと聞くが、最後にそなたらにとんでもない土産をよこしてくれたものよ。『易姓革命の流転か、漢の新たな秩序か、その答えは我らでは出せん』とは、あやつらしからぬ物言い。いや、むしろ後世のことは後世に任せると申していた、あやつの考えそのものかもしれんな。禅と姫の仲も悪くなさそうで安心している」
「重畳でございます。あの魏王、現世は現世、後世は後世と割り切るありよう、一つの究極なのかもしれませんが、やはり政をなす身としては、後世を軽んずるわけには行きますまい」
「あやつも、新たな法制度や、兵書の注釈、はては詩歌まで、後世に残す価値を散々残しておいておいてよう言うわ、といいたいところだがな。
そして最後は関羽よ。結局私はあの弟二人の考えを見てしまうのだろうな。あやつらが決め手になるというのは、素直に喜ばしくもあるんだよ」
「雲長殿…….ですか? 確かに荊州を訪れたときには、私と共にその現状に想いを馳せておいででしたが」
「ああ、そなたは、あの後で襄陽を落とした時の、あやつらの定めた目標設定は聞いておらなんだか」
「はい。建業から襄陽を経由したときは、すでに魯粛殿が入っておいででした」
「そしたら一度見せておこう。ちなみにそれは、孔明と話をして、荊州をたった直後に、軍内でその策を練り直した結果と言っていたよ」
まだ中身を見ていなかった孔明に見せると、孔明は目を見開く。
『 大目標 魏軍の被害や嫌悪を増やさずに襄陽を落とす
目標一 敵将を討ち取ることなく襄陽を落とす
主要成果一
一 于禁を生け捕りにする
一 龐徳を合理的に退却させる
一 曹仁に撤退を判断させる
目標二 敵将の名誉を守る
主要成果二
一 于禁の捕獲に、重傷の治療を理由づけするため、華佗を説得する
一 于禁の奮戦を龐徳に伝え、その伝達者が自身しか居ない状況をつくる
一 于禁、龐徳の名誉を守ることで、曹仁の判断を合理化する
目標三 敵の将兵、民に悪評を与えない
主要成果三
一 劉軍の快進撃や、その過程の公明正大さを城下に広める
一 呉が平和裏に活動するさまを広め、民に影響が少ないことを示唆させる
一 魏の三将の名誉を守り、撤退に合理的な理由づけをする』
「こ、これはすなわち、雲長殿や部下の方々が、自軍だけでなく、相手方の被害まで。それどころか、その名誉までも気にかけることで、未来に対する禍根を最小限に止める策を定めた。ということなのですね」
「ああ。これを見せてもらったときは、私も涙なしにはいられなかったさ。あの誇りを重んじる関羽は、他者のそれには、少しばかり疎い部分があったのは否定できない。だが龐統が命を落とし、小雛がそれに成り変わってから成し遂げた様々なことが、あの男の考え方までも少しずつ変えてみせていたのだよ」
「なんと……すなわち、皆々様がそれぞれ、別々の時、別々のところなれど、同じ思いの方向を見定めておいでなのが、今この時ということでございますか」
「そうだな。長かったが、そこまでようやく辿り着けた、ということなのだよ」
「それでは、私の答えを聞くまでもございませんな。ここで性急に洛陽に向かうというのは、多くのものがまた血を流し、場合によっては呉にも隙を与えます。なにより、あまり突出すると、許昌での不測の事態や、再び呉の不信なども招きましょう。
なれば、和平をむすび、当面このまま三分を保つ、ということでよろしいかと存じます」
我らとおおよそ同じ答えに行きついたのだろう。孔明も、これまでよりも晴れやかな面持ち。
だが孔明は、その表情をすこし曇らせたのち、しっかりと我が方を見定めてこう告げた。
「と、申したきところでしたが、それもまた、難しいようでございます」
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