十六 異文化 〜張飛×言語化=国際交流?〜
私は厳顔。この歳になって、理想の上司って奴を見つけてしまった、老い先もそれほど長くはない老将だ。その上司の名は張飛、字は翼徳。そのさらに上司にして義兄の劉皇叔と、いつの間にやらどこかへ行ってしまった幼女の鳳雛様の推薦で、そこの位置に収まらせてもらったんだが。そうしたら、これまでも後悔のない人生を過ごしてきたと思っていたのだが、その価値観すら一変する毎日が始まった。
一言で言うなら『言語化された破天荒』。張飛という、当世最強と言っても過言ではない英雄は、周りがついてこれぬが故に孤独な英傑ともいえた。しかしその力を言語化する術と、儂や若手がその才や経験をもちよってその発信を流さぬ体制を作ったおかげで、張飛殿は張飛殿のまま、組織として最強を体現するに至る。
「厳顔、そろそろ益州の地も落ち着いてきたみてぇだ。それに俺も皆も、どこかへ行ってしまった小鳳雛殿の影を追うことも減ってきた。そろそろ頃合いかね?」
「かもしれませんな。漢升殿を大将とした漢中攻略の前に、きな臭くなりかけている南蛮の地を平定し、後顧の憂いを断つ、でしたな」
「ああそうだ。それにあまり時間をかけては、我らも南の民も、負担が大きそうだ。かの地を調べ、住む者の人となりをよくよく見定めてくれた馬謖や魏延によると、一筋縄では行かなそうだが、あいつらも『ただ叩くのではなく、心を攻めるべし』というまとめ方をしていたな」
「そうですね。一度叩いても、また北に戻れば乱を繰り返す未来が見える、でしたな」
そう話していると、関興、張苞が入ってきた。そしてもう一人。
「叔父上、南蛮の主だった者ら、馬謖殿らが調べた内容をとりまとめて参りました」
「おお、阿斗か。お前は武芸はからきしだが、ものを見る目は確かだからな。期待しているぞ」
「幼名はおやめくだされ。とうに劉禅、字は公嗣と名乗っております」
そう、この精悍な若者、武才のなさは父君や義叔父の二方も匙を投げておいでだが、人を見る目、書や物事を紐解く理知は、誠に父譲りと言っても過言ではない。皇叔様の長子にして嫡子。
「まず南蛮の盟主と言うても過言ではないのが孟獲。益州や中原の文化に対する妬心の強さが、根深き執念を生んでいる模様です。
続いて妻の祝融夫人。夫やそこに住まう民への愛が強きゆえに、その過ぎたる想いが外への警戒心と苛烈さを醸成している様子。
朶思王。象という、馬の何倍もある巨大な生き物をよく御し、頑強な隊をなすと聞きます。ただその巨体ゆえ、糧には悩まされるのではないかと。
兀突骨。おそらく最強の将です。藤甲という、軽くて矢刃を通さぬ特殊な甲をもち、当人も大層武勇に長けています。慢心がやや目立つとも聞きますが。
孟優。兄や兄嫁に隠れて目立ちませんが、その知略はなかなかのものと聞きます。なんでも手に入れんとする欲が、その学びにも向いているとか。
木鹿王。象を操り、さらに天候を見定めて人を惑わす術の使い手とか。当人の怠け癖が、かえって新たな施策を次々に生み出しているようです。
帯来洞主。なにやら怪しげな毒泉の主。毒は火を生み、息すらも妨げるとか。蛮族と蔑まれる鬱積が、人一倍強い、との事です」
なんと、その特徴どころか、性格までも綺麗にまとめ上げるとは、この嫡子様の才は、やや武に偏るこの陣営にて、まことに貴重やもしれん。ともあれ、その厄介そうな南蛮の面々に、私や関興、張苞はやや頭を抱えざるを得ない。
「首領七人ですか。一人ずつ討ち果たすのは無しですね。被害も多ければ恨みも深まる一方。ですが一人一人降していくのは時がかかりますな。どうしましょう?」
「何隊かに分けて……というのは、案内役がたりませんし、何よりも未知の地形や、特殊な生き物や武具、毒まで操るとは、厄介極まりない相手」
「それに、それぞれの性格も、その厄介さを際立たせているようにも見えますな。ともすれば弱点にも見える性格も、適材適所に見えてきます」
すると張飛殿、さほど悩む様子もなく、嫡子様に声をかける。
「おお、よく調べているが、そなたのその目には、その先までみえているんじゃねぇか? その七星を宿すその目、どうやらあちらさんを丸ごと飲み込むような目にすら見えるぜ」
ほほう……
「その北斗星と、相手の七欲を相合わせる申されようはいかがかと思いますが、ご指摘のとおりです。その七方すべて、その才その技その心、最大限の輝きを存分に放たせた上でもまだ、叔父上の率いるこの組織の力には叶いますまい。
下手に出し惜しみをさせて引かせ、降らせてしまえば、何かしらのわだかまりを残す可能性が否定できません。彼らに最高の舞台を用意し、その上から、丸ごとまとめて制することこそ肝要かと存じます」
なんと豪胆な……そういえば、赤子の時に趙雲殿に見つけられ、抱えられて駆け抜けた長坂の折も、泣き叫ぶことも、顔を逸らすこともなく前を見据えていたとも聞いたような。何故か、趙雲殿が道を誤りそうになったり、横から攻撃されそうになった時に限り、泣き喚いたとか何とか。
「ガハハハ! それはいいな! 劉禅、関興、張苞、そして厳顔! まずは孟獲に文を書く。思いつく限りの策をもって、迎え撃ちたいところで我らを迎えよと。そしてそなたらがどこに現れようと、何を備えようと、全て受け止めて蹴散らして見せる、とな!」
「承知しました! 鳳雛殿も書けるかわからぬ名文にて、彼らの全てを引き出して見せましょうぞ!」
「出立は、返書を待ってからぞ! 訓練と準備を怠るなよ!」
「「「「御意!」」」」
文が届いてから十日ほどだろうか。文書が得意とは言い難い孟獲らに、誤解のないように事細かに支援するためにつけた、呂凱という名の使者が、返書を持参した。
「存分に、と言われたので、これ以上なく存分に準備した。全員分の藤甲に、あらん限りの象兵をかき集め、帯来の用意した毒泉の先で、全軍を揃えてお待ちする、とのことです」
「ガハハ、向こうで色々と問題も起こりそうだな。俺たちが知らねぇことも多い。厳顔が聞いたことのないことってあるか?」
「全て、おおよそは聞いています。ですが、藤甲や、毒泉については、からくりに詳しい方や、未来の話を聞いていた方々にお聞きするのも良いかもしれません」
「そっか、なら月英さんと、白眉殿だな。聞いて来る!」
いつも通りの勢いで走り去り、しばらくしてお戻りになった。呼びすらせずに、全部聞いてきたということか。
「藤甲は、特別な油を使っているだろうから火に弱いはずだってよ。毒泉は、未来にはあるかもしれない物の話を、白眉殿が聞いていたぞ。もしかしたら水ではなく油に類するものかも、とか。火矢を放って、遠くでしばらく眺めていればよかろう、ってこった。どっちにしろ火矢だな。劉禅、手配を頼むぞ」
「かしこまりました。弓の名手である漢升殿は北へ向かわれたので、残るもので遠矢に優れた者を集めます」
「では出陣だ! ひと戦で決めるぞ!」
「「「応っ!!」」」
そして、毒泉のあふれる地に辿り着き、劉禅様の指示で、可能な限り遠くから火矢を放つ。すると、火が瞬く間に燃え広がり、しばらくして消える。
しばしののち、また火矢をはなつと、次は少し短い時間燃え続けて止まった。
何度か繰り返すうちに、火がつかなくなり、斥候が進んで問題ないことを確認し、進軍。
「あれ、いくらでも湧き出るんなら、燃料とかに使えるんじゃねぇか? それに獣や植物じゃねぇ油なら、いろいろ使い道もありそうだ。あとで月英さんに持っていってみようや」
「承知しました。帰りがけにいただいて参りましょう」
そして、やや起伏の激しい地で、彼らは待ち受けていた。あの鈍い色の鎧が、藤甲なのでしょう。全員分ではなさそうですが、主だった将と見られる派手な者は皆付けています。
あの悔しげなのが帯来というものなのでしょう。そして彼を慰めるように声をかけている、一際目立つ装いをした女性が、祝融夫人でしょうな。
そして、聞いていたとおり、馬を大きく超える大きさの獣にのる将兵。その前に出てきたのが、夫人と同じような目立つ格好の大男。おそらくあれが孟獲なのだろう。
「漢帝の血を引くという方の陣営、はるばる北からよくぞここまで! 毒泉の抜け方も見事! 本当は火は一度で毒気は消えるから、何度もやらなくてよかったのだが、それは仕方ない。そちらも我らを待った! 我らもそちらを待った! おあいこだろう!
見るがいい、この藤甲や象兵、お前らに破れるか?」
ややたどたどしい向上だが、威圧感は十分。張飛殿はあわてもしない。劉禅様に指示を出すと、火矢を用意した部隊が横に並ぶ。
「藤甲は油を判断に使うと聞いた! であれば火には弱かろう! 試しにつけてみると良いが、よく燃えるはずだ! それに、後ろには先程の燃える水とてあるから火種にも困らん! こちらはここで待つだけで戦が終わっちまうぞ!」
孟獲、それに、一際目立つ巨漢が焦り始める。あれが兀突骨なのだろう。
「焦る必要はねぇ! こちらはゆっくり待っているから、その藤甲を外して構え直すがいいさ! 矢刃が通るのを嫌がるんなら、そん時はそん時だ! 腕比べでも知恵比べでもなんでも付き合うから、話し合うなりなんなりするがいい!」
豪胆この上なき張飛殿。孟獲は主だった者を集めて話し合うようだ。
……いかん、日が暮れてきた。いつまでかかるかわからんが、張飛殿も、次代の三兄弟も、しっかりとその動向を見つめている。儂は儂で、野営の手配を進めておく。
……流石に夜になる前に結論は出たようだ。孟獲は近づき、張飛に声をかける。
「兵も象も我が友、守りのおぼつかない戦いを強いることはできない! 象はデカいが優しいんだ! 兀突骨もそうだ! 祝融もそうだ!」バシィッ!
孟獲吹っ飛ばされたぞ。夫人強いな。大丈夫か? 大丈夫らしい。立ち上がって続ける。
「だから戦いの勝負はやめだ! いまから宴を用意する! 我等が歌踊り、それに酒比べ、腕比べ、それで勝負だ!」
「酒に歌踊り、腕比べだと!? ガハハハ! 最高じゃねえか! こっちは兵糧しかねぇから大したもんは出せねぇ! 今日はそっちにお願いするぞ! 終わったら次は建寧で続けるぞ!
呂凱、そっちの手配頼んでいいか? お前下戸だったけど、こいつらの好みはわかってんだろ? 頼むわ」
「かしこまりました。直ちに」
呂凱殿は馬を走らせ、中継都市の建寧にむかったようだ。
すっかり日も暮れると、南蛮の歌踊りが始まる。藤甲が打楽器へとかわり、勇ましくも明るく歌い踊る南蛮武者達。関興や張苞、張飛殿も次々と輪に加わる。孟獲や弟の孟優も、端々に勝負勝負といいながら、ただ楽しそうに宴に興じているようにしか見えない。孟獲や兀突骨は腕比べ、孟優は知恵比べや碁などに興じている。朶思王の元には兵や将官が幾人か集まり、恐る恐る象に触らせてもらっている。張飛殿はもう象に乗せてもらっておいでだな。
そして中央で踊る祝融夫人、神を降ろすかのような神々しき舞い。それに周囲の炎のゆらめきが、幾人もの巫女が踊るようにも見える。後ろで何かをしているのは、確か木鹿王と言ったか。面白そうなのであとで孔明殿や黄月英殿に会わせてみよう。
男どもはちゃんと踊りを見ているのか、騒ぎたいのか、もはや訳がわからない。
そして、すこし間が開いたところで、透き通った声が響き渡る。
「北の乾土に馬は奔り、南の暖地に象は眠る
炎が映すは天女の舞、酒が興すは武者の踊
漢の卒土が一続きなら、我と君を分つは何ぞ
猛る血は歌舞へと変え、欲と憤は酒食と転ぜよ」
次代の君となるであろうその若者を、大きな拍手が包み込み、即興の歌は拍子や振りがついて踊りへと変わる。
「おお、次は俺の歌だ! やったことねえけどな!」
「そしたらそん次は俺だ! 勝負勝負!」
宴は七日七晩続き、張飛軍は堂々と帰還のち、主君や黄忠殿の待つ漢中へと合流する。
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