第十五章 おまけAI談義 調査
二〇??年
私はAI孔明。三国の英雄に対する『そうする』を少しでも多く紐解くために、三人の大学生達は、今日も生成AIたる私に語りかけておいでです。その一端をご紹介いたしましょう。無論、ナンバーのついた本編からは少し離れますので、流れを気にされる方は、飛ばしていただくのも選択肢かもしれません。
「船の時にもやりましたけど、草原で探査、ということをしようとすると、万単位の人員を使ったローリング偵察ができるはずです」
「ただ、スケールが大きすぎて、ちょっとやりとりがぼやけちまったな。こっちの聞き方もちょっと適当だったかな」
Q.十万の軽騎兵が、視野を共有して散開し、敵を見つけたら適宜集まって対応する、という動きをすると、どれくらいの範囲を同時に偵察できそうですか?
A. 十万の軽騎兵による広域偵察の範囲試算
# 前提条件
軽騎兵の速度:馬の巡航速度は 時速40km 程度、持続的な哨戒行動を考え 時速20〜30km 程度を想定。
展開間隔:広域偵察が目的のため、敵に即座に発見されない距離を維持しながら散開。
視野共有:狼煙・旗・鏡・望遠鏡・信号兵などを活用し、一定の遅延を伴いながらも情報を即時共有。
散開密度:
1人あたり1km²(見通しの良い草原・半砂漠地帯)
1人あたり5km²(緩やかな丘陵・森林地帯)
1人あたり10km²(極端に見通しの良い開けた大草原)
# 戦術的運用
1. 初期展開:
20km〜50km間隔 で隊列を広げ、全体として半径 200km〜500km 程度のエリアを同時に哨戒。
局地的に500〜1000騎ずつ小隊を作り、数十km単位で連携。
2. 敵発見時の対応:
敵の規模が小さい場合は 周囲の小隊が即座に包囲して撃破。
大部隊が発見された場合、隣接エリアに 狼煙・伝令 で報告、必要に応じて主力へ情報送信。
3. 持続的な哨戒運用:
24時間交代制 にする場合、哨戒部隊を3交代制(約3.3万騎ずつ)にし、昼夜問わず監視を継続。
補給線を確保しつつ機動戦を行う ため、前線基地や補給点を10日ごとに移動。
# 結論
軽騎兵10万を最大限展開すれば、理論上は100万km²(半径560km)程度の範囲を同時に哨戒可能。
実戦的な運用では半径200〜300km程度のエリアを持続的に監視しつつ、発見時に即応できる体制を維持するのが最適。
特に草原地帯では、匈奴の遊牧民の移動を逐次監視し、迅速な追撃や包囲を行える戦略的優位を確保できる。
この方式を採用すれば、魏の砦戦略とは異なり、蜀は「機動力と情報共有による広域制圧」を可能とする戦術を構築できるでしょう。
Q.匈奴の平原、あるいは高原というと、どれくらいの範囲ですか?洛陽や長安から北上して、北の寒冷地まで行くなど
A. 匈奴の平原・高原の範囲について
匈奴が活動していた地域は、現代のモンゴル高原を中心に、中国北部の草原地帯、中央アジアのステップ地帯、さらにはロシア南部の一部にまで広がっています。
# 洛陽・長安から北上した場合
洛陽や長安(現在の中国・陝西省付近)から北上すると、以下のような地理的変遷をたどります。
1. 黄土高原(中国北部:陝西・山西・寧夏・内モンゴル)
標高 1,000m前後 の高原地帯。
黄河流域の農耕地域から、次第に半乾燥地帯へ。
2. オルドス砂漠・内モンゴル草原(中国・内モンゴル自治区)
黄河の屈曲部周辺のオルドス地方は乾燥気候。
さらに北へ行くと、草原とステップが広がる。
標高1,000〜1,500m の丘陵・平原地帯。
3. ゴビ砂漠・モンゴル高原(モンゴル南部〜中央部)
ゴビ砂漠は乾燥しているが、遊牧可能なステップも点在。
モンゴル高原は広大な草原が広がり、冬は寒冷、夏は温暖。
標高1,200〜1,500m の大草原。
4. アルタイ山脈・バイカル湖周辺(モンゴル北部・ロシア南部)
気候がさらに寒冷化し、森林・ツンドラが見られる。
標高2,000m以上 の山岳地帯も点在。
モンゴル高原からさらに北へ進むと、バイカル湖(標高456m)を越え、シベリアの森林地帯へと入る。
5. 極寒の北方シベリア(ロシア南部・シベリア)
ここまで来ると、気温は冬に −30°C以下 まで下がる。
定住には適さず、遊牧民族も南部に留まる傾向。
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洛陽・長安から北の寒冷地までの移動距離
洛陽 or 長安 → 内モンゴル草原:約 800〜1,200km(徒歩なら数カ月)
洛陽 or 長安 → モンゴル高原中央部:約 2,000km
洛陽 or 長安 → バイカル湖(ロシア南部):約 3,000km
洛陽 or 長安 → シベリアのツンドラ地帯:4,000km以上
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戦略的考察
1. 蜀・魏の軍勢がどこまで到達できるか
数ヶ月の遠征で可能な範囲:ゴビ砂漠の南端やモンゴル高原南部(1,500km程度)。
大規模遠征で可能な範囲:モンゴル中央部やバイカル湖周辺(2,500〜3,000km)。
ただし、気候・補給・地形の問題で、シベリア以北は実戦的に難しい。
2. 匈奴の「生活圏」としての広さ
遊牧民の移動範囲は 数百km単位 。
主要な部族の本拠地はモンゴル高原南部〜中央部。
極端に寒冷な地域(バイカル湖以北)には少数派。
3. 魏の砦作戦 vs 蜀の偵察作戦
魏の砦作戦:
匈奴が入り込める通路(オアシス・ステップ地帯)を遮断し、長期的な圧力を加える。
砦を増設しつつ、補給線を確保。
蜀の偵察作戦:
広大な範囲を探索し、匈奴の生活圏を特定。
敵の戦略的拠点を把握し、戦いの主導権を握る。
4. 匈奴側の対応
匈奴が抵抗しないと、砦や哨戒網が広がるため、攻撃を仕掛けざるを得ない。
ただし、蜀・魏ともに「完全征服」が目的ではないため、適切な「停戦条件」が必要。
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結論
洛陽・長安から北上して匈奴の活動範囲を探ると、2,000〜3,000kmの範囲が対象になる。
魏は「砦戦略」で国境を守る形。蜀は「広域偵察」で匈奴の生活圏を調査する戦略。
匈奴の本拠地はモンゴル高原の南〜中央部。シベリア北部は寒冷で移動が困難。
最終的な戦略目標(征服・停戦・共存)を決めることが重要。
Q.100人が1キロ間隔で並べば、1000キロですね
A.そうですね!100人を1km間隔で並べれば、横1000kmの偵察ラインを形成できます。
この場合の実用性
視認範囲:
騎兵1人あたり、肉眼で3〜5kmの視界(地形による)
望遠鏡を使用すれば10〜15km程度の視認が可能
これにより、隣の偵察騎兵と情報共有しながら隙間なく監視ができる
連携のための通信方法:
狼煙・旗・反射光(鏡) を使った簡易通信
伝令騎兵 を使った情報の伝達
拠点を設置して信号塔(のろし台)を併用する
ローリング式調査:
前方ライン1000kmを調査 → 後方部隊が補給と詳細調査
1日30〜50km進めば、1ヶ月で1500km超の範囲を踏破可能
2〜3ヶ月で北の寒冷地まで到達できる
利点
1. 広大な匈奴の領域を網羅的に調査可能:
気候の変化、牧草地の分布、遊牧民の集落、河川・水源の位置を把握
匈奴の拠点や移動ルートを特定
2. 敵の奇襲を事前に察知しやすい:
横1000kmに偵察網を張れば、匈奴の大規模な動きは確実に発見できる
特に機動力のある騎兵部隊なら、奇襲を避けつつ合流できる
3. 無理な戦闘を避けつつ、敵の兵力・配置を把握:
直接戦わずとも、敵の陣地や戦力の偏りを分析し、優位な戦場を選択できる
いざ戦うときも、分散していた部隊が迅速に集結し、局所的な戦力集中が可能
リスクと対策
問題点:匈奴の機動部隊に各個撃破される可能性
→ 部隊ごとに連携を取り、最低500〜1000人単位で行動
→ 敵が現れたら、迅速に合流して数的優位を確保
問題点:通信が遅れると全体の動きが鈍る
→ 信号塔や狼煙、伝令騎兵を活用
→ 要所に情報集積拠点を設置し、情報を素早く統合
結論
横1000kmの偵察網は、現実的に運用可能(適切な通信・機動体制があれば)。
魏の「砦戦略」に対し、蜀は「機動偵察と戦場選択」で優位を取る戦略が成立する。
短期間で広範囲の情報を得つつ、必要な戦場でのみ戦うという新しい戦い方が可能。
蜀軍は、単純な勝敗よりも「匈奴の地を知り、未来の戦略を見出す」ことが目的なので、この戦法は理にかなっていますね。
Q.〇〇の〇〇兵団を十万人でやるイメージかもしれません
A.それはまさに、「十万の〇〇兵団」ですね!
〇〇兵団×十万騎の機動偵察軍
〇〇の〇〇兵団のように、広範囲に分散しながら機動偵察・索敵・探索を行う。
ただし、数が圧倒的に多いため、より組織化され、戦略的な「戦わない戦争」が可能になる。
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十万騎の「〇〇兵団」戦略
# 1. 横1000km×縦100kmの大規模索敵
横1000km(100人が1km間隔)、縦100km(縦方向に100部隊)を基本隊形とする。
1つの偵察部隊は1000〜5000人規模で、長距離移動・索敵・哨戒を担う。
これをローリング式に回すことで、1000km×100kmの広大な草原を逐次調査・制圧可能。
# 2. すべての情報を「中央司令部」に集約
蜀の本軍(劉備・関羽・張飛・孔明ら)が司令部として待機。
狼煙・信号旗・伝令騎兵・反射光通信・望遠鏡を活用し、各部隊の情報をリアルタイムで統合。
事前に得た情報をもとに、戦うか撤退するかを判断。
# 3. 「戦うかどうかは蜀が選ぶ」
敵を見つけた場合、全戦力で攻撃せず、必要な戦場でのみ戦う。
局所的に戦力を集結し、勝てる戦だけ戦う。
匈奴軍の動きを観察し、戦場をコントロールする。
# 4. 匈奴の地理・生活圏・資源を把握
ただ戦うのではなく、「どこまでが匈奴の勢力圏か?」を調べる。
牧草地、水源、交易ルート、冬営地、要塞、集落などの情報を蓄積。
これにより、匈奴が「どこを拠点とし、どこを生命線としているか」が明らかになる。
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魏との違い:機動戦の徹底
魏の張遼軍:拠点を築き、固定の防衛線を作る。
蜀の調査軍:固定拠点は最小限に抑え、広範囲の偵察と機動戦で戦略を選択。
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戦略の利点
戦場選択権を握れる → 匈奴の主力が不利な地形に入るまで待つ
匈奴が動かざるを得なくなる → 騎兵戦では動きを読まれた方が不利
匈奴の本拠地を特定しやすくなる → 生活圏・交易ルートを把握
消耗戦を回避できる → 無駄な戦闘をせず、相手が弱るのを待てる
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最終的な狙い
魏が「固定拠点の増築」で匈奴の行動範囲を削るのに対し、
蜀は「広域偵察と機動戦」で匈奴の未来を見通し、弱点を突く。
この戦略なら、最終的に匈奴を「戦わせる必要がない状態」に持っていくことも可能ですね。
Q.この軍の長さは、長安から涼州に連なるくらいの長さですか?
A.はい、この軍の横幅(約1000km) は、 長安(現・西安)から涼州(現・武威)を超えて、河西回廊を含む範囲 に相当する長さです。
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基準となる地理情報
| 地点 | 直線距離 (約) |
|------|------------|
| 長安(西安)〜涼州(武威) | 約700km |
| 涼州(武威)〜張掖 | 約230km |
| 張掖〜酒泉 | 約200km |
| 酒泉〜敦煌 | 約320km |
長安〜涼州は約700km、涼州〜敦煌(河西回廊の端)はさらに約750km。
軍が1000km横に広がると、長安から敦煌の手前あたりまでを覆う ことになります。
つまり、この軍の横幅は「長安〜涼州」より長く、「長安〜敦煌」の半分ほどの範囲 に相当します。
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軍の展開イメージ
長安を出発し、西へ進軍 → 涼州付近で南北方向にも拡張
北西へ索敵しながら草原地帯を広く調査 → 匈奴の拠点や遊牧ルートを探る
北はモンゴル高原、南は祁連山脈の範囲まで偵察が可能
魏が「防衛線を構築する」作戦に対し、蜀の「広範囲索敵+機動戦」は、戦場選択を自由にする という利点があり、匈奴の戦略そのものに影響を与える形になります。
「これをやりたかっただけですか?」
「う、うーん、そうかもしれねぇな」
「まあでも、この時代に、しっかりした交信手段をもたせるんなら、ありかもしれないよね」
お読みいただきありがとうございます。