百三十一 止戈 〜劉備×呂布=??〜
「そんな大事な話を俺抜きでするなんてのは、一本も筋が通ってる話じゃねえ、よな?」
「おお、おじさん誰? もしかして呂布?」
「むむ、誰かな? まさかこの人が曹操?」
アイラとテッラがややたじろぎつつ、ずれた返答をしている。
「兄者、その辺にしておこうぜ。その呂布の話ってのが、俺たちにとってどれほどのことなのか。改めて知らせてくれたのがこいつはだってのは間違いねえ」
「ああ、そうだな張飛。だがまだ俺の中でも整理は付いてねえ。もう少し任せるぜ」
「兄者……てことは、この人が劉備なんだね。この人も強いね兄さん」
「そうだねアイラ。この人たちの上に立つって、こう言うことなんだよね」
アイラとテッラは、今のやり取りを、と言うよりは、その発せられる覇気のようなものを感じ取って、そんな言い方をしているように見える。
そして、呂玲綺は。
「あんたが劉備か。その姿はどうしても思い出せないね。あんたのやったことは忘れちゃいないよ。だけどその話は後で出てくるだろうから、その時にじっくり聞こうじゃないか」
そう。呂布と劉備様。そこには相当に深い因縁があると言っていい。
こんな話がある。曹操劉備連合軍に敗れるに至る呂布は、曹操への降伏を申し出たことがあったとか。曹操はそれを受けようとしたが、実はそれを阻み、呂布を討つことを進めたのが劉備様だという。
呂布の度重なる裏切りを警戒したとのことだが、実際には、いずれ曹操と対立する可能性を考えた時の布石という話すらある。
「そしたら兄者、どうやらあの野郎が独立したあたりまで話が進んでいるようだから、続けるぜ。とはいえ、それほど目新しいことはねぇ。曹操に敗れ、兄者の元に身を寄せていたあいつが、曹操の策にはまり、そして俺の酒での失敗を利用して、徐州を乗っ取った話は知っての通りだ」
「その辺は、さすがに匈奴でも知ってる人の方が多いね」
「張飛と呂布は、みんな知ってるんだよ」
「まあ恥ずかしい話だがな。とはいえ、あの時の呂布には、そこの葛藤みてぇのを感じたことはあんまりねぇんだよな。だがなんと言うか、兄者や曹操ってやつを見る時の目は、何か思うところあるようにも見えたな」
「あの頃の父様は、劉備や曹操、袁紹といった、董卓よりも強い可能性がある主君を探しながら、自分がそれになれるかどうかを考える、って言うことをしていたように聞いているよ」
「張遼もそう言っていたな。だけど、誰かの臣下としての生き方は、いつのまにか自らが絶ってしまった。そんな表現をしていた」
「そうだね。曹操の隙をついて兗州を瞬く間に奪ったその腕。それはもう、いち将軍のする規模の話ではもうなくなっていたんだよね」
「その時はまだ、曹操の手腕や人となりを見定めていなかったから、その下につくという選択肢は取れなかったんだろうな。徐州を奪った後は、その意味ではもう手遅れだったようだぜ」
「徐州を取った時点で、一度曹操への使いが行ったようだが、謀臣達の警戒にあい、奴の下につくのは叶わなかったらしい」
「その時にはとっくに、父様が誰かの下についてどうこう、っていう想像は、誰にも出来なくなっていた。なんなら、董卓が討たれた時にはもう、『誰が呂布の上に立てるのか』って、誰もが思ってしまっていたんだろうね」
「その意識のズレは、呂布の思考を少しばかり鈍らせたのだろう。明君の下につこうとする呂布と、下に置こうとなどできない周りと」
「父様はたぶん、自分が君の器ではないってことはずっと思っていたはずだよ。だからこそ考え始めたのが、『器ってなんだ』だったり、『器がない者が上に立っても問題なくするにはどうしたら』だったりだよね」
「確かにあの野郎とは何度も戦場であい見えたけど、戦いながら、何かを問いかけるように、兄者や曹操に目線がいっていた気はするんだよ。直接槍を交えることが結局なかったから、その辺りは感じ取れなかったんだけどな」
「本当の主君を探す道と、見つからない時にどうすべきか、その狭間で悩んでいく中で、その孤高の強さが際立っていった、ですか……」
孔明殿が一つにまとめる。そして、その核心的とも言える彼の最後について、話をはじめる。
「そして最後は孤独が高じ、味方の裏切りにあって破れた。これが最もよく知らぬものからの観点です」
「そうだな。だけどそれもちょっとずれているんだ。きっかけは、徐州を治めていたあの野郎が、曹操に降伏の打診をしてきたところから始まるんだ」
「それはまことだったのですね。だとすると、その打診を拒否するよう進言したのが陛下だと言うのは」
ここで、印象的なご登場の後、ずっと黙って聞いていた陛下が、口を開く。
「ああ、本当だ。そして、あの戦いで呂布が敗れるに至った、味方の裏切りだの孤独だのっていうのはな、全てがこの劉備が仕掛けた奸計よ」
「「奸計……」」
およそこの人から出てくることの無さそうな言葉。だが確かに若き頃の三兄弟の中では、最も知恵が回るのがこの長兄様ご自身だったことは、知っている者は知っている。
「ああそうさ。違和感はねえか? あいつが敗れたあとで、張遼、陳宮、高順という宿将三人はいずれも死を賜ることを強く望んだ。張遼だけが関羽の説得でどうにか生き延びたがな」
「つ、つまり父様は、そんなすごい人達が主君と認めるくらいには、もう立派に人の上に立つ器量を持っていた。そう言うこと?」
「ああそうさ。あの頃で言えば、俺の比じゃねぇ。曹操と肩を並べていたのはあの呂布だ。だがあの時俺は、俺たち三人はこう考えた。『もし曹操と呂布が手を取り、漢室が脅かされたら、誰も止められる者はいなくなる』だ」
ここでアイラ、テッラの鋭い指摘がはいる。
「ふふっ、仮定が二つ、なんだね」
「へへっ、一つ目はいいとして、二つ目は可能性でしかなかったのかな」
「そうさ。仮定さ。それくらい、あの頃の俺たちは未熟なままに、世の中をかき乱す力を持ち始めていたんだよ。漢室に仇なす可能性のあるものを排除する。その題目の元、何人のものが、互いを敵となし、互いを追い詰めたことか」
「漢室再興の旗頭として、誰もが認めるあんたが、それを認めるんだね。自分も含めて、互いを朝敵とみなしていたその言い様に、正当な意味がなかったって事を」
「ああ、認めるさ。認めれば認めるほど、この後の話が意味を持つのであれば、いくらでも認めてやるさ。そうだよ。正当な意味を持たなかったんだよ。漢室が正しく君臨すると言うことがどう言うことなのか。それは、さっきの呂布の悩みとなんら変わらないのさ」
「『帝の器ってなんだ』そして、『帝が器ならざる時、どうすべきか』。そうなるのかな?」
「そうだな。そして、そこに明確な答えを持っていたのが曹操。『才ある者が帝を支えるべき。帝の意思に反しても、才ある者の意思を優先すべき』。そしてもう一人が、あの時の呂布なのさ」
「えっ? 父様?」
「ああ。言っただろ。呂布はもうそんな器だったんだよ。だが俺たちもそれを知ったのは、あいつが俺たちに敗れ、捕えられた後なんだ」
「奸計……」
「ああ、奸計さ。賈詡もびっくりの離間計だよ。呂布の悪い噂を流し、そこに釣られるやつを見つけ出し、引っかかった三人ほどをこちらに抱き込む。そうして呂布や張遼を直接狙わずに、力量の一段下がる高順や、戦う力のない陳宮に狙いを定めて捕える。そんなところさ」
「うふふっ、卑怯千万、だね」
「えへへっ、確かに賈詡だよ」
「実際兄者は、程昱や郭嘉にはたいそう警戒されたからな。そっちの意味もあったのかって、今にして思えばそうも思えてきたぜ」
「うるせえ張飛。その頃はそんな小細工しか出来なかったんだよ。孔明もいなければ、諸将もまだ腕自慢と役者仕事のできるやつしかいねえ。そんな時に天下の大計なんてのは無理だったんだよ」
「あはは、まあ違いねぇ。俺が相当やらかしたかってとこだし。それで、捕らわれた呂布は、改めて曹操に降伏を申し出たが、兄者がその危険を断じたんだよな」
「ああ。それは先ほどの話のままだ。そして、その最後の時。あやつとの対話が全てだったんだよ」
「「全て?」」
いきなり全てといった陛下の言葉に、アイラやテッラも首を傾げながら反応する。
「ああ、全てさ。それこそ、その後の俺たち三兄弟、曹操との長き戦い、そして、三国対立と蜀漢建国。それを具現したのが孔明の大計であるのは間違いない。だがあの時の呂布の言葉がなければ、そもそも我らの戦いはあそこで終わっていただろう」
「それは確かに全て、だね。終わっていた、と言うのなら確かにそうだ。その終わりが正しい終わりだったのか、いまなら問うことができるわけだ」
「例えば、火種を抱えながら曹操と協力して、一旦戦乱を収める。多くの遺恨を抱えながら、その『英雄の種』達が姿を消し、牙を失った頃。中やら外やらからその火種が拡大し、再び戦乱に逆戻り」
アイラ、テッラのその指摘は、何かそこしれぬ恐ろしさを感じた。そうなる可能性が、確かにあったのではないか。そう感じさせる、今とまた異なる未来。
「そこまで明確に見えたわけじゃねえが、呂布自身がそれに近いものを、俺達に突き付けてきたってのが真実さ。それを半ば封印しながら駆け抜けてきたのが、その後の三十年程になる。おおよそはこうだ。再び曹操に降伏を申し出て、この劉備が曹操に『それは災いを招く』と献策したところから、だな」
――アハハ! 劉備よ! 見事にやられたぜ。だがな、それが本当に貴様の強さだってのか?
――なんだとてめえ、この期に及んで兄者を愚弄するか?
――張飛、関羽、よく聞け。こいつは確かに強え。だが俺より強えか? 曹操より強えか? その強さは漢を守れる強さか?
――むっ? お前はなぜそこまで強さにこだわる?
――当たり前だ。俺は強さが足りなかったから、丁原親父を切り捨てるしかなかった。時にやりすぎる董卓を止められず、最後は半端な策であいつを討つしかなかった。もっと強ければ、もっと別のやり方ができたんだよ
――お前のこれまでの数々の行いは、強さが足りなかったゆえだというのか?
――そうさ。だから強さを求め、それを預けるに足る君を求めた。どっちも半端に終わった結果がこのザマだ。
――それが何度もそなたが私に申し出てきた臣従の意
――曹操殿は知っているのさ。帝がまだ未熟で、支える誰かが必要な時、そいつには、ときに帝の意に反してでも、己の責任で物事を決められるくらいの強さが必要だってな
――帝の意に反する?
――当たり前だ。さっきと同じ話だ
――てめえ、陛下を董卓や丁原と一緒にするか!
――うるせえ! 幼少から正常な判断なぞできぬし、才もわからんだろ! だから宦官や佞臣にいいようにやられてきたのが、腐った漢の政だろうが!
――そなた、そこまで見通していて、なぜここまで世を乱してきた?
――言っただろ? 強さが足りねえって。俺はただ、国を任せるに足る奴が出てこねえ世の中で、正解が見つからずに足掻いてきただけだ。
――曹操殿はそれに足る、と?
――劉備よよく聞け。俺は曹操殿に降る。それでもし、世が安寧を保ち、そして漢室が保たれるのなら、俺はただ腕を磨き、世を乱す輩を討ち続ける。そして誰もが俺を恐れ、漢室に弓を引く者、曹操殿の治世を妨げる者の軽挙を抑える
――董卓の時と同じではないか
――いや全然違え。董卓には、国の全てを治める器量はなかった。せいぜい一州がいいところだ。曹操殿はおそらく違え
――だが、それが民を苦しめ、漢室に仇なせばどうなる?
――それを見極めるまで俺は強くなる。そして、俺はその強さをもって、曹操殿に道を誤たないようにいざなう。誤れば? わかんだろそりや
――この曹操が道を誤れば、反旗をあげる。そしてその反旗が失敗せぬ力をつける。そう言うことか?
――ああその通りだ。劉備よ、貴様にそれができるか? 出来ねえんなら、貴様に俺を斬るその剣を持つ資格はねえ。曹操殿にその剣を預け、その意を委ねるがいい。できるんなら、好きにしろ。
――それは、先ほどのことを私にやれ、と
――やりたきゃやれ。俺はやりたい事を言った。だが貴様が俺を信用ならんと言うなら、答えは一つだ。縄が緩まんうちに決めるんだな。
――……ならば私の答えはこうだ
――兄者がそう決めたんなら、手を汚すのは俺でいい。
ザシュッ!
「これがその全てだ。わかっただろう? 全てだったいった意味が」
「あんたは、あんたらは、父様のやりたいと言った事を、そのままやろうとしている。そういうことかい?」
「ああ、そうさ。私はあの時、その言葉を噛み砕くよりも先に、呂布への疑い、警戒が先行していたんだ」
「戦乱の世、とは言え、それがあんたらの背負ったものだっていうんなら。三十年かけて、ようやく父様のところに辿り着いた、ってのなら。父様の答えが、もうそこに辿り着いていたのなら。あたしたちは、なんて遠回りをしたんだよ」
涙を流す呂玲綺に、アイラ、テッラが寄り添う。
「これが呪いだったのなら、そっちの方がしっくりくるよ」
「たどり着くための回り道、こんなことしてたら千年かかっちゃうよね」
そして孔明殿が、一言告げる。
「呂布がたどり着いた境地。それはまさに、『武』そのもの。戈を止めると書いて武」
「「武」」
「アイラ殿、テッラ殿、呂玲綺殿。呂布からの届け物は、とうの昔にあなた達の元に届いていたのでしょう」
お読みいただきありがとうございます。