百五十四 膠着 〜仲達×??=〜
アンティオキア、東匈奴への急襲は、それぞれ間一髪で阻まれた。カシュガルから南下し、旧クシャーナ朝へとその勢力を伸ばす浸透戦術は、サーサーン朝の王太子シャープールの采配と、神童マニによる人心の掌握により、一進一退を続ける。そしてペルシャの王は、彼らの急所であるメソポタミア上流域に居を移し、自ら覚悟を持ってその守りを固めている。
魏、蜀、そして蜀と同化した羌は、隙のない守り。東匈奴も蜀と連携を強め、漢土は容易に崩せぬ地となる。むしろこの地はいずれ、少しずつ侵食を余儀なくされることだろう。
こちらの移動要塞はアルメニアの山岳地帯に居座り、ペルシャと東ローマの両者に対して、強力な楔として十分に機能している。もともとローマは動員兵数が多くなく、専属兵と傭兵しかいない。よって大兵での居座りは大きな効果を及ぼす。だが油断はできない。姜維や鄧艾、そして現地の若き将官達は、こちらの動きを予測するように順応してくる。
西ローマ。ここはむしろ、余計な圧をかけなければこれまで通り東ローマに手を出す構えを見せるはずだ。だが、あの七十越えの策士がやや余計な事をした。あの意思が読めない孟達への対応を誤り、かえってあの街の守りを盤石にしてしまったようだ。開き直ってその地に居座って晩年を過ごすことにしたようだから、やはりあの策士様はたちが悪い。
そして、西ローマの地自体は、鶏肋といっても過言ではない。あちらだけでは都市や人の数、土地の大きさもさほどではなく、しかも東西に大きく展開するのがより難しい地域。西ローマどころか、東西ローマ全体を手中に収めても、我ら晋国の騎馬民族全員を食うに困らぬまで持っていくことはできないのだ。
そんな状況。守る側からすると、我らの策が尽く破られ、我らの侵攻が防がれている、と感じているだろうか。西ローマ、東ローマ、ペルシャ、北インド、羌、蜀漢、東匈奴、そして魏。確かに各地がよく防ぎ、跳ね返している。
だがどの地も、反攻を図る有効策など考える余裕もなかろう。それに、隣の国同士は因縁浅からぬ仲だったり、離れた地域同士はそもそも連絡手段がなかったり、連携して攻め上がるなど出来ようがあるまい。そもそもこの全体の状況を把握するなど、もってのほかであろう。
だが我らは違う。我らはこの大陸全体の一月前の状況を全て共有できる。我らの力とはそういう類の物だ。各地で攻防する諸将には、随時その状況を伝えており、個別の苦戦がさほど全体には響いていないことを知っている。
ここから先は、見通しのない戦いに耐えるしかない者と、全体を掌握し、好き勝手に弱点を突ける者との勝負。そういう事だ。どちらが先に折れることになるかなど、明白と言えよう。この先、各地の状況を親切にお伝えするかどうかも、我らの一存。
晋帝 司馬仲達より、各国元首や代表者へ
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あたしはゼノビア。シヴァからの手紙を受け取ったあたしたちは、それぞれ別々のところで相談を重ねることになる。
「ねえトトガイウス、貴方だっけ? 昔、馬が三倍速ければ、大きな国が作れるって言っていたのは」
「そうだな。言ったな。た確かに今、それが出来ているのがあいつらだ。多分、う馬が最高速度で伝令をしたり、み、見通しのいい高原の間で、火や光をつかってやり取りをしたり、そんなことをしているんだぞ」
「だとすると、シヴァの国は、今の状態で、あの広大な地域を、上手いこと治められているってことだよね?」
「だな。そして、それ自体がた民や将兵に安心感を与え、こちら側には見えない不安を与えるよく出来ているんだぞ」
「シヴァは、その情報をどれだけ早く知れるかをすごく重視しているんだよね。そうすると多分、一月、いや、半月とかで、各地の状況を共有できていそうだよね」
「そうだな。その早さこそがあいつの自信だぞ。でも、俺たちも何も知らねえ訳じゃあねえ。何も知れねえ訳じゃあねえ」
「何も知らない、知れない訳じゃない。つまり、知っている事、これから知ること。どちらも結構あるってことだね」
「せ、正確な情報を知り得るのは、漢とここの間では三月ごとくらいだ。それはあいつらよりもだいぶ遅え。けど、その正確な情報が、もう、互いに確実に知っている。そんな状況には、そろそろできて来ているんだぞ」
「それはそうだね。アレキサンドリアやペルシャから、セイロン、南の海峡を通ってルソン、そして呉、洛陽や長安、だね」
「その航路を、全部ゼノビアが言えるようになったのは、最近のことだぞ」
「あっ! 確かにそうだね。あたし達の知っていること、というのは常に更新されるんだね」
「それに、も孟達が街を整えて、しかも商人達が誰でも倒れるようにしたから、西ローマだってそのことをちゃんと知るようになって行くんだぞ」
「そっか。あたし達みたいに、国とか地域をまとめている人達じゃなくて、商人とか、それぞれのところに住む人達がみんな、三ヶ月前に遠くで何があったかを知っていることになるんだね」
「それは、一年前とは全然違うんだぞ。それに、アレクサンドリアやクテシフォン、と敦煌や長安。いろんなところに膨大な知識が集まっているんだ。誰もがその三ヶ月前の情報から、今何が起こっているのかを、ちゃんと分かるようになって行くんだぞ」
「その知識っていうのも、これから二年、三年と経って行くうちに、どんどん充実して行くんだよね」
「それと、あと二つ。いや、三つか。半月と三ヶ月を埋める方法があるんだ。それが出来るようになるまで、奴の言っている『耐えられるかどうか』の時間になるんじゃねえかな」
「シヴァは、その差が埋まって行くのがもう少し遅い、と思っているんだね」
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我が名はトラロック。過去の治水事業の影響で水の神など名付けられていたが、治水や灌漑、そして航海術は、まだまだ奥が深い。我が目をつけたのは、アレキサンドリアから紅い海までの往復路、そしてもう少しアレクサンドリアと近いところに街づくりができないか、というところだ。
最初の往来は、ナイルを遡ってからほぼ真東に進む道だった。砂漠をラクダで通る、けっして最速とは言い難い道だったと思ったのだ。
「費禕、やはりここの地に中継地を作るのが一番いいだろうな」
「でしょうね。ここから一直線にアレクサンドリアまで街道を引くのが最善かと」
「それだけで、地中海からインド洋に出る交易路を、三倍は短縮できる。だが、問題は真水だな」
「やはり、ナイルから引くしかありませんか」
「ああ。間にある湖は、しょっぱかった」
「塩時代に需要はありますが、ここに街を作るには関係ありませんね」
「最初はラクダで運んでくるしかないだろうな。その後で、石造り、れんが造りの灌漑路や、ため池といった形で揃えていくのがよかろう」
「あなたが作った水路設計、あれほど緻密なものは、見たことがありません。それに、水の量そのものの正確な見積もり。あなた方の住んでいた地の特殊性が、水に対する管理の精度をここまで高めたのでしょうか」
「かもな。川がなくて、泉しかない国で人がたくさん暮らしていたから、水を量で管理することは普通だったんだよ。川があるところではそんなことしないがな」
「では、ここまでやっていただいたら、あとはアレクサンドリアや、南の港町から人や者を集めて作り上げるところは私たちの仕事です。あなたにはもう一つ、大事な仕事がありそうですからね」
「なあ、あいつらがやっていたことが、一つの突破口になるかも知れねえっていうのは、本当なのか?」
「はい。鄧艾もあなたから聞いた時は、似たような反応をしたかと思います。空を使った情報のやりとり。それはおそらく、司馬懿の優位性を縮小するための、重要な手段の一つ」
「だがそれが、どこまで現実的か。どれほどのことができるのか。それを一度、陸遜や曹植以上の頭脳を持つ孔明ってやつや、技術力を持つその奥方ってやつに相談して、それを持ち帰る、だったな」
「はい。熱を使って空に浮かぶ、というのは非常に良い手で、空から見る、というのには宜しいでしょう。ですが、鳥のように空を移動することはできませんからね」
「そんなことができるかは分からんが、やりようがあるかも知れねえってことなんだろ。望遠鏡や、逆風に進む帆。風を読む航海術。そんなあたりを集めたら、確かに何かはできそうだ。じゃあ、さすがにショチトルやククルのご機嫌が気にもなるし、少し急ぎぎみで行ってくるぜ」
「よろしくお願いします。良い旅を」
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私は馬謖。晋と号した司馬懿の国との交戦が始まって、三月ほどが経っただろうか。今のところ、その攻め手の激しさに対して、我らが十分に対応できており、むしろ草原地帯を押し上げることも出来ている状況。
そして、押し上げたところに対して、ピラミッドという建造物を等間隔で配備して行く。それによって、匈奴が行っていた不規則な遊牧に一定の指向性を与え、彼らとのやり取りをより円滑にする。それと共に、ゆくゆくは半農半牧という生活形態への変化も望む。
「初戦の危機的な状況からは想像がつかねえほど、順調なお仕返しではあるんだよな」
「そうだな魏延。だが司馬懿が出してきた挑発文どおり、他の地域がどうだ、っていう情報のやり取りは確かに奴らほどの早さは得られん」
「ねえ、でもさ。わざわざ教えてくれた通り、西側でもあんたらの仲間の姜維? 鄧艾? あたりがしっかりとやり合えているんでしょ?」
「その情報も、商人からの噂話と整合性は取れてはいるんだけどな。関索が呂宋から海路で向こうまで行かされたから、こっちの状況は向こうには数月遅れで伝わってはいそうだし」
「三月か四月ってところだよな。それが着実に出入りしてくるようになるだけでも、この海路の存在は大きいんだが。呂玲綺の言った姜維や鄧艾、費禕達の、訳のわからん活躍ぶりも、噂や敵の情報だけじゃなく、ちゃんとした報告で上がってくるはずだし」
「それがなかったら、噂話しかなかったんだよね? そうだったら、司馬懿に変な情報掴まされたりして、もっと危ないことになっていたかもね」
「そうだな。多分次あたりから、あいつからくる手紙に嘘が混じってきてもおかしくないぜ」
「いずれにせよ、あんた達が最初に与えられていた役割、偵察と情報収集、ってやつを、今まで以上に強化して行くのも重要ってことだよね?」
「ああ、その通りだ。あいつは確かに言った。最新情報は国内にはしっかりと伝え、それを自国の安心材料にしている、と。だとしたらその情報を傍受するのは、相当有力な手段の一つだ」
「それが、あんた達が『親父殿』から教わったこと、なんだよね」
「ああ。どこにいるか分からない黄忠殿をいつか助け出すためにも、ただひたすは続けるしかないよな」
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あたしはククル。しばらく見え隠れしていたトラロックの足跡。それがここ一月くらいでようやくまた見えてきた。明らかに反対方向から。
「やはりあやつめ、そのまま世界をぐるっとしてくる君じゃな。それに、少しばかり急ぎ始めたのかの?」
「そうなんだよショチトル。トラロックの性格的に、ただ早く帰りたくなっただけとは考えにくいから、なんか用事ができたのかな?」
「むぐぐ、妻子をおいて行った奴の動きではないが、致し方あるまい。あやつが国を、世界を想う気持ちは本物じゃからな」
「だとすると、多分用があるのは漢か、あたし達の所。もしかしたら両方かも知れないね」
「漢だとしたら、最新の情報を知りたい、ということではなかろうの。おそらくあの国はすでに、海路での大陸東西の往来は出来つつあるのじゃろう?」
「そうだね。陸遜はそんなにうろうろしていないけど、丁奉とか凌統とか、何人かあたしたちの知る人達が、インドの方まで行ったり来たりしていそうだよ」
「ならば、用があるのは情報ではなくて人の方かの。ならば陸遜か? それとも……」
「もしかしたら孔明ってやつかもね。それか、その奥方の月英って人か。なんか相談事でもできたかな。そしてその結果を、あたし達の元に持ってくる、とか?」
「のうククルや。そこまでの先読み、別にそなたでなくても、互いのことをよくよく理解できる間柄であれば、ある程度何手分かは出来るのではないかの? そしてそれは、この大きな世界の中で、情報の伝わりが数月や半年単位になってしまうことを補い、おおよそ即時に物事を『大体知る』ことの手助けにはなるのではなかろうかの?」
このショチトルの想像は、多分陸遜や曹植、そしてあたしと誰よりも緊密に星読みの話をした管輅なら、同じことができているだろうね。だとしたらその感覚を孔明や、その東の島国に住まう卑弥呼、そして『人工知能』鳳小雛とやらがしっかりと見つめ直したら、どんなことをしようとするんだろうね。
お読みいただきありがとうございます。




