百二十三 確証 〜(孔明+魏延)×匈奴=??〜
世が明けた。やや危険な怪我を負った周倉は後詰へと護送し、最精鋭の中軍が前に出られるように、四軍を三軍へと再編した。先鋒の関興は周倉の代わりに左翼へ、張苞はやることの複雑になる騎兵に再編。
匈奴軍は、昨日こちらが大きな被害を出した左翼に狙いを定め、距離を詰めてくる。対して我らは、中軍、続いて右翼が前進し、大きく取り囲むような形を取るように動く。
「魏延、差し当たり機能と似たような形を作る。それで良いのだな?」
「ああ、それでいい。だが、無理に突っ込んで向こうの騎射を止めるんじゃなくて、距離を保ちながらこちらも矢を返すのでいい。向こうの矢を拾って撃ち返すくらいの返しで問題ねえ」
「弓は違うが、矢は似たようなもののようだからな。だが、それをすると、こちらに余裕がないように思われないか?」
「それで良いのさ馬謖。匈奴の地に深く入りこんだ俺たちが、そこまで物資に余裕があるわけじゃねえ。そんなふうに思わせるとどうなるか。へへっ、まあお楽しみだ」
「そう思わせる、か。相当色々仕込んだな。どこまではまるか、見定めてみよう」
そしてこちらの左翼が接敵。槍を並べ、盾を構えた密集陣形。突撃突破は決して許さないという陣構え。
「向こうは突撃を控え、騎射に終始するはずだ。とにかく防ぐこと、そしてこちらは弓で応戦すること。その徹底、だったな」
「ああ。左翼には関銀屏、右翼には王平と、弓戦に長け、兵が狙いを定める集中力を高められる将がいる」
「始まったぞ。やはり、回りながら射てくるな」
「できるだけ近づいて直射する。それがあいつらのやりたい動きみてえだ。確かにあの強い弓ならそれが一番良さそうだ」
「かなり近づいてくるから、我らも盾兵の後ろから曲射で届く範囲内だな」
「時折、直射に近い射ち込みを見せてくれるはずだ」
そして、怪我の周倉に代わって入った、関銀屏の兄の関興。連携の質はほぼ同等。そして、普段先鋒で斬り込む関興も、守りが苦手なわけではない。
「関興も、突撃しながら盤石な守りをする、と言うくらいのことを普段しているからか、足を止めて守るくらいはお手のもの、と言ったところか」
「だがやはり、左翼だけで対処は限界がきそうだな。我らも急ぐぞ」
ほどなくして、敵にとって左側から、我ら中軍が接敵。こちらは散開してそれぞれが守りを固める。
「横方向には散開だが、縦方向にはいつでも代われるような距離を保つ、か」
「そうだ。そして、矢を打たせ、盾で受けたり拾ったりして後方に回る。そしてどんどん矢を届ける」
「向こうから見たら散開しているから、よく狙って打ち込む必要があるんだな。なぜ左翼と違うんだ?」
「今は特に、後ろに右翼がいる、っていうのが大きな理由のひとつだな。突撃されてもこちらがそれをいなして仕舞えば、右翼と我らで簡単に包囲が成立する。それがあるから突撃が出来ないんだよ」
「他にもあるのか?」
「ああ。見ていればわかる」
匈奴は変わらず、円陣を回転させて射ちこんでくる。
「あらら、こっちは広がっているのか! ならさっきと違って、適当に打ち込んでも無駄なんだな」
「頭を切り替える、んだぞ! さっきと同じじゃ矢がもったいないぞ!」
「よーく狙って、放つ! ああ、避けられた」
「全部当てられるわけじゃねえ。運も大事だ。ガハハ」
「問題ねえ。走りながら射掛ける練習は、何年も積んできたんだよ」
声が聞こえるくらいの距離まで近づいてくる。だが突撃はしてくることはなく、あくまでも騎射の範囲内で動きを調整してくる。
「魏延、向こうはそんなに切り替えに苦労はしてなさそうだな」
「ああ、まあ最初はそんなもんだろ。淡々と防ぐぞ」
「まあ良いか。被害が大きくはならなそうだからな」
さらにしばらくして、後方にいた右翼、張翼と王平の軍は、中軍を横切りつつ、敵のさらに左方に展開する。
「右翼はどうするんだ? 密集陣形か?」
「あちらは左が前の雁行だな。向こうの回転の勢いを、後方に流すような構えだ」
「そして、出来るだけ多くのものが射返せるような配置か。あくまで弓戦の構えを崩さないんだな」
「そういうことだ。それに、密集、散開、雁行と、会う敵会う敵みんな状態が違え。だからあいつらは、ちょっとずつ動きを調整しちまうんだ」
「密集している相手なら、盾の間を狙ったり、頭をこえて曲射したり」
「散開していたら、一人一人を狙わなきゃなんねえ
「雁行陣なら、そこに並行する形で駆け抜けないと、逆にこちらの弓の餌食、か」
「そうするとどうなるか。よーく見ていてみ」
魏延の真剣ながらも弾んだような言い方に、私や馬謖は右側に望遠鏡を当てる。
「あれ、円が大きく広がっているな」
「それに、馬が加速していってないか?」
「そうさ。この配置にして、それぞれに適した対応を考えて実行すると、自然とそうなるんだよ」
「なるほど、そしてその先には……あれ? こっちの騎兵はかなり遠くで散開しているぞ?」
「ああ。何もしていねえ。そうすると、向こうはどっちに行くと思う? まっすぐ突っ込んで騎兵の方に行くか、円を描き続けてもう一回密集歩兵に行くか」
「ああ、攻めあぐねているように感じているのなら、騎兵の方に進路を変えていきそうだが……」
「そうかな?」
「むっ? 変わらず円を描いて戻ってくるぞ」
「そうさ。馬謖さっきなんて言った? 攻めあぐねていると感じたら、だったな。だが、もしそうじゃなかったら? 兵達はそれぞれのところで、しっかりとこちらに攻撃を当てられているんだ。それにこちらの射返しも、まだそれほどじゃねえ」
「まさかあいつら、今『たいそう順調』と思っているのか」
「そうだよ。よく聴いてみ?」
――ダハハ! また当てたぜ!
――うまいなお前。俺も! あっ、外した!
――ああ、李運がいってたぜ。こっちの腕が充分なら、運の悪いやつから当たっていくってな
――ダハハ
「……やたら楽しそうだな」
「だが事実だぞ。こちらの被害も少なくはない。死者こそ少ないが、疲労や怪我は免れん」
「いや、大丈夫だよ趙雲殿。最初だけだ」
「そうなのか? あやつらの集中力もだいぶ高まって、精度も上がってくるぞ?」
「くくっ、だからこそさ。この円陣騎射、結構修練していると思わねえか?」
「だろうな。こんな高度な動き、すぐには出来ないぞ」
「じゃあ、その時の円の大きさや、馬の速さは?」
「……まさか、最初の状態が、最も効果的というわけか。そして、それより狭くて遅い分には精度が上がるが、広がって加速していたら精度が下がる、のか?」
「ああ。おそらくな。そしてそれも、自分達で動かしている分には問題ねえ。だが、いつの間にかそうなっている、というような状況で、そんなことが分かるかどうか、だな」
「……つまり、もとから当たってはいても倒せることが多くはない、という、それほど確度が高くない状況。だから、その確率がさらに下がったところで、気づける可能性が低いということか」
「そういうことだ。それともう一つ仕込みがあるんだよ。今日はそこまでだな」
魏延が結局何を狙っているのか、まだおぼろげにしか見えてこない。だがこの男がすでに戦場において、孔明殿や徐庶殿にもおとらぬ知略を備えるだろうことは、その二人が最もよくご存じの様子。
「ん? もう一つ? 確かにここまでだけであれば、向こうのやりたいようにやらせつつ、実際には被害を抑えているというくらいの利だな」
「このような緻密な戦術と、高度な弓技に対してそれが出来ているのだから、十分な価値といえるんだが、最後まで聞いた方が良さそうか?」
「ああ、諸将には、馬超殿や祝融の騎兵を使って、意図をしっかりと伝令済みだからな」
「そう言えば二人に何やら色々吹き込んでいたな。そなたなら相応の意味があるだろうから、問いただしはしなかったが」
「その信頼には成果で応えなきゃな。俺たちが、各軍団に出した指示はなんだったよ?」
「矢戦で迎え撃て。しかと守って急所をつかれぬようにし、射返す気概を見せ続けよ、だな」
「それと、向こうから来た矢で、使えるものは積極的に拾って射返せ、だったな」
「そうだな。そしたら、敵勢の向こう側って見えるか? 多分最前の騎兵は素早く通り過ぎるから、じっと見ていれば見えると思うんだが」
「遠くを、か。……むっ? あれは」
「趙雲殿、よく見えま……あれ? あやつらも、中の方で、矢を拾っている奴らがいるな」
「そうか。円を描いて騎射をしていても、ずっと打ち続けているわけではないのか。時に馬を休めつつ、人がやることがあるとしたら、安全なところで矢を拾うというのがあるんだな」
「待て待て待て。魏延、そんなこと向こうにもさせて良いのか? 互いに矢が尽きるのがいつになるかわからんぞ? 先ほどお前が言った、敵の精度を下げながら数を撃たせると言うのは、向こうの矢が底をつくのを待つのではなかったのか?」
「ああ、そうじゃねえんだよ。そうしたらあいつら武器を持ち替えて、それこそ強烈な突撃をしてくるか、それか頃合いによっては一度退いて、補給して帰ってくるだけだろ?」
「そう、確かにそうだな。そうだから、俺も趙雲殿も、お前の意図が最後までわからんのだが」
む? 本人らが思っているより精度が低いことに気づかない騎射?
普通の弓よりも強く、孟獲や南蛮族ですら扱いに苦労しそうな弓?
その騎射が、普段なら矢が尽きたら終わるはずなのに、延々続く?
「そんなことしたら、気づかぬうちに疲労の極致となるぞ?」
「あっ! そうか。そうですね。それにその疲労は今来るのではない。来るとしたら明日か明後日。その疲労は、前日に調子づけばづくほど、それに、気が昂れば昂るほど、反動はより大きくなる」
「くくくっ、その通りだ。それに、あの二人。馬謖、調べはついているんだろ? どう言うやつだった?」
「ん? 一人は班超様の後裔、班虎。全盛よりは衰えたとは言え、あの関羽様を退けるほどの豪の者。単に腕っぷしだけでなく、虚々実々の駆け引きにたけ、長い戦いでも問題なくその力を発揮できる」
「そうだな。もう一人は李広様、李陵様の後裔、李運。戦場の機微、運や不運を巧みに仕組みに落とし、互いの不運を駆使して幸運を摘み取る。その独自哲学は、将兵達にも不思議な安心感を与え、たいそう信頼されている」
「そんな知勇に優れた二人が、そんな罠に引っかかるのか? 兵の疲労管理は、流石に問題ないと思うのだが」
「いえ趙雲様。先ほどの二人の気質と性格、もしかしたら今の状況だと逆効果かもしれません」
「ん? 逆効果……班虎の腕っぷしと力の使い方の巧みさ、か。そうか。確かに、当人がいくら冷静でも、そもそも疲労を感じることが少ないない者。そして兵達も気が昂っており、見るからに調子がよさそう」
「それに李運は、独自の哲学を持つがゆえに、うまく行っていれば行っているほど、自らの考え、感じている感覚の正しさを信じやすい、ということか」
「そうだな。孔明殿や小雛殿が言っていたのが、『確証偏向』と言うそうだ。人は正しいと思っている考えに即した状況を目にすると、そちらにどんどん考えが偏っていくもんなんだよ」
「それは聞いたことがあるぞ。戦場でもそれに近いことは良くあるとは聞く」
「そうだな。李運、そして班虎。その二人の組み合わせに、あまりにも秀逸な用兵術。そしてあの強弓。それに裏打ちされた自身なら、さぞかしその確証は強まろう。そう思って、思いついたのが昨日の晩だ」
「まさか、あの弓を見てすぐにここまで……」
「それに、二人の特質まで事細かに……」
「あ、ああ、そうだな。……ん? どうした?」
なにやら、無性に一言申したくなった。おそらく馬謖も同じに違いない。
「「孔明かっ!」」
お読みいただきありがとうございます。