百二十四 連弩 〜(孔明+祝融)×匈奴=??〜
あたしは祝融。夫の孟獲は前半でゆるりと哨戒とやらをしている。あたしは怪我をした周倉を、陛下らのいる後方の陣営に運び、やたらと注文の多いがなかなか面白いことをさせてくれる魏延の用をこなす。
あいつもう、孔明とあまり変わらん才を持っていそうだよ。あたし達を説き伏せた張飛殿のように、猪突猛進の将だと思う奴ほど、ちょっと視点を変えたらいっぺんに知恵が回るようになるんだ。
そして、孔明に伝言を残し、あたしらは言われたものを持って、魏延の元に戻った。昼は過ぎているけど、まだ日が落ちるにはだいぶ間があるね。
「戻ったよ魏延。言われたものを用意したよ。一万で足りるのかい?」
「ああ、十分だ。そしたら、一番良いのはあそこだろうな。王平には伝えてあるから、手はず通り頼むぜ」
「了解だよ。全く、女の扱いが荒いやつだよ」
「男も女も、できる奴の扱いは変わらねえよ」
「ははっ、まあいいか。南蛮への良い土産話になりそうさ」
そうして、息が整っただろう兵達を連れて、右翼に向かう。それにしてもやたらと広く散開した中軍だよ。これだと、あのすさまじい騎射に対しても、それぞれが相手をよく見て対処しないとすぐやられちまうね。でも魏延、馬謖、趙雲。あの三人なら、兵達全てに、その「対処」をやらせてのけているんだろうよ。
「王平! 張翼! いるかい?」
「おお、祝融殿!」
王平は無言で手を上げる。
「なんだいこの長く伸びた雁行陣は。確かにここに沿ってあいつらが走ったら、かなり大きな円になりそうだけどさ」
「雁行なので、向こうも距離感が掴みづらくて、意外と当てられることは少ないですね」
王平は、斜めの線に対して平行に、やや波打ったような線を地面に書いて、その距離感の不安定さを表現している。
「こいつ本当に喋らんな。指揮できてんのか?」
「指揮の時だけ叫ぶから、逆にわかりやすいって評判だぜ」
「なるほど。まあ良いや。それで、例のものを持ってきたよ。すぐ行けるかい?」
王平は頷く。準備する場所を指差し、ついてくるように促してくる。そして位置に着くと、絵を描き、そして細かく注意書きをしながら、下士官達に段取りを説明する。
「それにしても、なんて緻密な策だよ。そして、あたしと戦巫女達は、火と舞の準備だね」
「走る者の視線を誘導して、正確に見えなくさせる、だったな」
「そうだね。止まっていたら流石に良く見えるだろうが、走っている相手だからね。さほど難しくはないよ」
そして準備ができた頃には、日が傾きかけ、匈奴の勢いも心なしか減っているように見えてきた。あたしは、少し離れた王平の方に合図を出す。そして王平は、誰もが初めて聞くような大音声で、指示を放つ。それこそ匈奴にもはっきりと聞き取れるだろう声量で。
『諸葛連弩、構え! 放て!』
――――
私は班虎。漢族の英雄、班超の血を引くものの、すっかりこの匈奴の地と民に馴染む者。
我らのもつ強靭な合成弓、そして皆の騎射の技術。それを単発ではなく連続で、それこそ矢の尽きるまで続けるために考案されたこの策。あの張家八将。八人が八色で頭を捻って語り合うからか、次々にこのような策が生み出される。
そしてその上で、敵将の突撃の勢いまでも活用し、強烈な打撃を与える我らの采配。その結果、初日は敵将の周倉を離脱に追いやる。そして二日目は、我らの采配を警戒してか、騎兵は突撃することなく、歩兵が守りを固めながら、弓戦に応じる形を見せてきた。違いが互いに矢を射返し合う結果、本来野戦ではありえぬ時間、弓撃の応酬が続いている。
手応えは十分にある。向こうも何度か前後を入れ替えるなど、被害は出ているように見える。このまま続ければ、と考えていた。
「だんだん曲がっている矢も増えてきちまったが、問題ねえな。この弓は強えから、あんまりぶれねえんだ」
「ずっと丸く走っているから、馬が疲れたら休ませられるしな。よく考えられているぜ」
「それに、向こうが打ち返してくるから矢が減らねえ。向こうは人が減っているはずだよな」
このように、円の逆側に入ると、明るく会話をしながら、次の周に備える、と言った塩梅。
そして、日が傾きかけ、少しずつだが兵の疲労も出てきて、矢も流石に使えるものが減ってき始めたと思った頃。
密集陣、散開陣と続き、雁行陣に差し掛かった時、右手から大きな声が。
『諸葛連弩、構え! 放て!』
諸葛……孔明か? 連、弩? 聞き間違いでなければ、連は連続の連。弩は、弓のように連射はできないはずの、強力な機弓。
そして、正面にいた前列が大きく乱れる。これまで雁行に沿って広がっていた円が、正面を避けるように左側にそれていく。
むっ、かがり火と、巫女の舞。そして、構えているのは確かに弩のようなもの。だが。火と巫女のせいで、うまく弩に視点が合わない。
確かに弩から、連続でいくつもの矢が飛んできているように見える。威力も我らの弓と遜色はない。
「うわ、どんどん来るぞ、左に避けるか?」
「ああ。避けるぞ。雁行を避けて、円を縮める!」
「速度は少し落とすか! それならかわせる! まっすぐ来ているから、そこまで射程はないぞ!」
そして、雁行陣を避け、一度大きく歪んだ円の形を立て直す。しかし、
「げっ、あいつら少しずつ前進してくる! 避けられねえ!」
「数はそんなに多くねえが、連続して延々と打ってくる! 結構やられた!」
「くっ、続けるのは無理か。仕方ない! 一度離脱するぞ!」
「「応!」」
そうして、被害そのものは多くないが、気持ちの上では、終始順調だったこの日の戦いに、大きな影を落とした。我らは一度離脱し、日が暮れる。
――――
「あはは! 見事にハマったようだね! 向こうは逃げていったよ!」
舞い踊り、矢を放ち終えたあたし達は、一度趙雲達の元に報告に向かう。
「ああ、うまくいったな。何度もできることじゃねえが」
「そうだね。そのうちバレるだろうし、今回は時間帯も状況も、向こうに判断しづらい条件揃ってたからね」
「見事な時間に見事な実践だ。さすが王平と祝融だな」
「びっくりしたよ。あいつあんな大声出せるんだね」
「大声すぎて、喉痛めるらしいんだよ。だから普段は筆談とか絵で済ませるんだ。諜報してた時は、そらはそれで助かったんだけどな」
「あはは! 面白いねあいつも! それにしても、もっと面白かったのはあの策さ。なんでただの弩を、連弩なんて意味わからんものに仕立て上げたんだい?」
「弩なら向こうもよく知っているだろうからな。あっちの豪弓に対抗するには、こっちも何かある、と思わせるのが良いんじゃねえか、そう考えたんだよ」
「確かに孔明や、月英ちゃんなら、それくらいの新しい武器とか考えそうだけどね。それをあえて王平に叫ばせた、ってわけかい」
「そうだな。向こうの班虎か李運のどっちかが聞いてりゃ、一度聞いただけで意味をなんとなく把握するだろ。そしたらもう、『諸葛連弩』はあいつらにとって、あるものとして認識されるはずだ」
「それが時間限定でも運用できるから、あたしらにもしばらくの間耐え切るっていう手が取れる。そんな勘違いをさせるってことだね」
「ああ。これで向こうは、おいそれと騎射だけに頼った策は打てなくなるはずだ」
「それで、弩を四列に並べて、一番前は最初以外は撃っているふり。実際には後ろの三列が交互にうつ。斜線もある程度は気をつけるけど、あたしらがやっている視線の惑わしがあるから、そこまでかっちりやらなくてもいい、と」
「そうだな。あんたがいなかったら、もう少し厳密に射線をいじったり、前列の演技とかもしないといけなかったろうけどな」
「全く、あたしらからみたら、あんたや張飛殿こそ、知恵者、軍師ってやつに相応しいんじゃねえかって思うよ。世間が思っているような孔明や法正、馬良もまあ確かにそうだけど、機転って意味ではそれ以上さね」
「彼らには戦略、それに政略っていう役割があるからな。そっちはそっちでじっくりと時間をかけて考えてもらわねえと、だろ? 考えたら腹減るし疲れる。それは孔明殿だって一緒なんだ。だから、前線のやつが、考える仕事を彼らだけに任せちゃなんねえんだよ」
「そうかいそうかい。人の頭の出来とかの違いよりも、何が得意とかの違いの方が大きいのかもね」
「そりゃそうだ。あんたも、人にどう魅せる、伝える、どう理解する、ってのは得意だろうよ。それを考えずにやれてるとは言わせねえぞ」
「アッハハ! さすがだね。あたしの頭ん中見たことあんのかって言い方だよ! でも間違いないね。あたしはそうだ。あのアホにしか見えないうちの孟獲だって、どう人を乗せる、人の思いを引き出すってのは大得意さ」
「そうだな。だからこそ、たくさんのやつが、みんないろんなこと考えて、それを出し合っていく。それを続ければ続けるだけ、よりいい国、強い国が出来上がるんだろうぜ」
「なるほどね。漢族の河北、河南、荊州、そして益州。そこに南蛮、羌、氐、敦煌。いくつも混じり合った中でこそ生まれるもの。そこに未来を見ているんだねあんたは」
ん? 魏延がだまる。そして、あたしの横にいた王平をみる。忘れてたよ。一言も発していなかったからね。いつもこんなかこいつ。
「ん? 王平がどうした……あっ」
『匈奴』
「まさか、さっきあたしがつらつら言った、蜀漢という枠組みの多様さの中に、匈奴が入る未来を、ってことかい?」
頷く王平。こいつこういうやつかい。
「いつもこうなんだぜ。俺とか馬謖が見落としていると、なんか書いて見せてくるんだ。そしてそれがたいていの場合、恐ろしく重要でな」
「なあ、さっきあんたがした話そのものが、この国にとって、そして匈奴を含めたこの世界にとって、結構意味があることなんじゃないのかい?」
「……そうかも知れねえな。祝融さん。ちょいとまたお使い頼んですまねえが、こいつ連れて、後詰の陛下や孔明殿のもとに行ってくれねえか? こいつ全部覚えて、向こうで書き出してくれるから問題ねえ」
「……他人の女に何度もお使い頼むってのは、あんたの母ちゃんに言いつけないといけないねぇ」
「……」
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