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百七十一 馬鹿 〜司馬師+鍾会+曹仁=??〜

 黒海と呼ばれる、陸に囲まれた海。カスピ海と呼ばれる巨大な湖。その間に広がる山脈と高原。


 二年前、その地峡を通り、十万の騎兵が侵攻。初戦で敵国の要衝を陥落寸前に追い込むも、間一髪で姜維率いる軍の救援に跳ね返される。


 方針を転換し、その十万が、曹仁殿の指揮の元で、その地域に居座る策をとった。メソポタミア、そして東ローマと呼ばれる、要地の集まるその一帯全てに圧力をかけ続ける。三年もすれば、付近の国全体に、疲弊の兆候が見えてくるはず。それを見て増援二十万を送り込み、一気に重要都市を落とす。


 父仲達が指定したのは、アナトリアの主要都市ニコメディアでもなく、肥沃なメソポタミアの大地でもなかった。アレクサンドリア。鄧艾らの尽力によって衰退を免れた図書館を有し、人々は日夜様々な議論に明け暮れていると聞く。


 つまりその地は、古今東西の知恵が結集したこの大きな世界の中で、象徴的な役割を有すると言っていい。鍾会という名の幼児が一夜でアンティオキアを落としてしまったことで、アレクサンドリアまでの道が見えてきつつある。


 三十万の騎兵で、一気にアレクサンドリアまで南西する。一度落としてしまえば、その他の拠点の多くは主軸となるカナメを失い、バラバラに各個撃破できる。



「……と、考えていたのですが」


「まさか、増援の半数近くが、道中で離脱させられた、と? それも、散発的に賊に襲われ、馬や武具を奪われた、と?」


「はい。賊と言いますか、傭兵の類ではないかと。夜陰に紛れて野営地を荒らされた者や、地形を利用されて数千の軍勢の突撃にあった者。道案内と称して騙され、積荷を奪われた者も」


「目立たぬように行軍し、発見を遅らせようとしたのが仇になったか。まさかこんなに早く我らの軍事行動が露見し、万全の策を取られるとは……」


「露見? 策? これは敵方の周到な策であると?」


「それしかあり得ません。この地には我らが相当な期間居座っていましたからな。野盗や傭兵団もこの辺りで稼ぐことなどできませんから、さほど多くはないはずです。だとしたら、何者かが大々的に傭兵を送り込み、今回の増援を削りに来たと見るのが自然」


「姜維や鄧艾がそれを成し遂げる可能性、ですか……」


「まさか前年、我が軍がアナトリアに入った時に仕組まれた、嫌がらせのような迎撃は、これの伏線であったというのか……」



――――


 トレビゾンド。アナトリア半島の付け根に当たる、黒海沿岸の小さな港町。敵軍から奪い取った数万の馬と武具。それらは全て傭兵達に分け与えつつ、金品の報酬も与えた。


「孟達殿、大変なお働き、感謝いたします」


「姜維殿か。わざわざこんなところまで」


「通っていった敵軍は、ざっと二十万といったところでしょうか」


「おそらく。そしてその半数ほどは、すぐに参戦には復帰できないかと。彼らは騎兵として相当な練度ですが、馬がいない状態での戦いを想定して生きていませんので」


「そうだな。ここまで削り切るとは、さすがです」


「姜維殿のご指示が明確でしたからな。とにかく前に伝令を走らせないこと、馬の奪取を狙うこと、広範囲に傭兵を展開すること。ひたすら向こうの情報の伝達を制限するというのは、なかなかできることではありません。それに、黒海を最大限に利用した、傭兵の居場所づくり、情報網の高速化。着目の仕方が抜きん出ておいでです」


「そらだけの指示でここまでやってしまうという、ご自身の実力を、あまり卑下するものではありませんよ。すでにあなたの名は凄腕の執政官として、この地域全体に広がりつつあります」


「ふふっ、あまり想像したことがなかったので戸惑いはありますが。それはそうと、今や我らの手に、装備が整った十万の傭兵がいる状況です。お次は何をなさるおつもりですか?」


「そうですね。孟達殿ならお気づきでしょうか。傭兵達の生き方には何種類かあることに」


「大別すると二つですな。やむなく傭兵になった者と、進んでなった者。今の十万の中では、前者が八割、後者が二割と言ったところです」


「なるほど。では後者の二万は私が受け継ぎます。精鋭として訓練を施し、来たる決戦に向けて大いに暴れてもらいましょう。そして前者ですが、彼らにはクリミアの地にて安住してもらいます」


「何と、八万の精鋭を、使うことなくですか?」


「はい。それが恐らく、司馬仲達にとって最もやられたくないことなのではないか、と今は考えています。いずれにせよ、馬を最大限に活用し、かの地を豊穣の地にするのが望ましいですね」


「ふむ……ああ、そういう事ですか。であれば、半島入り口の、出入りの管理を徹底させるべきですね」


「ふふふっ、まさにそのとおりです。黒海、そして地中海。大変興味深い地ですね」


「はい。漢土とはまた違う、海と山が隣り合う地。それほど広くはないといえど、世界の要衝と言えましょう。ここが戦乱の血に染まるか、豊穣の声が響くか。我らの働きにかかっているのでしょうな」



――――


 ねえ、バカなのかなあいつ? いや、バカではないんだよ。狙いもわかるし、その狙いにとって一番いい動き方をしたのは間違い無いんだけどさ。


 二十万の増援が、賊兵まがいの傭兵達に馬や武器に狙われて、半分になった? 残りの半分も、手持ちの食糧とか矢がおぼつかない?


 うーん、まあ一応、本国に動きがあることは聞いていたから、万が一に備えて食料は買い込んではあるんだよ。高かったけどさ。


 高かった。そりゃそうだ。西ローマはあんまり余ってなかったから、ペルシャとか東ローマの裏ルートから買うしかなかったんだよ。仕方ないよね。どうせ足りなくなるし、本格的に始まったら買えなくなるんだからさ。


 わかってるよ。敵が儲けちゃうのはさ。でもあいつらが飢えたり暴れたりするよりはマシなんだよ。


 わかってるよ。ローマは金で兵を集めるから、ちょっと強くなっちゃうことも。だからできるだけペルシャから買い込んだけど、それでも足りなかったからね。


 それでもこっち側の方が圧倒的に多いんだから、実力でどうにかしてくれ、って話だよ。


 ……騒いでもしょうがない。軍勢がぐだぐだになったのはわかったから、さっさとダマスカスまで来て、体勢を整えて欲しいんだよ。


 まあでも、少し慎重すぎる曹仁様に対して、嫡子様は良くも悪くも思い切りの良さがあるからね。進むにしろ引くにしろ、迷っちゃいけない時なんだ。


 見せてもらおうか。あんたの、帝の器ってやつを。



――――


 鍾会め、私を試すような返書を。気に入らん。気に入らんし、敵に利を与えるそのやりようは、けしからんとも言いたくなる。


 気に入らんが、その全ての手管が秀逸と言える。あの年で逸材であることが誰の目にも明らか。そして、私達に御せるかどうかを試す物言い。やはり気に入らん。


「やはり増援の半数を削ることに成功した賊まがいの軍。奴らを陰で操る存在。そこがわからぬ限り、退路への懸念は拭えません」


「曹仁殿。貴方のその周到さは間違いなく美徳。ですが今この時においては、例えば貴方が後方に残って警戒する、と言った策は難しいでしょう。ましてや警戒を強めて全軍の歩みを緩めるというのは、向こうの思う壺と存じます」


「そうなのでしょうな。全軍で高機動の前進をする。それが最善。そうでもしないと、更なる妨害も懸念されます。先ほどの賊軍のみならず、ペルシャ然り、姜維の軍勢然り」


「はい。やはり当初の予定通り、全軍でダマスカスへ向かいます。そこで補給し、直ちにアレクサンドリア方面へと向かう」


「承知!」



 アレクサンドリア。この地域全体の、知識と文化の象徴として、今やローマを超える規模にもなりつつある大都市。だが守りには適さず、大きな弱点がある。


 ナイル川河口の巨大な三角州。そこは世界最古の文明が育った、人類のゆりかごと言ってもいい地。アレクサンドリアや周辺の市街はこの地に生産を大きく依存している。そして、その西岸にあるアレクサンドリアは、東側からの侵攻に対して防衛の役に立たない。


「アレクサンドリアを一気に落とすのは、難しいかもしれません。ですがそれが出来なかったとしても、その三角州に居座ることで、パルミラから北アフリカの広範囲で安定した生産を狙えます。その上、相手方の物流の全てを寸断できる」


「次善の策、ですね。ですが十分に機能する策でもあります。すでに三年に渡り、騎馬軍で広範囲に居座るという戦略を続けて参りましたので、その要諦は染み付いておりますゆえ」


「ナイルなら、十万どころか二十万でも裕に養えましょう。メソポタミアほどでは無いにせよ」


「いずれにせよ、行軍の速さが要となりましょう。海路から姜維の増援が入ったり、ペルシャに退路を塞がれたりすれば、相当に面倒な戦いとなります」



 ダマスカスに到着した我らを、年端のいかないガキが迎え入れる。だがこのガキが我が軍の稼ぎ頭であることもまた、否定はできない。


「鍾会だったな。パルミラ制圧、誠に大義。それに、我らの兵糧の不足を見越して先に仕入れておくとは、評判通りの才気だ。だがそれによって敵方の傭兵が増えたというのは、一長一短ではありそうだが」


「ははっ、お褒めに預かり光栄です。私としても、全軍が空腹に苦しむのと、大軍が多少削られるのと天秤にかけざるを得ませなんだ。経験が足りず、どちらも満たす策を立てられなかったことをお許しください」


 多少、だと? 半数削られたことに対する嫌味か?


「よい。それで、やはり直ちに南下し、ナイルまで侵攻しようと思うが、近くを統治しているそなたなりに、何か考えなどはあるか?」


「そうですね。その速攻そのものは理にかなっていると存じます。ですがお気をつけください。嫡子様に残されている時間はあまり多くありません」


 むっ? 私の病のことを? いや、今の意味はたまたまか。


「姜維か。やつが海路で向かってくるまでの時、だな」


「あ、はい。それに、アルダシールが意を決して援兵にくる可能性もあります」


「なるほど。だとすると初めの一撃で、ある程度の深さまで進行すべき、だな。手前の砂漠地帯で足止めされてはかなわん」


「はい。そして速さ以外にもう一つ留意すべきは、あやつの姿がしばらく見つかっていないことです」


「あやつ、か。やはり厄介なのか?」


「この上なく。姜維とどちらが、というくらいに」


「そなたがアンティオキアを落としたところで、ゼノビアと共に行方知れずになった鄧艾。こいつが何を仕掛けてくるのか」


「何するかわからん奴なので、油断しない、という以外の対策はとりようがありません。とにかく、足を止めたその時から、見えない敵との戦いが始まっている。そういう心得が大切です」


「幼児の物言いでは無いな。だが助かる。我らの覇道、この地までわざわざ訪れた同郷の者らにしかと見せつけようぞ」


 お読みいただきありがとうございます。

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