百三十 呂布 〜孔明×天地=深掘〜
「ねえ、教えてよ。戦いを楽しい、って思ってしまうことは、本当に呪いなのかな?」
「なあ、教えてくれよ。千年戦い続けたことに、意味がないなんてことあるのかな?」
二人の言葉は、その意味とは裏腹に、昂ったり怒鳴ったりするような声音ではない。だがなぜだろうか。この広大な草原の向こうまで、匈奴と我らが呼んでいる領域の全てに届くような、そんな叫びにも聞こえたのは私だけではなかろう。
「なるほど。そのお言葉こそが、まさに天地の子の生み出した二つの象徴、ということでしょうな。それは仮にも刃を交わし続け、その理由であり続けた我らが、容易に否定するべきものではございません。まずは趙雲殿、いかがですか?」
「今の二人の言葉、我ら武人からしても重なるところが大きい。孔明殿、そう思われたのでしょう?」
「そうですね。それだけではありませんが」
「含むところはあるようですが、置いておきましょう。漢土において武を志す者は、明確な理由を持つことが多い、と考えられています。我らのような漢室再興や、外敵からの防衛、民の安寧といった聞こえの良いもの。覇権、権勢や富といった俗物的なものもありますが、いずれも人をその道にいざなうという意味では変わりありません」
「うんうん、そうだね。それが趙雲だよね。でもそれだけじゃないんだよね」
「ふむふむ、そこまで視野が広いんだね趙雲は。でもそれでも足りないのかな?」
「はい。今ならはっきりと言えます。私は長らく、最初に申し上げたことのみが武人のあるべき道と定めておりました。ですが数年前に孔明殿と国を巡ってさまざまなものを見聞きたこと。そして多くの将兵との練兵と対話を繰り返してきたこの数年。そこで一つ目の変化がありました」
「ほほう」
「へへえ」
「高い志は、武を志す者には、あった方がいいという程度のものでしかないこと。人は人として食わねばならぬ。より多くを養わねばならぬ。豊かにせねばならぬ。ならばその方法や理念を、より知恵のあるものに委ね、己はただ強くなればいい。それも一つ」
「多いよね。でもそういう人は大事だよ」
「大事だよね。その人たちだけじゃだめだけどさ」
「俺たちのことだな、ガハハ!」
「あんたは王の自覚を持ちな!」バシィッ!
孟獲の綺麗な合いの手に、祝融の容赦ない突っ込みが入る。だがそのやり取りに、一つの知性の形を感じたのは、私だけではない。そのやり取りを見た将兵らの笑みが、あざけりではなく、半ば賞賛の表情にもみえることからも、それは確信できる。
「逆に、賢さと強さを備え、自らの立身にその腕を一つの手段として使い尽くす者、そして他者の腕をより多くの力に変える者もまた、おなじようにかけがえなき者達です。ともすればその賢しさが悪意に変わる可能性がよく聞きますが、賢愚や強弱と善悪は、必ずしも対応しないこともあるでしょう」
「へへっ、俺や馬謖のことか」
「そうだな魏延。武は凡といえど、私もその類だろう。互いに功名へのこだわりが強いが、それ以上に、自信が強くあることが、いかに国をより良い方向に進められるか、は常に意識していると言っていいだろうな」
「こいつらも『強い』よね。ねえレイキ姉?」
「な、なんであたしに聞くのさアイラ? ……でもそうだね。それに、『強さ』っていう意味合いの『広さ』が、なんとなくあたしらとも合っている気がするんだよね」
「強さの広さねえ。やっぱりあんたも、親父の強さへの深掘りが、今のあんたを作っているんだろ。そこにしばらく葛藤があったんだろうが、今はそこにあんたなりの答えがあるんだろ?」
「やっぱりあんたはあんただね魏延。その通りさ。『誰よりも強ければ、誰も殺さなくて済む』。あたしやアイラが何度か言った言葉だよ。それはやっぱり父様から来ている面が大きいんだ」
「呂布という人の話は、あたしや兄さんもよーくレイキ姉から聞いてるんだ。班超の話を班虎おじさんから聞いてるのの何倍かね」
「李広、李陵の話は李運からたくさん聞いたし、張騫の話は八人のおじさん達からよく聞いている。衛青、霍去病の話も二人から散々ね」
「だけど、やっぱり直接知っている人の話の印象が大きいよね。どうやら呂布さんは、『どうしたら殺さないで済むか』を、散々悩んでいたらしいんだよね」
「「「えっ!?」」」
そんなことが……という同様が、特に若い将兵から伝わる。もしかしたら、彼と近しい張遼ならばすでにそれを聞いているかもしれない。と思ったのか、その一部が、関羽殿を見る。
「うむ、確かに最近張遼と何度か話をする機会があったからな。それも彼が呂玲綺と対峙した後に。その時に呂布の話もさせてもらったよ。確かに聞いた。私も、それを聞かせた兄者や張飛もそれを噛み砕くのにしばらくかかったさ」
「具体的には、この地に来てから話をする、ついさっきまでだな。兄貴から聞いた時は、あの野郎が? と思ったが、よくよく考えたら、あいつの動きが実はそうなんじゃねぇかって、そう思うようにもなったんだよ」
呂布。我らの時代の漢土に生きる者にとっては、最強の象徴にして、戦いの化身。そして今の匈奴の彼らにとっては、大事な将の父にして、思想の源泉のひとつ。ならば。
「孔明殿。ここはひとつ、丁寧に見直してみるのが良いのではないでしょうか? そこを避けて通るよりも、その中から見えてくるものの方が大きいのでは、と」
「そうでしょうね趙雲殿。ここは関羽殿、張飛殿、そして呂玲綺殿のお力を大いにお借りすることになると存じますが、その話の筋に基づいてこの論を進めるのは正着と見えます。よろしいでしょうか?」
「うふふっ、いいね。だよねレイキ姉?」
「えへへっ、そうだね。そうしようかレイキ姉さん?」
「ああ。悪くないね。そんな話を、こんな大勢のいるところでできるなんてね。それはあたしにとっても、父様にとっても、すごく幸せなことさ」
どうやら話は決まったようです。私はそれほど多くを知らぬ身ですので、客観的な見方に徹することといたしましょう。
「養父丁原のもとで多くの者を手にかけ、董卓の元でその丁原をはじめ更に多くの者の命を奪った。董卓を討つ事になったのち、独立し、最強の名をほしいままにした。そして裏切りと騙し討ちに明け暮れたのち、最後は自らが討たれることとなった。彼の一生を、よくある史家らしくまとめるとこうなります」
「順番に行くと、特に最初のところをよく知るのは、ずっと共にいた張遼だろうな。彼から聞いた話だが、すでにその丁原のもとにいた頃から、思い悩んでいたという。己の力そして戦いへの渇望と、殺戮への忌避。丁原には恩義があれど、その指示には首を傾げつつ、従わざるを得ないことが多かったと」
「張遼おじさんは言ってたね。あの頃の父様は、その後と比べても、際立って愚痴っぽかったって。なんで俺がやらないと、ってね。それでも張遼おじさんが、『私がやりますか?』とかいったら、全力で拒否していたって」
「そういう男なのかもしれん。そしてそのころは、自らが強く、そして愚かだから、こういう上官であっても従うしかない。あるいは、恩義だから致し方ない。そう思っていたとか」
「そういう意味では、その頃から、強いことと、殺すことの間を、さまよい始めていたんだよね」
次に口を開いたのは馬超。実は彼も、父馬騰から呂布のことをそれなりに聞いていたという。涼州では時に敵として、時に同僚として過ごすことも全くないわけではなく、強さの源泉を気にしてもいたらしい。
「そして、その呂布に、初めての転機が訪れた。董卓の誘い、だな。粗暴な丁原を討って我が元につけと。それが呂布という男に突きつけられた、初めての『選択肢』だったわけだ」
「董卓って人は、たいそう切れ物で、力の使い方をよくよく理解している人だった。父様はそんな言い方をしていたことがあるよ。それは二人が会う前からそうだったから、自らを育て養った丁原への恩義と、よりよい仕事との秤にかけて、董卓を選んだんだね」
「その結果が、董卓の専権専横を生んだ。それは否定できねえ。だが、どれほどそこに残虐性があったか、と言われると、話半分としか言いようがねえな。羌と組んで反乱したのはうちの親父や韓遂の方だし。袁紹? 連合軍? そこはよく分からん」
反董卓連合。その意が真に正義だったのか、そして彼らの言うがままに董卓の治世が暴虐に満ちた物だったのか、というのは、意見が分かれている。孔明殿もそんな懸念をしたことがあった。
「袁紹や袁術は、都合の良い喧伝を好んでしていたのもまた確かですね。そこにあの奸雄曹操が手直しをしていたとしたら、大いに筋の通った脚色がなし得るでしょう」
「張遼おじさんが言っていたんだよね。『悪事をなす奴は懲らしめる。乱暴を避けられるならお前が考えろ。避けられないなら、仕方ないから俺がやる。董卓様の命でも同じ』だとか」
「その時に呂布が考えていたのは、『結局誰かが自分の上に立つ限り、その力を利用される。そして誰かを殺すことに使わされる』じゃないか、ってとこか」
「それともう一つ。『結局誰かの下にいて、誰かの考えで使わざるを得ないのは、自分の強さが足りないから。もっと強ければ、そんなことに従わなくていい』だね」
そして二度目の転機。孔明殿が、客観的に知る限りの聞き方をし、呂玲綺がそれに答える……あれっ? 張飛殿、どこへ?
「そんな中、次の転機は、呂布という形をどう変えたのでしょうか。司徒王允。ある程度の権力を持ちながら董卓に影響力を及ぼせず。そして策を用いて呂布を利用し、董卓を討ち果たすことに成功します。ですが彼自身も、それほど際立ってすらいない者らによって破られ、命を落とします」
「その王允が命を落とした戦いは、父様にとって初めての敗北とも言えるんだ。李傕、郭汜なんてのは大した将じゃないけど、単純に兵の差で押されたのと、そもそもどっちと戦うべきって迷いが強かっただろうね」
「王允、李傕、郭汜。彼らはいずれも主の器とは到底言いがたかった。もし誰かに従えば、提言や董卓以上の秩序なき治世がなされる。それを察したと言うことですね。そして彼は、当てがあったのかはわかりませんが、東方へと目指します」
「そこで父様が気づいたことが二つ。一つ目が『真に強い者だけが世を動かすわけではない。たまたまその力を手にした者が、たまたまその力を良き方向に使うか、それに賭けるのはあまりに殆うい』」
「その通りと言えましょうな。王允が董卓を討ったこと自体、正当とする向きは大きいかもしれません。ただそれがまさしく彼の力、志だったかと言われれば、それは肯定することはできません」
「二つ目『誰よりも強くなければ、誰かを殺してしまう可能性は無くならない。自分の強さは、まだあまりにも儚い』」
「「「!!」」」
あの呂布がそんなことを。だが、ここまでの流れに、なんら不自然は見られない。だとすると、その葛藤そのものが、この後どのように結実し、そして結末を迎えたのか。それ次第では、我らの考える先すらも大きく変わりうる。
「そんなことを考えた父様は、張遼おじさん、そして陳宮という知将。他にも何人もの部下をあつめて、東へと向かったんだよ」
「それで、その先どうなったのか、なんだけど……あれっ?」
「むっ? 張飛? あいつが話す番だと思ったんだが、どこへ?」
すると、孔明殿の輿車の後ろから、再び行くなんかの護衛を携え、どなたかが出てくる。
「ちっ、なんだよお前ら。俺を置いてどんだけ面白え話をしてやがる。張飛が気づいてくれなかったら置いてけぼりじゃねえか。だから言ったんだよ関羽。最初から俺も連れてけって」
ん? 張飛殿? いや、口調はほぼその通りか、それ以上の粗野さ。だがその声音は……まさか。
「「「誰!?」」」
「あ、兄者」
「ああ、関羽兄貴、すまねえ。連れてきちまった。そして、見ての通りご立腹だ」
「そりゃそうだろうよ。国と国、民と民にとっての大事な話。この時代の根源に関わる話。俺達が散々苦労させられた話。そしてその極め付けに、間違いなくあの時代のど真ん中にいたあいつの話」
私もそうだが、孔明殿ですら、その雰囲気に呑まれているのを感じる。そして、アイラやテッラも、一度また剣呑さを見せるも、すぐに思いとどまる仕草を見せる。
「そんな大事な話を俺抜きでするなんてのは、一本も筋が通ってる話じゃねえ、よな?」
昭烈帝、忠義と慈愛の君、劉玄徳陛下。いつもの柔和で謹厳な物言いとはかけ離れている。どうやらこの方の本気の怒りを見た者は、この場には存在しなかったようだ。
だがこの方が単に「話から置いてけぼりにされた」程度でで示す怒りとは、何か質の違うものを、この場にいる多くの鋭い者達は感じていた。
お読みいただきありがとうございます。