百五十三 狼馬 〜(姜維+??)×孟達=??〜
バルバラです。鄧艾様がインドから戻ってこられて、すぐに私たちをニコメディアに追いやって? いざなって? から、一月ほどが経ちました。アルメニアの地をよくご存知のゼノビア様と、漢や匈奴の戦い方をよくご理解される鄧艾様といえど、十万以上の騎兵の滞陣に対してできることは限られておいでです。
時折小勢で南下し、近くの村落に掠奪の手を伸ばそうとする敵方を察知して罠にかけたり、逆に向こうに近づいて威力偵察をしては、数万単位の騎兵が追いかけて来てベレアに逃げ込んだり。
そんな小競り合いを続けていた時に、ニコメディアに二人の将らしきお方が現れました。
「姜維、字を伯約。蜀漢先帝、そして現帝陛下の連名の勅である」
「ははっ!」
「そなたを羅王に封じ、西域全体の安寧を任とする。丞相鄧艾、大司書費禕ほか、往来する諸将、現地の英雄俊才と手を取り合い、彼の地に安らかなる未来をもたらすべし」
「……謹んで、拝命仕ります。この身、そして同胞の力、その全てを尽くして、西域に和をもたらします」
「さて、堅苦しいのはここまでだ。もう限界だ。ぷぷぷ」
「関索、そなた勅令を何だと。まあそなたに申しても無駄なことはわかっているのだが」
「仕方ねえだろ。俺だって呂宋公だの王だの言われてるからな。しかもこれ、封地だの民だのが一つ残らず曖昧だろ? 結局のところ、お墨付きだけ与えるから、全員今まで通り頑張れ、って書いてあるだけだぜ」
「関索様、とおっしゃいましたか。お初にお目にかかります。私はバルバラと申します。こちらの姜維様の妻をさせていただいております。まことに僭越ながら、この旦那様にとって、そのお墨付きこそが、何物にも変え難き、全ての行動の原動力と申せるようにお見受けします」
「くくっ、いい奥方じゃねえか。才も容も聖女様ってとこだな。全部お見通しだぜ。お前らの中でも特に姜維は、漢朝や蜀漢朝にたいする忠義が厚い。だからこそ、今の『いつ皇帝かなんかに持ち上げられるかわからねえ状況』が、座りが悪くて仕方ねえ。そう考えていたんだろうよ」
「理解が早くて助かる。バルバラ、関索、その通りだ。仮にも王という形で、明確な帝との関係が定まった今、私や鄧艾、費禕には何一つ躊躇うことは無くなった」
「旦那様、王に対して、丞相? や、大司書? というのは、格が下になるのでしょうか?」
「いや。同格と言っていいはずだ。丞相というのは、『帝朝』において、その治政と軍略を統べる者。つまり特定の封地の統括とは、同格と言っていいだろう。大司書というのは、単なる書の管理官という意味合いではなかろうな。読み書き、書籍、ひいてはこの地に遍く在る知識や法、その全体の統括という言い方が良いのだろう」
「だろうな。つまり、力と人望をもって民や将兵を安んずる姜維、機略と治世を持って勝利に導く鄧艾、知識と法、徳を持って民を導く費禕。その三つの柱が、この混沌とした西域で基盤を築く。そして仲達を押し返す。そんなことが求められているんじゃねえかな?」
「なるほど。つまり、これまで通り、ということですね。楽しみな未来が待っていそうです」
「んー、楽しみなのはいいが、バルバラさんよ、ちょっと顔色が悪いぜ。無理せず休みな。その顔は、しばらくしっかりと心身を労わる必要があるな。具体的にはあと八ヶ月ばかり」
「……もしや?」
「ああ、そういうことだ。姜維よ、ここは死守しねえとな。そろそろ怪しい動きが迫ってくる予感だよ」
「して旦那様、関索様、こちらのお方は? 特に何も反応なさる方なく、我々の様子を眺めておいででしたが」
「こちらは孟達殿だ。蜀漢の中で紙作りを大いに拡大し、海上でいくつもの街づくりを歴任。戦においては淡々とご自身のお役目を果たす。つまりなんでもお出来になる方だな」
「なるほど、今のご時世、何とも頼もしきお方ですね。何卒よろしくお願いいたします」
「孟達です。聖女様、こちらこそよろしくお願いいたします。姜維殿、関索殿、何なりとお申し付けください。私には大局の戦略を練る力は有りませんゆえ、そこはお任せいたします」
なんというか、不思議なお方です。空っぽのような、芯があるような。揺らいでいるような、かっちりしているような。姜維様はそれを聞くと、早速こんなことを。
「承知しました。では、早速大役となりますが、ここから北西、海峡を渡った先にある港町。そこの整備と街づくりをお願いしてもいいですか? 立地を考えると、陸に海に、これから往来が大いに増え、もしかしたら東西、水陸のさまざまな商売、文化の中心になるかも知れません。そこに住まう民、往来する人々が安心できるよう、整備、発展をお願いします。通りたい者は通してよく、破壊や荒事を図る者には容赦なく、でよろしいかと存じます」
「なるほど。委細承知。全てご指示の通りにはからいますので、ご安心を」
「何か困ったこと、依頼にない判断が必要なことがあったら相談してください。それほど遠くはないゆえな。危急の行動はお任せ致す」
「承知」
というと、その港に比べて圧倒的に発展しているニコメディアの市街で、なんらかの人や物を手配し、そこそこの旅団で旅立って行かれました。
「何ですかあの手際……そして、指示に忠実に、と」
「ああいう方なのだ。孟達殿という方は」
「だからこその、大まかでありながらも些細な、旦那様のご指示、ですか」
「ああ、これであの地は問題ない」
――――
六十年以上暮らした故郷を離れ、あの狼顧の偉才に乞われて姿を消してから、十年近くは経っただろうか。もはや我が人生に悔いなどはない。最後まで己が権謀の道を用意してくれた上に、その刃を祖国に向けなくて済む気遣いにも、感謝せねばならぬ。
さて、孟達か。この男、劉璋から劉備へと鞍替えする時も躊躇いを感じることはなく、関羽らに任された封地でも、情勢によってはどっちつかずな動きをしていたからな。利を説けば、否、何も説かずとも、依頼をすれば呑んでくれるのではないか。
あの韓遂、馬超を陥れた時は、互いの過去の絆を破るのに、相当悪辣な手を用いましたからね。私自身あれ以上のことをして、無駄に業を積み重ねる必要はありますまい。
「孟達殿ですな」
「はい。あなたは……」
「私は今は、司馬仲達の元で働いています。あなたは今の情勢をどう見ますか?」
「私にはそれを読む力は有りません。ただひたすら、優れた方々の慧眼、機略にのっとり、なすべきことをなすのみ」
むっ、だとすると後者か。
「さようか。ならば今の状況、今後の見通しを、分かるように説明しよう。もしかしたら蜀の者達とは見通しが違うかもしれんがな」
「承知しました。よろしくお願いします」
「まず……
「はい」
「この地は……」
「なるほど」
「数年もすると……」
「ええ、それは確かに」
「というわけで……」
「承知いたしました。であれば、私に求めるものはどのようなお役目でしょうか?」
「まず、ローマや我らの騎兵軍が大々的にここを渡れるよう、港湾施設、造船設備を整えていただきたい」
「木材の調達や、都市を拡張、防衛するための木材、石材が必要です。それは方々から調達するしかありませんね」
「そこはお任せします。商人が安心して往来できるよう、しっかりとした防衛施設は必要でしょうね。無論、破壊や略奪などを目論む不逞の輩は跳ね返せるように」
「御意」
「そして、通行したいものが安心して、かつ迅速に通行できるよう、入退場の手配を整当ていただきたい。船の数も揃える必要がありましょう」
「御意」
「報告や相談などは、特に必要ありません。あとはあなた様のご随意に」
「些細承知いたしました。あなたもそのお年でこの長旅。この地で安らかな暮らしができますように」
「お気遣い感謝する」
――――
黒海の入り口、港として最高の立地。どうやらローマの東側、ニコメディアの勢力が先に目をつけたみたい。モータツという、ちょっと何を考えているか分かりづらい、だけどあたしら民のことはちゃんと考えていそうな奴が、この街を急速に発展させ始めた。
ちらほらやってくる賊は、自ら率先して退治に向かい、どちらからもやってくる木材や資材の商人達には、真っ先に仮宿や市場を用意する。港を見れば、いくつもの造船所と桟橋に、そこから頻繁に出入りする漁船や商船。
どう考えても過去にない人の往来。街道や宿駅は次々と整備され、荒くれどもと元々の民のいざこざは次々に解決していく。
にしても、何でこの人、東と西の両方から、木材や石材、布や紙を買い入れられて、さまざまな交易品を売買できるのだろうか? 東と西は、すでに折り合いが悪くなっているような気がしたんだけどね。
そんな折、ちょっとした事件が起こったんだよ。
西から来た将軍の一人がやって来た。そして、建設中の新しい公館の前で、モータツとこんなやり取りを。
「我が軍は東に渡りたい。一万ほどいるが、手配できるか?」
「いっぺんに渡るには船がかなり必要ですね。なければ資材の調達からお願いします」
「なんだと? それくらい、商人達か徴発すればすぐだろう? できねえんなら、軍を連れてくるからおとなしく待ってやがれ」
そして、なだめようとするこっちの文官に手を挙げる。
すると、モータツはその将軍の手を軽く捻ってひっくり返すと、
「ああ、あなたは国軍ではなく、賊でしたか」
なんて言うと、怒り狂いながら逃げ去る将軍を横目に、悠々と去っていく。
「一万は少し不安ですが、問題ありません。ですがこの先増えてくるとしたら、しっかりとした防壁が必要です。幸いほぼ一方向を囲えば良いので、通常の倍近い高さに仕上げることもできます。帰ったらすぐに石材を手配しましょう」
と、五千の守兵を連れて出ていくと、数日後にそのほとんどが無傷で帰ってくる。後で酒を飲みながら、戸惑いつつも楽しそうに話する兵達。
「よく分からねえけど、五箇所くらいの岩陰で、焚き火を沢山作ってガヤガヤ騒いでいたら、向こうは勝手に帰っていったんだよ」
「そういえば隣のガヤガヤはすごくよく聞こえたな。多分あれ、山彦とかあったんじゃねえか?」
「レスリングしたり、槍で稽古したり、飲んで騒いでいただけだぜ。商人達もそこに混じっていたから、賑やかだったよ」
ん? もしかして、そんなこけおどしだけで、倍の軍を追い払ったのかい? なんて奴だよ」
そしてその後、しっかりした防壁が、すごい早さで出来上がっていったんだ。だけどその壁に造られた二つの門は、決して閉ざされることは無かったんだ。
「扉、不要だったかも知れませんね。通りたい方は、認証をすれば通れるようにしているので。門を閉ざす必要があるとしたら、この地に十万の賊が攻めてくる時だけでしょう」
そうモータツがうちの酒場で語って、そのまま家に帰っていったんだ。実際ローマ軍は、一万や二万で通り抜けようったって、帰り道を塞がれる事を恐れてそんなことはできない。そして、十万つれて押し通ろうなんてしても、この二倍の高さの城壁に阻まれるんだろうね。
街の人が、「この街はモータティノープルだ!」とか言い始めたら、モータツの奴は全力で嫌がっているんだよね。最初は面白いからみんな囃し立てていたが、彼に逃げられちゃ困るから、「彼の孫世代で、この街を栄えさせた人の名をつけよう」って決まったんだ。どんな名前になるんだろうね。大して変わらないかも知れないよ。
そして彼と酒も飲まずに考え込んでいた七十くらいのお爺さんが、こんなことを呟いていたよ。
「どうしてこうなった。だがまあこれも定め。思い通りにならぬからこそ、世は面白い。すまんなチュータツ。くくく」
お読みいただきありがとうございます。




