百三十六 皇帝 〜聖女×姜維=??〜
――ここまでのバルバラの話をまとめると、トトが張飛で姜維が関羽? で、厄介な荒くれを追い払った、ってことでいいのかな?
――そんなとこじゃない? とりあえずそこらへんの両者や力持ちなら、キョーイだとそれくらいできちゃいそうだよ
そして、その姜維様にとっ捕まえられた荒くれは目を覚ますと、文句を言い始めます。
「ちっ、いきなりなんだよこいつ。強すぎるだろ」
「強い弱いはどうでもいい。目当ての女を娶ろうというのなら、本人と父に、その意をしかと伝えるのが筋。そこに千の兵が必要というのなら、その女性は其方ではなくその千の兵に嫁ぐことになってしまうぞ」
と、なんとも潔い簡潔な物言い。そして荒くれの返答はというと
「いや、もう無理だ。力の差を見せつけられた。それに、どうやらこの父の言っている『皇帝になれるような者にしか娘はやらん』が、本国の耳にも入ったようだからな。元老院もそのつもりで動き始めているぞ」
「あれっ? でも今のこ皇帝は、ろローマにはいないんだろ? まだアフリカにいるのか?」
「そいつは僭称しているだけだ。つまり今は空位だな。何人か自称し始めているというのが実態だ」
そう。私の話から、いつの間にやらローマの皇帝の話に飛び火してしまったようなのです。
「そこへきてバルバラという聖女は、才色兼備で理想的な女性であるということ。おそらくどんな者でも望むであろう、と」
「私は確かに『皇帝くらいにならんと娘はやらん』みたいなことを口走りはしたが、いつのまにかそんなにおおごとになっているのだ?」
「主な理由は、そこにいる奴らだ。イエスの信徒、だな。そいつら、今のローマが空位で、混乱はしているが迫害は少ないから、ある程度話をしやすい状況なんだ。そして普段の教えに加えて、その聖女の逸話が大きく広がっているんだ」
「恥ずかしながら、イエス様の教えだけでなく、聖女様のお話を混ぜた方が、市民の受けが大層良いものでして」
つまり、このイエスの信徒殿たちが、私のちょっとした奇跡? の話を大きく吹聴し、ローマにまで話が膨らんでしまった、というわけです。
――いや、まあ聖女は事実だからね
――だよね。子供や病人をたくさん救っているわけだし
――そうだぞ。尾ひれはついたが、ちゃんと胴体はあるんだぞ
「というわけだ。だからあんたらも気をつけろ。もうローマでは、『帝位』と『聖女』が、混ぜこぜになっているんだ。つまり、俺みたいな小物ではなく、皇帝を称したがるような野郎どもが、こぞって現れる可能性が否定できねえんだよ。そうなったら、この街なんか、一瞬で消し飛ぶぜ」
そういうことです。つまり、私の起こしたちょっとした奇跡は、巡り巡ってこの街に厄災をもたらす可能性が出てきたのです。
そして、おそらくもしこの出会いがなかったら、私や父はその状況に苦慮し、絶望して、命を縮めることにでもなったかも知れません。
ですがそれはもう、考える必要のない、仮の話と言えましょう。なぜなら、そう。私の心はもう定まっているのですから。
私は、勇気を振り絞り、塔の下に降りて、皆様の前に三年ぶりに姿を見せたのです。ちょっと声がうまく出るか怪しいので、一旦ご挨拶からですね。
「お、お父様、皆様、ごきげんよう」
――本当にただの挨拶から入ったんだね
――まあ淑女としては正しいのかしら?
「バルバラ? なぜ出てきた?」
「お父様、な、何も問題ありません。なぜなら、私はもう決められるからです。お父様も異論はないはず。私は、そこにおいでになる神々しきお方、姜維様に嫁ぐことといたしました」
「「えっ?」」
反応したのは姜維様と、もう一人のどもる方です。トトガイウスとか、トトガイとかいうお名前のようです。
「だがバルバラ、ローマの連中が納得するかどうか。姜維殿は東からきた旅の方。さすがにローマの本国の連中が黙っていないだろう」
「問題ありません。姜維様なら、必ずやその連中を捩じ伏せておしまいになるでしょう。つまり、皇帝にでもなんにでもなれてしまうお力をお持ちと見定めました」
「きょ姜維、なんか面白い話になっているぞ」
「面白いとか言うな。どう切り抜ければいいんだよ」
「さあ、わからん」
「つまり、姜維殿は皇帝になろうと思えばなれるだけの器がある。だから、お前が彼の近くにいても平気だというわけだな。確かにその通りかも知れん」
「そ、そうですねお父様。あんまりしつこいようなら、皇帝になれば良いのですから」
「いや、私は漢の国の皇帝の命でこちらに来ているのだ。皇帝になどなれんぞ」
「そうですか。ではとりあえずはあなた様のそばにいさせていただきたいと存じます。皇帝どうこうは、今後ローマからくる者達の動向を確かめたからでよろしいでしょう」
「よし、ややこしいから一旦アレクサンドリアに戻るとしよう。こういう時は、客観的に論じられる相手が必要だ」
「はい! どこへなりともお供します!」
「あ、そうなるか。……確かに置いて行ったらまずいのは分かりきっているからな」
という経緯で私は、このアレクサンドリアの地まで
、旦那様と共におうかがいすることになったというわけです。
――――
「えっと、つまりキョーイは巻き込まれた、ってことで合っているのかな?」
私はゼノビア。話を一通り聞き終わり、率直な感想を述べる。聞いていたのは主にマニ、オリゲネス、プロティノス。そして大勢の野次馬。キョーイはようやく落ち着きを取り戻し、トトガイウスはいまだにニヤついている。気持ちはわかるけど。そしてヒィは寝ている。
「そうとしか言えないな」
「み、港での噂だが、アレクサンドリアまで乗り込んでくるやつもいるかも、だってよ。いひひ」
「まあ確かに、『聖女』と『帝位』が、意味としてくっついちゃったんだから、そうなる可能性もあるよね」
「今のアレクサンドリア、図書館を再建している間に、姜維やトト、それにサーサーンからきた僕の影響で、戦力自体も鍛えられちゃっているんだよね? いつのまにかゼノビアの指揮力も上がっているし」
「だよね! ローマが一丸で襲ってきたらしない限り、簡単に蹴散らせちゃうと思うよ」
「…….反射的に帰ってきてしまった私がいうのも何だが、アレクサンドリアに迷惑がかかるのはまずいな」
「その辺はどうって事ないよね。まずは、姜維がどうしたいか、じゃない?」
「そうだぞ。これまで俺もやりたいようにやってきた。きょ姜維も何となくそうしてきてたと思うけど、根っこのところでは、そこにいる誰かのため、っていうのが先行しているんだ。つ、強すぎるからそれで問題がねえっていうのもあるけどな」
「私がどうしたいか、か」
「最初は、め命令もあったと思うけど、あ新しい世界を見てきて、あ新しい国のためになることを持って帰ることだったと思うぞ。だけどそれも、少し変わってきたはずなんだ」
「ああ、そうだな。敦煌の特別な暮らしを守るための活動、エクバターナの和平。アンティオキアの問題解決。アレクサンドリア図書館の再建。全部が全部、その土地、その人々の状況をみて、これはどうにかしたい、って思ってきたんだ」
「そうだな。だとしたら、次にどうしたいのはなんだろうな?」
すると、バルバラがキョーイの背中に手を置き、つぶやく。
「私のことは置いておいていただいても構いません。私はどこへなりともついていく。それはわたしがやりたい事。そして、それがあなた様のやりたいことの助けになるのなら、それほどの奇跡はございません」
「一人の人がやりたいことが、別の人のやりたいことの助けになる。それをあなたは『奇跡』と呼ぶのか」
「はい。それは紛れもない奇跡です。それが大切な方や、大切にしたい方の、であればなおさら」
キョーイはその言葉を、しばらく噛み締めた。奇跡、奇跡とつぶやきながら。
「……そうか。奇跡なら仕方がないな。私があなたに出会い、あなたは私について来た。そして、私がやりたい事を、あなたは助けたいと思ってくれる。それが奇跡だというのなら、それは私があなたと共にある事を、何人たりとも否定はさせん」
「「「おおお」」」ざわざわ
「鄧艾、費禕、ゼノビア、マニ。そしてバルバラ。別に私は皇帝になりたいわけではない。だが、ローマがこのような混乱にある中で、大した手を打つ事なく帰途につくのは、私の誇り、漢の誇りが許さない。ならば、この国の混乱は、私たちでどうにかする」
「「「おおお」」」がやがや
「ゼノビア、マニ。巻き込んでもいいか?」
「もちろん! パルミラ、アレクサンドリア、アナトリア。この辺りは、何もしないと見通しが明るくないんだよ」
「うん、問題ない。このローマの混乱を解決できない中で、人の理、人の幸せを外野で語るのを、神が是とするとは思えない」
キョーイが何かを決意し、そして周囲の野次馬達が何か差し迫った空気を感じ取る。そしてトトガイウスがにやにやをやめて、荷車からがさごそやり始めた。
……法螺貝? ラッパ? こいつ何する気だよ。そして、キョーイの手を引いてどこかへ連れていく。あれは、図書館近くの広場の演台か。
ああ、キョーイに話をさせる気だな。まあちょっとした演説なら、キョーイなら事前に擦り合わせなくたってできるんだろうね。
……何でこいつ、ラッパで旋律を奏でられるんだ。いつもながらこのトトガイウス、何やらせても器用すぎる。姜維の背中にくっついているバルバラも驚いているじゃないか。
「アレクサンドリアの人達、少しだけ姜維の話を聞いてくれ! 多分、吟遊詩人の話と同じくらいか、それよりももっと面白い話が聞けるぞ! 吟遊詩人達は、全部覚えてしまうといいんだぞ!」
すでにこのバルバラの話を聞いて、ある程度集まっていた野次馬達の輪が、次々に広がっていく。
そう。アレクサンドリア図書館の再建。はるか東から、紙というものを持ち込み、温故知新という考えも持ち込んだ彼ら。それをただ論じるだけでなく、実際に紙作りと、調達路を確保して、多量の紙を持ち込んだ彼ら。
その合間には、彼ら自身の文武の才を使って、さまざまな土地の荒事や困りごとを次々に解決してきた彼ら。そして、ギリシャ方面に船出したと思ったら、『聖女』とやらをかっさらってきた彼ら。
そんな彼らを、アレクサンドリアの市民はすでに、物語の英雄か何かを見るような目で見ていた。だから彼らが何かをする。そんな煽りをしようものなら、この市民達は、そんな場面を見逃すはずがない。
そして、キョーイはトトガイウスをはたきながらも、しっかりと市民達を見据え、そしてゆっくりと語り始める。
「私は姜維。大陸の一番東から、この世界を三分の一ほど回って、この地まで来た。ただこの地を見てこいとだけ言われてここまできた。だがどうやらこのローマという地は、ただ学びを得て、何もせずに帰らせてくれるようなところではなかった。ならば仕方がない。我らはその出会い、学び、そして気づきの対価を支払うことにする」
そして、一度区切ると、こんな言葉が彼から出てきた。
――ローマは一日にしてならず。だが一日にして壊れる。そんな言葉を後世に残したい者は、話を聞かずに立ち去ると良い――
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