百七十六 長城 〜 姜維×鄧艾×天地 = ??〜
本国、つまり北の草原からくるはずの定期連絡が、少し遅れがちになっている。少し前なら、それを異変とは捉えなかったかも知れない。
「鍾会、どう見る?」
「流石におかしいでしょうね」
やはりこやつも気づいたか。曹仁殿とともにアレクサンドリアを目指した段階で、黒海とカスピ海の間の領域はやや手薄にはなった。
だが、全く野放しにしたわけでもなければ、どこへ行ったかわからないゼノビアらの反撃を受けたわけでもない。よって、我らの騎兵は頻繁に北部と連絡を取り合い、東西の状況を交換している。
「やはりアルメニアにはある程度の戦力をおかないと成り立たんか?」
「でしょうね。退路を断たれるまではいかないと思いますが、これまでのように緊密な情報のやり取りは出来なくなってくるはずです」
「できたらもう少し肥沃で温暖な地を騎兵の拠点としたいところだが、エルサレムあたりは海路を使われていると戦略的な意味がほとんどないからな」
「ダマスカスをこちらで抑えている時点で、向こうは陸路の輸送を諦めますからね。平気で行き来する商人達はまだしも」
「だとすると、やはり騎兵は四季を通じて南北に大きく動くのがよいか」
「それがよろしいかと。遊牧生活なら、今よりもはるかに広い範囲を動いていたのです。ある程度場所の見通しが立つ時点で、随分ましな環境でしょう」
そんな話をしていると、より一層不審な報告が届き始める。
「殿下、弟君が敦煌近辺で馬超軍と本格的に衝突を始めてから約一月、要塞化された敦煌での戦いが続いていることです」
「うむ。情報が届く期間に目立った遅れはないか……いや、数日ほど前回より遅いな」
「やはりお気づきになられましたか。我らの部隊。どうやら気付かぬうちに遠回りをしていたようです」
「ん? 道に迷ったのか?」
「迷ったか迷っていないかでいうと、まよってはいないはずです。まっすぐに向かったはずが、少々逸れていたというのが正しいかと」
「どういうことだ?」
「アルメニアの森林地帯を抜けた後、その先の高原がやや見慣れぬ位置だったので、よくよく確認してみると、だいぶ西に逸れて進んでいました」
「なんだ、迷ったんじゃないか」
「気付かぬうちに逸れて、か。鍾会、今こちらに来る伝令や偵察のうち、予定とずれている者、来ていない者はいかほどかわかるか?」
「はい。細かいところはもう一度集めて聞かないとわかりませんが、まだ来ていない者は二組ほどいます。同じ連絡を所定の回するようにしているんですよね?」
「ああ。だが五組のうちの二組か。それくらいは……いや、すでについている者らにも聞いておくか」
伝令役の兵達を呼び、それぞれ詳しく聞いてみたところ、特に違和感がなかった者、少しばかりずれたと言っている者、そして、
「倒木があったので迂回しました。その後元の道に戻るにも、あまり地形が良くなかったので、陽の光を頼りに南下しました」
「ぬかるみに足を取られそうになったので、別の道を探しました」
「迷ったら、山を背後にして進んでいれば良いとのことだったので、その通りに進みました。道を完全に失うほどではなかったかと」
やはり少しずつだが、道からずれていた者がかなりいるようだった。これはなんと言うか、一度やられたことがあったはずだ。
「どう見る鍾会?」
「一つ一つは小さな違和感、ですか。でも以前、曹仁様が似たようなものに引っかかっておいでですよね」
「……ああ、そうだな。あれは確か、見られたくないものから目を逸らさせるためにしたんだったか」
「黒海沿岸の整備、傭兵達を運ぶための海路、だったな。あれは確かに巧妙だった。攻撃を受けていると言う自覚すら持てなかったのだからな」
「だとすると、今度は何から目を逸らされているのでしょうね」
「何から、か。それはわからんが……む?」
練兵から曹仁が帰ってきたようだ。
「曹仁殿、兵や馬のご様子は?」
「やはり疲労の色が濃いですな。特に馬の方が。すこし放牧に出したいところです」
「そうか。長旅だったからな」
「それで、偵察の兵達それぞれの違和感、ですか。確かに先だって私が食らった策とほぼ同一。そして、前回とは異なり、できるだけそれが露見しないように動いている」
「なるほど、直接触れた曹仁殿だからこそ、見えるものもあるのですね」
「そうだとすると……地図を。アレクサンドリア製の、できるだけ詳細なものを」
アレクサンドリア。紙と書物、そして知識と技術の都。鄧艾や姜維の力で再び歴史の表舞台に立ったその名。そこから手に入るものはとにかく質が高く、精緻な地図もその一つであった。
「先ほど兵が言っていた動きを、できるだけ忠実に書き記していきましょう」
「だが迷っていた兵の動きを書けるのか?」
「どこから出てきたのか、どんな方向に進んだのか、分かるところまで書けばおおよそは行けるかと」
曹仁殿は丁寧にその筆を進めていく。そうするうちに、少しずつ、だが確実に、ある特徴を浮き彫りにし始める。
「これは……」
「避けているのは一箇所ではないな」
「ですが、どこを、と言う明確な意図は、これだけでは見えませんね。む? これは、どちらかというと点というよりも、それぞれの点が山に向かっている線なのでは?」
「あ、ああ、さすがは嫡子様。だとすれば、その線なのか、その線上のいずれか意味があるのでしょうね」
「だがこれなら、そこを確かめにいくことはそれほど難儀ではないぞ。ですよね曹仁殿」
「はい。疲れてるとはいえ、足慣らしがてら今の大群をその辺りに連れていけば、兵数で押し潰しながら、何をしていたかを調査できるでしょう」
「そうですね。お願いできますか?」
「承知」
曹仁殿は、二十万余りの騎兵のうち半数を引き連れて、怪しい箇所への威力偵察を順次進めていくことにした。
だがそこには一抹の不安があった。やや悠長に過ぎないか、と。敵方はすでに、なんらかの準備を終えているのではないか。
そんなことを思いながら、矢傷がほぼ完治するのを待っていると、その悪い予感が当たったような、そんな報告を受けることになった。
――――
「これが、新大陸の石材建築、か」
「うん、あたしに聞かれてもわかんないからね。私は届けにきただけだよ。出来んのは戦いと、空を滑ることだけさ」
その二つが世界中の誰よりも長けている、はるか東の草原からきたアイラという女性。特に、兄君のテッラという方と組むと、それはもう誰一人敵わなくなるのだとか。
「ああ、それだけでも助かる。それに、簡単な暗号を飛ばすだけではなく、こんな詳細な情報をこちらに届けてこれるとは、さすが孔明様だ」
「孔明はやっぱり最強の一人だね。趙雲、馬超という強者を操っていたからとしても、あたし達が互角まで追い込まれたんだからさ」
「ふふっ、本来はお二人の舞う姿を見たいところだが、それはしばらくお預けのようだな。あなたと共に舞うのなら、そこの鄧艾も悪い相手ではないだろう」
「うふふっ、まあそれはそれで試してみる価値はありそうだね」
「きょ姜維、話がそれているぞ。その建築ってやつ、お前もそこに目をつけたんだな」
「それているって……まあいいか。石材建築、だな。これはそう簡単には崩れないものが、最短最速で作れるように見えるんだよ」
「うん、匈奴の草原でピラミッド作った時も、足を切り出して持ってくるところからちゃんと管理していたよ。建てる時は、建てることそのものよりも、石をどこから運んでくるかで手間取ることが多いんだって」
「アイラはその建てるところも見ていたのか?」
「うん、一応ね。どっちかというと兄さんの方がその辺をよく理解していたよ。草原はあんまり石を取れるところが多くなかったからね。運び方とか、色々書き加えてあると思うよ」
「ああ、あのあたりか。なあ、きょ姜維、これなら、うまく敵の目を誤魔化しながら、短期間で建てられるぞ多分」
「鄧艾、何を建てようとしている? おそらく私も似たようなことを考えてはいるが、お前の方が突飛な気もしている」
「きょ姜維の方が突飛じゃねえと思うから、お前が先だ」
「ああ、あの海と湖の間の山脈、いくつかのところに防衛拠点か、高い石造建築をつくろうかと。相互に連携して守ったり、遠くを見張ったりだな」
「ああ、それも考えた。それはやっていいと思うぞ。その上で、そいつらを繋ぐことを考えるのがいいんだ」
「まさか……長城を立てる気か?」
「ああ、できるんじゃねえか? とりあえず尾根にピラミッド型か塔型のものを建ててから、間をつないでいくんだぞ。石材はいろんなところに隠せるんだ」
「確かに……もらった書物のやり方で考えると、かなり短い効果で済みそうだ。長さもそれほどではない」
万里の長城。私も姜維様や鄧艾様からその存在を聞いてはおります。ですがそれ自体に多大な時と労働者がかかっていたとか。
「最初はある程度見せかけだけでもいいかもしれねえぞ。あいつらが通りそうなところを中心に、見えるところだけ先に建てるんだ」
「通りそうなところ? 鄧艾様、そんなのお分かりになるのですか?」
「それっぽく仕掛ければいいんだぞ。あいつらこの前きょ姜維の策に引っかかったばかりだからな」
「えっと、もしかして、こっちがなんかやってそうな感じを出して、そこに誘導して、その先に見えるのがでっかいピラミッドと壁、っていう感じ?」
「そうだな。全部は間に合わねえはずだが、その場所だけに限定すればどうにかなるはずだ。多分それが見えたら、慌てて戻るんじゃねえか?」
「確かに壁が完成したら、帰り道がなくなっちゃうからね。確認とか出来きらないうちに、急いでもどるかもね」
「だが本当に帰るかはわからないぞ。我らが思いつかぬことをしてくる可能性もなくはない」
「ふふふっ、それはそれで面白そうだけど、それでも彼らの行動がだいぶ絞られるのは確かだよね」
「そうだな。簡単に補給ができなくなるから、その囲まれた状況で自給自足する必要が出てくる。それを是とするか、そうせずに大人しく帰るか、だな」
――――
「万里の長城、だと!?」
「はい。曹仁様の騎兵で、それぞれ怪しい線を踏むように進んだ結果、全ての場所で馬が通れない、高く丈夫な壁が見つかりました」
「まさか、こんな早く……あの新大陸がどうとかいうところの技術、そして奴らの目眩しはこのため……」
とんでもない策を使ってきた。漢の知識と、新大陸の技術、そして地元の地理。それを最大限に使いこなすことでそこまで出来るのか。
だがそれには、我が軍の援軍がそれほど多くないこと、つまり、我が弟の軍が東側で出払っていることをある程度予期していなければできないはずだが……
「司馬師殿、退きますか? このままでは退路を絶たれますが」
「……仕方ないのか? まだ手は残されていないのか?」
頭を最大限に回転させる。目の前にいる鍾会も、何やら考えているようだが。
そうこうするうちに、私よりも先に、鍾会が何かを思いついたようだ。
「嫡子様、いえ、次代の陛下。この策は、あなた様が私を信じていただくことでのみ成立します。それが出来ないのであれば、全軍で退路を探して北へ戻るべきでしょう」
お読みいただきありがとうございます。




