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百五十九 結目 〜マニ×天竺=??〜

 あたしはゼノビア。シヴァ・チュータの部下の将軍、曹仁が、アルメニアの高原に居座り始めて数ヶ月。十万を超える大軍が、どこかの街に攻めてくるでもなく、ただ遊牧と狩猟を繰り返して滞陣する。追い散らすこともできず、放っておくとより危険なところに移動されるので、監視と牽制を怠るわけにはいかない。


 実に厄介。


 だけど、「で、できるだけ何もしないでほっとくんだぞ。飛び出てきたやつだけ蹴散らすんだ」というトトガイウス(鄧艾)の助言のおかげで、こちらの消耗も最低限で済んでいる。


 そして冬が近づいてきた。想定通り、あんな高原の冬に、居座ることなど出来はしない。だけど、そのことが逆に、たいそう面倒なことをしてきた。


「ん? あいつら南下して来たのか?」


「むう、南か。め、メソポタミアの上流に居座られたら、厄介じゃ済まねえぞ」


「でもあいつら、一度南下しちゃうと、しばらく北に戻るのが厳しくなるんだよね? それって、あいつらにとっても危ないんじゃないの?」


「ああ、だからこそ、なんだぞ。は、背水の陣ってわかるか?」


「うん、史記で読んだよ。そっか。あれだけの大軍だから、あそこでずっと居座っているうちに、弛みが出ていたってことか」


「そうだな。ゆ、弛みがあったんだろう。それを引き締めるために、冬はわざと前線に出て来たんだな。あの大軍なら、前に出て来たとしても十分に耐えられる自信があるんだろうな」


「にしても、南下したら、どっちかと言うとあたし達よりもペルシャ側に圧力がかかりそうだよね? アルダシールが自ら上流を守りに入ったみたいだけど、それでもあの大軍は結構厳しいんじゃないかな?」


「ああ。幸いなことに、む、向こうは冬の間は増援は来ないぞ。冬は長いけど、こっちが時々手伝えば耐えられそうだぞ」


「そうだね。あいつらが南下して来たことを後悔させないとね」



 冬が来た。高原地帯ほどではないけれど、冬はちゃんと厳しい。そして奴らは食糧に少し不安があるのか、それとも単にこちらの生産力を削りに来ているのか、近くの街や村にちょっかいを出してくる。


 多分、西ローマと違って、サーサーン朝ペルシャと東ローマの間の仲を割くというのは現実的ではないと思っているのだろう。どちらの町とか、そう言うことをあまり気にせずに略奪を仕掛けてくる。


「あいつら、仕事のように略奪を仕掛けてくるね」


「ああ、普通は略奪っていうと、よ、欲望のままに兵たちが好き放題奪ってさらっていくのが普通だな。だけどあいつらは、組織として、戦略として、こちらに被害を与えらためにやっているように見えるぞ」


「それに兵たちは、ただ淡々と戦うんだね。何人かで連携して、決して危なくならないように、無理のないところから矢を放って来たり、隙を見て突撃して来たり。なんというか最初から、こうしろっていう約束を忠実に守っているように見えるんだよ」


「そうなんだろうな。し、司馬仲達は、それを目指していそうだ。そうすることで兵が迷わない。だから隙がない」



 冬の間に二度ほど、ペルシャ側と示し合わせて総攻撃を仕掛けようとした。でも流石に、動員できる兵の数が足りなかったんだよね。どっちも三万ずつの六万。十万の騎兵が守る「移動要塞」が相手では、ちょっと手に負えなかった。


 一度アルダシール陛下と陣中で会い、状況を共有した。


「おお、ゼノビアにトトか。そなたらが合わせてくれて助かるが、あれを蹴散らすのは無理だな。トト、勝つにはどれくらい必要だ?」


「きょ姜維がいれば十五万。いなかったら二十万でも足りません。そ、曹仁という武将は、守りを固めたら、漢の中でも最上位に位置する将軍。そいつが十万で守るというのは、そういうことです」


「だとすると、この軍で攻めかかるのは無謀というものだな」


「はい。な、なのでやらないといけないことは二つ。一つは、あの要塞から離れる動きをしている奴らをしっかりと見極めて叩き潰すこと。もう一つは、できるだけ森林に近づかないこと、です」


「森林……つまりそれは、資材、ということか」


「はい。森林では木材が手に入ります。そ、そうするとあいつらは、仮宿を建てたり、最悪の場合、攻城兵器を作り始めるでしょう。それに、果実や野菜などの採集も、できるだけさせたくない、です」


「なるほどな。穀物と肉だけで長く暮らすのは、やはりあまり良いことではないのだな」


「人は、ある程度野菜などをとらないと、少しずつ弱っていきます。それを防ぐために、遊牧民は生肉をとる術を持っているようですが、それも量には限界があるはず」


「つまり、向こうのあらゆる動きを見極め、それをさせないように、ということだな」


「それがいい、です。無理はしなくても、春になれば戻ります。その間に、メソポタミアの守りを固めれば、次の冬にはこちらには来られなくなるでしょう」


「次の冬、か。あいつらはそういう長さで今の滞陣を続けると言うのだな」


「三年、は、か、覚悟しておきましょう。その間、大きな都市を破壊されたり、収穫を取られたりしないこと。そうすれば、状況は変わってくる、です」


「三年、か。その先には何かがあるんだな」


「はい。三年。多分仲達は十年だと思っている、です。それを、孔明様とマニ、トラロックが変える、です」


「マニ、か。確かにそうかもな。あいわかった」



――――


 私はシャープール。エクバターナを拠点に、すでに押さえられつつある東方から、侵食して来そうになっている騎馬民族達の動きを監視している。


 それと同時に、南東の地、インドに向かったマニから定期的な報告を受ける。インドとはいえ、巨大な半島の方まで向かったわけではない。すでに衰えたクシャーナ朝の中心地は、エクバターナのある高原地帯からは一月ほどでたどり着く。


 マニは、冬が始まる前にあなたを訪れ、冬が終わると報告に戻って来た。


「マニ、やはり騎馬民族達の影響は看過できないか?」


「はい。やはり彼らは、二つの戦略を使い分けていますね。明確な敵対勢力がいるときは、彼らの力を示すかのごとく攻めかかる。そしてそうではない時は、ごく自然にその地に溶け込むかのように人が送り込まれています」


「高原の入り口、砂漠との間にある要衝カシュガルも、明確な形で占領していると言うわけではないんだよね」


「あそこも、どちらかと言うと取引先兼用心棒という付き合い方をしているのではないかと。ただ、内情を知ろうとしても、いつのまにか騎兵達に潰されかけ、逃げ帰るのが精一杯です」


「それでマニはまず、少なくともすでにあの民族の手がかかっている可能性がある、高原南東部のガンダーラ地方に向かったんだよね」


「はい。あのあたりは、カシュガルとエクバターナのどちらからもそれほど遠くないです。だとすると、すでに彼らは足を伸ばしていそうでしたので」



「それで、実際はどうだったのだ?」


「カシュガルのように、多数の騎兵に追い回されることはなかったです。が、旧都タキシラには相当な数の騎馬民族が入り込んでいました。そして、中で起こっていたのは『シヴァ』と言う名に対するさまざまな反応」


「状況は相当に進んでしまっているんだな。あと少し遅れたら、カシュガルと同じように取り込まれるところだったか」


「はい。シヴァという名は、あの地の文化にとって、相当に複雑な意味を持ちます。より南の地の信仰の中で、その名は最高神の名を示します」


「だとすると、その化身ともいうべき扱われ方をし、その考え方の浸透は加速するのだろうか」


「それが、一概にそうとは言えないのです。シヴァという神は、彼らの信仰の中では、『破壊と再生』を司ります。それに、あのガンダーラ地方は、すでにブッダが広めた教義が定着している」


「あー、確かにそれは何重にも複雑だな。まず、シヴァという名そのものが別の地から現れたとしたら、それは現在の秩序を破壊し再生する者、と捉えられる。

 その上さらに、別の教義が定着しつつあるのだとしたら、幾つの考え方が混じり合い、街の中で渦巻くことになる、か」



「はい。その渦巻いた街は、混乱と戸惑いの中にありました。どうやら騎馬民族達も、どうしたらいいのかよく分かっていないようです。なのでその『混乱』を、『拮抗』に変えました。それが『調和』になるには時がかかります」


「どういう意味だ? マニがマニの中で最大限に進められていることは分かったが、それしか分からん」



「まず、あの街のごちゃごちゃした状態を、ある程度整理しました。どんな考え方があるのか、ひととおり調べ上げました。

 ブッダの教義に基づき、あらゆる闘争を否定する者。

 ブッダの教義を主とおくがゆえに、シヴァという侵略者を拒む者。

 南方教義の影響を受けるゆえに、シヴァの名を強く意識し、騎馬民族へと迎合せんとする者。

 南方教義をよく知るがゆえに、シヴァによる破壊と再生を警戒し、現場を是とする者。

 ペルシャ側のゾロアスターの教義を持つゆえに、シヴァを明確に侵略者と位置付ける者。

 それらのごちゃついた意思の奔流の中、戸惑う騎馬民族」


「ごちゃついているな」


「それ以外に、整理し難い思考の種類が三十ほど。それらをゆっくりと解きほぐし、束ねていきました」


「ゴルディアスの結び目、か? アレクサンドロスはそれを一刀両断したが、マニはそれをゆっくりと解きほぐしたというのか?」


「まず、ただひたすらに話を聞きました。それぞれの人たちが持つ意識。すなわち彼ら一人一人のもつ、限られた知識と経験に基づいた世界観。それらに耳を傾け、そしてそれらを書き留め、分析しました」


「分析か。その時間はまだある。そう判断したのだな」


「はい。幸いなことに、彼らはまだ戸惑いの中にいました。おそらくシヴァ・チュータ自身の力を尽くせば、その結び目を解きほぐすか、一刀両断するだけの力はあります。ですが彼には、その全てをガンダーラの一点に注ぐことは出来なかったのでしょう」


「だがあいつは今、他に注力しないといけないことはあったのか? 西はあの、騎兵の要塞が居座っているから、あいつの思考の外における。東はどうなのかはよく知らないが、あちらに急ぎの用があるとは思えないが」


「そうなのです。なのであいつは、もう少ししたら、このガンダーラの地への手入れに注力できる。具体的には、この冬が明けていたら、あいつ自身が訪れたかもしれません。ですがどうにか間に合ったのではないか、そう考えています」


「ほう、ならば、分析も、対策もおおよそ目処が立ったか」


「はい。あの地は今、決して一つにまとまることはありません。三十六の考えが、三十六のまま、それぞれが他の三十五を理解しました。そのために作り上げた書物と、その関係性を図解した、さながら彼らの教義の中にある『曼荼羅』のような図表です」


「複雑な考え方の関係性を、絵図で示す表か。なるほどな。これなら確かに、少なくとも分かった気にくらいはなるな」


「そうすると、どの一つが正しいかという話に収束することはそうはありません。そして、武を持って争う事もなく、対話をもって論じる場となりました」


「幾つもの宗派の聖地ガンダーラが、言論の地になった。そしてシヴァ・チュータがそこをどうまとめるか、両断するか、それとも何もせず引くのか。そろそろ彼の成し方が問われても良いのかもしれません」

 お読みいただきありがとうございます。

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