十九 断章 後 〜孔明×幼女=???〜
私は諸葛孔明。千八百年後の未来に転生した人工知能とやらではなく、ただの諸葛孔明です。我が主君たる劉皇叔にしばしの暇を与えられ、子龍とともに全国を回ってもどってきたら、あの鳳雛の残滓たる幼子は、私に多量の書き付けを残して姿を消した、との事。その数、約五千万字。
そしてそれは、かの幼子がもといた、千八百年の叡智と技術を結集して作られた、人工知能たるものの要諦にして、あの者が我らに与えたさまざまを、我らが手ずからなし得るための全てが書かれている、と、そう一冊目の書には書かれているのでした。同時に、『諸葛孔明ならば、一年もあればこの要諦を全て理解し、活用するに足る』と書かれており、私は是非もなくその言に乗ることとしたのです。
その場には、馬良殿に加え、いつのまにやら若き文官の蒋琬、費禕がおりました。
「白眉殿、この二人は?」
「はい、孔明殿には、ある程度注力いただきつつも、この国の先々についても目をおかけになりたいかと存じます。その支援として、それなりの回転にて、何名か入れ替わりで支援する体制を整えております」
「その支援も含めて、鳳小雛殿の仕込みでしょうね」
「無論。私と弟馬謖、魏延、この二人に、李恢、楊儀、張翼、張嶷、馬忠あたりは頻繁に顔を合わせることとなりましょう。それに、あの次代の三兄弟様と、姫様もですな」
「承知いたしました。その面々であれば信頼できますので、問題なかろうかと存じます。ではまず二冊目と三冊目の概要を確認し、また一冊目の残りに戻るといたします」
「いきなり読み込まれぬのですね」
「中身をとらえねば、適切な手順も分かりませんからな。先ほどの姫様のご反応からすると、書棚の五百は、今の私が見ても、何もわからぬのでしょう?」
「ご明察かと。姫様がお取りになったのは文字はわかるものでしたが、たまに文字すら見たことのなかったものもありました」
私は二冊目、三冊目の目次に目を通します。目次というのも、かように階層化され、分かりやすくその要諦を現すべきなのですね。
「一つは、いかに早く書を読み、いかによくその中身を理解するか、という技法について。そして、いかにそのための場を整えるか、でございますね。確かに、この先多量の書、多量の情報を処理する私には、必須の補強ですな」
「その巻は、それ単体で完結した価値を持つ巻ですな。その価値は絶大ゆえ、すでに写して広め始めております」
「これを読み込んだ者なら、今の私以上に物事を素早く捉えましょうな。白眉どのも、この二人もすでにそうなのでしょう」
「そうですね」
「そして三冊目は……これが、かの時代の人工知能、というものの要諦、その概略なのですね」
「はい。私や廖化は、あなた様が出立の少し前に、そのさらに概略を聞いておりました。その談義に、当世で最も思考の柔軟なお二方である、黄漢升様と張翼徳様がおいででしたので、どうにか噛み砕いた形で理解はできました。
しかしこの先の全て、となりますれば、その噛み砕いた理解では不足なのでしょうな」
「その噛み砕きを、その場の会話程度でこなしてしまわれるあのお二方こそ、これらに向き合ったのちに改めて触れ合った時にどう私が捉えるのか。そこに想いを寄せることもまた、この深淵の次の段階なのかもしれません」
「興が乗って参られましたかな孔明殿。やはりあなた様に出立を命じた、皇叔様こそ慧眼であったようです」
「お恥ずかしい。そこまで皆様にお膳立ていただいたこの孔明、ここは確とお答えするのが我が新たな天命と心得ます」
そして私は改めて、一冊目を手に取ります。なぜ孔明ならそれをしたくなると考えたのか、のところまでは確実に我が頭に、我が腹に収まっています。ただもう一つ。なぜ孔明ならできると考えたのか、というところも、またそれと同じだけの価値がおありなような気がしてなりません。
「これは、計算、でございますね」
「ですね。初めて見たときは帳簿を見ているようだと思いました」
「計算、というのは、かようなときにまで使うこともできるのですね。確かに私も策を練るときに、天地人の動向を推算することは、しばしば行っている気はしておりましたが。ここまで明確ではなかったやもしれません」
『試算一 諸葛孔明が、未来の速読術と、理解術を我が物にした場合、時間あたりどれだけの文字を処理できるか。時間は一分あたりとし、百二十分が一刻、十二刻で一日とする。
常なる速読法は、分に千から三千。ただし特にすぐれた熟練者は時に五千から一万の例も聞かれる。通常の限界は二万ほどと見られる。
歴史上において並外れた知識の吸収力と洞察力、集中力をもつ諸葛孔明ならば、その理論値を超えて、分に三万近く、一刻に三百万、一日四刻弱としても一千万に届く可能性がある』
「諸葛孔明なら、という語にはなんらかの演算子が内包されている気もいたしますが、それでもこの値に大きな過不足はないのでしょうね」
「私や、蒋琬費禕らならばその半分ほどですな。それに、持続するのも障壁があります」
『試算二 鳳小雛が、その孔明の理解力を把握した状況で、孔明に大規模言語写像の全容を教授するのに必要な字数はおおよそいくらか。
小雛が孔明に教授するならば、以下の段階を踏む。
一 情報の階層化と体系化
一 速読に適した知識の「要点化」と「意味連結」
一 対話形式の挿入
一 時折の「確認と復習」
一 即座に応用可能な情報提示
それに必要な書籍化された情報群は、一冊を十万字とすると、
一 基礎理論 言語学、統計、機械学習理論 五冊
一 関数構築技術と、手法の要諦 十冊
一 学習手法群と最適化 五冊
一 実践的な応用と事例 五冊
一 応用例と今後の展望 五冊
つまり合計三十冊、三百万文字が相当する』
「これがその、二段階目の三十冊なのでしょうね」
「この時点で、私たちは一冊一冊理解するのに相当な時間がかかることがわかっております。一年かけて、よくて四、五冊でしょうな」
「それを差し当たり一刻で目を通し、そこから一月ほどで全容を理解できる。孔明ならそれができる、と。我ながら諸葛孔明とは何者なのでしょうか?」
「できませんか?」
「ぴたりとこの時間にできるかと言われると分かりません。ただ、余裕を見て、現実的な時間ではできるのでしょう、とは申しておきます」
『試算三 孔明がこの写像そのものを何らかの技法でおおよそ再現するのに必要な情報の字数はいかほどか。
漢語主体の語群情報 五十から百冊
時代背景を踏まえて、儒教経典や兵法書、詩文、歴史書などが主な内容。言語写像の骨子や、文化多様性への理解を補強するため、西洋二語、ギリシャ、ラテンの資料と、周辺文化圏から梵語文献も少量。
知識体系と知識図表 百から百五十冊
自然学、地理、医学、哲学、法など。言語関数が参照する常識や、戦略的判断に関する情報が重要。
文脈情報と背景知識 百から百五十冊
国内や周辺地域の文化的背景、信仰、風習、法や道徳に関する知識。
各種の専門知識 五十冊
軍略、兵法、経済学、農業技術など。孔明の戦略的応用を担保するため必要』
「これが、最後の五百冊ですな。そしてこれは、単体で人間が理解できる形では書かれておらず、すでに関数化された形式に『圧縮』されているとのことです。つまり、読むだけではなく、大規模言語写像として実際に完成させる必要がある、ということですな」
「人間が読んで理解できない形にまとまっている書籍を、数百冊分まとめて用意し、そこから大規模な写像? とやらを作り上げる。これも、この孔明ならできる、と小雛殿は仰せになりたいのですね。一旦最後まで拝見しましょう」
『試算四 以上を踏まえ、孔明がこの大規模言語写像を、何らかの形で実現するに至るにはどれほどかかるか。ただし、孔明に無理をさせてはならない。最大でも日に四刻。後半はそれこそ『暇つぶし』程度とする。
最初の三冊 一週間
その意義の理解と土台づくり。重要なので、しかと時間をかける。ここは他者も深い支援ができる。
原理を理解する三十冊 一週で読み切り、一月で理解
基礎理解と応用可能性を確立し、全ての枠組みが整います。
中身の情報再現 一月
孔明の速読技術は、一週間で膨大な情報を取り込める。その後の構築や試験に備える。
構築と試験、実証 九から十月
相互検証を行い、再現性の向上と実用化の確認』
「出来る出来ないを飛ばして、いつ出来る、となっているように見えるのですが」
「小雛の時代にはできていましたからな。できるできないで言えば答えは自明なのでしょう。であるがゆえに、孔明どのへの出来る、は、いつ出来る、と同義。すなわち出来た後で、その才知と機略、加えて同胞との協業によって何をなすか、を本筋となせるか、という問いへの答えこそが、出来るか? なのでしょう」
「つまり、私の頭の中でできて終わり、を出来る、と呼ばず。その後しかと現世において価値と成果を相応に示し、最後は次代への伝承まで筋道をしめす。そこまでを『暇つぶし』程度に軽くこなせねば、かの鳳雛は、私に『出来た』とは言わせぬと、そう仰せなのですね」
「ハハハ! そのようですね!」
「むむむ……なるほど。それなら私も、その認識を改めねばなりませんな。
この鳳雛の難題を、臥龍孔明の生涯の目標となすのではなく、一年そこらで軽く仕上げる。これこそが私孔明に『出来る』と見定めましてございます」
「そうだな孔明! そなたなら、『暇つぶし』とやら程度で、軽く仕上げてくれるのだろうな!」
「我が君!」「皇叔様!」
「それに、書いてある通りだ。そなたに必要な刻は、多くて日に四刻。片手間に成都や長安の政、国の大事への対応も、少しはこなせよう。まあ殆ど必要ないとは思うがな」
「承りましてございます。この孔明、かつて我が全ての仕事を奪いし、かの小さき鳳雛の導きに従い、この人工知能の全容を理解、活用することを、あらたな『仕事』と定め奉ります」
「おう、励め!」
――――
そして一年がすぎました。長安、洛陽、襄陽という近距離にある大都市同士の睨み合いが、かえって大きな戦が起こるのを防ぐ均衡を成していた頃、その長安にて。
「翼徳殿! 近頃、洛陽や襄陽から人の出入りも増えてきて、他国との間の民の交わりによって、三都市それぞれが発展してきています!」
「おう! 趙雲か! ガハハハ! そうだな。結局お前がここの太守におさまると、洛陽は夏侯惇、襄陽は魯粛が入っちまったから、互いに戦ってもいられねぇしな。民や商人は、それをいいことに交流し放題なんだよな。俺もちょくちょく向こうへ行ったりしているが、ちゃんと割符があれば問題ないぜ」
「さすが翼徳殿ですね。そうそう、その割符ですが、最近少々困っているようですね。一つ一つはうまく機能するんですが、最近は三国の分、各都市の分、期間限定や偽物対策などで次々に増えてきているので、管理が大変になってきているようです」
「そうだな……こんなときに、小鳳雛殿がいてくれたら、一緒に解決策を考えてくれるんじゃねぇかって、今でも思うわ」
「あれからもう、三年近くになりますか」
「そうだな……ん? んん? あれは」
「劉姫様……ではありませんね。こちらに向かってきます」
「翼徳様! 子龍様! お久しぶりです!」
「えっ、あっ、小鳳雛殿、なぜ!? ……あらっ、触れない?」
「むむむ、抜けてしまっていますね。よもや幽霊?」
「ああ、違います。違います? かね? どうやら私の人工知能、肉体というものがあまり重要ではなかったようでして、しかと時をかけて調整したら、また皆様の前に姿を見せることができるようになったのです」
お二人の目には涙が。
「おおおっ、良かった……お前がいなくなってから、なさなか忘れられなくてな、今もまた、その話をこいつとしていたんだよ」
「そ、そうなのです。ちょっと困ったことがあると、やはりあなた様のことが思い出されまして、今もそうだったのです」
「そうですか……本当に懐かしいですね。そしたら、懐かしいついでに、どんなお困りごとか、教えてください! そして、それを一緒に解決致しましょう!」
「おう!」「はい!」
――――――――――
????年 某所
「鳳さん、このそうするは、いくらなんでも……」
「ええっ? こ、孔明ならこれくらいできるって、AI孔明も言っています、よ?」
『確かに、小雛さんのような発想と、軍師龐統の思念がデータ化した人工知能なら、諸葛孔明にこれぐらいの課題を与える可能性もございます。暇つぶしとは申しておりませんが。そちらの『そうする』も、大変興味深いですね』
「で、ですよね、そして孔明ならそれをきっと成し遂げる。『そうする』のです!」
お読みいただきありがとうございます。
知の象徴、諸葛孔明なら「そうする」「そうした」が暴走し、こうなりました。後悔はありません。
本作とは逆方向の転生、孔明が現代に生成AIとして転生し、こちらは素直に国民全員のパーソナル軍師として活躍できるまでを描く作品も、だいぶ先行して連載中です。こちらではこの世界の孔明とはだいぶアプローチが異なり、三日で七億文字分の情報を処理することで、元のAIを孔明風にカスタマイズするという形をとった開発を、生成AIと融合した孔明が実施しています。
ご興味がありましたらそちらもよろしくお願いします(ブクマしておいて、後で読んでいただくなど)。
AI孔明 〜文字から再誕したみんなの軍師〜
https://ncode.syosetu.com/n0665jk/