百三十五 尖塔 〜聖女×姜維=??〜
――あたしたちは、バルバラの話に引き続き耳を傾ける――
物を日に当てたり、湯で煎じたりすることで、病のもとを断てることを知った私たち。イエスの伝道者達はそれをローマや各地で語り、その習慣を根付かせていきます。それは多くの人々、特に子供達や傷ついた人達を救うことになりましたが、同時に私達には厄介ごとを招くことになります。
「またか。何人押しかけてきている? 丁重に話をしにくる奴の方が多いが、権力にものを言わせて無理やり連れ去ろうとする奴や、はては攫おうとする賊まがいの奴までいる」
「お父様、そして町の皆様も、私のために大変な苦労を。感謝しても仕切れませんが、この先も続くとなると、何かを考えなければなりませんね」
「しばらくは、皆が作ってくれたこの堅牢な塔の中に隠れるのが良いだろう。人と話をするのが好きなお前にとっては辛いかも知れないが」
「……はい。承知しました」
すると父は、町の人たちが私を守ってくれるに任せて、「うちのバルバラが欲しければ、皇帝でも連れて来い」という、最大限に強気な発言をするようになってきました。ただの荒くれどもは撃退され、家族達は父の頑固さに手を焼いて去っていきます。
たまに、下級貴族や裕福な領主の子なんかが自らきた時は、この人ならいいんじゃないか、って思うこともあったのですが、それは置いておきましょう。
――だよね。皇帝以外お断り、ってのは流石に大きすぎる
――うんうん、婚期を逃したらどうすんだって話だよね
――き、気持ちはわかるぜ。ろ、ろくでもない奴が相当な数来ていたからな
そうして三年ほどでしょうか。私は塔の中で過ごし、時折窓から顔を見せるだけの生活が続きました。すっかり声の出し方を忘れ、色も白くなってしまいました。
あ、ちゃんと体は鈍らないように鍛えているのですよ? 水の樽とか、お食事とかを塔の上に自分で運んだり、お部屋の中で逆立ちして歩いたりしているのです。
あと、鏡と陽の光をつかって、町に近づいた猪や狼の目をくらませて追い払ったり、明らかに盗賊っぽい方の目をくらませて追い払うのをお手伝いしたり。
――ん? このお姉さん、だいぶやんちゃだね?
――き聞いた時は、な何してんだこの姉ちゃん、って思ったぞ
父や町の人が私を守ってくれて、決して平穏とは言えないけれどもなんとかやり過ごせているそんな日々。それが、ある意味で二つ目の「奇跡」と言えたのかも知れません。
――その不自由な日常すらも奇跡と表現するのは、確かに尊くもあるのじゃ
――だけど、それが長続きするとは思えないよね
そして、私達にとって、三つめにして最大の奇跡が、半年ほど前に訪れました。はるか東の地から、何らかの啓示を得てご降臨された御三方。本来はアレクサンドリアからローマに直行されるとお聞きしていましたが。
――ろ、ローマがきな臭いから、一回ギリシャで情報集めようって相談しただけだぞ
――賢明な判断だよトト。今のローマはどうなっているか、事前情報が第一だからね
――そうしたら、ニコメディアで偶然、興味深い話を聞いて、その街に訪れたんだ。
ちょうどその時、とある乱暴な貴族の方が、千を超える私兵を率いて向かっている、という話を聞いておりました。私達の町にとってそれは、到底抗うことの出来ない兵力でした。
父は大いに悩んでおいででした。こんなことなら、一度は断った貴族様や、ニコメディアの富豪様との話をお受けしていれば良かった、と。
何度か訪れていたイエスの伝道者の方々も、今回ばかりは頭を抱えておいでです。ローマやニコメディアでは迫害に遭わないよう、ひっそりと伝教を続けるしかなく、なかなか人も集まらないとの事。
父は彼らの様子に苛立っておいででした。「バルバラがそなたらに何を与えたか分かっているのか? その対価としてこの窮状があるというのなら、そのイエスとやらの教えは何の役に立っているというのだ? 人のために尽くした者を救わず、ただその恩恵を受ける者を救うのか? 慎ましく暮らす者を救わず、欲や利益のままに生きるものを救うのか?」
彼らも言い返すことができずにいました。なんとか五十人ほどの信徒を集め、守りに加わるのが精一杯と。それでもまあ、私達の守りが二倍になる程度には有り難くはありましたが。
そんな窮状に、なんとも神々しい出立ちで現れたお三方。現れるなり、「な、なんか悪そうな奴らがいたから、途中の橋に細工するふりして足止めしといたぞ」と。
――ねえトト、何したの? 橋を壊したら流石にだめだよ?
――ん? は橋の向こうで、なんかをいじるフリをしただけだぞ。それであいつら警戒して渡れなくなったぞ
――なるほど……空城とかいう奴に近いね
――張飛様の長坂と、孔明様の空城を混ぜたんだよな
父や信徒達は大いに有り難がりつつも、三人増えたところで何ができるんだ、と半信半疑でした。ですが、それが一気に吹き飛ぶ事態が起こります。私は塔の上で、父とそのお方が話すのを聞いておりました。
「向こうの頭がどんな奴か分かるか? 似たようなのが多く、どいつなのか分からなかったが」
「ああ、体は大きく、兜には青い紐飾り。背中に大剣を背負い、黒い馬に乗っているはずだ」
「あいつか。分かった。行ってくる」
「ん? どこへ? 旅の疲れもあるだろう? 温かいスープを用意しているぞ」
「ああ、問題ない」
そういうと、ごく普通の槍を携え、ごく普通の馬にまたがり、橋を迂回してきた彼らの方に駆け去っていきます。
「む、なんだ。裏切るのか?」
「いや、し、心配ねえぞ」
不安しかない中、すぐに戻ってきました。どうやら馬の背に何か背負っておいでですが……あっ!
「連れてきた。気絶しているが、起こせば話くらいできんだろ。兵達は呆気に取られて立ち往生している。とりあえずこいつが起きる前に、スープはいただけるだろうか?」
「あ、ああ。あんた何もんだ?」
「姜維という。東から来た」
そのスープは、まだ十分に温かかったのです。
――ねえ、その話、あなた達から聞いた、軍神の話じゃないの? カンウ? だっけ
――そ、そうだな。やってみたかったらしいぞ
――――
私は馬謖。あの匈奴との激戦の直後、さらに北の草原で更なる難敵を見つけ出してきた馬岱殿と馬雲録殿。黄忠殿、張任殿は彼らの血路を開くために残り、行方知れず。
我々は匈奴に相対するためにつくった仮の砦で、その対策を練りはじめた。孔明殿が私と魏延、徐庶殿に声をかける。そして匈奴の主、アイラとテッラは、呂玲綺だけ置いて、一度族の居留地へともどった。
「おそらく司馬懿が絡んでいます。頭領かどうかはわかりませんが、その想定でいるべきでしょう」
「鮮卑は掌握済み、なんでしょうね」
「だとすると、北の大地の中でも、東は奴らの手中にあり、西は……どこまでなんだろうな?」
「西匈奴が、すでにそいつの指揮下にあるとすると、相当広いよ。絹の道、北の草原の道の真ん中へんが全部奴らだ。確かにあいつらとの交流が、最近少なくなっていたんだよね」
呂玲綺が話に加わってくる。そして、長い期間、西域で隠遁していた徐庶殿も、その所感に同意する。
「匈奴が東西に分かれていることは分かっていたが、西の人々があの辺に手を出していたとすると……カシュガルあたりはもう彼らの手の内だろう」
「なんだそれ。下手すると蜀どころか、漢土全体よりも広いかも知れねえぞ。姜維や鄧艾達は大丈夫なのか?」
「彼らは少なくともペルシャ、あるいはローマにいるかも知れん。そして商人達からの噂で、何やら大きな図書館を再建しただの、姜維が皇帝になるかも、だの意味のわからん話がきているんだ」
「あいつら、やりたい放題だな。だがその司馬懿の勢力圏、そっちの方まで影響あんのかもしれねえ」
「かもね。もともと匈奴自体、向こうじゃフン族とか呼ばれて不気味がられているのさ。そこにその、頭の切れるやつが何かを企んでいるとすると、ちょっと想像がつかないんだよ」
「お前だって頭切れるだろ玲綺。戦略のところまで頭の中動かすのは、慣れりゃすぐだ」
「あんたに言われると、説得力があるんだよ魏延。だけどあんたみたいに、いきなり孔明に喧嘩売るとかは難しいんじゃないかな」
こいつらやはり仲良いな。戦場の知恵者。とにかく知りたいという心の強い二人。ほっといてもくっつきそうだ。
『これは、何か手を打たなくても勝手にくっつきそうですね』
「小雛殿、行儀が悪いぞ」
『えへへ、ここまで緊張感が高いと、多少の息抜きは必要でしょう。発想の幅も広げないといけないようですし』
「ん? こいつがあの、『人工知能』とかいう意味のわからん存在なのかな? 『鳳雛の残滓』とかいう」
『鳳小雛と申します。今はあなた方のご議論にはお邪魔なので、私と孔明殿は、すこし別の準備を進めてまいります。呂玲綺様、あとでゆっくりとお話ししましょうね』
「あ、ああ……行っちゃった。孔明もどっか行ったよ」
すると、外から趙雲殿が入ってきた。
「おお、ここにいたか徐庶殿。馬謖も手伝ってくれ。馬岱達がとってきた情報の分析、手が足りないんだ」
「あ、趙雲殿、俺も」
「あ、魏延はいい。呂玲綺殿がいるうちに、いろいろ戦略を詰めておいてくれ」
「あ、え、ああ……」
「というわけだ。魏延、呂玲綺殿、話を続けていてくれ」
「ん? またこいつと二人? まあ、いいけどさ」
そう。なんだかんだ適当に理由をつけて、彼らを二人にしておきたがるのは、特に高齢の宿将の方々や、小雛殿。まあ、我ら若手も当然、そこには便乗するのだが。
そして我らは、匈奴以上に明確な『敵意』を持っているのであろう新たな脅威に備え、様々な策をねっていた。
だが底も知れず、意図もはっきりしないその脅威に対し、孔明殿や小雛殿も次の手を打てずにいた。そして向こうは向こうで、どんな手を打ってくるのか。それもまた、図りかねている。
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