百七十 準備 〜孟達×曹仁=??〜
夏のある日。二十万ほどの騎兵が、黒海とカスピ海の間をばらばらと通過。第一報はその日のうちにニコメディアに届き、三日後にはアルメニアに潜むゼノビア様達を通してサーサーン朝のアルダシール陛下に届きます。
孟達様が治める黒海の入り口の街にも西ローマの五万が進軍。孟達様は、船で住人達を逃したのち、海上に軍を運び出します。そのまま海路から来たアテネ艦隊を殲滅すると、逆戻りして国会東端へと向かいます。
「西ローマ軍は当面は立ち往生だな。アルメニア増援される本隊は、曹仁の軍と合わせて三十万の態勢が整うまでは、進軍を知られないようにしたかったのだろう」
「姜維様、それを我々が早期に知ったことで、どのようにかわるのでしょう?」
「ああ、バルバラ、体調は大丈夫か?」
「はい。おかげさまで。コンスタンツもよく眠っています。それにしても、我らの子に、こちらの地の名を与えるというのは、思い切ったご判断ですね」
「そうだな。私が報じられた王という位は、その地をよく知り、よく治めよという令が込められている。ならば、この地の次代を担う者を育てる、というのも大きな役割なのだ」
「早速孟達様が、あの街の名をコンスタンティノープルにしようと、住民の皆様に吹聴しておいででしたが……」
「あの方は、まことに自分の名がつくことを忌避していたのだな。まあ良いのだが。む、それで、仲達らの進軍の話だったか?」
「はい。彼らの動きを我らが早期に知り得たこと。それがどう状況を変えたのか、というところでございますね」
「そうだな。当初の予定は、西ローマがニコメディアに侵攻する時期と、本体が攻める時期を合わせたかったのだろう。だが今回の動きによって、我々は全軍を動員してその三十万を相手取れる」
「ニコメディアの本体が、パルミラ地域にバラバラに潜む軍を合わせて五万。孟達様が西でかき集めていた傭兵が三万。ペルシャの五万ほどを合わせても、だいぶ差がありますね」
「そうだな。それにそれぞれが強靭な弓を引ける騎兵だ。だが我らもサーサーン朝も、三年間何もしてこなかったわけではないからな。それがうまく機能すれば、追い返すことも十分に可能だと思っている」
「それで、シヴァは狙いをどこに定めるとお考えでしょうか?」
「元々の予定では、メソポタミアを狙っていたのではないかと考えている。ペルシャの首都、クテシフォンの陥落はできなくても、上流から中流域をおさえれば、半農半牧で数十万を安定して食わせながら、アンティオキアやクテシフォン、ニコメディアの全てに圧力をかけ、疲弊したところから落としていく形だな」
「ですがアルダシール陛下が想定以上に固い守りを見せ、馬が苦手とするラクダを動員するというお知恵も。一方、鍾会という幼子が、類稀なる才気を見せてアンティオキアを陥落させてしまい、パルミラ全体を制圧しています。これは戦略上も大きな変化と言えそうですね」
「ああ。ダマスカスに移ったようだが、いずれにしろアルメニアからパルミラまでの一帯を、ある程度好き勝手に動けるようになったわけだ。海軍同士の争いもあれど、裏で繋がっているだろう西ローマとの交易も可能になっているだろうしな。そうなると奴らの行動は二つ考えられた」
二つ、ですか。現状維持か、更なる侵攻か、ですね。そしてすでに後者を選んだことが、我々の監視の網に引っかかった、と。
「二つ、ですか。一つはこのままの状況で安定させること、でしょうか。パルミラ全域が恭順の意向を見せていますが、統治そのものは安定しておらず、鍾会に失点があれば、いつひっくり返されるかわからないとも言えます」
「だからといって曹仁に任せてしまうと、騎兵の方の管理が疎かになり、我らやアルダシール陛下に退路を断たれる可能性を恐れていそうだからな。ダマスカスをしばらく鍾会に任せ、時をかけて我らを孤立させる、という策だな」
「ですが、コンスタンティノープルを含め、海路を押さえている我らは、そう簡単には抑えられませんね。それにパルミラも、面従腹背の状態が簡単には変わらなそうです」
「ああ、それになにより、仲達自身が鍾会のことを信頼出来ないのが大きな問題なのだよ」
「信頼、ですか。確かに才能はあれど、あのお年に加え、予定にはなかった侵攻を自発的に行ってしまう果敢さ。淡々と任務を続ける曹仁とは相反する気質ですね」
「ああ。だから、『鍾会を信じる』という選択を取らなかったのだろうな。そして仲達は、より決定的な差をつけるための行動に出るという判断をした」
――――
アレキサンドリアへの総攻撃、か。ここで大きな打撃を与えようってことなんだね。まあでも、そんなに焦る必要はなかったはずなんだけどな。
アンティオキアをこの鍾会が落として、ダマスカスを中心にこの地域をこちら側として安定させれば、時間をかければかけるほどこっちが有利になったはずなんだけど。
まあ気持ちはわからなくはないけどね。こんな勝手に動くガキが、うまくやり続けられるかを信用できないっていうのも、仲達様が、細かく約束事を決めたがるのも。
仕方ない。ボクはボクで、その信頼ってやつを積み上げるために必要なことはやっておくかな。まずは食糧だね。
――――
「決定的な差、ですか」
「ああ。やはり仲達は、我らが最もやられては困ることを狙う。それが奴のさが、ともいえるのだろうが」
「それが高じて、狙いが分かりやすくなり始めている、ということでしょうか?」
「ああ。奴は、我らにとって何が最も重要かを分かっているからな。この機会を逃したくないのはわかる。それに東方でも同じように、敦煌に対する圧力を強めているようだからな」
「知識と文化の集積と拡散。その中心地に対する圧力。シヴァは知識の発展そのものを忌避しているわけではなさそうですが」
「ああ、こちら側の知識や情報の流れを乱し、奴らの騎馬が情報を先行させたいのだろう。そして、東ローマやペルシャの市民も、アレクサンドリアを誇りの源泉とし始めていることも知っているからな。そこを挫くことの大きさも」
「アレクサンドリアですか。ダマスカスで一度態勢を整えれば、アレクサンドリアまで一気に襲撃することも出来るでしょう。それを狙って、アルメニアでは隊列を無視して出来るだけ高速で抜ける目論見。そしてそのために、曹仁の部隊は、アルメニア近辺で怪しい者がいないかを警戒しているようです」
「そうだな。我らが態勢を整え、例えば海路をつかってアレキサンドリア手前の隘路、砂漠地帯で迎え撃つというのを防ぎたいだろうからな。ゼノビアや鄧艾達も、あまり北には近づけないから、本来ならかなり深いところまで入り込まれていたはずだ。だがその目論見はすでに破れはじめている」
「はい。孟達様が、海路から山間部に斥候を潜入させることに成功しています。すでにアルメニアに大軍が入り始めていることを把握しており、東ローマどころかペルシャにまで伝えることが出来ています」
「そして黒海南東のトレビゾンドに傭兵達を動かし始めた孟達殿。実は彼がかき集めていた傭兵は三万じゃないんだ」
「えっ?」
「正確には聞いていないが、おそらく十万以上いる。それに、彼らを運ぶだけの船も、黒海には十分に浮かべられるからな」
「そんな軍をどこに? コンスタンティノープルでも収容しきれませんし、街が物々しくなり目立ってしまいますが」
そうすると姜維様は、私たちの目の前にある、非常に正確な地図の一点を指さします。
「クリミア半島。ここは、騎馬民族達の目も届きにくく、それでいて温暖な気候で屯田すら可能。一年どころか何年でも定住でき、兵を隠すにはもってこいのところなのさ」
――――
クリミア半島。こんな快適な土地が黒海の近くにあったとは。そして、あのモータツという執政官は、随分と大盤振る舞いで俺たちを雇い入れた。
「土地は自由に開拓してください。それまでの食糧や日用品なども支給します。実際にお役目が来るのか早くて一年後ですので、それまでごゆるりと」
屯田、か。傭兵にそんなことさせるとは、なんて豪気な奴だ。だが問題ねえ。傭兵の誇りだ。もらった額の分は働くぜ。
一年後。この地にどれほどの傭兵が集められたのか、そしてこの兵で何をするのか、ようやくそれを知る時が来た。
「皆さんには海を渡り、そこを行軍している軽騎兵部隊を襲撃していただきます。自領を行軍するように隙が多いと思いますので、馬や弓、防具なども奪い放題です。ただし油断なさらぬよう。その軍は隊列こそばらけていますが、一人一人も相当に練度の高いと考えられますので」
盗賊まがい、とはいえ強い奴らと戦えるならそれでいい。
「倒した数だけ報酬を上乗せいたしますので。馬や弓を奪ったり破壊したりした分を基準としますので、くれぐれも無くされぬよう。そして、南から北に逃亡する者は放っておいてよいですが、北から南に急行する者はできるだけ防いでいただけたら」
はっ、なんか不思議な指示だな。でも面白え。やってやろうじゃねえか。
上陸してしばらく進むと、確かに多くの兵が進軍していた。起伏が多くて狭い山道の多いこの地形、あまり騎兵が優位ではない。だが数は相当に多いので、こちらも百から千で徒党を組んで、一撃して離脱を繰り返すのが良さそうだ。
一度目。後方の死角から襲撃。数十騎が落馬し、馬は逃げ去る。射返されそうになったので離脱。
二度目。山あいから突撃。倒せた兵は限られているが、馬と弓を複数鹵獲。
三度目。奇襲がバレたので逃亡。馬が奪えていなければ危なかった。
四度目。木々の影からスリングで投石に変更。逃げていく馬を後で探そう。
五度目。夜間に見張りをおびき出して仕留める。食糧と矢を奪って逃亡。
こんな動きを繰り返しつつ、奪った馬や品物を港の方に送り届ける。そんな動きを繰り返すのだが、敵は延々と湧いてくる。進軍経路から外れて警戒に回る部隊も現れ始めたようで、こちらも散開した部隊をまとめてぶつかり合ったり、なすすべなく蹴散らされたりを繰り返す。
他のところでもやり合っている奴らがいるのか、少しずつ、北に徒歩で逃げる奴らを見かけるようになった。特に奪えるものがなさそうなのでやり過ごす。モータツの奴、奪った馬や武具で報酬を上乗せ、といっていたからな。
たまに急いで南下する奴もいたが、そいつらはいい馬や弓を持っていたので出来るだけ逃さねえようにした。
そんなことが一月も続いただろうか。進軍する奴がいなくなったころ、俺たちはクリミアへと戻ることにした。馬や武具を誰が奪ったかは、港でちゃんとまとめてくれていたみてえだからな。その辺やたらとかっちりしていたなあいつら。報酬が楽しみだ。
――――
最初の五万ほどはそのまま通したあと、次以降の軍はできるだけ妨害せよ、か。できたら妨害されていることが前線に伝わるのを少しでも遅らせること。後方に伝わるのは特に構わない、と。
こんな指示を受けたので、傭兵達にはそれぞれ言いふくめてバラバラに動いてもらった。南下を急ぐものを優先的に捉え、馬、弓を優先した対応。十万でそれをやられると、二十万いても相当に削られるはず。
「孟達様、傭兵達がクリミアへと帰っていきました。報酬の手配は抜かりなく」
「ありがとうございます。それでは次の仕事を用意しておきましょう。それまではよく食べ、よく休んでいただいてください。ああそれと、半島の入り口の警戒は厳重に。出入りの両方を徹底的に防ぐようお願いします」
――――
増援二十万と聞いていた。最初の五万が来た時には、いよいよ本格的な攻勢ができる、と兵達も湧き立った。だがその後、雲行きが怪しくなっていった。
なぜか馬を失って歩いてきたり、矢や食糧が尽きたりといった者が増えてくる。そして、予定よりも徐々に遅れてくる。
「盗賊か傭兵のような集団に襲われた」
皆、口を揃えてこういう言い方をしてくる。パルミラから逃げた軍が潜んでいたか、アナトリアから送り込まれた傭兵か、と考えた。それならその襲撃を継続はできまい、と思っていたが……
「司馬師殿、あなたはこの軍の総大将でしたか。後方にいたはずですが、まだ十万も来ていませんが」
「我らも含め、多くのものが馬と武器を失い帰らされていったのです。今到着した軍でおおよそ全て」
「そんな規模で潜伏戦を仕掛けてくるとは。どこに誰がいて、どんな手を……いや、それどころではない。食糧も心許ないのでは?」
「はい。荷駄や羊はかなり奪われました。大半の者が手持ちでどうにかなりましたが、この先を考えると厳しいです」
「仕方ありませんね。ダマスカスに向かいましょう。海外を最大限にしつつ」
「鍾会頼りになるか……安心はできませんな」
お読みいただきありがとうございます。




