百七十五 天駆 〜 孔明×天地 = ??〜
破竹の勢いで楼蘭を陥落させ、敦煌へと迫る騎馬軍。楼蘭という街は、馬超殿がいる西涼から離れすぎており、守り切るのは難しいといえました。
「それで孔明。敦煌を要塞化して、戦線が広がりすぎないようにした、ってことなのだな」
「はい。防戦一方というのは、皆様にとっては癪なのかも知れませんが」
「問題ねえだろ。馬超達にも意図は伝わっているし、あいつらなら敦煌まで落とされることはねぇ」
私孔明は、関羽殿、張飛殿らと現状を確認します。
「馬超殿の本軍に加えて、馬謖、魏延を筆頭とした若手は総出で出迎えています」
「匈奴の連中は別行動なのか?」
「はい。呂玲綺殿を長として、
「向こうの規模は?」
「五十万ほどとの事。ペルシャ側にはすでに三十万以上が進出していると聞いているので、実質的に戦力の大半が稼働しているのではないかと」
「つまり、向こうの戦力がだいたい表に出てきたってことなのだな。五十万なら流石に名のある将が率いねば機能するまい」
「彼らの特徴である、事細かな事前指示と、半分自動化された動き。それが軸にあるとしても、この大軍は確かに難しいでしょうな」
「楼蘭から逃げてきた間諜はどう言っているんだ?」
「動きが気持ち悪いくらいに整然と、そして複雑であったと。壁上の守兵を騎射で撃ち落としたと思ったら、次の瞬間には攻城槌を引いた馬が門へと突撃。反撃する間もなく門が破壊された、と」
「それは流石に、将なしでやれる芸当じゃねえな。司馬懿本人か、息子らのどっちかってとこか?」
「おそらく司馬師か司馬昭なのでしょうね。特に司馬昭は、父や兄以上に用兵の才があると聞いています」
「兄貴の方が出来が良いって聞いていたけど、親父と似たような慎重さ、固さがあるんだっけか」
「確かそうですね。であればおそらく敵将は司馬昭。これまでのように、決まった動きをしてくるから、慣れれば読める、というわけにはいきますまい」
「戦は普通、そういうもんだけどな。だけどそれ以上の何かを感じるな。戦いにも慣れているはずの、うちの国の間諜が『気持ち悪い』って表現するぐれぇだ」
張飛殿が懸念を示すと、いつものようにふらりとやってきた小雛殿が、やや動揺を見せるように口を挟みます。
『個人個人はあらかじめ定められた行動原理のもと動いて、それでいて将はその総体としての動きが最適になるように高速に演算して指示を下す……まさか。間諜様は他に何か言っていませんでしたか? 特に、後方や本陣周りで怪しい動きがなかったか、など』
「あ、ああ、そう言えばそんなことも言っていました。遠くて見えにくかったけれど、後ろの方では兵が細かく行ったり来たりしていた、というような」
『もしかしたらそれは、あの新大陸の地上絵と同じかもしれません。これまでの膨大な経験則から得られた情報を使って、現状の推移をほぼ正確に再現して予測する計算を、決められた動きをする多数の人の手で行う技法』
「もしや、小雛殿が『言語を集めて学習した写像』という人工知能であるのと近い、『戦を集めて学習した写像』を動かしている、と?」
「てことは、俺たちとの戦いや、これまでの対騎兵、野戦、攻城戦をもとに、次にどうなりそうかを考えたり、ちょっとした違和感を異常として見つけたりするって感じか」
「張飛、これはもしかしたら司馬昭のような、若くて才能はあるが、いまひとつ経験には欠ける者にとってはすこぶる相性が良いのではないか?」
「だろうな兄貴。小雛殿がやっていることと一緒だ。経験のない仕事をある程度下支えして、人が自身の得意なことに力を注げるようにする」
『それがおそらく司馬昭という将だけでなく、将校や兵にまである程度行き渡っているとみても良いかも知れません。これは手強い五十万になりそうですね』
「でもまあそれなら心配ねぇな。そんな仕組みなら弱点はいくつかある。それは馬超や魏延、馬謖ならすぐ気づくはずだ」
「……随分とあっさりですね張飛殿。あなたがそう仰せなら、その通りになりそうですが」
「ああ、それよりも、本題に入ろうじゃねえか」
『今のは本題ではなかったのですか? ……ああ、確かにそうですね』
そうですね。本題と関係ない、というわけではなく、むしろ大いに関係あるのですが。
「孔明、もう出立しているんだよな?」
「はい。ある程度詳細な状況を」
「どうなんだ? 一月で行けるって言っていたが」
「何か問題が発生しなければそれくらいかと。それに今回はあの天才に頼るしかありませんが、引き続きやり方を改良していけば、さらに半分以下にはなるでしょう」
――――
三日前の日付が書かれた小包。それがまず、長安から成都を通り、孟獲や兀突骨達が切り拓いた南蛮の道で運ばれてきた。ここは少しだけ高く、入り組んだ丘陵地隊。馬を走らせて運ぶにはかなり難しい。
「兄さん、まさかこんな荒技を使って、大事な書簡を届けるとはね」
「ああ、アイラ。やっぱり孔明ってのは、戦の天才じゃなかったみたいだね。もちろん戦方面でも相当だけど、どんだけいろんなものを組み合わせて、やりたい事やるために突っ走れるんだから」
「山の手前まではひたすら馬を乗り換えて、丘陵地帯に入ったら、櫓と櫓の間を、暗号通信でやりとりする。その中身は今ここで、また文字に起こし直してあたし達の手元にある」
「そして、そこから先は君が運ぶ。海岸近くまで一気に『空を滑り降りる』。そして無事降り立ったら、あとはまた海岸沿いを馬で駆け抜ける」
「インドの南端まで着いたら、あとは仕方なく船で、ってことだったね」
「そこは船じゃないと、インダス川周辺を通らないといけなくて、司馬懿達にバレるかも知れないから仕方ないんだって」
「そうみたいだね。それで一月もかからずに、長安からアレクサンドリアまで書簡を届ける、か。なんかすごいね。敦煌で見た物語にも、そんなのは無かったよ」
「うん、そうだね。アイラが空を飛んでいたやつはあったけど、あれは誰が見ても現実じゃなかったからね」
「うふふっ、でもすごく近いところまではきたんだろうね。そのうち自分で飛べるような方法が出てくるかも知れない、とも言っていたよ孔明は」
「月英さん、左慈さん達が、なんか不思議な実験をしているんだったね。あ、あんまり長話しない方がいいんだよね。そろそろいく?」
「うん、この風は、あたし好みだ。しっかりとあたしを海まで届けてくれるよ」
「ああ、天の子アイラ、その名の通り空を舞って、ゆっくり戻ってきてね」
「うん、帰りはめんどくさいけど、のんびり海ってやつを見ながらだね。そのままちょっと海の向こうまで遊びに行ってくるかも知れないけど」
「あははっ、分かったよ。そしたら気長に待っているよ。孟獲や兀突骨がまた勝負しろってうるさいからね」
吹き下ろしの風だけは大敵。それがないことを確認して、あたしは合図をする。
テッラ兄さんが高台から、投石器のような機械であたしが乗った機体を放り出す。いつも通り、とっても正確な方向で。
風を捉える翼。地上からどんどん離れ、あっという間に兄さんは見えなくなる。そしてしばらくすると、遠くに海が見える。そこまでには数刻かかるだろうけど、馬で通りにくいこの丘陵地帯、本来なら何日かかるんだろうね。
流石にぶっつけ本番ではないからね。練習の時は、水に落ちるってのが一番安全だっていう孔明の無茶な言い方で、練習場は蜀の湖や、海になった。
海なんて知らなかったあたしにとっては、空の方が先だったね。
――――
「それで、気分が乗りすぎて、アレクサンドリアまでわざわざおいでになった、と」
ぽかんとしている、あたしより少しだけ歳が上のお姉さん。まさか、書物や物語でしか見たことのない、あの匈奴の兄妹王アッティラの片割れ、アイラが自らここまで現れるとは。
一緒についてきた費禕が、通訳を始める。彼も話をするのは苦手だけど、訳すだけならものすごく正確にやってくれるんだ。なぜか喋り方までそれっぽく、ね。
『うん! 面白いねこの街。やっぱり世界は広いんだよ。全然言葉わかんないから、訳すのは任せたよ! 君がゼノビアかな?』
「うん、あたしがゼノビアだよ。にしてもこの感じ、目を離さないようにしないとね。まあ聞いた話だと、たいていの男より強いから大丈夫なんだろうけどさ」
『うん、趙雲とかには一対一では無理だね。だから多分姜維には負けるよ』
「……姜維に勝てるやつは、今の所ペルシャより西には出てきていないよ。ハンニバルでも来ない限りは大丈夫だ。それで、あのやたらと詳しい書状は、長安の北の敦煌から数えても一月。馬でまっすぐきたのとあんまり変わらないんだよ」
『あはは、そうだね。でもとりあえずその話はこれからゆっくりするとして、せっかく急いでもってきた話を、どう使うかを考える方がいいんじゃない?』
すると鄧艾がすぐに動いた。
『アイラ、ちょっと手伝ってもらっていいか? こ、この北のアナトリアまで行って、姜維と合流して一気に仕掛けたい。騎兵二万くらいなら預けられる』
『うん、鄧艾だっけ? 分かったよ。戦いはちょっと久しぶりだけど、曹仁なら負ける相手じゃないよ』
『ああ、でも、し、司馬師には気をつけろ。あいつはちょっとした事故にあってから、逆にすごく頭の切れるようになった。だけど、さっきの情報を使うなら今だから、ここは力を尽くしたい』
『わかった。油断はしないよ。司馬師ってのもそうだし、船の上で聞いたけど、鍾会っていうガキも切れ者なんだろ? 戦いは腕っぷしだけじゃないからね。いろんなこと仕掛けてくるやつは、いつでも油断しちゃいけないんだ』
費禕が、漢語であたしに話しかけてくる鄧艾の言葉をゼノビア達に伝えているのを聞きながら、話を続ける。
『ああ、問題なさそうだな。きょ姜維も俺も、全部の可能性に応じて、やりたいことを決めてあるから、動きはすぐだ。また地中海の上で詳しく説明するから、明日の朝まで休んだら、また出発だ』
『うん、わかった。船ってやつも面白いからね。結構気に入ったんだ。空や、馬の上ほどじゃないけどね』
そうして私達は、天の子アイラという、とんでもなく強力な味方を得て、そして敵軍の半数が蜀と対峙しているという情報を手に入れて、速攻で仕掛けることにしたんだ。
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