百六十七 凸凹 〜鍾会×姜維×鄧艾=??〜
アンティオキアを落として、拍子抜けするくらいに抵抗もなく、素直に受け入れる住人達。新しい両者がボクみたいなガキだってことも、「ゼノビア様と大差ねえ」と言って受け流しちゃう役人や衛兵達。
これじゃあまるで、こそこそやっていたボクの動きが、みんなの前に表立ってしまったというだけな気がする。それに、鄧艾や彼らが率いていた軍は、いろんなところに隠れていたり、アレキサンドリアや、姜維のあるニコメディア側に合流したりと、対して被害を受けていない。
対してこのアンティオキア。ペルシャ側から攻めてきたり、ローマ側から攻めてきたりした時には、確かにすごく守りやすい。でも、東西両方が敵の場合、ここだけ守れても仕方がないという場所だ。
それに、東西を山と川に挟まれちゃっているから、防衛を取るか、発展を取るか、どちらかしか出来ないんだ。
極め付けは、地震という恐怖。昔、近くの港が大きな波に飲まれたこともあるとか。
「アンティオキアは永遠ではない」か。ゼノビア、そして鄧艾。まさかボクにこれをさせようとしたんじゃないよな?
「ザッバイおじさん、この地方の大きい街で、陸でも海でも行き来の中心になりそうなところってどこかな?」
ああ、ボクもちゃんと調べているから知ってはいるんだけどね。それにこんな半端なところで嘘つくような人じゃないから、無駄な質問だね。いけないいけない。
「ここから南東に、ダマスカスってところがある。そこは海からは少し離れるが、すぐ近くにベイルートっていう、こっちより港として良さそうなところがあるぜ。商人たちはアンティオキアがちょっとずつ不便になってきているからか、そっちにいっちまう奴らも増えてきているぜ。
だが坊主、それくらいとっくに調べているんだろ? 俺たちを試そうったって無駄だぜ」
「えへへ、バレたか。まあいいや。じゃあ連れてってよ。ちゃんと見ときたいからさ。攻め落とせるかどうかっていう目線でしか見てなかったからね」
「なるほどな。なら明日まで待ってくれ。一通り準備して来る」
「えっ? すぐ行けるけど?」
「どうせ戻って来る気ねえんだろ? ならちゃんと向こうで始められる用意はしておくんだろうが」
「あはは……全部ばれているな。鄧艾とかゼノビアとかってのはそんななのかい?」
「トトガイウスはそんなもんだ。話の脈絡ねえけど、よく聞いてみたら筋が通っているから、慣れてくれば推測ぐらいならできる。ゼノビアも、つられてとんでもねえ方向に育っちまってるよ」
「あらら、お父さんも大変だね」
「坊主ほどじゃねえかもしれねえがな。まあ腕っぷしでねじ伏せられるくらいになるまでは、あんまむちゃして大人を本気で怒らせるんじゃねえぞ」
「う、うん、わかった。じゃあ明日まで、この辺の書類見とくね! 準備よろしく!」
「ああ。任せろ」
ボクも、征服した者の責任ってやつなら心得ているつもりだよ。大人を怒らせるなっていうのはそういうことだよね。
ダマスカス。アンティオキアとあまり遜色のない、主要都市といっていいだろう。水がオアシス頼りだから、あんまり馬の大群で居座るには向いていなさそう。だけど発展する余地は大きそうなのと、商人たちが足を運びやすそうなのがいい。
「曹仁様の軍には、変わらずアルメニアに居座っていてもらうしかなさそうだね」
「あの移動要塞がなければ、あなた様は容赦なく包囲されるでしょうな」
「それもそうか。まあいいや。こっちから色々送ることもできそうだから、あちらもやりやすくなるはずだよ」
「なあ坊主、だがかえって、お前さんたちの動きが読みやすくなる、っていう面もあるんじゃねえか?」
部下との話に口を挟んできたのは、ザッバイおじさん。
「まあそうなんだけどね。どっちにしたって東ローマやペルシャにとって、ボクたちは厄介であり続けることが求められているからね」
「シヴァ・チュータってやつは、的確に嫌なところを突いてくるやつだな。性格は悪そうだが、あんだけ大規模で、民族もいくつもある中でまとめているってことは、相当な腕前なんだろうぜ」
「いやらしい奴というのはその通りだね。だけどそのいやらしさが味方に向かうわけではなく、みんなが欲しい物をしっかり渡すっていう感じかな。軍の方は、まず勝手にやらせてみて、こてんぱんにしてからいうこと聞いてもらうんだよ」
「もしかして最初にベレアに攻めてきた時のことも?」
「ああ、流石にボクもあんまり覚えていないんだけど、あれは確かにほとんど匈奴とゴートに任せたって話だよ」
「そうだったのか。やはりいやらしい奴だな」
「そうだね。まあでも、だからこそ、こんなところで乱暴なことをするのは、その『いやらしい』に反するんだよね。ボクたちがこのあたり一帯を本当にうまく治めちゃう方が、長い目で見ても効き目が大きいはずだからね」
「だろうな。それで、こっちでも町を見にいったりするのかい?」
「そうだね。まずはそこからだ」
――――
アンティオキアが一刻のうちに落とされました。あの騎兵の移動要塞が、冬をしのぐためにこちらに向かってきたのを、こちらで守りを固めている姜維様への牽制としても使った、あまりにも見事な采配です。
姜維様はニコメディアから前線にお移りになり、引き続き移動要塞を注視しておいでです。そこにやってきたのは鄧艾様。
「鄧艾、無事か。相手はどんな奴だ?」
「が、ガキだな。ゼノビアより若い。鍾会と名乗っていた。しょ鍾繇の縁者だな」
「鍾繇か。ということは武勇一辺倒でもなく、教養もあるだろうな。そういう意味では、パルミラ一帯の人々にとっては安心材料か」
「そうだな。実際、ほとんど抵抗がなかったアンティオキアでは死者は少なかったぞ。だけどパルミラを取り返すのは難しいぞ。アンティオキアの問題を少しだけ仄めかしたら、次の日にはダマスカスに移動していた」
「なるほど。征服者だからこその思い切りではありそうだが、確かに為政者としての力もあるな。曹操に似ていないか?」
「似ている。仲達も似ているが、細かい違いはあるんだろうけどな」
「曹仁の移動要塞がより自由に動けるようになったのなら、このアナトリアも危ないな。土地の特徴を活かせば、住民達に被害が出ない方法は容易なんだが」
「さ、山間に隠れ住む、か。確かここの人たちは慣れているんだったか」
「ああ。この地域の全域を抑えようとすると、十万ですら心許ない。おおよそ遊牧に適しているところは、現地の住民に聞いて把握しきったからな。そこから外れたところなら、比較的安全に住むことができる」
「姜維、なにか思いついたのか?」
「ああ。これなら、やや兵の足りないこちら側の陣営でもどうにかなるはずだ」
姜維様はそう仰せになると、この二年ほどで正確にに作り上げられた地図を広げながらお話を始めます。
「この縞模様はなんでしょうか?」
「ああ、バルバラも初めて見たか。おおよそ同じ高さごとに線を引いているんだ。この辺り一体は高原地帯だからな。見通しが悪いところ、草原が広がっているところと入り組んでいるからな。平地が海岸沿いくらいしかないだろう?」
「そうですね。北の草原、とは全く違うのでしょうね。放牧には困らない、水や草が豊富な開けた盆地は限られています」
「ああ、曹仁の軍は、基本的に一箇所に固まるか、広く展開するにしてもお互いの様子を即座に把握できることで、あの移動要塞ともいえるとんでもなく堅固な状態を作れているんだ」
「そうすると、もし狭い地域に分かれて駐在、なんてことになると、彼ら自身がその特徴を活かせなくなる、ということをすでに把握しているはず、と」
「そうだな。だから、この地であればあいつらの軍の動きというのはある程度読みやすくなるんだ」
「あ、あいつらの移動要塞の特徴は、ひ、ひとまとまりの騎兵軍が、平原や高地を変幻自在に動きながら、遊牧を主体にして居座れるというものだぞ。アナトリア地方でそれをやろうとすると、ひとまとまりであることと、変幻自在であることのどっちかが失われるんだ」
「八門禁鎖、でしたか。それがうまく働かなくなる、と」
「それだけは避けるはずなんだ。だからこそ曹仁は、打てる手が限られてくる」
――――
あたしより年下の小さな征服者は、鍾会という名らしい。そいつがアンティオキアからすぐにダマスカスに移った頃、あたし達は逆に、パルミラ北部に潜んでいたんだ。
十万を超える騎兵。そう聞くと、この辺りの基準ではとんでもない大軍だ。だけど、その軍は決してばらばらになることはない。そんなことをしたらそれぞれの場所で押し留められて、それぞれ少しずつ削り落とせるから。
だから、あいつらのいるところからある程度離れちゃえば、すぐに見つかることも、襲われることも少ない。だから私たちは、住民に紛れながら、鍾会の様子と、曹仁の本体の様子をある程度同時に探れる位置にいた。
「ねえ関索、十万でもあいつらのごく一部っていうのは本当なの?」
「ああ。あいつらは基本的に誰もが騎兵になれてしまうからね。馬さえ足りていれば、ちょっと無理すれば百万も行けるはずだよ。半分は蜀漢とぶつかっているはずだから、残り半分ってとこだね」
「五十万……そんなのきたら、ひとたまりもないじゃない」
「ひとたまりもない、か。もし司馬仲達が、本当の意味でこの地を滅ぼそうとしたら、そうなるだろうね。でもそうはならないはずだよ。彼らは補給を現地頼みにする傾向にあるだろう?」
「うん、そうだね。五十万がなんの心配もなく居座れる、となると、メソポタミア全域を手に入れられたら行けるかも、ってところね」
「うん。だからこそ曹仁の軍は十万なんだ」
「だとしたら、パルミラを支配したら、もっと増やしてもいいっていう判断をする可能性があるってこと?」
「そうかもしれないね。だけど多分、そういうわけにもいかないんだよね」
「ん? どういうこと? パルミラが手に入ったら、もう十万くらい入ってきちゃっても大丈夫、って思ったりしないのかな?」
「それが多分難しいんだ。もしさ、ゼノビアが漢の国の一部を、あっという間に制圧したとする。そこそこちゃんとその土地のことを考えて、住民にも被害が及ばないように収める。でもそんな状況で、ゼノビアの統治がすぐにひっくり返されずに安定するなんて、誰が信じる?」
「……あっ!」
「そうさ。いくらなんでも鍾会は若すぎる。もしかしたら今の段階ではまだ、仲達や曹仁以上に、僕達の方が彼を高く評価しているかもしれないよ」
「五万十万の援軍を送ったとして、それをちゃんと使いこなせるかもわからない。帰ってそれが住民の反発を招いて、征服が中止しちゃうかもしれない。そんな状況で援軍なんて、簡単には送れないってことだね」
「ああ。曹仁になら送れるんだ。だけど彼に援軍が必要だとしたら、予想外の損耗があった時か、決戦戦力として追加を送り込む時だけ。居座るためにはかえって邪魔になる」
「なるほど、だから十万なんだね」
「少なくともしばらくはそうだね。だけど、来てからじゃ対応できないから、こっちも手を打っておかないと、だよね」
「だからあたし達は、曹仁や鍾会の裏に回って、シヴァ本体の動きに繋がる情報を察知できるようにするんだね」
「うん、そしてここで、あの孟達殿の働きが活かされることになるとはね。姜維はどこまで先を読んでいるんだか」
「彼に言わせると、やれる事を尽くしているだけだ、ってなるんだけどね。不思議だよね」
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