百六十四 急襲 〜(鄧艾+少女)×鍾会=??〜
十万を超える騎兵によって形成された移動要塞。その外にはある程度まとまった戦力で哨戒したり、町や村の収穫を奪い取ったりと言ったら部隊が定期的に出て来る。
彼らは皆、ある程度決まった動きをしてきて、こちらの妨害を受けたら無理せず撤退する。そんな動きをひたすら繰り返して来る。
何か手を打たねば、十年だろうと平気で居座りそうな、そんな動きでこちらの力を少しずつ蝕んでくる。彼らの狙いは間違いなくこちらの消耗。
何より問題なのはその兵力。アンティオキア、アレクサンドリア、ニコメディアを中心とした東ローマ一帯は、すべて合わせても常備軍は五万程度。歴史的にもペルシャとの戦いは、ローマ本国の正規兵や、西の属州からかき集めた傭兵によって成り立っていた経緯もあり、兵が全然足りない。
もちろん、各地の城塞に本気で籠もれば簡単には落とされない。だが今の形で持久戦法を取られると、削られていくのは明らかにこちら側だ。
あたし達はアンティオキアからアナトリア方面に飛び出ている最前線の地、ベレアを中心に、向こうの騎兵と小競り合いを繰り返す。
サーサーン朝は、ラクダをうまく使うことで押し返しつつある。あたし達は、今のところ地形を知っていることによる優位を使ってはいるが、向こうもいずれ学んで来るだろう。
「どうすれば追い返せるか、だけど……」
「す、すぐに追い返すのは難しいぞ。あいつらは、ここしかねえんだ」
「ここしかない?」
「仲達から見て、世界はざっと六つに見える。西ローマ、東ローマ、ペルシャ、インドを含む大陸中央、東匈奴を合わせた蜀、魏だ。呉は接してねえし、新世界は遠すぎるから置いておくぞ」
「西ローマはむしろ攻めない方が東ローマに勝手に攻めてくれる。大陸中央は軍で制圧してもしょうがないから、思想の戦いが始まっている。魏は故郷だから遠慮している。蜀は一番強いから激しい戦いになる」
「メソポタミアから地中海、インド洋に出られるこの辺りが、あいつにとっては一番欲しいところではあるのさ。ここに住む人民は、西ローマや中央高原、アフリカとか逃げ場もあるから、いざって時には必死の抗戦に遭いにくいっていうのもあるんだ」
「ローマ、ペルシャという大きな国があるから、なんだかんだで逃げようと思えば逃げてしまえる、という気持ちが、抵抗を弱めさせる、ってことね」
「ああ。インドやローマでそれをやると、必死に追い返されるからな。だから、追い返すのも難しいし、下手するともっと増えるんだ」
「えっ? まだ増えるの?」
「今のところ、蜀の方でやり合っているから助けられている部分もあるんだ。あいつら多分、人と馬があんまり変わらねえくらい数がいるからな」
「うへえ。厳しいね。統制が取れているから、ある程度先読みできる、っていうのが救いかも知れないけどね」
「そうだな。だけど、それも最近、雲行きが怪しいんだ。なんか変な部隊がいるっていう話はしたな。そいつらがちょっとずつ目立ってきているんだ」
「ああ、そう言えばこの前あたしもぶつかったよ。そいつら、目的が分からなかったんだよね。気持ちが表に出てこないのは一緒だったけど、なんというか表情が他の奴らより明るいというか、ね」
「むむ、よく見たなゼノビア。兵たちが、なんか違う目標をみつけて、それを楽しんでいるかも知れねえな。だとすると……とんでもねえ奴がいる」
「え? どういうこと?」
「曹仁や仲達の率い方は、とにかくこれをやれって言うことを正確に伝えて、その通り動く。でも兵の全員がその意味をわかっているわけじゃねえ。だから無表情だ。だがその兵たちが楽しそうなんだとしたら、やっていることの目的が兵にまで伝わっているってことだ」
「それは確かに怖いね。なんか思っていないことがあっても、ある程度自分で動けるってことだからね」
そんな話をしていると、トトガイウス(鄧艾)は、突然とんでも無いことを言い出した。黙って聞いていた関索も驚く。
「ゼノビア、一旦逃げるぞ」
「ええっ!? アンティオキアに?」
「はあっ!?」
「いや、アンティオキアからも逃げる。こっそり逃げる」
「何で!? ここまで頑張ってきたのは、この国の人たちのためじゃないの!? あなたはここの国の人たちを守ってくれないの?」
「おい鄧艾。ちゃんと話せ。中身次第では許さんぞ」
「ああ。逃げるってのは、俺たちだけで逃げるって意味じゃねえ。みんなで逃げるんだ」
「えっ!? つまり、このアルメニア、パルミラの人たちもみんなってこと?」
「そうだ。今から次の冬まで、ばれないようにな。まずは船でアレキサンドリアやニコメディア、孟達の作った黒海の出口の街でもいい。人によってはペルシャ逃げてもらってもいい」
「それだけなら、半年もあれば十分間に合うね」
「アレキサンドリアの食べ物がちょっと足りなくなるけど、海路が整ってきたから、ペルシャから送って貰えば足りるだろう。これまで通り書物とかローマの品とか、ラクダで返せばいいんだぞ」
「それで、アンティオキアを守りきれなくなるって言うことだよね? それで、アンティオキアを取られて大丈夫なの?」
「ああ、アンティオキアまでなら問題ねえんだ。むしろそれが必ず、あいつらにとっての反撃になる」
「「ちょっと意味がわからない」」
「そしたら、ちゃんと説明するぞ。こんな感じだ」
……
…
…
「鄧艾お前、ちゃんと説明すればできるんじゃねえか」
「いつも費禕とか姜維にぶん投げてるもんね。でもこれではっきりした。あなたはやっぱり姜維と遜色のない天才、そして人々の未来をしっかりと見ている人。それに、あなたがこれまでこの地にもたらしてきたことの価値を考えたら、みんなあなたの提案には乗ってくれると思う」
「さすがだな鄧艾。確かにそれなら行けそうだよ。どでかい空城計、仕掛けてみるかい?」
「ああ、やってみよう。もしかしたら変なことが起こるかも知れねえけど、それは未来にとって悪いことじゃねえはずだ」
「ねえねえ、これもしかして、思いっきり逃げちゃうよりも、こうした方が良くないかな? 空城計? はもう何回かやっちゃってるし」
……
…
…
「ゼノビア、お前すごいな」
「ぜ、ゼノビア、そっちにするぞ」
――――
夏から秋にかけて、ボクは将兵達に、とにかく詳しくこの地域の地図を作らせた。時に深々と、アンティオキアのすぐ近くまで侵入させては引き返させたり、時に収穫が迫った村から一気に刈り取りをさせたりしながら。
そう。準備していたのさ。曹仁様は無理をしなくていいって言っていたんだけど、僕にはその道がもうはっきりと見えていたんだ。アンティオキア。ローマ帝国第二の街。あの街は確実に落とせる。
「なんだけどな……問題はその後なんだよ」
「その後、ですか?」
「実際、アンティオキアだけ落としたとしても、この辺りの民が逃げてしまったり、抵抗勢力として居座ってしまわれると、利用価値は無くなるんだよね」
「あんなに大きい街が、ですか? 一度落とせば難攻不落ですし、たとえアレクサンドリアやニコメディアが敵対していても、西ローマとの交易なども不可能ではありますまい。利用価値は十分にあるのでは?」
「まあそうなんだけどね。そう言うなら仕方ない。出たとこ勝負だ。やってみるか」
そうしてボクは、曹仁様のところに向かった。
「曹仁様、アンティオキアは落とした方がいいですか?」
「ん? 無理して落とす必要はないな。現場を保っていれば、ラクダという厄介なものを持ち込んできた南のペルシャはともかく、アンティオキアは疲弊して来るはずだ。そうすればいずれ労せずして落とせる」
「それはお聞き致しております。私もそう思っておりました。ですがこのままでは、彼らがまた何かを思い付いてしまうのではないか、そういう危険はある気がするのです」
「なるほど、鄧艾、姜維、そしてゼノビアという現地の若き女傑。若き彼らの後ろには、アレキサンドリアという知識の書庫に、海を自由に行き来する力。確かに、今は対策を持っていなくても、遠からず何かを思いついてしまいそうな奴らではあるな」
「なので、少しばかり慣れてしまいつつある彼らに、この軍の恐ろしさを再び知らしめ、そしてのんびり考えを巡らせるのを難しくさせてしまった方が良いと思いました」
「そなたが幼いながらに兵達の心を射止め、様々なことを試しているのは知っておる。それも全てそのためか?」
「いえ、全てではありません。ですが、他のことはアンティオキアを落とした後のための準備なので、実質全てですね。今なら大した被害もなくアンティオキアを手にできるでしょう。彼らもなす術ないはず」
「ほう、そうか。被害がないのならやってみても構わんぞ。いずれにせよ、次の冬が近いゆえ、動かねばならぬのは確かだからな」
「では、曹仁様は予定通り主力を率いて、アナトリア方面へと足を運んで下さい。私は新兵を中心とした三万ほどで仕掛けてみます」
「こちらの動きが陽動、そして西にいる姜維への牽制といったところか。わかった」
「では冬まであと一月ほどですね。それまでの哨戒任務も、ある程度お任せいただけると」
「ああ、わかった。野放しにはせんが、適宜報告をもらえれば細かいところは任せる」
「ありがとうございます」
そしてボクは、哨戒任務のかたわら、守りきれなくなって少しずつ増えてきた廃村に、兵や馬を隠していった。
ちりも積もれば、というけれど、彼らがこちらの略奪から逃れるために放棄した村や街は少なくはない。逆にいうと、放棄しなかった町や村は、こっちがある程度部隊を揃えて向かっても、ゼノビアが察知して蹴散らされる。
その廃村は、うちの軍とアンティオキアの間で彼らが防衛拠点にしているベレアという都市の手前側だけではなく、アンティオキア側にまで広がっている。
確かに曹仁様のいうとおり、この地域はこっちの戦術のせいで相当参っているみたいだ。だから実際には、ほっといてもどうにかなった可能性は結構高い。
でも、それじゃあ面白くないからね。
一月かけて準備して、曹仁様が移動要塞をアルメニアから南西に動かし始めた頃。そちらに残した哨戒によると、やっぱり姜維達の軍は厳戒態勢で、鄧艾とゼノビアの軍はベレアに釘付けになっているみたい。
それじゃあ、城取りを始めようか。
ボク達の軍は、街道を避けながら、アンティオキアの東に広がる山の中腹を集合場所にした。尾根付近で見張る兵は夜のうちに捕まえといたよ。アンティオキアという街は、南北に城壁、西に大きな川、東に高い山、っていう地形をしていて、難攻不落と言われているんだ。
でも、その山を調べてみたら、絶対に通れない、というわけではないみたいなんだよね。細い山道もあるし、崖じゃないところもあるから匈奴の馬術なら駆け降りるのも何とかなるんだ。
と言うわけでボク達は、一万の騎兵で一気に山を駆け下りる。ん? 三万じゃないのかって? アンティオキアって街は、ちょっと道が狭そうだからね。全部で行ったら渋滞しちゃうし、政庁を落とすだけならこれくらいで十分だからね。
っと、その前に。
「ねえ、みんなに伝えてあるよね? ここで略奪とかしちゃだめだからね。もししたら、ボクは帰るからね」
「ん、か、帰る、ですか?」
「うん! もし命令をする人が帰っちゃったらさ、こんな馬も狭くて走りにくい、弓も打ちづらいところにみんな放り出されるんだよ? 言葉もわからないだろうし、お金も持たせていないし、町での暮らしなんて慣れていないよね? そしたらどうなる?」
「……ここの民達に、袋叩きにされますな」
「うん、だからよろしくね!」
そして一気に坂を下り、政庁とみられる建物までまっしぐらに突き進む。山側を守る兵も少ないながらいたけど、流石になすすべはない。住民に避難させるのが精一杯だね。
政庁に着くと、あんまり強そうじゃないおじさん達がいる。みんな観念したのか、左右に道を開けてひざまずく。
ん? なんかおかしい。何でこんなにきれいに……
これが執務机ってやつだな。その上に置いてあるのは、手紙? ラテン語と、漢語!?
『もしこれを読んでいるとしたら、あなたは傑出した才をお持ちなのでしょう。本来なら万全の体制をそろえるはずが、あなたの用兵があまりにも見事で、最低限の対応しか出来なかったと言うことですから』
む? どう言うことだ……まさか読まれていた?
お読みいただきありがとうございます。




