百六十三 滑空 〜月英×天地=??〜
あたしはククル。東の海の向こうに旅立ったやつが、西の海の向こうから帰ってきたんだ。そして今は、愛する妻と、何やら揉めている。
「どうにか一年以内、娘の誕生日に帰って来れたぜ。だろ?」
「だろ? ではないわ! ギリギリで一年過ぎとるではないか! 誕生日は昨日なのじゃ!」
「パパ、数字苦手になった? 数字を間違えて作った運河には穴が開く」
「ん? 数え間違えてはいねえぞ。航海日誌だって、ほら、こいつの誕生日の次の日に出てから三百六十四日じゃねえか」
「むむ? どこかで書き忘れたか、一日寝とったのではないか?」
「パパ、寝坊助になった? 寝坊したら夜明けの神がやってくる」
どっちにしても夜明けの神、テスカトリポカは本当にやってきそうだけどね。面白いから放っておいたけど、流石にそろそろ種明かしをしてあげないとね。
「ねえトラロック、あなたは太陽の動きに逆らって航海し続けたんじゃないか? そしたらちょうど一周した時に何が起こるかな?」
「ん? 移動するたびに、朝がどんどん早くなっていったぞ。それで一周……」
「「あっ」」
「そうだね。トラロックはちょうど一日分、日が早くのぼる方向に進んだんだ。そしたらちょうど一日分、ぐるっと逆らって進んだんだよ」
「なるほど、それで一日ずれてんのか。一年かけて、ちょっとずつずれていった形になんのかな。別に俺たちだけ一日損したわけじゃねえはずだし」
「そうだね。だから間違いなく、マヤウェルの誕生日は昨日なんだよ」
「そうか……そしたらしょうがないな。マヤウェルごめんな、誕生日用に買ってきたお土産渡せなくて」
「ん? お土産はもらえるよ? 私が貰わなくて誰がもらうの?」
「あはは、ちょっとみないうちに、しっかりお姉ちゃんになったな」
「そうじゃな。それに、この子がおるからの、本当の意味でもお姉ちゃんじゃぞ」
「ああ、もしかして、出立する前に、この弟ができていたってことなのか?」
「えへへ、そうだよ。私はお姉ちゃんなんだよ!」
「そうか。ショチトル、大変だっただろうが、ありがとうな」
「良いのじゃ。別に男がいても役には立たんゆえ、世界のために働いていてもらってよかったのじゃ」
「そ、そうか。まあいいか。この子は、そうだな……イツァムナーと名付けよう。文字や知識の中で、賢く正しく育つ祈りを込めた」
「イツァムナー。願わくは、その名が知識の神として世に書き留められんことを、じゃ」
「おう、トラロック。ようやく戻ってきたか」
「テスカトリポカか。相変わらず遠慮なく入ってくるなお前は」
「丸一年かけて、どれだけのことを得てきたんだ?」
「二つの世界が混ざった様子。その混ざったものから生まれた、どちらの世界にもない新しいもの。そして、二つの世界をよりいっそう繋ぐもの」
「むむむ」
「とりあえずはこれでも食ってろ」
「なんだこれは? いつものコーンの生地に、トマトソースだが、その上にある白いのは?」
「牛という獣の乳を固めたものらしいぞ」
「むむっ……これは何という濃厚な。いつもの食事が全く違う装い」
「水牛とやらは北の大地にいるのだろう? ならどうにかすれば作れるのかも知れんな」
「なるほど……つまり、二つの食物がさまざまな形で出会った、というわけか」
「食べ物だけではなかったぞ。島の民から学んだ航海術や、ククルやこの国の者らがあやつる星読み、風読みを大胆に使い、東から西へと逆回りに進む航路を開拓していたんだ」
「向こうの世界は相当に広いのだろう? 陸続きとはいえ、航路の開拓は大変そうだな。陸が近いと風も安定しねえし」
「それが、どっかの地域で始まっていた、逆風に近い横風でも進める船を、自分たちのものにしていたんだよ。俺もそれのおかげで何度も海を行ったり来たりできた」
「追い風ではなくても風の力で進む、か。そんなことができるのか」
「そして、最後に陸遜達の国に寄った時に見せてもらったのが、我らの地にあるピラミッドと同じものだったのだ。そしてそれは、あいつらが帰ってから作ったのだ、と」
「まさか、そんなに早くあの建築の力を我が物に、か」
「どうやら草原を駆け、馬を操る民族たちにとって、大きな目印となり、しかも季節を知る建物は大層有用なんだとか」
「ただ使うだけじゃなくて、しっかり自分たちが使いたいように使っているんだね」
「そういや、向こうは向こうで空を浮かぶのを試しているんだよな? 大層優れた技術者がいるから、もしかしたらあっちの方が先行しているんじゃねえか?」
「気球そのものは、おおよそ同じくらいの力だったな。ピラミッドに縄をつけて、変なところに飛んで行かないようにしたりしていたぞ」
「なるほど。あれは風まかせだからな。どっか言って欲しくねえ時はそれもいいかも知れん」
「だがあいつらは、さらにその先を目指していたんだよ。お前たちも、大きな鳥が、翼を広げて延々と空を舞うのを見ているだろう? あれをどうにか真似しようとしていたんだ」
「空に浮かぶのではなく、空を舞う、か。そんなことできるのか?」
「いや、かなり苦労をしていた。だがそれを見ていて引っ掛かりを覚えてな。逆風で船を操るのと、空で風に乗るのとは、実は同じなんじゃねえかって思ったんだ」
「なるほどのう。妾は鳥たちを見ていて思っておったのじゃ。空を滑るように待っているような気がすると。大きな鳥はあまり羽ばたかぬ。羽ばたかんでもある程度飛べるのであれば、まずはそこを目指すのも良いのかも知れんの」
「ふふっ、ショチトルもすっかり新しいものを作るのにハマってきたんだね」
「そうじゃな。そういうとこなら、こやつら男どもにも負けんからの。いっそみんなで空を舞うというのも面白いかも知れんぞえ」
そういうショチトルたちの言葉を聞きながら、いつかあたしたちは、二つの世界の間を空からひとっ飛びするような未来が来るのではないかと、そう思ったんだ。
――――
木と紙でつくった模型の滑空機は、随分と遠くまで飛ばせるようになりました。ですがやはり、ある程度以上大きくすると急に制御が効かなくなります。
「月英、どんな調子ですか?」
「孔明様! はい、やはりここから先に進むには、人が乗って動かさねばなりませんね」
「頭を上げたり下げたり、水平を保ったり、方向を変えたり、ですか。できればその三つを、風の状況を読みながら行う、と」
「馬よりも簡単ではあろうかとおもいます。ですがやはり着地の際には一気に危険が増します」
「ふふふっ、問題ないよ月英さん。匈奴の連中は、前に進むために傷つくことを恐れることはないんだよ」
「へへへっ、大丈夫だよ孔明。生きた証が未来永劫書き留められるのなら、その瞬間を楽しむのが匈奴さ」
「アイラ様!」
「テッラ殿!」
「一番危険なのが、着陸をする直前になりそうです。まずは、簡易なその練習をひたすら積むのがいいかと。そのために作ったのがこれです」
「でっかい凧!? もしかしてこれ、ぶら下がれる?」
「そうですね。高いところから駆け降りれば、ある程度の長さを飛ぶことができます。手で角度を操作すれば速さが変わります。速すぎると着地出来なくなり、失速すると落ちるので、その塩梅に慣れていただけたら」
「おおー。速さはどれくらいかな?」
「やり方によっては馬と同じくらいにはなるかも知れません。落ちる力をつかって加速し、その速さを使って機体を安定させて空を滑ります」
「わかった! 空を滑る、だね! 行ってくる! 兄さん、運ぶの手伝って!」
「アイラ! 鎧と兜はちゃんとつけるんだぞ」
「はあい!」
大凧を持って颯爽とピラミッドを駆け上がる二人。確かにアイラ様であれば、この機体の操縦はすぐに慣れてしまうでしょう。
「いくよ! 一、二、三! おおお、浮いた!」
上がったピラミッドから駆け降りると、何歩か走った後で足が空を切ります。そしてしばらくの間、高度を下げて加速したり、左右にフラフラしながら、やや不安定な形で空を突き進む。
「あはは! ちょっと難しいね! 傾いたらそっちに行くのか! おおお! 速い!」
「着陸する前は頭を上げて、速さを落としてください!」
「わかった! こうだね! 速さを落として……わわっ! むぎゅっ」ドオン! ごろごろ
落下。この高さなら軽傷で済みそうです。
「いててて。でも大丈夫だね。これなら確かに、飛ぶっていうことを覚えるのにはよさそうだよ。馬から落ちる時の訓練はみんなやってるからね」
「すごいですアイラ様! 一発で空をしっかりと『飛んで』いました!」
「あのね、ちょっと前まであたし達、あの混沌の町、敦煌に行っていたでしょ? そこでいろんな物語があったんだけど、その中には空飛ぶ人の話もあったんだよね」
「はあ、はあ。その中に、アイラが飛んでいる話もあったよね。でっかい翼をつけて、僕が馬で引っ張って投げ上げて。ちょっと違う形だけど、できちゃうのかもね」
この後、いくつもの試験と訓練が行われました。私は左慈様や多くの方々とともに機体や操縦法を設計。アイラ様やテッラ様は、お仲間の匈奴の皆さんと共に気球や馬、ピラミッドを駆使してどんな飛ばし方があるかを試したり、時々落っこちて怪我をしたり。
孔明様はそんな私達の様子を見ながら、どんな方法で情報を伝えるのが最も早くて確実だろう、ということを考えておいでです。小雛様も、時に孔明様とお話をしつつ、なにやら別の工夫をしておいでのようです。お二人とも何を仰せなのかわからないので、まとまってからお話を聞こうかと思います。
「平原や海岸、河岸では、気球のところまで巻き上げてから滑空させるほうが馬より早いですね。高原や山地の場合は、登りは馬、下はそのまま飛んでいただきますか。あとは一つで運べる情報の数、ですか」
『あの地上絵の理論、南大陸のキープ技術を使えば、情報というのはもっと圧縮して伝えられるはずです。暗号のような形になりますが、復号の作法を共有しておけば問題はありません』
そして夕方になると、アイラ様、テッラ様は、母の蔡琰様と共に歌い踊り始めます。アイラ様と蔡琰様の弦楽器、テッラ様の太鼓が鳴り響き、三人のよく通る歌声が、匈奴や羌族の皆の心を浮き立たせるような調べを奏でているようです。
「戦いしか楽しいことがない、と言っていたあの二人が、敦煌で多くのものに触れたことで、随分といろんなことを楽しむようになったようですね」
『はい。もちろんあの方々の本質は、戦いや勝負、その後ろにある成長への渇望です。ですが、その戦いが、直接武器を交わすことだけではないのかも知れない、というくらいのところには行き着いてくれたかも知れません』
「誰も辿りつかないところに辿りついたり、人の心を湧き立たせる何かをしたり。その情熱の連鎖が、彼らの世界を広げてくれたらなによりです」
「今日は次が最後の曲だよ! さっき作った『翼を得た馬』!」
「「「おおお!」」」
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