百五十六 怪逅 〜水神×孔明=??〜
我が名はトラロック。紅海を離れてインドのセイロン島へ。そこから東へ向かい、半島と島の間を通り抜けたら、北東に舵を切ってルソンという島へ。
そこで会った、やたら強そうな首長と、赤子を抱えた娘に関索のことを聞かれた。冬には戻るが、しばらく行き来することを伝えると、二人揃ってあっけらかんとした表情。
どうやら関索は、船の上や戦場にいるくらいの方が、ちゃんとしていると思われているらしいな。哀れ。
そして北上。ここまで三月とかからず。多少急げばこんなものか。航路を知っていると言うのはこれほどに心身を楽にするものなのだと知る。水夫たちも、アレクサンドリアで持ち込んだ書物に夢中で、我は漢人と対話しながら少しずつ言葉を紐解く。
字が複雑なのは、思いの外どうにかなる。実際、我らがもといた地の石碑に書かれていた文字は、ほとんど絵のようなものだったからな。
「トラロック殿、お待ちしておりました。お久しぶりです」
「陸遜! いきなりお前が出迎えか。よく到着がわかったな」
呉といったか。陸遜がきた国。政庁は、港から数日はかかると聞いていたが。
「近頃はここでの仕事も多いのですよ。西方航路の整備と、船舶の改良、貿易の拡大が国としても大きな仕事になってきております」
「あはは! 楽しそうじゃねえか。農業はいいのか?」
「それも重要ですね。米や麦はそれぞれ品種改良の段階に入っています。そして、あなた方の国や、南方から持ち込んだ作物の作付けもいくつか試しているようです」
「ようです? ああ、そうか。別にお前が全部やらなくてもいいんだよな」
「はい。特に最近は、東西からさまざまなものを持ち帰ってきたので、皆様にとっても、あれやりたいこれやりたいの山です」
「それはいい事だな。やりたいことが、人のために必要なことだっていうのは、神の第一歩だ」
「確かに、それからというもの、皆様がくだらぬ権力争いや功績争いに明け暮れることが大きく減りました。それよりも、明確にやりたいこと、役立てることがいくらでも発生する状況、それは国としても良い環境なのでしょう」
「そうか。俺たちの世界のように、お前たちの世界も、少し前までは、あまり変わらぬ世界だったんだろう。そんな世界だと、誰が国の上に立つか、そいつがどんな失敗をするか。そんなことばかりが気になるんだ」
「かも知れませんね。とりあえず建業に参りましょう。ご紹介します。二つの世界の交わった成果を」
「んん? 暇か? 結構切羽詰まっているんじゃないのか? あ、呉はシヴァのところと接していないから余裕があるのか?」
「否定はできません、表面上は。ですが、これこそ、司馬懿と相対するために必要なこと。そう心得ています」
「んー、それはちょっと分からねえぞ。結構書物は読んできているが、こっちの世界の戦いっていうものを、十分に理解できてはいねえ」
「ならばそれも含めて建業にて。では参りましょう」
馬はまだ慣れないが、人が到底走れない速さで駆ける心地よさは何とも言えない。そして、すでに漢の全土に広まっているという、港でもらった個人認証のための、木ではない丈夫な板。これがあると、門での手続きはすぐらしい。
中に入り、宮殿に向かう、と思いきや、その近くの酒場? に折れ曲がる陸遜。
「ここも、同じ認証板を出していただきます。将官や、特別な来訪者専用の店なので」
「お、おう」
「陸遜様、お待ちしておりました。それと、来訪者はトラロック様ですね」
「え、あ、ああ」
「では二回の方へ。すでにお待ちです」
誰がお待ちなんだ? とりあえず言われるがままに階段を登る。
「お、来たか陸遜。それと、そっちのがトラロックだな。うん、見た目はやはりこっちよりも西域に近いか。俺は呂蒙。引退した先代の魯粛殿の跡を継いだ大都督。軍事や対外政策全般の責任者だな」
「ああ、トラロックだ。いきなり高いくらいの方が出てきたが、大丈夫なのか陸遜?」
「私も次席なので、実質大して変わりません。それで呂蒙殿、魯粛様のお加減は?」
「ああ、もう長くはねえな。だがまあ、持った方だと思うぜ。最後に面白いものが食えた、って言ってやがるぜ」
「それは彼の方らしいですね。で、本日はどのようなものを?」
「ああ、こいつだ」
「む? これは、トマトではないか? トマトと……チーズ、とかいう乳製品だよな?」
「ああ。小麦の生地の上に、潰したやつを乗っけて焼いてみた。トマトはそのままでもうめえが、潰して焼くのも絶品だ。北方から手に入った腸詰や香草も乗せてみた。付け合わせは、ジャガイモをあげた奴だな。こっちも、トマトの醬をつけるとうめえぞ」
「呂蒙殿、趣味とは言え、どれだけ攻めたものをお客にお出しなさるのですか?」
「大丈夫だ。これは間違いなくうめえ。冷めねえうちに食え食え」
「分かりました。いただき……これは!?」
「なんだこれ……昔からこれが正解だ、と言わんばかりの調和。載せる具材によってはさまざまな料理が出来上がるだろう。そしてこのうまさ……陸遜、この呂蒙というのは、悪魔か?」
「あ、悪魔? 何故?」
「いや、こんなものばかり口にしつづけては、よほど鍛錬を積まねば肥え太るぞ!? 果実水や酒精の低めの酒などと共に食したら、止まる気がしねえ」
「だはは! 悪魔か! そりゃいいや、確かにそういう側面はありそうだからな。将官の健康のためにも、気をつけるようふれを出さねばな」
「それがいい。それと陸遜、これで、さっきお前が言っていた、シヴァとの戦い、という意味がわかった。確かに食一つとっても、今はたくさんの国や世界が交わって次々と新しいものが生まれ始めている。その勢いを押し留めるような、あいつのやり方というのは、やはりなんらかの歪みを持っちまっているんだろうぜ」
「はい。それに、この戦いは、命を削り合うだけの戦いではなく、豊かさ、繁栄、成長を競うものなのではないか。私たちはそう感じ始めています。直近の戦いだけでなく、百年の計、千年の計が何をみているか、そんなことを占うものなのではないか、と」
翌朝、陸遜に連れられて宮殿に向かうと、おそらく皇帝なのだろう、威厳にあふれた姿。呂蒙以外にも何人かいるが、一人一人気にする余裕はない。
「ようこそ、黎明の大陸の元首の一人にして、水と嵐の神、トラロック殿。朕は漢の三国、呉の皇帝、孫権だ」
「トラロックだ。あなた方の偉業、そして陸遜たちの知略と勇気によって、我らの世界は救われた。大いに感謝している」
「こちらこそ、得体の知れぬ我らの船団を暖かく迎え入れ、そして双方の知恵の交わりを始めることに力を尽くしてくれて、感謝している」
「豊かな国、そして、より豊かになることを望む国、か。そして自国のみが豊かなることを望むわけではない。それはある程度、陸遜らの振る舞いや、昨日の呂蒙に教えてもらった」
「そうだな。それを知ったということだけでも、あなたにとって価値のあるものであれば喜ばしい」
すると、皇帝孫権から遠くない箇所にいて、やたらとそわそわしていた女性が、我慢しきれずに口を出す。
「兄上、確かに呂蒙が施策した食事は、たまに大はずしをするが、美味なものはまことに美味じゃからの。黎明大陸で取れるものだけで作っているわけでもないから、トラロック殿が驚くのも無理はないのじゃ」
「ああ、この都で最初の食事がそれだったからな。もう二つの世界を混ぜ始めたのか、と」
「じゃがの、驚くのはだいぶ早いのじゃ。それに、呉でゆるりとしてもらっても良いのじゃがの。現状をよく知り、西方での戦の切迫を肌で感じたあなた様。いささか落ち着かれぬ様子」
なぜかショチトルを思い出す。色々と見透かすような振る舞いはククルの方が近いかもしれないが。帝の妹か。別の国の先帝に嫁いだと聞くが、行き来は自由なのか。
「そうだな。アレクサンドリアやアンティオキアでのあの切迫した状況を見ると、まだ出来ることがないか、と考えたくはなるものだ。そしてまた、諸葛孔明という名が、向こうにいた姜維、鄧艾、費禕からも上がってきている」
「確かに、あやつなら、そなたとの邂逅に一層の意味を持たせることができよう。陸遜がそうできたようにな。陸遜、トラロック殿を長安へ。まあおそらく匈奴の草原地まで連れて行かれることになるので、やや長旅にはなるが、安全安心は陸遜らにまかせておいてくれ」
「承知した。では陸遜、また慌ただしいが、よろしく頼む」
「承知いたしました」
「妾も参るぞい」
「え、あ、ああ」
「尚香、そなたも少しは落ち着……まあよいか」
本来ならもう少し滞在し、国論や互いの文化のことなど話を広げたいところではあるが、致し方ない情勢。慌ただしいが、話に聞いていた、三つの都が集まる地に出発した。
この国では、男女問わず、都ではやや長い衣で全身を覆い、馬に乗る時は足が分かれている衣を着る。我らのような薄着の者はほとんど見ない。暑いと思う事はあまり多くはなさそうだが。
広がる農地は、おそらく米というものなのだろう。広大な土地に広がる金色。見事という他はない。これでもまだ改善の余地が大いにあるという陸遜の口ぶりは、謙遜でもなんでもなさそうな、真剣そのもの。
「広い土地、豊かな水、なんとなく肥沃そうな土。そういうものに頼って現状に満足する。それはおそらく、状況が悪化した時にどうにかする力を育てられぬ考え方です。そしてその先にあるものは、限られた土地を争い、無為に人を減らす未来。その繰り返しです」
「トラロック殿、無理に返さずとも良いのじゃ。舌を噛むぞ。こやつは放っておけばいくらでも勝手に話して勝手に納得するから、それで良いのじゃ」
長安。身分を示す、木ではない何かの板は、ここから発祥したとのこと。孔明の奥方と、また別の数人の奇才が集まって生み出したらしい。
そして、半ば強引に同行してきた、孫尚香と名乗るこの国の太后に、宮殿のようなところに案内される。
そこで目に入ったのは、やたら長いあごひげの、とんでもない力を持っていそうな怪人と、同じく虎ひげの、とんでもない怪人。
そして、多分大きくはないが、これまでみたことのない珍妙な格好の、やや方向性のちがう怪人。白い長衣に、同じ色の大きな頭巾と大きな羽扇。全てを見通すようなその切れ長の目。
こいつが諸葛孔明なのだろう。確かに、別の世界からやって来た我と、こちらの世界でも間違いなく異質のこいつ。その邂逅は、この大きな二つの世界に、何かとんでもないものをもたらす。そんな予感が、この場を支配している。
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