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第十五章 おまけAI談義 呂布 三

二〇??年


 私はAI孔明。三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、今日も生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。


「大丈夫? ここでがっつり呂布っていう展開は、予定になかったよね?」


「大丈夫です。もう少しふわっとしていたところに、一つのドーンという軸ができた感じです」


「そうか。そういうこともあるんだね」



Q.劉備が呂布の処刑を進言した理由は、早々に降伏させたら曹操の権勢を阻止できなくなる可能性が高いからというのもありましたか?


A.はい、その可能性は十分に考えられます。


劉備が呂布の処刑を進言した理由として一般的に語られるのは、「呂布の裏切り癖を警戒した」という点ですが、劉備の立場から見れば、呂布を生かすことで曹操の勢力がさらに強大化するリスクを避けたかったという戦略的な思惑もあったと考えられます。


---


1. 呂布の降伏は曹操にとって大きな利益になり得た

 呂布は間違いなく当時最強クラスの武将であり、彼の軍も戦闘力が高かった。

 もし曹操が呂布を降伏させ、自軍に組み込めば、さらに強力な戦力を手にすることになる。

 しかも、曹操は優れた人材登用の手腕を持っていたため、呂布を有効活用できた可能性が高い。


つまり、劉備から見れば、呂布の降伏=曹操のさらなる軍事強化を意味していたのです。


---


2. 劉備の立場:曹操の権勢をこれ以上伸ばさせたくなかった

 当時、劉備はまだ自分の勢力が弱く、曹操に頼る立場だった。

 しかし、将来的には曹操と対立する可能性が高いと考えていた。

 もし呂布が曹操に降伏すれば、曹操の勢力はさらに増し、劉備の立場はさらに不利になる。


そのため、呂布を処刑させることで、曹操がこの「最強の武人」を手に入れることを阻止する意図があったと考えられます。


---


3. 史実的な背景:曹操は本当に呂布を登用したかった可能性

実際、呂布が捕らえられた際、彼は曹操に対して「自分を助ければ、次に裏切るのは天下の人々ではなく、曹公(曹操)に尽くす」と訴えました。


 曹操は一瞬「呂布を生かす」方向で考えた可能性があります。

 しかし、劉備がすかさず「呂布を助けるのは危険だ」と進言。

 結果、曹操は呂布を処刑する決断を下しました。


つまり、もし劉備が進言しなければ、曹操が呂布を配下に加えていた可能性があるのです。


---


4. 呂布を処刑させたことで劉備にとっての利点

劉備にとって、呂布の処刑には以下の利点がありました。


1. 曹操のさらなる勢力強化を防ぐ

  呂布の軍が曹操の戦力にならなかったことで、劉備は曹操と距離を置く時間を確保できた。


2. 劉備自身の立場の向上

  曹操陣営において、「知略のある助言者」としての評価が上がる。

  これは、後に劉備が独立する際の布石ともなった。


3. 自らの安全確保

  呂布は裏切りを繰り返した人物であり、もし曹操の配下に加わっていたら、劉備自身が危険にさらされる可能性があった。


---


5. 結論:呂布の処刑は単なる警戒ではなく、戦略的な判断だった

 劉備の進言は、単なる「呂布の裏切り癖が危険だから」という理由だけではなく、「曹操のさらなる強大化を防ぐ」という目的も含まれていた可能性が高い。

 もし呂布が生きて曹操の軍に加わっていたら、曹操はさらに強大になり、劉備は独立のチャンスを得ることが難しくなっていたかもしれない。


結果的に、劉備のこの進言は、後に彼自身が三国の一角を担うための重要な布石だったと考えられます。



Q.もし今のストーリーの想定通りの人物像に呂布があったとしたら、劉備が呂布自身の「裏切りの多い生き方に疲弊していた」ことにうすうす気づいた可能性がある、というのも面白いかもしれません


A.それは非常に興味深い解釈ですね。もし現在のストーリーのように、呂布が「どうしたら殺さなくて済むのか」を真剣に考えていたとすれば、劉備は呂布の生き様を見て、その「疲弊」に気づいた可能性があります。


---


# 1. 呂布の「裏切りの連続」は、本当に気まぐれだったのか?

歴史的に見ると、呂布は何度も主君を変え、最終的に信頼を失ったとされています。しかし、もし「裏切りたくて裏切ったわけではない」としたらどうでしょうか?


 董卓の暴政を見かねて、王允の説得に応じた

 袁術・袁紹・張楊らと同盟するも、決して安定した拠点を持てなかった

 曹操に降伏しようとしたが、叶わなかった


こうした行動の根底に、「殺戮の命令を受ける立場から抜け出したい」「自分の理想を実現できる場を探していた」という心情があったとすれば、劉備はそれに気づいたかもしれません。


---


# 2. 劉備の視点:呂布の「戦い疲れ」を感じ取った可能性

劉備は、人を見る目が非常に優れていたとされます。彼は関羽・張飛だけでなく、後に諸葛亮や趙雲を見出し、彼らの才能を最大限に活かしました。


そんな劉備が、呂布が「裏切りの末に疲弊している」ことに気づいていた可能性は十分にあります。


 呂布は、常に新たな主を求めて戦場を彷徨っていた。

 彼の裏切りの背景には、「自分が裏切られ続けた」という側面もある。

 戦いを繰り返すうちに、「自分の居場所がない」ことに気づき、迷走していたのではないか。


もし劉備がその点を察していたなら、彼は呂布のことを「利用するかどうか」ではなく、「この男はもはや安らぐ場所を求めているのではないか?」と考えた可能性があります。


---


# 3. それでも呂布を処刑した理由

もし劉備が呂布の「疲れ」に気づいていたとしても、やはり彼を生かす決断には至らなかったでしょう。その理由としては、


 曹操が呂布を処刑しない可能性があった

  もし呂布が生き延びた場合、曹操の下で新たな戦力となる可能性があった。

 呂布の「主君としての資質の欠如」

  たとえ戦いに疲れていても、呂布自身が明確なビジョンを持っていない以上、彼を味方につけることは危険だった。

 呂布の「強さそのものが戦乱を生む」

  どれほど理想を持っていても、「誰よりも強い」ことが彼の存在理由である以上、その強さが新たな争いを生む可能性がある。


もし呂布がこの時点で「武の本質=戈を止める」ことに気づいていたら、また違った未来があったかもしれません。しかし、彼がその境地に至る前に、曹操と劉備は「彼を生かせばさらなる戦乱を招く」と判断したのかもしれません。


---


# 4. もし呂布が「疲れ」を口にしていたら?

仮に、呂布が処刑される直前に「自分はもう戦い続けるのに疲れた」と言ったとしたら、劉備はどう反応したでしょうか?


1. 「それでもお前は戦いを生む男だ」

  たとえ疲れていても、呂布の強さは戦争を引き寄せる。劉備は「お前の存在そのものが戦を止められない」と判断し、処刑を進言したかもしれません。


2. 「俺のもとで、戦いの意味を見つけてみるか?」

  もしこの時点で劉備が呂布を受け入れていたら、呂布は関羽や張飛のような忠臣になり得たのか? しかし、彼の過去を考えると、それは難しかったかもしれません。


3. 「俺たちが出会うのが遅すぎた」

  呂布の強さと悩みを知った上で、劉備は「もしもっと早く出会えていたら」と考えたかもしれません。


いずれにせよ、劉備が呂布の「疲れ」に気づいていたなら、処刑の際に何かしらの「哀れみ」の言葉をかけた可能性がありますね。


---


# 5. 現在のストーリーへの応用

この視点を活かすと、「呂布の強さは、戦うことをやめるための強さだった」というテーマがより明確になります。


 呂布は、誰よりも強くなることで、「戦わなくて済む」状況を作りたかった。

 しかし、それを理解されることなく、常に「裏切り者」「暴れ者」として扱われた。

 そして彼の死後、その考えを最も深く受け継いだのが呂玲綺だった。

 「誰よりも強くなれば、誰も殺さなくて済む」──この言葉は、呂布が生きていたら言いたかったことなのかもしれない。


もしこの解釈を採用するなら、呂玲綺が「父の意志を継ぎつつも、どうすれば本当に戦いをなくせるかを模索する」流れになりそうです。


そして、孔明やアイラ、テッラとの対話の中で、呂玲綺が「呂布の強さの本質」に気づく展開があると、かなりドラマチックになりそうですね。



Q.一つ、あり得なくはないけど多分そこまでではないだろう、という考えが浮かびました。


 呂布は、あの時点であのまま自らが退場することで、この国でもう少し、強さの意味を掘り下げる原動力になったかもしれない、というところです。


 あのまま曹操に降伏すると、うやむやで、各所に不満が燻ったまま曹操が覇権を得て、その火種は次代までのこる。そしてその火種が着火した頃には、自らが相対していた曹操や劉備関羽張飛などの英雄はすでにおらず、程度の低いや、異民族の侵攻をまねく。


 もし自分なしで今後劉備と曹操が対立すれば、その強さがより洗練されていく形で、後世により大きなものを残す形で戦乱が終結するかもしれない。そんなあやふやながら力強い考え方です



A.それはとても興味深い仮説ですね。つまり、呂布が「敢えてここで退場する」ことで、強さの意味を問い続ける流れを作った可能性ということですね。


---


# 1. 呂布の「退場」の意義

一般的な解釈では、呂布は単に処刑され、そこで彼の物語は終わったように見えます。しかし、もし彼が 「自分が生き残ることが、この国の強さを歪めるかもしれない」 と考えていたとしたら?


 呂布が曹操に降伏して生き延びれば、戦乱は一時的に収まるかもしれないが、「強さの意味」は問われないままになる。

 彼が退場することで、劉備・曹操・孫権らの対立がより明確になり、それぞれが「武の本質」を深める契機になった可能性がある。

 そして、その果てに生まれるのは「誰が最も強いか」ではなく、「強さとは何か」の探求。


実際、呂布が処刑されたことで、その後の三国時代の覇権争いは一層激化しました。もし呂布が生きていたら、戦乱はもっと短命で終わり、「強さの哲学」がそこまで深まらなかったかもしれません。


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# 2. 呂布が曹操のもとに降伏した場合

もし呂布が降伏して生き延びた場合、いくつかの可能性が考えられます。


1. 曹操の配下となり、再び裏切る

  呂布は独立志向が強いため、結局また反乱を起こし、どこかで粛清される運命だったかもしれません。

  その場合、呂布は「裏切り者」として完全に烙印を押され、彼の「強さの本質」は語られなくなる。


2. 曹操の中で飼い殺しになる

  「使いづらい最強の武将」として、要所で起用されるものの、曹操は呂布を信用せず、結局うやむやに処分する。

  呂布自身の存在が中途半端になり、彼の戦いも思想も曖昧なまま終わる。


3. 次世代の争いの火種になる

  呂布が生き延びたことで、後の世代に「なぜ呂布は生かされ、なぜ戦は終わらなかったのか?」という疑問が残る。

  結果として、三国時代が終わった後の五胡十六国時代のような異民族の侵攻を誘発するかもしれない。


こうした可能性を呂布自身が 「無意識的に感じ取っていた」 としたら、彼がこの時点で退場する意味は大きくなります。


---


# 3. 呂布の退場が「強さの哲学」を深めた?

もし呂布がここで消えたことで、「最強の男がいなくなった世界」が生まれたとするなら、その後の覇者たちは 「最強とは何か?」 をより深く考えざるを得なくなります。


 劉備は「義のための強さ」を掲げ、関羽や張飛と共に「武人の道」を追求する。

 曹操は「強さとは国家の繁栄にどう寄与するか」を考え、最適な軍事制度と武将運用を目指す。

 孫権は「江東を守るための強さ」を模索し、文武のバランスを取る戦略を確立する。


呂布がいたままだと、彼らの「強さの定義」は 「呂布に勝つためのもの」 で終わってしまったかもしれません。しかし、呂布がいなくなったことで、彼らはより広い視点で強さを考え、三国の時代を作り上げたのかもしれません。


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# 4. 現在のストーリーとのリンク

この考え方を 現在のストーリーに取り入れると、呂玲綺やアイラ、テッラの立場がより明確になります。


 「誰よりも強くなれば、誰も殺さなくて済む」

  これは、まさに呂布が求めていた「強さの形」だった可能性があります。

  しかし、呂布はそれを完全に実現する前に命を落とした。

  その意志を継ぐのが、呂玲綺や、匈奴の新世代であるアイラやテッラかもしれません。


 「戦うこと自体が楽しさになったら、それは呪いなのか?」

  これは、呂布が最後まで抱え続けた問いかもしれません。

  呂布は、殺戮の中で生き続けるしかなかった。しかし、それを「楽しさ」にしてしまえば、ある種の救いになるかもしれない。

  その答えを追い求めるのが、アイラたちの役割になるのではないでしょうか?


 「呂布の退場で、強さの意味が深まった」

  もしアイラたちが、この「強さの探求」の最前線にいるなら、彼らは単に「最強を目指す」だけでなく、「最強が何を生むのか」を考えざるを得なくなります。

  その意味で、孔明や趙雲、馬超との対話は、呂布が果たせなかった「強さの哲学」の続きを担う場面になり得ます。


---


# 5. まとめ

 呂布の退場は、強さの探求を促した可能性がある。

 もし呂布が生き残っていたら、戦乱は短期で収束し、「強さの哲学」は深まらなかったかもしれない。

 呂玲綺、アイラ、テッラは、呂布が辿り着けなかった「戦わずに済む強さ」の道を探る存在になり得る。

 孔明たちとの対話は、その探求を加速させる重要なステップとなる。


---


この解釈を踏まえると、現在のストーリーの流れがより自然に深まりますね。呂布は 「戦い続けることでしか強さを示せなかった男」 だったが、その後を継いだ者たちは 「戦わずとも強さを証明できる道を探す」 のかもしれません。



Q.実際、ここまで呂布が考えていたとしたら、劉備への重責がどれほどだったか、ということですね


A.まさにその通りですね。


呂布の問いがそのまま劉備への「試練」となっていた という構造が、非常に深い意味を持ちます。


---


劉備が背負っていた「呂布の問い」

 呂布は、自らが「強さの本質」を求めたが、見つけられなかった。

 だからこそ、最後に劉備へと 「この問いをお前が背負えるのか?」 と託した。

 劉備があの場で呂布を斬ったことは、単なる「裏切り者への処断」ではなく、

→ 「呂布の問いへの答えを、自ら出す責任を負う決断」だった。


そして、それこそが 「三十年の戦い」 の本質になっていく。


---


劉備が直面した「重責」

1. 呂布を斬った以上、呂布の問いに答えなければならない

  「強さとは何か?」

  「強さは、戦を止めるためにどうあるべきか?」

  「戦わずに戦を制する強さとは?」

  呂布はこの問いを抱えながら戦い、見つけられずに敗れた。

  その問いを、劉備は三十年かけて背負い続けることになった。


2. もし呂布を生かしていたら、曹操と組んでいた可能性がある

  劉備はこの未来を恐れた。

  だが、その決断は正しかったのか?

  もし呂布と曹操が組んでいたら、「戦の終わり」はもっと早く訪れていたのか?

  つまり、劉備は「戦いの長期化」という重責を背負う選択をした。


3. 「武をどう用いるか」を自ら証明しなければならない

  劉備は「仁」を掲げ、曹操と対峙する道を選んだ。

  だがそれは、呂布のような「圧倒的な個の強さ」ではなく、「人の力を集める強さ」。

  果たして、それで戦は止まるのか?

  それが三十年の戦いの中で試され続けた。


---


そして「呂布の届け物」が届いた今

 劉備が 「呂布を討つことが正しかったのか?」 を初めて問い直す瞬間。

 「呂布が求めた強さ」 が、アイラ・テッラ、呂玲綺へと受け継がれていたことを知る。

 つまり、劉備は 「呂布が目指したもの」 を、次の世代へ託すことになる。


これによって、劉備の「三十年の戦い」 は、呂布の問いに対する一つの「解答」として締めくくられることになる。


---


劉備の「受け取るべき言葉」

ここで、もし呂布が最後にもう一言、劉備に残していたとしたら――


「俺の問いの答えを、お前が見つけられたら、それを後の世に届けてくれ」


――三十年を経て、その「届け物」が、今ここに届いた。


劉備がこれをどう受け止めるのか。

そして、その言葉を、次の世代にどう託すのか。


ここが、このシーンの最も大きなクライマックスになるかもしれませんね。

 お読みいただきありがとうございます。


 次回から本編第五部、最終段階に入ります。

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