百二十二 激突 〜蜀漢×匈奴=??〜
三十万の蜀漢軍。とはいえ、十万の騎兵は大きく散開して偵察調査に従事し、十万の後詰は兵站拠点の形成に従事する。そして十万前後の敵軍が現れたときには、騎兵の半数と、後詰の半数を合わせて二十万ほどで敵軍に迎え撃つことに決めていた。
そして長安を出て、正確に東西に散開した騎兵を引き連れて北上した軍は、八万ほどの匈奴の精鋭を視認する。つまり、二十万ほどで対峙するという定めに従い、戦いの火蓋が切られることが確定した。
私趙雲は、副将として同行する馬謖、魏延と共に状況を整理する。
「敵影は、散開していた左右の自陣のうち、右翼右端と中軍のちょうど間に位置しています。まず、望遠鏡でぎりぎり視認できる位置まで、右翼の騎兵を下がらせました。続いて、左右を行き来しつつ状況を注視している主将の馬超と徐庶は、孟獲、祝融夫人の率いる右翼に合流」
「そしてそのまま敵正面に当たる位置まで、本体と共に東へとずれて行っているところだ。そして、その移動した穴を埋めるように、左翼の軍が間隔を広げて、偵察範囲を広げている。とはいえこの列自体が、右翼だけで二千里(八百キロ)以上ある。歩兵主体の軍が、その半分の距離を中央まで進むのには、七日ほどかかるってとこか」
「その間、向こうの動きを注視しつつ、迫ってくれば引き、下がられたら距離を保つように動く。騎兵は横に延々と隊列を組んでいるから、その列が切れなければ、そこに沿って歩兵を動かすだけだな」
そうして三日ほどが経過。それと前後して、匈奴軍が西側に少しずつ動いている様子が見られた。つまり、我ら歩兵軍に近付いている方向。だとすると、この軍が彼らの正面までたどり着くのに、あと二日ほどの見込み。
「向こうの軍が何をしているかは分からないから、いつ南下してくるかも分からんな。警戒を強めておこう」
二日後。我らが敵軍の正面まで来たところで、彼らがゆっくりと南下を始めた。
「どうやら、少し前に我らに気づいたようだな。騎兵は、少し離れた位置に集結し、大回りして背後を狙う。我らも前進を始めよう」
「「承知」」
そして接敵。敵軍先鋒はどうやら、百年前の英雄班超の後裔、班虎。彼の重く鋭い一撃を、関興や張苞が受け切れるかどうか。
「敵軍が散開せんように、ある程度突撃を許しつつ、その突撃を軍全体で受け止めるように緩め、厚めの槍弓の陣を組む」
「「応!」」
槍戟の交わる音は多くはない。どうやらこちらの数を警戒して、まずは様子見にとどめているようだ。
「まずは突撃ではなく騎射での様子見か。いつもより慎重な対応だな。やはり生活圏に近いと、戦い方も変わってくるのか?」
「前進して距離を詰め、撃ち合いに持っていくのが良いでしょうか。槍兵、盾兵の壁も有効に使えそうです」
「そうだな。弓が当たるかどうかの距離まで詰めよう」
左右から敵陣を囲うように、先鋒と左右で距離を詰めていく。
「むっ? あればどういう……? 敵陣が回転しているのか?」
「おおよその形状は円陣と言えましょう。ですが外殻が回転しているのは……なるほど、この弓音の量からすると、騎射で矢幕を張っているのか」
「あれなら確かに、足を止めて撃ち合うよりも、こちらの狙いも定めにくいし、それにより多くの者が射撃に参加できるな」
「それにしても、一度にどれだけの者が矢を放ってきているのだ? すごい数だぞ」
「外殻の内外の間隔を相当せばめながら、回転したり、こちらに距離を詰めてきたり、同時に何万の兵が射掛けてきます」
「勢いを止めるぞ。三方向から、蜂矢陣を組んで楔を打ち込む。関興、周倉、張翼が打ち込み、張苞、関銀屏、王平は射撃で援護せよ」
近付けば近づくほど、向こうの回転する騎射が数を増やしてゆく。そして我らの軍は、三方向から、鋭利な楔の形で接触を試みる。その動きを遅らせようと試みているのか、回転の径を縮めながら打ち続けてくる。
「ちっ、突撃の勢いは鈍らされているか」
「こちらの進軍に合わせて、向こうは後退していますね。外側が回りながら全体が下がるとは、連携があまりにも高度です」
「むっ、きついか。矢の数……だけではないな」
「明らかに矢の勢いが強え。盾を前に仕掛けているが、盾を持った腕が押し切られたり、上から超えられたりしている。こっちの弩兵と大して変わらねえ威力だ」
「弓が違うのか。これまであまり出てきていなかったが、そんな引き出しまであるとは」
「足が止まりかけているうちに、挟み込みから抜け出されるな。そもそも向こうが騎兵だからな。距離を保たれるときつい」
「ああ、きついな。だけど、そろそろ彼らがどうにかしてくれるはずだぜ」
「そうだな。そろそろ整ってくるだろう」
「右翼後方から馬超軍が突撃。敵は、いちど道を開けつつ、勢いを殺すように追随しているな」
「まずい!この流れだと、向こうの半数はこちらの左翼の外側に抜けるが、残りの半数はぶち当たるぞ」
「左翼は中軍側に引かせる! 突撃を真正面から受けさせるな!」
「承知!」
強い弓、そしてこちらの流れに呼応するかのような見事な匈奴の兵さばき。こちらが敵地に深入りしているからか、情報がこちらにわたるのを惜しまず対応してきていると言ったところか。
そして、向こうの半数の四万ほどが、こちらの左翼をやや深くかすめる形で激突。周倉隊が前衛で防ぎつつ相手を左方に流し、関銀屏隊が後ろから矢を射掛ける。連携はこの上ない高度さ。
「むぅ、突撃の勢いが強すぎる。こちらの馬超軍の勢いをも利用しているようだな」
「あえて馬超軍を挟み込むことで、左側、つまりこちらの左翼に当たる軍が、横から圧を積み増ししているような形になっているな。そんな兵圧の使い方ができるのかこいつら」
「だがこちらも負けてはいないぞ。周倉と関銀屏は、引きながらうまくいなし、馬超も挟まれながら両側の匈奴軍を削りに行っている。孟獲と祝融夫人の連動も見事だ」
そして一度、左翼後方側に匈奴軍が抜ける。双方被害が小さくなさそうだが、とくにこちら左翼の状況が気になる。
「周倉殿が負傷! いったん関銀屏殿が体制を整えています」
「ちっ、兵捌きが巧みすぎる。騎射もこれまでと一段違う脅威だな」
「とにかく奴らは、より多くの者が攻撃参加できるように動いていそうだ。向こうの多でこちらの寡に当たられている。どうにかして我々も戦線に入れるよう、陣を組み直さねば」
そして日が落ち、一度互いに距離をとる。
「夜襲は一応警戒するが、しっかり休むことを優先だな」
「馬超殿が、祝融殿、徐庶殿と共に来ています。隊はいったん孟獲殿に任せているようです」
「ああ、通してくれ」
「趙雲殿、面目ねえ。突撃の勢いを利用されちまうとは」
「いや馬超殿、あれは致し方ない。突撃の機も、あれ以上ないものだったからな」
「周倉殿の奮闘、関銀屏殿の連携も見事だった。だが相手の用兵の巧みさが際立っていたよ。だから向こうの被害も少なくねえはずだ。
「将はわかったか?」
「班虎と李運だ。それに、こちらの右翼後方に、ちらっとだが別働隊を確認できた。羌族の視力に望遠鏡でギリギリだから、こちらが見つけたことは気づいてはいないだろう」
「いつもの流れだと呂玲綺か、アイラ、テッラだな」
「今の状況だと、魏の方に一軍か二軍は費やしているはずだからな。アイラ、テッラの本隊と、張家八将の、どちらかか、両方かが向こうに行っているはずだ」
「彼らもこちらに向かってくる可能性はありそうです」
「戦力だけで言えば、無理に打ち果たそうとしなければ足りるのだ。だが、戦い方は見直さねばな」
「まず何よりも、弓だな」
「なあ、一個だけどうにか拾えたよ。折れちまっているけどな」
「祝融殿! なんと、それはありがたい! むっ、これは、いくつもの素材が折り重なり、それに曲がっているのか?」
「ああ、うちの人に折り曲げさせようとしたけど、かなり力を込めないと厳しいってよ。あたしには無理だったよ」
「孟獲で無理だとするとよほどだな。この強靭な弓を引くことで、馬上でもあの威力か」
「これは弓よりも弩に近え威力だよ。それに弩と違って弓は弓だから、矢をつがえるにも問題ねえ。厄介だよな」
ここで、魏延が口を挟む。魏延というと、やや血気に早く、成果を求めようとしすぎるという人物像だったが、それはもはや過去のこと。黄忠殿のもとで諜報を学び、さらに最近の連敗の中で、あらゆる知識をどう使いこなすかに注力する姿勢を見せる。
その結果彼は、徐庶や法正、果ては孔明殿にまで論議をふっかけ、あらゆる視点を手につつある。それが『文鬼』、魏延文長の今の姿。
「ああ。厄介だ。だが、知らぬ厄介よりも知った厄介が何倍も良い。向こうもその有用さがわかっているから、どうしても頼りがちになるはずだ。そしてそれが必ずや隙になるんだよ」
「魏延、何か思いついている言い方だな。我らもしっかり休まねばならんから、もったいつけずに手短にたのむぞ」
「そうだな馬謖。休むのは大切だ。そういうことだよ。こんな強え弓を、あいつらずっと引き続けられると思うか? しかも馬上で、走りながらだ。確かに盾を持つのも疲れるが、この弓よりはましだろうぜ」
「まさか、打たせるだけ打たせる。そういうことか?」
「ああ、その通りだ。今日みたいに、無理に追い立てようとせずに、あいつらの射程の前後で攻める構えを見せつつ、打たせながらしっかりと守るんだよ」
「だとすると、騎兵は攻め込まずに、遠間から圧をかける形か」
「ああ。あいつらが好き放題引いたり出てきたり出来ないように、常に牽制していて欲しいんだ」
「そうか。思いっきり散開しておこう。そうすれば、向こうもこちらに突っ込んでくる意味がなくなるし、それに策定範囲が広がって、対峙している軍と、隠れている敵軍を両方視認できる」
「半分はそうしてくれ。そして、残り半分には、もう一つやって欲しいことがある」
「なんだ? やること多いねえ、注文の多い男は嫌われるよ?」
「祝融、あんたには旦那がいるから別に良いだろ。まあこれを聞けば面白いと思ってくれるはずだよ。あんたの力を最大限に活かせるんだからな」
「もしや、何らかの幻惑を使うのかい? 私のは、木鹿みたいな幻術じみたもんじゃないよ。ちょっとした錯覚だけさ」
「それが重要なんだ。まず、一度後詰のところに行って、借り物をしてきて欲しい。そして、戻ったところで、それをこうして、こうだ。で、こう。いけるか?」
「あ、ああ、つまり、こうしたくて、こう、だな。そこで、あたしの出番、ってわけか。アハハ! 面白いよアンタ。人の妻じゃなかったらどうだったろうね?」
「ハハッ! それは純粋な褒め言葉として受け取っておくぜ。旦那にもよろしくな。さっきの通り、あいつや南蛮の腕っぷし、器用さにもかかっているからよ」
「ああ、任せな」
こうして、魏延が馬超や祝融に何かを仕込みつつ、いくつかの再編を確定させ、皆早めに休むこととした。なにより、誰も彼もがとにかく頭を使うのだ。そんな戦いが始まるのなら、よく寝たものの勝利だろう。
「それと、孔明殿にはもう一つの判断を頼む、と伝えといてくれ」
「注文の多い男だねあんたは」
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